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  目  次

 凡  例

ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕…………………………………須藤訓任訳……1

  論  稿二九一五年)

戦争と死についての時評…………………………………………………田村公江訳……133
欲動と欲動運命………………………………………………………………新宮一成訳……167
抑 圧…………………………………………………………………………新宮一成訳……195
無音t識………………………………………………………………………新宮一成訳……211
夢学説へのメタサイコロジー的補遺…………………………………新宮一成訳……255

   喪とメランコリー …………………………………………………………伊藤正博訳……273
V
   精神分析理論にそぐわないパラノイアのI例の報告…………伊藤正博訳……295

   転移神経症展望………………………………………………………………本間直樹訳……309

   無 常…………………………………………………………………………本間直樹訳……329

   欲動変転、特に肛門性愛の欲動変転について……………………本間直樹訳……335

   ヘルミーネープオンープーク凵ヘルムート博士宛
    一九一五年四月二十七日付書簡……………………………………本間直樹訳……345

    編 注…………………………………………………………………………………………………347
    ’卜 ’1、                        新宮一成    7
    卯 題………………………………………………………………………本間直樹………39

ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕
須藤訓任訳

      I 前置き

 ここで私が――またしても単に断片的な形においてではあるが――伝達することになる症例は、いくつかの
独自性によって際だっており、叙述に先立って、まずこの点を強調しておきたい。症例は若い男であるが、彼
は十七歳のとき淋病に罹患してすっかり意気消沈し、数年後精神分析治療を受けるようになったときには、他
人の世話にならなければ全然生きていけない状態となっていた。発症時点に至るまでの青春期の十年間はおお
むね健常に過ごしてきていたし、中等教育の勉学もたいした障碍もなくこなしていた。しかし、それ以前の年
月は重い神経症の障碍に支配されていた。神経症は四歳の誕生日の直前に不安ヒステリー(動物恐怖症)とし
て始まり、その後宗教的内容をもった強迫神経症に変換し、その後遺症が十歳になるまで続いた。

   *1 この病歴は治療終了後まもなく一九一四から一九二五年にかけての冬、C・G・ユングやアルフ
レー卜・アードラーが精神分析の成果に対して企てようとしていた解釈変更の印象がまだ生々しいなか、執筆
された。したがって、この病歴は、『精神分析年報』第六巻(一九一四年)に発表された諭文「精神分析運動
の歴史のために」(GW-X)〔本全集第十三巻〕に連なるものであり、そこに含まれている本質的には個人的な
論争を、分析素材の客観的な検討によって袖完するものである。元来は『年報いの次巻に予定されていたが、
次巻の出版が大戦によって制止され無期限延期となったため、新たな出版社が企画したこの論文集に収めるこ
とに、意を決した次第である。この病歴ではじめて表明されるはずの相当数の事柄は、この間一九二六年から
一九一七年に行われた『精神分析入門講義』〔本全集第十五巻〕で取り扱わざるを得なかった。初稿執筆時と
テクスト上重要な変更はない。追加された文章はブラケットでくくられている〔以下、フロイトによる追加は
その旨記す〕。

  この幼児期神経症だけが私の報告のテーマとなるだろう。患者の単刀直入な要望にもかかわらず、彼の発
症・治療・回復の履歴の全体を執筆することは拒否した。というのも、これは技術的に遂行不可能であり社会
的に許容されない課題だと判断したからである。そのことによって、幼児期の発症と後期の決定的な発症との
つながりを示す可能性もなくなる。後期の発症についてはただ、病者はこの発症のために長期間ドイツのサナ
トリウムで過ごし、当時最高の所管部署によって「躁鬱的精神錯乱」の一症例に分類されていた、と述べるこ
とができるだけである。
  この診断は確かに患者の父親には該当した。父親は活動的で関心豊かな生涯を送ったが、繰り返し重い鬱
の発作によって障碍を得ていた。息子の方に関しては、多年にわたる診察にも関わらず私は、了解可能な心的
情況といえる範囲を超えた強度や発生条件を示す気分の変化を観察することはできなかった。臨床精神医学に
よって様々に変動してゆく診断を受ける他の多くの症例同様この症例も、自動的に経過して治癒に欠陥を残し
た強迫神経症の後続状態として把握されるべきであるという考えを、私は抱くようになった。
  それゆえ私の記述は、現場における幼児期神経症ではなく、経過後十五年してはじめて分析された幼児期
神経症を扱うことになる。こうした情況には、他の情況と比べて長所もあれば短所もある。神経症の子供自身
に対して行われる分析は最初からより信頼の置けるもののように思われるだろうが、しかし、たいして充実し
た内容のものとはなりえない。子供に対して多くの言葉や思念の助け船を出してやらねばならず、それでもな
おもしかしたら意識は最深層にまでは到達できないということになるかもしれない。精神的に成熟した成人に
対して想起を媒体に行われる幼年期発症の分析はこうした制約を免れている。しかし、自分の過去を後の時期
に回顧するときのゆがみや調整が考慮されねばならないことになる。前者の事例はひょっとするとより説得力
ある結果をもたらすが、後者の方

がはるかに教示に富んでいる。
  しかしいずれにせよ、幼年期神経症の分析にはことさら強い理論的関心がよせられてよいとは主張できる
だろう。この分析は成人の神経症の正確な理解のために、子供の夢が成人の夢のために行うのとほぼ同じだけ
のことを行ってくれるのだ。この分析は簡単に見通しが利くだとか、要素が乏しいなどというわけではない。
幼年期の心の生活に感情移入することの困難がこの分析を、医師にとってことさら過酷な仕事とする。しかし
ながら、この分析においては後の堆積層の多くが脱落しているので、神経症の本質が見誤りようもなく現れ出
てくる。精神分析の成果に対する抵抗は周知のように、精神分析をめぐる闘争の現段階で新たな形態を帯びる
ようになった。以前には、精神分析の主張する事実に対してその現実性を争うということで満足していたし、
そのための最良の技法は事後検証の回避であるように思われた。このやり方はいまやだんだんと命脈が尽きて
きたように思われる。それで別の道を辿り、事実は承認しながら、そこから導かれる帰結を解釈の変更によっ
て除去するという挙に出るようになった。そのようにして、気に障る新規事項から再びわが身を護ることとな
ったのである。幼年期神経症の研究は、この浅薄であったり乱暴であったりする解釈の変更の試みがまったく
不充分であることを証示する。この研究によって、神経症の形成には、リビードの駆動力がいかに否認しよう
とも、突出して関与していることが示され、子供のあずかり知らず、したがって子供にとって何の意味もない、
彼方の文化的目標追求など不在であることが認識されるのである。
  ここで報告される分析が注目されてよいもう一つの特徴は、重篤な発症と長期にわたる治療とに関連する。
短期間で良好な結末に至る分析は療法家の自尊心にとって貴重であるだろうし、精神分析の医療的意義を明示
してくれ

るだろうが、科学的認識の促進にとってはたいてい重要なものでない。そこからは何ら新たなことは学ばれな
い。処置に必要なことが既にもう分かっているから、かくも手早く成功したに過ぎない。新たなことは、多く
の時間を費やして格段の困難を克服してゆく分析だけから知ることができる。ただそうした症例においてのみ、
心の発展の最も原初の最深層に下ってゆき、後代の心の形成の問題に対する解決をそこから取ってくるという
ことが成し遂げられる。厳密に言えば、そこまで進んだ分析にしてはじめて分析の名に値することが、そのと
き納得される。むろん、一個別事例が、知りたいと思っているすべてを教えてくれることはない。より正確に
言うなら、一個別事例がすべてを教えてくれることもありうるのだが、それはただ、教えてもらう側がすべて
を把捉できる情勢にあるときだけであって、そのときには自分の知覚が未熟なために僅かのことで満足しなく
てはならないというようなことはないo
  そのような実り豊かな難点に、ここで記述される症例はこれ以上望む余地のないほど恵まれている。治療
は最初数年間ほとんど変化をもたらすことがなかった。にもかかわらず、幸運な巡り合わせというか、あらゆ
る外的事情が療法の試みの継続を可能にしてくれた。事情がもう少し不都合なら治療はしばらくして放棄され
ただろう、と容易に考え得る。医師の立場としては、そのような場合には、何かを聞き知り達成しようとする
なら、無意識それ自体と同じく、「無時間的に」振舞わねぱならない、と言うことができるだけである。最終
的にそのことが成し遂げられるのは、医師が近視眼的な療法上の野心を断念できたときである。病者やその近
親者に求められる、大々的な忍耐・従順・理解・信用は他の事例では余り期待できないだろう。しかし分析家
としては、ある事例で長期の作業によって獲得された成果は、次の同じく重篤な発症例の治療期間を大幅に短
縮し、そのようにして、無意識の無時

間性にいったん従属しながら、その無時間性をだんだんと克服してゆくことに貢献するのだ、と思ってよいの
である。
  ここで問題にする患者は、従順な無関心の態度の陰に立てこもり、長い間手の施しようがなかった。彼は
耳を傾け理解を示したが、なにものも寄せ付けなかった。彼の申し分ない知能は欲動の力からは分断されてい
るかのようであったが、この欲動の力が、彼に残された僅かの生活分野で彼の挙動を支配していた。分析の作
業に自立した関与をもつようにし向けるには、長いこと教え諭さなければならなかったし、この努力の甲斐あ
って解放の芽生えが現れても、彼はすぐさま作業を中正し、続く変化を防止して元の情況に舞い戻ってぬくぬ
くとしていた。自立した生存に対する彼の忌避は断固としたもので、そのためには病気であることのあらゆる
苦難を厭わなかった。それを克服する方途はただ一つだけであった。私という人物への拘束が強固となって、
自立の忌避に釣り合うようになるまで、私は待たねばならなかった。そうなって私は、忌避の要因に対抗する
このもう一つの要因を繰り出した。ほどよい時期になったことを示す兆候がないこともなかったので、私は、
治療はある一定の時期で終了しなけれぱならない、治療の進展の度合いは二の次だ、と決めた。この時期の厳
守を私は決断した。患者も最後には私の真剣さを信じるようになった。この時期設定の仮借ない圧力を受けて、
病気に固着する彼の抵抗は譲歩し、比較にならないほどの短時間で分析は、制止の解消と症状の廃棄を可能な
らしめるあらゆる素材を提供してくれた。この最後期の分析作業においては抵抗が一時的に消え去り、以前に
は催眠術によってしか達成できなかった精神の明晰性が印象づけられた。そしてこの分析作業によってなされ
たあらゆる解明のおかけで、病者の幼児期神経症も了解可能となったのである。

  このようにして治療の経緯は、分析技法によって久しく検分されてきた命題を例証した。すなわち、分析
が患者と共にしなければならない道のりや、その道のりの途上で制覇されなけれぱならない多量の素材は、分
析作業の最中に遭遇する抵抗と比べたらものの数に入らないのであって、ものの数に入るとしたら、それは道
のりや素材の量が必然的に抵抗に比例する限りにおいてのことなのである。これは、平時なら急行列車でほん
の数時間で通過する距離の土地も、今の戦時にあっては自国の軍隊にとって行軍に数日かかり、後を追う敵の
軍隊ともなれぱ通り過ぎるのに数週間・数力月を要するのと、同じことである。
  ここで記述される分析の第三の独自性は、その報告の決意を一層困難ならしめただけのものである。分析
の成果は全体としてわれわれのこれまでの知識と満足のゆく形で一致するか、あるいはこれまでの知識にうま
く接続するものであった。しかしながら、個々にはかなりの点で、たいそう奇妙であったり信じがたく思われ、
他の人々に信じてもらえるかどうか、懸念を抱くほどであった。私は患者に、想い出を厳格きわまりない自己
批判に服すよう要求したが、患者は自分の発言に信憑性のないところはなんら認めず、発言を堅守した。読者
には少なくとも納得して頂きたいのだが、私は、独立の体験として提出されていて、私自身の期待には影響さ
れていないものを伝達しているだけなのである。だから私としては、天と地の間には、学校で教わる知識が夢
想させるよりもはるかに多くの物事があるのだという、賢明な言葉を想起するしかなかったのである。自分が
携えている確信を一層徹底的に排除するすべを心得ている者なら、間違いなくそのような物事をさらにもっと
発見できるだろう。

Ⅱ 生育環境と病歴の概観

  私には患者の経歴を純粋に〔事実の時系列的な〕歴史としても、純粋に実用的に〔因果連結として〕も描
くことはできないし、また〔後の神経症の〕治療歴や病歴も提示できない。そうではなくて、〔事実と実用と
いう〕二つの叙述法を組み合わせざるをえないようだ。分析から結果する確信を分析の再現に何らかの形で宿
らせる方途は、周知のように見つかっていない。分析の診察時間中に生じる出来事を緇大漏らさず記録したと
ころで、それには何ら役立たないだろうし、〔診療中の〕記録作成は、治療技法によって禁止されてもいる。
だから、こうした分析を公表するとしても、それは、これまで拒否と不信の態度を示してきた人々に確信を呼
び起こそうとするためではない。病者と接する自分の経験からすでに確信を得ている研究者に何か新たなこと
を手渡すことができればと期待するだけなのである。
  まずはじめに、子供時代の患者の世界を描写し、幼年期の経歴のうち、〔はじめから〕苦労なく知ること
ができ、数年たってもより完全にもより明暸にもならなかった事柄について報告しよう。
  両親は若くして結婚したが、幸せな結婚生活を送った。やがて両親の発症がその幸せに最初の影を落とす。
母が下腹部を病み、父の不機嫌の発作が始まった。その結果、父は家から不在になった。父の病気を患者はむ
ろんずいぶん後になってはじめて理解するようになるが、母の病弱は初期の幼年時代からすでに分かっていた。
母はそのため子供たちとは比較的関わりが少なかった。ある日のこと、四歳になる前のことなのは確かだが、
母に手を引かれた患者は、母が家から見送りに付き添っていた医者に向かって嘆くのを小耳に挟んで、その言
葉を自分のなかに刻み込み、後になって自分用に用いるようになる〔本巻八〇頁参照〕。彼は一人っ子ではな
い。彼の前には二歳年上の姉がいた。活発で頭がよく、こらえ性がなく手を焼かせる子供だった。この姉には
彼の生涯で重要な役割が振り当

てられることになる。
  子守女が彼の面倒を見てくれている。想い返せる限り、庶民出の無教養な老女で、彼に惓むことのない情
愛を注いでくれた。彼は女にとって早死にした自分の息子の代用なのである。家族は田舎の領地に暮らしてい
るが、夏には別の領地に移動する。二つの領地から大都市はさして離れていない。両親がこれらの領地を売り
都市に越すときが、彼の幼年期の節目である。近い親類がしばしば長期間領地のどちらかに滞在している。父
の兄弟や母の姉妹とその子供たち、また母方の祖父母である。夏には両親は数週間旅に出るのを常としている。
ある遮蔽想起が彼に示しているところでは、彼は子守女と一緒に、父・母・姉を連れ去る馬車を見送り、その
後静かに家に戻ってゆく。彼は当時とても小さかったに違いない。次の夏には姉は家に留め置かれ、子供たち
の監視役としてイギリス人の女家庭教師が雁われた。
  もっと後の年月になると、幼年期の多くのことが彼に向かって物語られていた。患者自身多くのことをお
ぼえていたが、それにはむろん時間的ないし内容的脈絡はない。後の発症をきっかけとして彼の前で無数に繰
り返されたこうした言い伝えの一つによって、ある問題が知られるが、それの解決にわれわれは取り組むこと
になるだろう。彼ははじめ大変おとなしく聞き分けのよい、むしろ物静かな子供だったという、だから、彼が
女の子で、姉が男の子だったらよかったのに、とよく言われていた。しかしある時、夏期旅行から帰ってくる
と、両親は彼が変化しているのに気づいた。不満そうで、イライラし、激しやすくなり、何かにつけて気分を
害しては暴れ、野蛮人のように叫んだ。この状態が長引いたため、両親は、いずれ学校に送り出すことができ
なくなるのではないかと心配を漏らした。それはイギリス人の女家庭教師が滞在していた夏のことであったが、
この女は風変わりで協調性がなく、

おまけにアルコールにおぼれていたことが判明した。それで母は、少年の性格変化をこのイギリス女の影響と
関連づけたがり、彼女の扱いによって息子が刺激されたのだと考えるようになった。夏を子供たちと一緒にし
ていた祖母は鋭敏な人で、少年のイライラはイギリス女と子守女の不仲のせいだという見解であった。イギリ
ス女は子守女を何度も魔女呼ばわりし、部屋から追い出していた。男の子は公然と自分のお気に入りの「ナー
ニャ」の味方をし、女家庭教師には憎しみをむき出しにした。ともあれ、イギリス女は両親の帰宅後まもなく
解雇されたが、だからといって、子供の手に負えない行状は何ら変わらなかった。
  この手の焼ける時代に関する想い出は、患者には残されたままであった。彼の思うところでは、最初に騒
動の場面を起こしたのは、あるクリスマスに二重のプレゼントをもらわなかったからであった。クリスマスは
同時に彼の誕生日でもあったので、そうされて当然のはずだった〔本巻三四頁〕。彼はお気に入りのナーニヤ
に対しても容赦せず、おねだりや疳の虫をぶつけた、いやもしかしたら一番手ひどく彼女を苦しめた。しかし、
この段階の性格変化

   *2 二歳半である。ほとんどすべての時期がのちになると確実に特定された。
   *3 この種の報告は通例、無制約的に信じられる素材として利用してよいものである。それゆえ、患
者の想い出にある欠落は年長の家族に問い合わせて手軽に埋めあわせて当然とも考えられようが、しかし、私
としてはこの技法は用いないよう、いくら囗を酸っぱくして言っても言い過ぎることはない。近親者が問い求
められて物語ることは、考慮されうるあらゆる批判的な疑念に服すものである。こうした情報に依拠すると、
決まって後悔の種となる。その場合には分析への信用に差し障りが出てきて、分析よりも上位の審級が設定さ
れてしまうからである。およそ想起されうるものは、分析が経過してゆくなかで表面化してくるものである。

は彼の想い出のなかでは、時間的順序の付けられない他の多くの奇妙で病的な諸現象と解き放ち難く結びつい
ている。彼は、同時期であったはずはなく内容的にも矛盾だらけのことなのに、それらをいざ伝える段となる
と、「まだ最初の領地にいるときのこと」とみずから呼ぶ、同一の時間間隔のなかにことごとく放り込むので
ある。彼の信じるところでは、一家がこの領地を離れたのは自分が五歳の時であった。だから彼は、自分が不
安に苦しんでいたと語ることができる。この不安につけ込んで姉は彼を苦しめたのである。一匹の狼が背を伸
ばして歩を進めている模様が描かれた、ある絵本があった。この絵を目にとめると、彼は錯乱したように叫び
だし、狼がやってきて自分を平らげてしまうとこわがった。ところが姉は、彼がこの絵を見ざるを得ないよう
にいつも取り計らい、驚愕する彼を見て楽しんでいた。しかし彼は、大きいのも小さいのも、他の動物もこわ
がった。ある時彼は、黄色の鎬が入り端がギザギザの羽をもった大きな美しい蝶の後を追いかけ捕まえようと
したことがあった。(それはおそらく「キアゲハ」であったろう。)突然彼は、この動物に対する恐怖の不安
にとりつかれ、叫びながら、追跡を止めた。カブトムシやイモムシに対しても不安や嫌悪感を抱いた。それで
も、この頃自分がカブトムシを苛め、イモムシを切り刻んだことを想い出すことができた。馬もまた彼には不
気味であった。馬がぶたれると、彼は叫び声を挙げ、それゆえサーカスから出てゆかざるを得ないこともあっ
た。他のときには彼は馬をぶつことをたいそう好んでさえいた。こうした相対立した、動物への振舞い方は、
実際のところ同時に発動されたのか、それともむしろ交互に入れ替っていたのか、もしそうだとしたら、どう
いう順番でいつ入れ替ったのかについては、彼の想い出は決定させてくれなかった。手の焼ける時代は病気の
段階に取って代わられたのか、それとも病気の最中もずっと継続していたのかも、彼は述べることができなか
った。いずれにせよ、以下の報告からして、この子供時代に彼は強迫神経症

のたいそうはっきりとした発症を経験していたと仮定して、間違いなかった。自分は長い間大変信心深かった
と彼は語った。就眠前には長いお祈りをし、際限なく十字を切らずにはいられなかった。夕方には、部屋にか
けられたあらゆる聖人画の前を自分の乗った椅子もろともに巡回し、その一つ一つに恭しくキスすることも習
慣化していた。そうすると、この信心深い儀礼にはたいそう具合が悪いことに――あるいはもしかしたら、全
く折り合いがよいのかも知れないが――、悪魔に吹き込まれたかのように彼の心に浮かんでくる、涜神的な念
慮が想い出されるのであった。神‐豚とか神‐汚物と考えざるを得なくなるのだ。いつかある時、ドイツの湯
治場への旅で彼は、馬糞や他の汚物の山が三つ路上にあるのを見ると、聖なる三位一体を考えるという強迫に
苦しめられた。その頃彼は、物乞いや不具者や老人など、気の毒な人々を目にするや、ある特異な儀礼執行を
遵守してもいた。そうした人々のようにならないために、大きな声を出しながら息を吐き出し、また別の特定
の条件下では勢いよく息を吸い込まずにいられなかったのである。むろん私からしてみるなら、こうした明白
な強迫神経症の症状は、動物に対する不安徴候や残虐行為よりもいくらか後の時期や発展段階に属していたと
仮定するのは当然のことであった。
  患者の成熟期は、鬱の発作を繰り返し性格の病的側面をもはや隠しおおせなくなった父親とのたいそう不
都合な関係によって規定されていた。最初期の子供時代には両者の関係は大変情愛に満ちたものであり、それ
を息子は想い出に留めていた。父は息子をたいそう好み、一緒に喜んで遊んだ。幼少の頃から息子は父を誇り
とし、父のような紳士になりたい、とばかり表明した。姉は母親の子だが、彼は父親の子だと、つとにナーニ
ャは言っていたが、彼はそれにたいそう満足していた〔本巻六匕‐六八頁〕。幼年期の終わり頃、父と彼の間
には疎隔が入り込むようになった。父は疑いなく姉の方をひいきにし、彼はそれで大変気分を害した。後にな
ると、父に対しては不安が支配的

となった。
  七歳の頃だったか、手の焼ける人生段階のせいだとされている現象がすべて消え去った。それらは一挙に
消え去ったのではなく、数回揺れ戻しはあったが、病人の思うところでは、そのころ女性の世話係の代わりと
なった男性の教師や養育者の影響に最終的に屈した。それゆえ、その解決が分析に課せられた謎の最小限の輪
郭は以下のようである。つまり、少年の突然の性格変化は何に由来し、彼の恐怖症や倒錯は何を意味していた
のか、彼はどうして強迫的な信心を抱くようになったのか、またこうしたすべての事象はどのようなつながり
があるのか。もう一度想い出してほしいのだが、われわれの療法上の作業は後になって現れた現今の神経症発
症に向けられていたのであり、より初期の諸問題の解明は、分析の経緯のなかでしぱしの間現在から離れ、幼
年期の原初時代への迂路を取ることが余儀なくされたためにのみ、結果できたことなのである。

Ⅲ 誘惑とその直接的帰結

  わかりやすいことだが、さしあたりの嫌疑はイギリス人の女家庭教師に向けられた。彼女の滞在中に少年
の変化が出てきていたからである。それ自体としては理解しがたい遮蔽想起が二つ彼女と関連するものとして
保存されていた。その一つで、彼女は外出した際、後続の者たちに対し、「私の尾っぼちゃんを見てください
な!」と述べていた。もう一つでは、乗り物での移動中、彼女の縁付き帽が吹き飛ばされるのを見て、姉と弟
は大喜びした。これが示唆したのは去勢コンプレクスであり、たとえば、彼女の脅しが少年の異常な挙動の発
生に大いに寄与した、というような了解が構築できた。そのような了解構築を被分析者に伝えても、全然危険
性はないし、誤っていたとし

ても、構築が分析に害を及ぼすことは何らないが、とはいえ、それによって何か現実に接近する見込みがない
のなら、それの発言は控えられる。構築の開陳の第一の効果としていろいろな夢が登場した。解釈は完全には
うまくいかなかったが、夢はいつも同じ内容をめぐっているように思われた。理解できる限り、夢で問題にな
っていたのは、姉や家庭教師に対する少年の攻撃的行為であり、その代償としての厳しい叱責や懲罰であった。
まるで、少年は……水浴後……姉を裸にし……、覆い………やヴェールを……剥ぎ取ろうとする等々のことで
あった。しかし、解釈から確かな内容をうまく取り出すことはできなかった。これらの夢においては同じ素材
が繰り返し交替しながら加工されているとの印象が得られる段になって、これら自称するところの追想は確実
に把捉された。問題となっていたのは単に、夢見る者がいつかあるとき、おそらくは思春期に、自分の幼年時
代について拵えあげた空想でしかない。それがいまや極めて判別しがたい形態で再浮上していたのである。
  「自分がまだとても小さくて、最初の領地にいた頃」姉がまさに彼を誘惑して性的実力行使におよばせた
という事実に患者が突如思いを馳せたとき、夢は一挙に理解されるようになった。子供たちがよく一緒に使っ
ていた便所で姉がお尻の見せ介いっこをしようと唆し、言葉通りの行いをしたという想い出がまず最初に出て
きた。もっとあとになると、誘惑のより本質的な部分が時と場所の具体的なこともすべて含めて現れてきた。
それは、父親不在の時期の春であった。子供たちはある部屋の床で遊び、母親が隣室で仕事をしていた。姉が
彼の一物をつかんでもてあそび、そうしながら、言い訳のようにナーニャについてよく分からないことを言っ
た。ナーニャは誰とでも、たとえば庭師と同じことをする、庭師を逆立ちさせ、その性器をつかむ、と。
  これで、以前に探り当てられたいろいろな空想は理解されることになった。空想は、患者の男性としての
自尊心

を傷つけるとのちになって思われた出来事の想い出を消去すべきものだったのであり、歴史的真実に代えて欲
望対抗物を据えることによって、この目標を達成していたのである。これらの空想によれば患者は姉に対し受
動的役割を演ずるのではなく、反対に攻撃的であり、姉の裸を見ようと欲して拒絶され罰せられ、それゆえに
癇癪状態に陥ったのであった。家で多く語り継がれたあの癇癪である。家庭教師が母親と祖母によって癇癪の
発作の主因を割り与えられて、この作り話に織り込まれたのも無理のないことであった。それゆえ、これらの
空想は正確に民族の伝説形成に相当する。初期には小規模で不運であった民族が後に強大となり誇り高くなる
と、伝説形成によって、初期のありさまを覆い隠そうとするものなのである。
  実際には、家庭教師は誘惑とその帰結にほんのかすかに関与できただけである。姉との場面が勃発した春
と同年の盛夏の数力月、このイギリス女は不在の両親の補完として雇われた。家庭教師に対する少年の敵愾心
が生まれたのはむしろ〔誘惑とは〕別の理由であった。彼女は子守女を罵って魔女だと中傷したために、彼に
とって、子守女についてあのおぞましいことを最初に語った姉と同じ穴の狢となり、そのため、彼は彼女に対
して反感をむき出しにすることができるようになったのである。この反感は、これから耳にすることになるが、
誘惑のせいで、既に姉に対して募っていたものである。
  ところが、姉による誘惑は確かに、なんら空想ではなかった。その信憑性は、のちにより歳がいってから
行われた、忘れられたことのないある報告によっても高められる。彼がよく覚えている想い出によると、十歳
以上年上の従兄が会話の際、姉について、ずいぶんおませで色気づいた子だったと言った。四、五歳の子供の
とき姉は一度従兄の膝の上に乗ってズボンを開き、その一物をつかもうとしたという。

  ここで患者の子供時代の経歴を中断し、姉について、その成長や後の運命、また彼に対する影響について
述べることにしたい。彼女は患者よりも二歳年上で、何ごとにつけ彼より抜きん出ていた。子供の頃は男の子
っぽくおてんばだったが、その後頭脳の成長が目覚ましく、鋭い現実主義的な知性によって際だち、勉学対象
としては自然科学をひいきにしたが、詩もよくし、父に高く評価された。数多くの求婚者が現れたが、そうし
た最初期の男たちより彼女の方が精神的にたいそう勝っており、常々彼らを小馬鹿にしていた。しかし二十歳
代前半に不機嫌になり始め、自分は余り美しくないと嘆き、あらゆる人付き合いを断って引きこもった。年長
の友人女性に伴われて旅に送り出されたが、同伴者にひどい扱いを受けたというまったくありそうもない話を、
帰宅後にした。それでも、言うところの虐待者にどうやら固着し続けているようであった。その少し後の二回
目の旅の途上で彼女は服毒し、家から遠く離れたところで死んだ。たぶんに彼女の感情状態は初期早発性痴呆
症に見合ったものであった。彼女は家族内の神経病理的な大がかりな遺伝の一証人であったが、決して唯一の
証人というわけではなかった。父方の叔父も、多年にわたって奇人の生活を送った後、重度の強迫神経症を推
測させる徴しを残して死んでいる〔本巻五八頁〕。かなりの傍系親族が軽度の神経質症の障碍をもっていたし、
またもっている。
  われわれの患者にとって、幼年期の姉は――誘惑はさしあたりさておき――両親に認めてもらうに当たっ
て、面白くない競争相手であった。姉は容赦なく自分の優位を見せつけ、それが彼には大きな圧迫として感じ
られていた。また、父が彼女の精神的能力や知的営為に払った敬意を特にうらやんでもいた。彼の方はといえ
ば、強迫神経症の罹患以来、知的能力が制止され、低い評価に甘んじざるを得なかった。彼が十三歳になって
からは、姉と弟の関係は改善し始めた。類似の精神的素質や、両親に対する共通の敵対が二人をまとまらせ、
二人は最良の仲良しのよう

に交わった。思春期の怒濤の性的興奮に駆られて、彼は姉に親密な肉体的接近を求めた。姉が彼を断固として
また巧みに退けると、彼はただちに姉から方向転換し、姉と同名で家の奉公人であった小さな農民の娘に近づ
いていった。そのことによって彼は、異性愛的対象選択にとって決定的な一歩を踏み出していたのである。と
いうのも、以降彼が強迫の明々白々な徴候を見せながら恋着した娘はすべて同様に奉公人であり、その教養や
知能は彼に大きく劣っていなければならなかったからである。これらの愛の対象がすべて、彼には拒まれた姉
の代替となる人物だったとしたら、姉を貶め、かつてあれほど彼を悩ませた姉の知的優位を解消しようという
性向が彼の対象選択の際に決定権を握っていたことは、退けようがないだろう。
  力への意志、すなわち、個体の主張欲動に由来するこの種の動機に、アルフレート・アードラーは、人間
の性的振舞いも他のすべても従属させた。私としては、このような力と特権の動機の妥当性を拒むつもりはな
いが、これらの動機が圧倒的な排他的役割を果たすことができると納得したことはない。私の患者の分析を最
後までやり遂げていなかったら、この症例の診察をきっかけに、私の思いこみをアードラーの考えに合わせて
訂正するよう企てざるをえなかっただろう。思いがけないことにこの分析の終結は新たな素材をもたらした。
そこからまたしても結果したのは、これらの力の動機(われわれの場合には貶下の性向)はただ後押しし合理
化するという形で対象選択を規定していただけということであって、本来のより深い決定ということでは、私
は従来からの確信を堅持することができたのである。
  患者の語ったところによると、姉の死の連絡が届いても、彼はほとんど苦痛らしきものを感じなかった。
強いて喪の悲しみの徴しを浮かべながらも、自分がいまや財産のただ一人の相続人になったことを、まったく
冷静に喜ぶ

ことができた。このことが起こったとき、彼はもう数年来いまの病気に罹っていた。白状するが、この一つの
報告のおかげで私はこの症例の診断にしぱらくの間自信が持てなくなった。なるほど、最愛の家族の一人を喪
失した苦痛は、彼女に対する嫉妬が継続し、無意識的となったインセスト的恋着が混在したために表現が制止
されたと、仮定できた。だが、中断したままの苦痛の勃発を代替するものがあるはずだということを、私は断
念できなかった。そういう代替は最終的に、彼にも理解しがたいままになっていたある別の感情表出に見出さ
れた。姉の死後数力月して彼自身も、姉が死んだ地域に旅行し、そこで、当時彼の理想となっていた大詩人の
墓を探し当て、墓の上に熱い涙を注いだ。これは彼にとっても奇妙な反応であった。なぜなら、崇拝する詩人
が死んでから六十年以上が過ぎていることを彼は知っていたからである。自分でこの反応をようやく理解でき
たのは、父が姉の詩をつねづね大詩人の詩と比較していたことを想い出したときであった。一見したところ詩
人に向けられたこの敬慕の念を正しく把捉するもう一つのヒットは、彼が物語るその場で私に指摘された、あ
る誤りによって与えられた。以前彼は繰り返し、姉はピストル自殺したと述べていたのに、そのときには、服
毒したと訂正せざるをえなかったのである。それに対し詩人はピストルによる決闘で射殺されたのであった。
  それでは弟の経歴に戻ることにするが、これからはしばらく〔因果連結を〕実用的に叙述しなければなら
ない。姉がその誘惑の行為を開始したとき、彼の年齢は三歳三ヵ月であった。それが起こったのは、先に述べ
たように、秋に両親が帰宅したとき彼がまるで変わってしまったことに気付いたのと同じ年の春のことであっ
た。とするなら。

   *4 後述、一⑫七頁〔本巻九九頁〕参照。

その間に生じた彼の性的活動の覚醒とこの変化を関連づけるのはごく自然なことであろう。少年は姉の誘いに
どう反応したのであろうか。答えは拒絶である。が、拒絶とはいっても人を拒絶したのであって、事柄を拒絶
したのではない。姉は性的対象として彼には好ましくなかった。なぜなら、姉との関係は、両親の愛を勝ち得
る競争ですでに敵愾心に染まっていたからである。彼は彼女を避け、彼女の求愛もまもなく終わった。
  しかし彼は彼女の代わりに別の愛する人物を得ようとし、ナーニャを手本として引き合いに出していた姉
自身の報告のこともあって、選択はナーニャに向けられることになった。このようにして彼はナーニャの前で
自分の一物をもてあそび始めたが、これは子供が自慰を隠さない他の多くの場合同様、誘惑の試みとして捉え
られねばならない。ナーニャは彼を失望させた。彼女はこわい顔をして、そんなことはよくないと断言した。
そんなことをする子供はそこに「傷」がつきますよ、と。
  脅しにも等しいこの通告の効果は、様々な方面で追跡できる。ナーニャヘの彼の愛着はこの後ゆるんだ。
ナーニャに対し怒る気持ちが出てくることもあり得ただろう。後になって、彼の癇癪の発作が始まると、実際
彼女に対して憤慨することも見られた。ただし、彼に特徴的なこととして、放棄すべきりビート態勢を彼はさ
しあたり頑固に新たなものから擁護した。女家庭教師が舞台に登場してナーニャを罵って部屋から追い出し、
その権威を無に帰そうとしたとき、彼は逆に、脅かされたナーニャヘの愛を誇張し、攻撃する家庭教師に対し
拒否と反抗の挙に出た。にもかかわらず彼は密かに、別の性的対象を探し求め始めた。誘惑は彼に、性器に触
れられるという受動的な性目標を与えていた。このことを彼が誰のところで達成しようとし、どういう方途で
彼がこうした選択に導かれたのかを、われわれはのちに聞き届けることになるだろう。

  性器の最初の興奮とともに彼の性的探究が始まり、それからまもなく去勢の問題に行き当たったと聞けぱ、
それは見事にわれわれの期待と合致する。その頃彼は、姉とその友達という二人の少女の放尿を観察する機会
をもつことができた。この光景を目にして、鋭敏な彼は事態がどういうことなのか理解できてもおかしくなか
ったはずなのに、その際の彼の挙動は、われわれが他の男の子について知っているのと同じものだった。ナー
ニヤが脅していた通りこれは傷なのだと考えることを拒み、少女の「前側のお尻」なのだと納得しようとした。
こう決めてかかったところで去勢のテーマが片付いたわけではなかった。耳にするすべてが新たに去勢を仄め
かすようであった。あるとき子供たちに色の付いた砂糖の棒菓子が配られたとき、野卑な空想をする気味があ
った女家庭教師は、これはばらばらにされた蛇の切り身なのだと説明した。そこから彼は、父が一度散歩のと
きに蛇に出くわして杖でばらばらに叩きつぶしたことを想い出した。彼は(『狐ラインケ』からの)ある物語
の朗読を聞いたことがあった。狼が冬に魚釣りをしようとして自分の尻尾を餌にしたのだが、氷のなかで尻尾
は折れてしまったというのである。性〔器〕の無傷〔か否か〕にあわせて馬を名指す様々な名称のことも彼は
聞き知った。だから去勢について心の中でいろいろ思いをめぐらせていたのだが、まだ去勢を信じてはいなか
ったし不安を抱いてもいなかった。この頃知った童話のせいで彼には別の性的問題が生じた。「赤ずきん」や
「七ひきの子やぎ」では子供は狼の身体から取り出された。だとしたら狼は女のようなものだったのか、それ
とも男も体中に子供を持つことができたのか。これはこの頃には解決されなかった。ちなみに、彼はこうした
探究を行っている頃には、いまだ狼に対して不安を覚えていなかった。
  患者の一つの報告がわれわれに、性絡変化を理解する道を切り開いてくれる。性格変化は両親の不在の間
に誘惑と遠く離れたつながりをもちながら、彼に生じたものであった。彼の語るところでは、ナーニャの拒絶
と脅迫のす

ぐあとに自慰を止めた。性器域の指導のもとで始まった性的生活はそれゆえ外的な制止にうち負かされ、この
制止の影響によってより以前の前性器的編成の段階に投げ戻されていた。自慰を抑え込んだ結果、少年の性的
生活はサディズムー肛門的性格を帯びることになった。彼はイライラし、加虐的で、動物や人間に対してそう
いう接し方をしては満足を得ていた。彼の主たる対象はお気に入りのナーニャであった。彼はナーニャが泣き
崩れるまで苛むことができた。このようにして、自分が味わわされた拒否の復讐をし、同時に、退行段階に見
合った形態で性的情欲を満足させていた。小動物に対し残虐な仕打ちを始め、蠅を捕まえて羽をむしりとり、
カブトムシを踏みつぶした。空想のなかでは、馬などの大きな動物を叩くことも好んだ。したがってそれは徹
頭徹尾能動的でサディズム的な活動であった。この時期の肛門の蠢きについては、のちにつながりを求めて話
題にされるだろう。
  大変貴重なことに、患者の想い出のなかには、まったく違う種類の同時期の空想も浮上している。その内
容は、少年たちが懲罰を受けて叩かれる、特にペニスを叩かれるというものである。打擲される少年たちとい
うこの匿名の対象が誰のことなのかは、王位継承者が狭い場所に閉じこめられて叩かれる模様を描き出す他の
空想から簡単に推し当てられる。王位継承者は彼自身だろう。だから、サディズムは空想のなかで自分自身に
向けられ、マゾヒズムに逆転していたのである。性器それ自体が懲戒を受けるという細部からすると、この反
転には自慰に対する罪責意識がすでに関与していたと推測される。
  こうした受動性の追求は能動的サディズムの追求と同時か、あるいはそのすぐ後で登場していることは、
分析してみると疑いなかった。このことは病者の異常に明白で強烈な持続的両価性に対応したものである。こ
の両価性はここではじめて、部分欲動の対立対が均等に形成されるなかで現れてきたのである。こうした振舞
いはこの後も

彼特有の性格であったが、それは、いったん作り出されたリビード態勢が本来いずれもそれ以降の態勢によっ
て完全には廃棄されなかったという、別の特徴にしても同様である。以前のリビード態勢はむしろ他のすべて
の態勢と並存したままで、そのため彼は絶えず動揺し、固着した性格の獲得に行き着かないことが判明したの
である。
  少年のマゾヒズムの追求はもう一つ別の点に移行してゆく。この別の点の言及を私は先延ばしにしてきた
が、それは、彼の成長の次段階の分析によってはじめて確保されうるものだからである。既に言及したように、
彼はナーニャに拒否されると自分のリビードを満たす期待を彼女から引き離し、別人物に性目標として当たり
を付けた。この人物とは当時不在の父親であった。この選択に彼が導かれたのは、いくつかの契機が合流した
からであった。なかには、バラバラにされた蛇の想い出のように偶発的な契機もあった。しかし何より彼はそ
のことによって、自分の一番最初からの対象選択を取り戻したのである。この対象選択は、小さな子供のナル
シシズムに見合うように同一化の道を通って遂行されていたのであった。われわれが既に耳にしたところだが、
父は彼の鑚仰する手本であり、何になりたいかと問われれぱ、彼は父のようなりっぱな紳士に、と常々答えて
いたものだ。ところが、彼の心の能動的な潮流の同一化対象は、サディズムー肛門的段階で受動的な潮流の性
的対象となった。まるで彼は、姉の誘惑によって受動的役割に押しやられ受動的な性目標を与えられたかのよ
うである。この体験の影響が引き続くなかで彼は姉からナーニャを経て父に向かう道筋を描いた。つまり、女
性に対する受動的な態度から男性へのそれに向か

   *5 受動性の追求ということで私は、受動的な性目標を持った追求を意味しているが、その場合眼中
にあるのは、欲動の変換などではなく、単に目標の変換に過ぎない。

うようになったが、その際、この道筋はより以前の自動的な発展段階につながっていたというわけである。父
はいまや再び彼の対象となり、父との同一化は成長が一段進んだために対象選択によって取って代わられ、能
動的態度の受動的態度への変換はその間に生じた誘惑の結実であり徴しであった。強すぎる父に対するサディ
ズム段階の能動的態度はやろうと思っても、むろんそう簡単には維持できるものでなかったろう。父が晩夏か
秋に帰ってきたとき、彼の癇癪の発作や狂乱場面は新たな効能を示すことになった。それは、ナーニャに対し
ては能動的でサディズム的な目的に仕えることになり、父に対してはマゾヒズム的な意図の実現を目指すこと
になった。彼は手の焼ける悪さをこれ見よがしに行って、父から懲戒と打擲を無理強いし、そのようにして望
んでいたマゾヒズム的性的満足を父から得ようとした。だから、彼の叫び声の発作はまさに誘惑の試みだった
のだ。マゾヒズムの動機付けに見合うように懲戒されたなら、彼は罪責意識の満足をも得ていただろう。ある
想い出が保持していたところによると、彼はそういう悪さの場面で、父が来ると叫び声のヴォルテージを強め
る。ところが、父は彼をぶつことなく、ベッドのクッションでボール遊びをしてみせて、宥めようとするとい
う。
  両親や養育者が、子供の訳の分からない悪さを前にすると、この類型的なつながりをどれほど想い出すも
のなのかは私には分からない。このような始末に負えない挙に出る子供は、自白をしているのであって、罰を
挑発しようとしているのである。子供は懲罰されることによって同時に、自分の罪責意識を鎮め、マゾヒズム
的性的追求の満足を求めている。
  ところで、われわれの症例をさらに解明してゆくに当たっては、きわめて明確に登場してきたある想い出
によるところが大きかった。それは、不安症状はすべてある出来事が起こってからはじめて性格変化の徴しに
付け加わっ

たという想い出である。それ以前には不安はなかったし、その出来事の直後から不安は苦痛をもたらすような
形で現れてきたというのである。この変化がいつ起きたかは正確に述べることができる。それは四歳の誕生日
の直前であった。われわれが取り扱おうとしてきた子供時代は、この時点を手がかりに、二段階に区分される。
最初の段階は三歳三ヵ月のときの誘惑から四歳の誕生日までで、悪さと倒錯の時期であり、それに引き続く比
較的長期の時期は、神経症の徴しが支配的となる時期である。この区別のもととなる出来事は、外的外傷では
なく、ある夢であって、そこから彼は不安と共に目覚めた。

Ⅳ 夢と原場面              

  夢は童話の素材を内容とすることからして、私はそれをすでに他の個所で公表したので、まずそこでの報
告を繰り返すことにしたい。
  「私のみたのは、夜になって、私が自分のベッドで寝ている夢です(私のベッドは、足側が窓のほうを向
いていて、窓の向かいには胡桃の老木がずらりと並んでいました。この夢をみたのが冬、そして深夜だったこ
とはまちがいありません)。突然、窓がひとりでに開きます。窓の前の大きな胡桃の木に、白い狼が何頭か止
まっているのが目に入り、ぞっとします。六頭か七頭くらいいたと思います。狼どもは全身真っ白で、むしろ
狐か牧羊犬のような感じでした。なにしろ、

   *6 「夢における童話の題材」(lnternationale Zeitschrift fur arztliche


Psychoanalyse, Bd. I, 1913) (GW-X〔5ff.〕)〔本全集第十三巻、一七七頁以下〕。

狐のような大きな尻尾をしていましたし、耳は、何かに注意を向けるときの犬のようにぴんと立っていたから
です。どうしよう、狼どもに喰われてしまう、という不安が募ってきて、私は、叫び声をあげながら、目を覚
ましたのです。子守女がベッドにすっ飛んできて、私の身に何が起こったのか調べました。私が、ただの夢だ
ったのだと得心できるまでには、かなり時間を要しました。窓が間いて、狼どもが木に止まっている像が、私
には、それほど真に迫っており、また鮮明でもあったからです。やっとのことで私は落ち着きを取り戻し、や
れやれ助かったという安心感とともに再び眠りにつきました」。
「夢のなかでの唯一の動きは、窓が間いたことだけでした。狼どもは、じっと身じろぎもしないで、木の幹
の左右の大枝に止まったま、私のほうに目を凝らしていたからです。狼どもは、あらんかぎりの注意を私に向
けていたといったような感じでした。――思いますに、これが私の最初の不安夢だったようです。当時、私は
三歳か四歳、せいぜい五歳といったところでした。このとき以来、私は、十歳か十一歳まで、夢で何かぞっと
するようなものをみるのではないかという不安にいつも悩まされ通しでした」。
  こう言ってこの男性〔本症例の患者〕は、この話がほんとうであることを証明するために、狼どもが木に
止まっているスケッチも一枚描いてくれた〔右図〕。この夢を分析してみると、これには以下のような素材が
下地になってい

ることが判明した。
  彼は、幼年期のこのころ、ある童話の本に出てくる狼の絵をとてつもなく不安がっていて、この夢をこれ
までずっと、この想い出と結びつけていた。彼よりもはるかに力が上の姉が、ことあるごとに、他ならぬこの
本を彼の目の前に突きつけ、彼がパニックになって泣き出すのを見て、ひやかしからかってばかりいたからで
ある。この絵の狼は、二本の後足でまっすぐ立って、一本を前にぐっと踏み出し、両の前足を前に仲ぱして、
耳をびんと立てていた〔本巻三八頁〕。彼が言うには、この絵は、童話「赤ずきん」に入れられた挿絵の一枚
だったとのことである。
  夢の狼どもはなぜ白なのだろうか。この問いで、彼が思いつくのは、領地の近くで大きな群をなして飼わ
れていた羊たちのことである。父親がときどき、この羊たちを見に連れて行ってくれたらしく〔本巻六〇頁〕、
彼はそのたびに、とても誇らしく感じ、満足した気分になったとのことである。のちに――聞き出したところ
では、それはこの夢をみるちょっと前のことだったらしいが――これらの羊たちのあいだに伝染病が突発した。
父親は、パスツール派のひとりの医者を呼んで、羊たちに注射をしてもらったが、その注射のあと、羊たちは
前よりも大量に死んでしまったということである。
  夢の狼どもはどうして木の上へ登ったのであろうか。それについて彼が思いついたのは、祖父に話しても
らったある話である。それが夢よりも前のことだったか後のことだったかは彼には想い出せなかったが、その
内容からすると、夢の前のことだったと断定してよい。その話とはこうである。ある仕立屋が部屋で仕事をし
ていると、窓が開いて一頭の狼が跳び込んでくる。仕立屋は、長尺でこいつに殴りかかる、――いや、そうじ
ゃない、と彼は訂正する――こいつの尻尾をむんずと掴んで引っこ抜く。狼は仰天し、とんで逃げる。しばら
くして仕立屋が森に入っ

たとき、ふと狼の群がやってくるのが目に入る。彼は怖くなって木の上に逃れる。狼どもは最初、どうしてい
いふ分からず困っている。しかし群のなかに、仕立屋に復讐したがっている、尻尾を引き抜かれた奴がいて、
そいつが案を出す。順番に背中に乗っかっていけば、最後の者が仕立屋のいるところに屈くじゃないか、と。
おれ自身が――そいつは老いているくせに逞しい奴だった――このビラミッドのいちばん下をつとめてやるぜ、
というわけである。狼どもは言われたようにする。しかし、仕立屋は、痛い目に会わせられた例の狼がいるの
に気づいて、突然、あのときと同じように叫ぶ。「あの灰色の狼野郎の尻尾をひっつかんでやれ」と。すると、
尻尾のない狼は、前件を想い出したのか、恐れをなして逃げ出し、他の狼どもも皆、崩れ落ちてしまう。
  この物語には木が出てきており、これが夢で狼どもの止まっている木になっているわけである。しかし、
この物語にはまた、去勢コンプレクスとの結びつきもはっきり見てとれる。あの老いた狼は、仕立屋によって、
尻尾を引き抜かれたのである。夢のなかの狼どもに狐の尻尾が付いているのは、おそらく、こうして尻尾を失
ったことに対する代償なのである。
  夢のなかの狼はなぜ六頭ないし七頭なのだろうか。この問いには答えが見つかりそうになかったため、私
はついに、彼を不安がらせていた絵が、ほんとうに赤ずきんの童話からのものなのかという疑いを投げかけた。
赤ずきんの童話には、挿絵になりそうなシーンは二つしかない。森のなかでの赤ずきんと狼との出会い、およ
び、狼がおばあさんのキャップを被ってベッドに寝ているシーンである。だとすると、例の絵の想い出の背後
には、何か別の童話がひそんでいるはずだ。こう私が迫ると、彼はすぐに、それなら「狼と七ひきの子やぎ」
の話でしかありえないことに思い当たった。こちらの話には、七という数が出てくるし、六という数も出てく
る。狼が平らげた子やぎは

六匹だけで、七匹目は、時計の箱のなかに隠れるからである。白という色もこの話には出てくる。狼は、最初
に子やぎたちのところに行ったとき、前肢が灰色なので正体を見破られたため、そのあとパン屋のところへ行
って、前肢に白い粉をかけさせるのである。ちなみに、これら二つの童話には多くの共通点がある。狼に食わ
れること、狼の腹が切り裂かれること、喰われた者が取り出されること、そして代わりに腹に重い石が詰めら
れることが共通しているし、もうひとつ、どちらの話においても、最後に悪い狼は死んでしまう。それにまた、
子やぎたちの童話には木も出てくる。狼は、お腹が一杯になると、一本の木の下に横になって、大いびきをか
くのである。
  この夢については、ある特別の理由のため、のちに別のところで取りあげねばならなくなるだろうゆえ、
そこでさらに詳しく検討し解釈することにしたい。なにしろこの夢は、幼年期の想い出につながる最も早期の
不安夢であり、その内容は、その後まもなく続くことになった他の諸々の夢とのつながりからしても、また夢
をみた当人の幼年時代のいろいろな出来事とのつながりからしても、まさに特別な類いの関心を呼び起こすか
らである。ここでは、この夢が、たくさんの共通点をもった二つの童話、「赤ずきん」ならびに「狼と七ひき
の子やぎ」と密接につながっていることを指摘するだけにとどめておく。この夢をみた子供の場合、これら二
つの童話から受けた印象が、正真正銘の動物恐怖症のかたちで現れている。その動物恐怖症が、他の似たよう
な事例と比べて際立っているのは、ただ一点のみ、すなわち、不安を扱き立てる動物が、子供が身近で容易に
見ることのできた対象(馬や犬など)ではなく、物語や絵本だけで知ったものであるという点のみである。
  これらの動物恐怖症がどのように説明され、どのような意味をもちうるのかという問題については、また
別の機会に取り組むことにする。ただ、先取り的に一点だけ言っておくと、そこでなされる動物恐怖症の説明
が、この夢

をみた幼児が罹患した後年の神経症が示すことになった主要性格と、びったり重なり合っているということで
ある。彼が病気になったもっとも強い動機は、父親に対する不安だったのであり、父親の代わりとなるあらゆ
るものに対する両価的な態度が、彼の生活ならびに治療中の振舞いを支配していたのである。
  この私の患者の場合、狼はひとえに、父親の代わりとなる最初のものだったわけだから、子やぎたちを食
べてしまう狼の童話や赤ずきんの童話が、父親に対するこうした幼児の不安とはちがった秘密の内容をもって
いるなどとは考えにくい。付言しておくと、私の患者の父親は、わが子を相手にするとき多くの人にありがち
なように、独特の「情愛に満ちたからかい」を行っており、この――のちに厳格になったとはいえ――父親が、
まだ小さな息子と遊んだり愛撫したりした最初の何年かのあいだに、「食べちゃうぞ」などといった面白半分
のこわがらせの言葉を囗にしたのも、一度ではなかったかもしれない。私の女性患者の一人が、自分の二人の
子供が祖父を毛嫌いしていると話してくれたことがあったが、それは、祖父が、いっしょにやさしく遊んでい
るときに、お腹を切り開いてやろうかな、などと言ってぞっとさせるのがいつもの癖だったからなのである。
  この報告論文で先走って夢を利用している部分はすべてさておき、夢について行われた最初の解釈に戻る
ことにしよう。この解釈は、解決に数年を要した課題だったと述べておきたい。患者はこの夢をずいぶん早く
に報告していたし、夢の背後には彼の幼児期神経症を惹き起こした原因が隠されているという私の確信をすぐ
に受け入れてもいた。われわれは治療の進行につれて何度も夢に立ち戻ったが、施療の最後の数カ月間になっ
ではじめて夢を全面的に理解することに成功した。それも患者の自発的な労力のおかげである。彼がいつも強
調していたのは、夢の二つの契機が自分に最も強い印象を残したということであった。第一に、狼たちの完璧
な静寂と不動性であり、第二

に自分を眼差す狼たち皆の張りつめた注意力である。夢が最後に残す、長続きする現実感情も彼には注目すべ
きものに思われた。
  この最後の点から話をつなげよう。夢解釈の経験からわれわれは、この現実感情にはある特定の意義があ
ることを知っている。夢の潜在的素材の何かが想い出のなかで現実であることを申し立てており、したがって、
夢は現実に生じ単に空想されただけではない事件と関連していることが、この感情によって保証されるのであ
る。むろん現実と言っても、問題となるのは、何か知られざるものの現実性だけである。たとえば、仕立屋と
狼の物語を祖父が実際に物語ったとか、赤ずきんや七ひきの子やぎの童話が実際に彼に朗読されたといった確
信が、夢の後も残る現実感情によって代わりを務めてもらうなどということは決してありえないだろう。夢は、
まさに童話の非現実性との対照で現実性が強調される、ある事件を指し示しているように思われた。
  そのような知られざる場面が、つまり、夢見たときにはすでに忘れられていた場面が夢の内容の背後に想
定されるべきだとしたら、その場面は大変早くに生じたのでなければならなかった。夢見た当人が、夢の当時、
自分は三、四歳、せいぜい五歳だったと言っているのだからである。そして、夢以前の時期のことに違いない
何かが夢によって想い出された、とわれわれの側から彼の発言に付言してよいだろう。
  この場面の内容につながっているに違いなかったのは、夢見た者が顕在的夢内容のうちで特記した、注視
と不動

   *7 0・ランクも、この二つの童話とクロノス神話の頽似について強調している(「幼児の性理論と
民衆心理学の類似関係」
Zentralblatt fur Psychoanalyse, II, [8,] 1912))。

性の契機である。むろん、この素材は件の場面の知られざる素材をなにか歪曲して再現していること、もしか
したら反対のものにすら歪曲しているかも知れないことは、われわれとしても予期している。
  患者の最初の分析から結果した原材料からは、同様にいくらかの結論が引き出されたが、それらは求めて
いた連関にうまく収まるものであった。牧羊への言及は彼の性的探究の証としてみることができた。この探究
に対する興味を、彼は父と一緒の訪問によって満足させることができたのであった。しかし、そこには死の不
安も同時に仄めかされずにおかなかった。というのも、羊の大部分は実際疫病によって死んでいたのだからで
ある。夢のなかで一番前面に躍り出ていた、樹上の狼は、祖父の物語に直結していた。その物語において心を
呪縛し夢の刺激となったのは、去勢のテーマとの連結以外にはほぼあり得ない。
  夢に関する最初の不完全な分析からさらにわれわれが得ていた結論は、狼は父の代替であり、したがって、
この最初の不安夢は、以後彼の生涯を支配することになる、父へのあの不安を表面化したものだということで
あった。もっともこの結論自体は、まだそれほど盤石ではなかった。しかし、夢見る者が提示した素材から引
き出されるものを暫定的分析の成果としてまとめてみると、およそ次のような、再構築のための断片が手に入
れられる。
  現実の事件―ずいぶん早期のもの――視ること――不動性―性問題-去勢―父-何かぞっとするもの。
  ある日、患者は夢の解釈を再びやり始めた。彼の考えでは、「突然、窓がひとりでに開きます」という夢
のなかの個所は、仕立屋がそばに座っている窓、つまり、狼が部屋に入ってくる窓との関係によっては、全面
的には解かれない。その個所は、両目が突然開くという意味をもっているに違いない。だから、私は眠ってお
り突然目覚め、そのとき何かを、狼のいる樹木を見るということだ。これには反論すべきことはなにもなかっ
たが、そこからは、

さらにもっと搾り取ることができた。彼は目覚めて何かを見るはめになった。注視は夢では狼たちがすること
になっているが、むしろ彼の方に移されるべきだろう。だとしたら、そこでは決定的な点である逆転が生じて
いたことになる。それはまた、顕在的夢内容にあるもう一つの逆転によっても予告されている。祖父の物語で
は狼たちは下にいて木に登れなかったが、〔夢では〕本の上に座っていた。これもまた一つの逆転だったのだ。
  さて、夢見る者の強調するもう一つの契機も逆転や反転によって歪曲されているとしたら、どうだろうか。
もしそうなら、不動性(狼たちは座ったまま身じろぎもせず、彼を視つめ、びくともしない)ではなく、もっ
とも激しい運動ということにならざるを得ない。だから彼は突然目覚め、激しい動きの場面を目の当たりにし、
注意力を張りつめてこの場面を視つめたのである。一方では、主体と対象、能動と受動の交換、視つめるので
はなく視つめられる交換として歪曲がなされ、他方では、動きではなく静止という正反対への変換として歪曲
がなされたことになろう。
  別の機会に突然浮上した思いつきが、夢の理解にさらなる進歩をもたらした。樹木はクリスマスツリーだ
というのである。これで彼には、夢はクリスマスの少し前、クリスマスを心待ちにするなかで夢見られていた
ことがわかった。クリスマスは彼の誕生日でもあったのだから、夢見られたのはいつか、そして夢を起点に変
化が始まったのはいつかも、確実なこととしてはっきりさせることができた。それは彼の四歳の誕生日の直前
であった。だから彼は、二重のプレゼントがもらえるはずの日の期待にワクワクしながら寝入っていたのだ。
われわれには分かっているように、そういう事情の子供は自分の欲望成就を夢のなかで容易に先取りするもの
である。だから、夢のなかではもうクりスマスとなっていて、夢内容は彼に贈与を示し見せ、樹木には彼用の
プレゼントがぶら下がっていた。

ところが、プレゼントの代わりにそれは――狼となっており、夢の最後で彼は狼(おそらく父)に喰われる不
安にそわれ、子守女のもとに逃げ込んだ。夢見る以前の彼の性的成長について知られていることから、われわ
れは夢にある欠落を埋め、満足が不安に変換するのはどうしてなのかを解明できる・夢を形成する欲望のなか
で最強の欲望として蠢いていたに違いないのは、その頃彼が父から得たいと願っていた性的満足への欲望であ
った――この欲望が強烈であったために、久しく忘れられていたある場面の想い出‐痕跡が活気を取り戻し、
それによって、父によって性的に満足させられるとはどういうことなのかを彼は知ることができた。しかしそ
の顛末はといえぱ、この欲望成就に対する驚愕・仰天であり、この欲望を通して表現されていた蠢きの抑圧で
あり、そうであるがゆえの、父から危害のより少ない子守女への逃亡であった。
  クリスマスという期日の意義は、クリスマスプレゼントに不満だったことから最初の癇癪の発作を得た
〔本巻一頁〕という、言うところの想い出に保存されている。この想い出は正しいことも間違ったことも一括
りにしており、変更を施さなければ、正しいものとすることはできなかった。というのも、両親が繰り返し述
べていることからすれば、彼の手の焼ける悪さは秋の両親の帰宅後にはすでに目立っており、クりスマスにな
ってからのことではないからである。とはいえ、愛情満足の欠如、癇癪、クリスマスの時期の間の本質的関係
は想い出のなかでは堅持されていた。
  だが、夜中に働いている性的憧憬がどのようなイメージを呼び覚ましたために、願われた欲望成就にこれ
ほど強く怖じ気がふるわれることになったのだろうか。このイメージは分析の素材からして一つの条件を成就
していなければならなかった。つまり、去勢の存在の確信を理由づけるのに適したものでなければならなかっ
た。それ以降、

去勢不安が情動変換のモフターとなったのである。
  ここで私は、分析の経過に依托〔しながら叙述〕することを放棄しなけれぱならない。ここで読者の私に
対する信用も放棄されるのでなければよいのだが。
  あの夜、混沌とした無意識的な印象痕跡のなかから活性化されたのは、観察にはことさら好都合な、やや
尋常ならざる事情のもとでなされた両親の性交のイメージであった。あの最初の夢は施療が進むにつれて、ヴ
ァリエーションを無数に更新しながら何度も回帰したが、このヴァリエーションについて分析が望まれた解明
を提示したので、性交の場面に結びつきうるあらゆる疑問に、満足のゆく答えが徐々に得られるようになった。
そのようにしてまず、観察時の子供の年齢が明らかにされた。それはおよそ一歳半である。当時彼はマラリア
を病み、毎日特定の時間に発作を繰り返していた。九歳からは一時的に、午後になると始まり五時に頂点に達
する鬱の気分に服していた。この症状は分析治療を受けている時期にも残っていた。繰り返される鬱は、かつ
ての熱病の発作あるいは衰弱の発作の代わりとなっていた。五時とは、熱が頂点に達する時間であるか、ある
いは性交の観察の時問であった。もっとも、この両者が別々の時間のものだとしてであるが。おそらく彼は、
まさにこの病気のため両親の部屋におかれた

   *8 そのほかに、はるかに蓋然性に乏しく、本来ほとんど支持できないが、生後半歳も候補にはなろ
う。
   *9 のちの強迫神経症になるとこの契機が改作されて、施療中の夢において〔発作は〕暴風によって
代替されることを参照せよ(〔一九二四年の追加ニマラリアの〕アリア=空気)。
   *10 このことと関連づけられるべきは、忠者が夢を描いた際に狼を五頭しか書いていないのに、夢の
テクストでは六ないし七頭の狼と語られていることである。

のであろう。この発病については直接伝えられた話によっても確実だが、これのおかげで、ことが生じた時期
は夏に想定されるべきであり、だから、クリスマス生まれの子の年齡は n+1*1/2 だと考えるべきことがわかる。
だから彼は両親の部屋で自分のベッドのなかで眠っていたのであり、午後、例えば熱が上がって目覚めた。そ
れはもしかしたら、後には鬱の時間帯として際だつことになる五時のことだったかもしれない。両親も半裸で、
昼寝のために引っ込んでいたとするなら、それは暑い夏の日という仮定と一致する。彼は目覚めると、三回繰
り返された、後背位性交を目撃し、父の一物も母の性器も見ることができ、それがどういう出来事であり、ど
ういう意味のものなのかを理解した、最後に彼はあるやり方で、両親の交わりを妨げたが、それについてはの
ち話題にするだろう〔本
巻八四頁以下〕。
  結婚してまだ数年の若夫婦が暑い夏の時期の昼寝の後、情愛の交わりを結び、その際ベッドで眠っている
一歳半の男の子の存在を無視するとしても、根本的になにも異常なことではないし、放埒な空想の産物だとい
う印象が惹き起こされるわけでもない。私としてはむしろ、まったく平凡で月並みなことだと思うし、性交の
推測された姿勢からしても何らこの判断が変えられるわけではない。証拠素材からはとくに、性交がその都度
いつも背後からの姿勢でなされたことが浮かび上がってくるわけでもない。一回だけでも、見物人には、愛を
交わす者たちの他の体位では困難となるか不可能となる観察機会が十分与えられただろう。したがって、この
場面の内容自身がその信憑性に対する反駁とはなりえない。あり得そうもないという懸念は他の三点に向けら
れるだろう。それは、一歳半といういたいけな年頃の子供がたいそう込み入った出来事の知覚を受け入れ、こ
れほど忠実に無意識のうちに留めおくことができるのかという点であり、第二に、このようにして受け入れら
れた印象を理解できるようにするため事

後に加工することが、四歳になれば可能となるのかという点であり、最後に、こうした亊情のもとで体験され
理解されたこのような場面の細部を、まとまりのある説得的なやり方で意識化できる何らかの処置方法がある
のか、という点である。
  私はこうした懸念やそれ以外の懸念について、のちほど精査するが、〔今のところは〕読者に対し、私に
しても読者に劣らず、子供のそのような観察を想定することについては批判的な態度でいるのだと約束し、と
りあえずこの場面の現実性を私とともにあえて暫定的に信じてくださるようお願いする。さしあたり、患者の
夢・症状・生活史

   *11 白い下着姿で。白い狼。
   *12 どうして三回なのか。彼はあるとき突然、私が解釈によってこの細部を探り当てたのだ、と主張
したことがあった。この主張は当たっていない。思いつきは自発的で、批判の余地のないものだったのだが、
彼は例によって私のせいにし、この投射によって思いつきを信頼のおけるものとしたのだ。
   *13 私の意味するところは、彼がこの出来事を理解したのは夢を見た四歳時にであって、観察時のこ
とではないということである。一歳半のときに彼が取り入れていた印象が、彼の成長・性的興奮・性的探究の
おかげで、事後的に夢の時期には理解できるものとなっていたのである。
   *14 子供の観察時期はおそらくもう一年後、つまり彼の二歳半のときであり、そのときならひょっと
して完璧に言語能力が身に付いているかも知れないと仮定することで、これらの難点のうち第一の難点は軽減
できるとも考えられようが、そうはいかない。私の患者の場合、時期のそのような進移はあらゆる付随事情か
らしてほとんど考えられないことであった。ちなみに、両親の性交のこうした観察場面が発見されることは分
析においては決して稀でないことも、考慮されたい。ただし、場面が最初期の幼年期のものだということがそ
の条件となる。子供が年長になれぱなるほど、一定の社会的水準にある両親はより念入りにそういう観察の機
会を子供に与えないようになるだろう。

とこの「原場面」との関係について、引き続き研究してゆきたい。場面の本質的内容から出てきた影響がどの
ようなものであり、視覚的印象の一つから出てきた影響がどのようであったかを、別々に追跡してゆくことに
しよう。
  後者の視覚的印象とは、患者が見た両親の姿勢のことである。すなわち、夫の方は背を仲ぱし妻は動物の
ようにうずくまっている姿勢である。すでに聞き届けたように〔本巻二七頁〕、不安に怯えていた時期の彼を、
姉は童話本の絵でしょっちゅうぞっとさせていた。そこには、背を伸ばした狼が、後ろ足を一本踏み出し前足
は両方とも前に伸ばし、耳をびんと立てている姿が描かれていた。施療中、彼は労をいとわず古書店を探し回
って、幼児期の童話の絵本を再び見つけだし、「狼と七ひきの子やぎ」の物語の挿絵のなかに彼の驚愕の絵を
認めた。この絵の狼の姿勢を見ると彼は、構築された原場面の最中の父のそれを想い出すことができそうな気
がした。いずれにせよ、この絵はさらなる不安の作用の出発点となった。六歳か七歳のあるとき、明日新しい
先生がやって来るという知らせを受けると、彼はその夜この教師がライオンとなって、大声で吼えながらあの
絵の狼の姿勢でベッドに近づいてくる夢を見、またしても不安で目が覚めた。そのときにはもう狼恐怖症は克
服されており、だから彼は不安を掻き立てる新たな動物を選べる余地があったのである。この後の夢で、彼は
教師を父の代替として承認したわけである。教師はいずれも後の子供時代には同じ父の役割を果たし、良きに
付け悪しきに付け、父としての影響力が付与された。
  運命のいたずらで、彼の狼恐怖症はギムナジウム時代に改めて活気づけられ、恐怖症の根底をなす関係が
重度の制止の開始点となった。彼の学級のラテン語の授業を受け持っていた教師はヴォルフ〔狼〕といった。
彼は最初からこの教師の前では縮こまっていたが、ラテン語の翻訳で愚かな間違いを犯したかどで、あるとき
教師からひどく罵倒され、以来この教師を前にすると、体が麻痺するような不安をぬぐえなくなってしまい、
やがてこの不安は他の

教師に対しても転移した。だが、翻訳で躓いたことも関係がないわけではなかった。彼はラテン語の filius
〔息子〕を訳さなけれぱならなかったのだが、それを母語の対応する語ではなく、フランス語で fils と訳した
のである。ヴォ
ルフはいまなおまさに父であった。
  患者が治療中に最初に作り出した「一過性の症状」も、狼恐怖症と七ひきの子やぎの童話に帰着した。最
初の診察が行われた部屋には、長椅子に横たわり私に背を向けた患者の向かいに大きな柱時計が立て掛けられ
ていた。目に付いたのは、彼が時々私の方に顔を捩り向けて、たいそう友好的に宥めるかのように私を見やり、
それから眼差しを私から時計に転じたことである。その時の私の考えは、そのようにして彼は診察の終了を待
ちこがれている合図を送っているというものであった。ずっと後になって患者はこの身振り遊びのことを私に
想起させ、それの説明を与えた。つまり、七匹の子やぎのうちもっとも若い子やぎは、他の六匹が狼に喰われ
ても、柱時計の箱を隠れ家としたことを想い出してほしい、というわけである。だから当時彼の言いたかった
ことは、自分に優しくして、と

   *15 ヴォルフ教師によるこの罵倒のあと、彼は同級生の一致した意見として、教師は機嫌を直す代償
として――金銭を彼に期待していることを知った。このことについては後にまた戻ることになるだろう〔本巻
七五頁以下〕。――狼に対する不安全体が実際には同名のラテン語教師に発しており、それが幼児期に投射し返
されて、童話の挿絵に依托する形で原場面の空想を惹起したと仮定できるなら、それはこのような子供の既往
歴を合理主義的に考察しようとする者にとってどれほど気が楽かは、私としても想像できる。ただし、そのよ
うなことは維持できない。狼恐怖症が時間的に先行しており、最初の領地での子供時代に設定されるべきであ
ることは、確かすぎるほど証拠立てられている。四歳時の夢はどうだろうか。
   *16 フェレンツィ「分析の最中の一過性の症状形成について」(Zentralblatt fur
Psychoanalyse, II, 1912, S. 588ff.)。

いうことである。私はあなたを恐れなければならないのか。あなたは私を喰ってしまうのか。私は、柱時計の
なかの最も若い子やぎのように、あなたから隠れるべきなのか、ということである。
  彼が恐れていた狼は疑いなく父であるが、狼不安は背を伸ぱした姿勢という条件に拘束されていた。四つ
足で歩いたり、赤ずきんにおけるようにベッドにいる狼の絵が彼をぞっとさせることはなかった、と彼の想い
出は極めてはっきり主張していた。われわれの構築した原場面において女性がとっていたとされる姿勢も、劣
らず重要な意義を帯びるようになった。だが、この意義は性的領域に限定されたままであった。成熟後の彼の
性愛生活の最も目立つ現象は、発作的に生じる強迫的で官能的な恋着であった。これはなぞめいた順序で現れ
ては消えていき、他のものが制止されている時期にも巨大な子不ルギーを解き放ち、彼にはまったく統御しよ
うがなかった。この強迫的な愛には特別貴重な脈絡がつながっており、そのため、それの綿密な検討はいまの
ところ延期せざるを得ないが〔本巻九五頁以下〕、彼の意識には隠されており施療のなかではじめてそれと分
かるようになった条件にこの愛が結びついていたことは、ここで引き合いに出しおいてよい。女性は、原場面
でわれわれが母に帰している姿勢を取るのでなければならなかった。大きくて目に付く臀部が、思春期以来彼
にとって女性の最大の魅力として感じられていた。背後から以外の性交は、彼にほとんど享楽をもたらさなか
った。肉体の背後の部分をそのように性的に優先することは強迫神経症の気味がある人物に遍く見られる性格
であって、幼児期のある特別な印象から導出するには当たらない、と批判的考察による異論をここで繰り出す
ことはたしかに正当なことである。そのような優先は、肛門性愛的素質の結構となっているのであって、この
体質を際だたせる太古からの特徴の一つなのだ、と。実際、背後からの――《獣流儀の》――交接は多分、系
統発生的により古い形態として捉えてもよいだろう。この点についても、彼

の無意識的な愛の条件について素材を補ったなら、後の議論でまた戻つてくることになるだろう〔本巻五八頁、
九七-九八頁〕。
  それでは、夢と原場面の関係について論究を続けることにしよう。これまで期待していたことからするな
ら、夢は、クリスマスに自分の欲望成就を楽しみにしている子供に、〔その子が〕父からもらえるものと心待
ちにしている満足のイメージを繰り広げてくれるはずである。その満足の模範となるのが、原場面で目にした
ような、父による〔毋の〕性的満足のイメージだったのである。だがこのイメージに代わって、祖父が少し前
に語った物語の素材が登場する。樹木だとか、狼たちだとか、また、狼のものとされる毛むくじゃらの尻尾と
いう形で過剰補償された尻尾の喪失だとかである。ここには、原物語の内容を狼の物語へと連想の橋渡しをし
てくれるつながりが欠けている。両者を結ぶつながりはまたしても姿勢によって、ただ姿勢によってのみ与え
られている。祖父の物語では、尻尾を失った狼は他の狼たちに、自分の上に乗るよう促す。この細部によって、
原場面のイメージへ想い出が呼び起こされ、そのようにして、原場面の素材が狼の物語の素材によって肩代わ
りされることができた。その際同時に、両親の二という数はお望みのままに狼たちの多数性に取って代わられ
た。狼の物語の素材が七ひきの子やぎの童話の内容に適応し、そこから七の数を借り出したために、夢内容は
もう一つ変化を被ることになった。
  素材の変化である、原場面-狼物語-七ひきの子やぎの童話―というのは、夢形成の最中の思考の進展を

   *17 夢では六ないし七頭といわれている。六というのは喰われてしまった子やぎたちの数で、七匹目
の子やぎは時計箱に入って助かる。どんな細部も説明されるという夢解釈の法則は健在である。

反映している。すなわち、父による性的満足への憧憬-それに結びつけられた去勢という条件の了解-父に対
する不安。四歳児の不安夢はいまようやく隈なく解明されたようだ。
  原場面の病原的な作用や、彼の性的成長のなかで原場面の覚醒が呼び起こす変化については、これまです
でにお

   *18 この夢の総合が成し遂げられたので、顕在的夢内容と潜在的夢思考との関係を慨説的に叙述する
よう、試みたい。
  夜になって、私は自分のベッドで寝ている。この後者が原場面の再構成の手始めである。「夜になった」
とは、「私は眠っていた」の歪曲である。私が夢見たのは冬の夜中であったのを覚えているというコメントは、
夢〔を見た時期〕の想い出に関係するのであって、夢の内容の一部をなすのではない。コメントは正しく、そ
れは誕生日すなわちクリスマス前のある夜のことであった。
  突然、窓がひとりでに開く。翻訳するなら、突然私はひとりでに目覚めるということであり、原場面の想
起である。狼が窓から飛び込んでくるという狼物語が変容しながら影響を及ぼし、直接的な表現をイメージに
よる表現に変える。と同時に、窓の導入によって、続く夢内容が現在のこととして位置づけられることになる。
クりスマスイヅにはドアは突然開き、プレゼントがぶら下がったツリーを目の当たりにすることになる。だか
らここでは、クリスマスへの現下の期待が影響を及ぼしているが、その期待には性的満足〔への期待〕も含ま
れる。
  大きな胡桃の木。クリスマスツリーの代わりであり、したがって現下のものである。その上、狼物語の木
であって、追われた仕立屋はその上に登って難を逃れ、下には狼たちが待ちかまえている。高い樹木はまた、
私が度々確信できたところでは、観察の、つまり窃視趣味の象徴でもある。木に登って腰掛けたなら、その下
で起こることは何でも見ることができ、自分自身は見られない。ボッカッチョの周知の物語や類似のコントを
参照。
  狼たち。その数、六頭か七頭。狼物語では数は述べられないが、群れをなしている。数の決定には、六匹
が吭われる七ひきの子やぎの童話の影響が見られる。原場面の二という数を、原場面としてはナンセンスであ
るより多数の数で代替す

ることは、歪曲手段として抵抗に欽迎される。夢を描いた絵に夢見た者は五の数を表現したが、それはおそら
く、夜であ
ったという言明を訂正するものである。
 狼たちは木の上に座っている。狼たちはさしあたり、木にかけられたクリスマスプレゼントの代替である。
しかし、木
の上に置かれているのは、狼たちは視るという意味にもなりうるからである。祖父の物語では、狼たちは下で
木を取り囲
んでいる。木に対する狼たちの関係はそれゆえ、夢では反転され、そこから推諭できるのは、夢内容において
は、潜在的
素材にさらに別の反転が生じているだろうということである。
 狼たちは注意力を張りつめて彼を視つめている。この件はまったくのところ原揚面から、全面的逆転をいと
わずに、夢の
中に入り込んでいる。

 狼たちは全身真っ白である。それ自体としてはたいしたことはないが、夢見る者の語りでは強く訴えられる
この件の強
度は、素材の全階屑の要素が大々的に融合していることに由来し、それからまた、他の夢源泉の副次的な細部
をより重要
な原揚面のある部分と合一させてもいる。この後者の規定の出所はおそらく両親の寝具や肌着の白さであるが、
それに加
                             yム丶″
                            ヽX{711
えて、動物に対する彼の性的探究を示唆する、羊の靜や牧羊犬の自さもあるし、母親が手の白さからそれとし
て認識され
る、童話「七ひきの子やぎ」における{口もある。われわれは後に、白い肌着を死の仄めかしとしても理解す
ることになる
だろう。

 狼たちは身じろぎせずに座っている。これは観察された場面の最も目立った内容と矛盾するものである。す
なわち、動き
に矛盾する。この動きは、それに伴う姿勢によって、原場面と狼物語とを結合させるものである。
 狼たちは狐のような尻尾をもっている。これは、原場面が狼物語に波及したために得られた成果に矛盾する
はずだが、そ
の成果とは性的探究による最も重要な結論として承認されるべきものであり、その内容は、だから本当に去勢
はあるとい
うことである。この思考の成果が受け入れられる際の驚愕は、最後に夢のなかで活路を開き、夢の終末を作り
出すことに
なる。

 狼たちに喰われるという不安。この不安は夢見る者には、夢内容によって動鰒づけられたようには思われな
かった。彼

れられたあらゆることからして、簡単にまとめることができる。われわれが追跡するのは、夢に表現される作
用のみである。後に明らかにせねばならないことであるが、原場面から発出しているのはただ一つの性的潮流
などではなく、一連の性的潮流全体が、まさに様々に分散したリビードが、原場面から発出している。さらに、
この原場面の活性化(私は意図的に想起という言葉を避けている)は、いま現在の体験であるのと変わらぬ作
用を及ぼすかも知れず、このことも担保しておきたい。場面は事後的に作用するのであって、一歳半から四歳
までの間も迫真の威力を何も失っていなかったのである。もしかしたら、それ以外にも、原場面がその知覚の
ときすでに、つまり一歳半以来、特定の作用を及ぼしていたことを示す手がかりも得られるかも知れない。
  患者は原場面の情況に深く思いを凝らしてみて、自分が次のように感じていたことを明らかにした。観察
された出来事は暴力沙汰だと初めは考えていたが、しかし、母の顔に浮かんでいた喜悦はそれと合わない、こ
れは満足だと認めざるを得なかった。両親の交わりの観察が彼にもたらした本質的に新たなこととは、去勢は
ありうることだと頭では以前も考えていたが、本当であることを得心させられたということであった。(二人
の娘の放尿の光景や

は言った、自分は怖がる必要なんかなかった、だって、狼はどっちかといえば狐や犬みたいに見えたし、自分
に襲いかかって噛みつこうとしているようでもなかった、そうではなくて、ずいぶんおとなしく、ちっともぞ
っとするようなものでなかった。夢工作はしばしの間、いとわしい内容を正反対へと変換することによって無
害化しようとしたということが、わかる。(狼たちは動かないし、それどころか、とてつもなく綺麗な尻尾を
もっているじゃないか。)それも、とうとうこの手段が不首尾となり不安が勃発するまでの間である。不安は、
子やぎである子供たちが父狼に喰われる童話の助けを借りて表現される。この童話の内容それ自身が、父が子
と遊んだときの、戯れの脅しを想い出させた可能性もなしとしない。

だから、狼に喰われる不安とは、追想でもあれぱ遷移による代替でもありうるだろう。
  この夢を引き起こす欲望の動機は手に取るように分かる。クリスマスがプレゼントと一緒にすぐにも来て
くれたらいいなという表面上の昼の欲望(待ちきれないという夢)に、父による性的満足への、この時期に持
続していたより深層の欲望が集結する。後者の欲望はさしあたり、当時心をとりこにしていたものを再び見た
いという欲望によって代替される。それから、ことの心的経過は、呼び出された原場面による欲望成就から、
欲望のいまや不可避となった拒否と抑圧へと辿ることになる。
  私はみずから行った分析の説得力に相当するものをいくらかでも提供したいと努めるがゆえに、叙述が微
にいり細にいってしまった。そのようなことなら、読者は多年にわたった分析の公表などご免蒙りたいという
気になるだろうか。
   *19 患者の観察の標的となったのはまず通常の姿勢による性交であって、それがサディズム的な仕業
の印象を呼び覚まさずにはおかないのだと仮定してみよう、そうするのが彼の発言に一番よくあった考慮の払
い方なのかも知れない。後になって姿勢が変えられ、そのため、違う観察や判断をする機会を得たのだ、と。
ただしこの仮定は確実なものではないし、不可欠なものとも私には思われない。われわれはテクストを短縮し
て叙述しようとして、被分析者が二十五歳過ぎになってから四歳時の印象や蠢きに、当時は見いだせなかった
言語表現を与えているという実際の情況を見逃すようなことがあってはならないだろう。この注意をないがし
ろにすると、四歳児にこんな専門的な判断や学識ある思考ができるなんて滑稽だし信じがたい、と容易に思っ
てしまうことになる。これは単純に、事後性の第二の事例なのである。子供が一歳半のとき、十分な反応ので
きないある印象を受け取り、四歳になってこの印象が再活性化されてはじめてそれを理解して心を奪われ、二
十年後になってようやく分析によって意識的な思考行為として、当時自分のなかで何が起こったのかを把握で
きるようになる。そうなると被分析者は当然ながら、三段階の時期区分を無視し、自分の現在の自我をはるか
背の情況におき入れる。われわれはその点で被分析者に倣う。というのも、自己観察と解釈が正確ならば、最
終的には第二段階と第三段階の時期の距離は度外視してかまわないことにならざるをえないからである。われ
われも、第二段階の時期の出来事を記述する、他の手段は持ち合わせていないのである。

ナーニャの脅し、砂糖の棒菓子についての女家庭教師の解釈、父が蛇をぱらぱらにうち砕いた想い出。)とい
うのもいまや彼は、ナーニャが語っていた傷を自分も目の当たりにし、父との交わりには傷の存在が前提とな
ることを了解した。小さな女の子たちを観察したときのように、傷をお尻と混同するなどということはもはや
彼にはありえなかった。
  夢の結末は不安であり、ナーニャにそばに来てもらうまで安心できなかった。だから彼は父から逃れてナ
ーニャのところに赴いた。不安は、父による性的満足への欲望の拒否であった。この欲望の追求が彼に夢を吹
き込んでいたというのに。狼に喰われるという不安の表現は、父によって性交される、つまり母のように満足
を得るという欲望の――やがて聞き届けるように、退行的な――一つの置換にすぎなかった。父に対する受動
的な態度という彼の究極的な性目標は抑圧に屈し、それに代わって、父に対する不安が狼恐怖症という形とな
って現れてきたのである。
  とすると、この抑圧を駆り立てる力とは何か。事態の全体からして、それはナルシス的性器りビート以外
ではあり得ず、これが自分の男性器のことを心配して、男性器への断念を条件とするように思われた満足に逆
らったのである。脅かされたナルシシズムから彼は男性性をくみ出し、それによって父に対する受動的態度か
ら自己防衛したのだ。
  いまや注目すべきことだが、叙述がこの地点にいたってわれわれは術語を変更せざるを得ない。彼は夢の
最中に性的編成の新段階に到達していた。それまで彼にとって性的対立とは能動と受動の対立であった。彼の
性目標は誘惑以来、性器に触られるという受動的なものであったが、その後以前のサディズムー肛門的編成段
階に退行して変化し、懲らしめられ罰せられるというマゾヒズム的目標となった。この目標に到達するのは男
性によってであろう

と女性によってであろうと、彼にはどちらでもよかった。性の違いには頓着せずに彼はナーニャから父へと放
浪し、一物に触るようナーニャに求め、父に対しては懲戒を挑発しようとしていた。父との関連では性器は論
外となったが、ぺニスを叩かれるという空想には退行によって覆われたつながりがまだ表れていた。ところが、
夢で原場面が活性化したために彼は性器的編成へと連れ戻された。彼はヴァギナを発見し、男と女の生物学的
な意味を発見した。能動的であることが男であり、受動的であることが女であることをいまや理解した。そう
なると彼の受動的な性目標は、今度は女としての目標に変換し、父から性器やお尻を叩かれるのではなく、父
によって性交されることとして表現されざるをえなかっただろう。しかるにこの女性的な目標は抑圧の手にか
かり、狼に対する不安に置き換えられざるをえなかった。
  彼の性的成長に関する議論はここでうち切り、彼の既往歴の後の段階からこのより早期の段階に新たな光
が照り返してくるのを待たねばならない。狼恐怖症の検討に向けて、父も母も両方とも狼になっていたことを、
言い添えておこう。それというのも、母は、他の狼を自分の上に乗せる去勢された狼を演じ、父は上に乗る狼
を演じていたのだから。しかるに、彼の断言に耳を傾ける限り、彼の不安はもっぱら直立する狼に、つまり父
にのみ向かっていた。さらに目に付かざるを得ないのは、夢の結末となる不安は祖父の物語に手本があったこ
とである。この物語では実際、他の狼を自分の上に登らせる去勢された狼は、自分が尻尾をなくしたという事
実を想い出させられるやい

   *20 問題のこの部分に彼がさらにどう取り組んでいったかについては、のち彼の肛門性愛を追跡する
なかで知られることになろう〔本巻八一頁以下〕。

なや、不安に襲われる。だから彼は、夢の過程の最中に去勢された母と同一化し、そうでありながらこの顛末
に抗っていたように思われる。適切であることを願いながら翻訳するなら、お前は父によって満足させられた
いと思うなら、母と同じように去勢を甘受しなければならない。けれども、僕はそれは嫌だ。してみると、男
性性の明確な異議申し立てというわけだ! ちなみに、はっきりさせておくが、われわれがここで追跡してい
る症例の性的成長は決して滞りのないものではなく、その点でわれわれの探究にとってたぶんに不利益となる
ところがある。その成長は最初誘惑によって決定的に影響を受けながら、事後的に第二の誘惑のように作用す
る性交観察の場面によって方向を逸らされるのである。

V 若干の議論
  シロクマと鯨は、それぞれ自分の生息領域が限られており、互いに出会うことがないので、戦うことはで
きない、と言われてきた。それと同じように、精神分析の前提を承認せずその成果をでっち上げだと思ってい
る、心理学や神経学の分野で働いている人々と議論を交わすのは、私には不可能である。だがそれ以外にも最
近数年、別の反対者たちが出てきた。彼らは、少なくとも自身の思うところでは分析の地盤の上に立ち、分析
の技法や功績についても争わないが、ただ、自分らは素材が同じでも別の帰結を引き出し、別の見解を取る権
利を持っていると考えている。
  しかし理論的な異議申し立てはたいてい不毛である。理論の源泉となるべき素材から離れ始めるやいなや、
自分の主張に自己陶酔して、はてはあらゆる観察に矛盾した意見を囗にする危険を冒すことになる。それゆえ、
逸脱した見解については一つ一つの事例と問題に即して検証して論破する方が、はるかに理に適っているよう
に思われる。
  上で私は次のように述べた(六五頁〔本巻三六‐ⅲ七頁〕)。すなわち、〔第一に〕1歳半といういたいけ
な年頃の子供がたいそう込み入った出来事の知覚を自分のうちに受け入れ、これほど忠実に無意識のうちに留
めおくことができるのかという点であり、第二に、この素材を理解できるようにするため事後に加工すること
が、四歳になれば可能となるのかという点であり、最後に、こうした事情のもとで体験され理解されたこのよ
うな場面の細部を、まとまりのある説得的なやり方で意識化できる何らかの処置方法があるのかという点」、
この三点はたしかに、ありそうもないことと考えられるであろう、と。
  最後の問いは純粋に事実に関わる問いである。あらかじめ示された技法を使って分析をそのような深層ま
で追い込んでゆく労苦をいとわない者なら、それは大いにありうると納得するだろうが、中途半端なままにな
にか上層で分析を中断するなら、そのことに関する判断はあらかじめ放棄されてしまう。だが、深層分析によ
る達成について、それでもって見解が決定されるわけではない。
 別の二点の懸念が依拠しているのは、早期幼児期の印象に対する軽視であって、その印象にはそれほど長続
きする効果があると信用できないというのである。それらの懸念は神経症の発病因をほとんどもっぱらより後
の生活での深刻な葛藤に求めようとし、幼年期が重要であるように思われるのは、現在の利害関心を早い時期
の過去の追想や象徴によって表現しようとする神経症者の傾向によって、分析のなかでそれらしく見せかけら
れているに過ぎないのだと仮定する。幼児期という契機をそのように評価するなら、分析のもっとも内密な特
有性はかなり抜け落ちることになるし、むろん、分析への抵抗を作り出して部外者にとって信用できないもの
とする多くの疎外要因も同

様に抜け落ちる。
  このようにしてわれわれは、次のような見解に議論の照準を合わせることになる。すなわち、たとえば、
われわれの症例のような神経症の徹底的な分析が提示するこうした早期幼児期の場面とは、後の生活造形や症
状形成への影響が帰せられてよい現実の事件の再現ではなく、成熟期に刺激された空相丿形成なのであって、
それはある程度現実の欲望や利害関心の象徴的代用を務めてはいるが、もとはといえば、現在の課題からの逃
避という退行的性向にその発生を負っているのである。もしその通りなら、当然のことながら、ごく未熟な年
齢の子供たちの心の生活や知的営みに対して、奇異の念を抱きたくなるようなことは一切要求しなくてもよい
ことになる。
  この見解には、困難な課題の合理化と単純化を求めるわれわれ皆に共通する欲望以外にも、かなりの事実
が迎合する。また、まさに臨床的分析家であればこそ浮かび上がってきそうな懸念をあらかじめ一掃すること
もできる。ただし、こうした幼児期の場面に関する上述の見解が正しいとしても、分析の行使に関してはさし
あたりなにも変更がないことは、認められねぱならない。もし神経症者がある時、自分の利害関心を現在から
方向転換し、空想によるそのような退行的代替形成につなぎ止めるという悪弊をもつに至ったなら、できるこ
とはといえばやはり、彼の行く道の後を追い、これらの無意識的生産を彼の意識にもたらしてやること以外で
はありえない。というのも、それらの無意識的生産は、現実生活には無価値であることをまったく度外視する
にしても、〔病者の〕利害関心をしばし担い所有するものであるがゆえに、われわれにとって最高の価値を持
っているからである。その利害関心をわれわれは、現在の課題へと向かわせるために、自由にしようとするの
である。それゆえ分析は、そのような空想を素朴に信用して真実視するのと正確に変わらない経過を辿らざる
をえないことになる。分析の最後、これらの空想が暴露されたのちになってはじめて違いが出てくる。その時
病者にはこう言われるだろう、「ではよろしい。あなたの神経症は、あなたが子供時代にそのような印象を受
け取って紡ぎ続けたかのように経過しました。けれど、そんなことはありえないことはおわかりでしょう。そ
れらは、あなたに迫っていた現実の課題から目を背けたがゆえに、あなたの空想活動によって産み落とされた
ものだったのです。それでは、これらの課題とは何であり、空想との間にはどういう連絡路が存していたのか、
究明することにしましょう」。幼児期空想がこのように片付けられれば、現実生活に向かう、治療の第二節が
始まることができるだろう。
  この方途を短縮し、したがって、これまで行われてきた精神分析施療を変更することは、技法上許容され
ないであろう。これらの空想がその全容にわたって意識化されるのでなけれぱ、病者は空想に拘束された利害
関心を思うままに処理できるようにならない。空想の実在や朧気な姿を予感したとたんに、病者に空想から身
を逸らさせるなら、それは、病者のいかなる努力にもかかわらず、空想を不可侵にしてしまう抑圧の仕事を下
支えすることにしかならない。病者に対して、これは現実的重要性を何らもたない空想に過ぎないのだ、と早
い時期に開陳して空想の価値を切り下げるなら、空想を意識に導いてゆくための協力を病者からは決して得ら
れないことになるだろう。それゆえ、これら幼児期の場面をどのように評価しようと、分析技法の正しいやり
方は何ら変更されてはならないのである。
  先に言及したように、これらの場面を退行的空想として捉える見解に関してはかなりの事実的契機をその
下支えとして援用しうる。なによりも、これらの幼児期の場面は施療のなかで――私のこれまでの経験のおよ
ぶ限り――想い出として再現されるのではない、それらは構築の成果だ、という事実がある。確かにかなりの
人々には、この

ことを容認するとそれだけで、論争の決着が付いたように思われるかも知れない。
  誤解してほしくないのだが、分析家ならみな何回も経験して知っているように、成功した施療において患
者は子供時代からの本当に多数の自発的な想い出を報告するのだが、想い出の浮上には――ひょっとしたら最
初の浮上にも――医師は自分がまったく関わっていないと感じるものだ。というのも、医師は患者に対して、
いかなる構築の試みによっても類似の内容を示唆していないからである。以前には無意識的であったこれらの
想い出は、いつでも真実に相違ないわけでは全然ない。真実でもありうるが、空想された要素がちりばめられ
て真実を歪曲していることも頻繁で、自動保存されたままになっているいわゆる遮蔽想起によく似ている。私
の言いたいのは、ただこういうことである。つまり、私の患者のような場面、似たような内容をもったごく初
期からの場面、症例の経歴にとってのち並々ならぬ意義を持つようになる場面は、通例想い出として再現され
るのではなく、仄めかしの山から一歩ごとに苦労して推し量られ――構築され――なければならないというこ
とである。そのような場面は強迫神経症の症例では想い出として意識されないのだと認めるならば、論拠とし
てはそれでも十分であるし、そのことは、〔想い出として意識されないという〕いまの発言をここで研究して
いる症例一つに限定するとしても、同様である。
  ということで、私は、これらの場面が想い出として再帰しないのだから、必然的に空想であるに違いない
という意見はとらない。それらが――われわれの症例におけるように――分析されると決まっていつも同じ場
面に連れ戻す夢によって代替され、その夢は惓むことなく加工し直されて場面を一部ずつ再現するというのは、
私には想い出とまったく等価であるように思われる。夢見るということは実際、夜中と夢形成という条件の下
ではあるが、想い出すことでもある。夢の中にこうして回帰してくるから、患者たち自身にも徐々にこれらの
原場面の現実性が強く

確信され、想い出にもとづく確信に何ら劣らないものとなることが、私としても理解できてゆくのである。
  敵対者はむろん、こうした論拠に対する戦いには見込みがないとして降参するにはおよばない。夢は周知
のように操縦可能である。被分析者の確信は、暗示の結果なのかも知れない。暗示にはいまでも分析治療の力
学において一つの役割りが振り当てられることが期待されてもいる。古いタイプの精神療法家なら患者に、あ
なたは健康だ、あなたの制止になっているものは克服されたなどと、暗示をかけるだろう。しかるに精神分析
家の言うことは、あなたは子供の頃にこれこれの体験をしたが、健康になるにはそれをいま想い出さなけれぱ
ならない、ということである。これが両者の違いとなろう。
  はっきりさせておくが、敵対者たちによるこの最後の説明の試みは、初めに予告されたより、幼児期の場
面のはるかに徹底的な清算に帰着する。幼児期の場面は現実ではなく、空想らしい。そうすると明らかになる
のは、それは病者の空想ではなく、分析家自身の空想であって、それを分析家はなにか個人的なコンプレクス
のゆえに被分析者に押しつけているのだ。この非難を耳にした分析家はむろん、次のような主張を持ち出して
気を鎮めるだろう。
  すなわち、彼が吹き込んだと言われるこの空想の構築は漸次的に登場してきたものであり、構築は多くの
点で医師

   *21 私がいかに早くからこの問題に取り組んできたかにっいては、『夢解釈』初版二九〇〇年)の一
節がその証拠となるかも知れない。そこではある夢に出てくる「それはもうありません」という話の分析とし
て、その話は私自身から来ていると、述べられている。つまり、何日か前に、私は彼女に次のように説明をし
ていた。「最も古い幼児期体験は、そのものとしては、もうありません。それは分析の中で、「転移」と夢と
で代替されています」。
   *22 夢の機制には影響が及び得ないが、夢の素材は部分的に制御が効く。

の側からの教唆とは独立に完成されていったこと、また治療のある地点からは一切がこの構築に収斂するよう
に思われ、総合が済むと逆に多様きわまりない注目すべき成果が構築から放散していくこと、病歴の大小の問
題も奇妙な点もその解決を構築のただ一つの仮定に見出したこと、そうしたことがその主張内容である。こう
主張したうえで分析家は、この主張内容が要求するすべてを一気に成就できる出来事を案出できるだけの鋭敏
さが自分にあるとは思えない、と言い募るだろう。しかしこの弁論にしても、みずから分析を体験したわけで
ない他の側の人々には功を奏さないだろう。洗練された自己欺瞞-ある人々からはこう言われるし、判断力の
愚鈍-別の人々にはそう言われる。決定は下しようがないだろう。
  構築された幼児期の場面に関する敵対者の見解を支持するもう一つの契機に転じよう。それは次のような
ものである。すなわち、問題となっている形成物を空想として説明づけるために引き合いに出されたプロセス
はすべて、実際に存続しているのであって、その重要性が容認されなけれぱならないというものである。現実
生活の課題からの利害関心の方向転換、中断された行動の代替形成としての空想の存在、こうしたことの創造
のうちで声を発している退行的な性向――退行的というのは、生活からの撤退と過去への遡行とが同時に生じ
ている限り、複数の意味でのことなのだが――、これらはすべてその通りなのであって、いつも決まって分析
によって確証されることである。これでまた、話題となっているいわゆる初期幼児期の追想も十分説明付けら
れるし、この説明は新たな竒異な仮定なしでもいける以上、科学の経済論的原理からして、そういう仮定を必
須とする他の説明よりも優位に立つ、と考えられよう。
  今日の精神分析の文献においては通常、《部分と全体)の取り違えの原理に基づいて異議申し立てがなさ
れている

ことに、ここで注意を促させて頂きたい。複雑に組み立てられた全体から一部の有効な要因を取り出しては、
この部分が真実であると公言し、それの擁護のために、他の部分や全体に対して異議を申し立てる。どういう
グループの要因がひいきにされているのか、もう少しよく見てみるなら、それは、他のところで既に知られて
いるものを含んでいたり、極めて容易にその既知のものに接続したりする要因であることがわかる。たとえば
ユングにおいては、現勢性であり退行である。アードラーにおいては、利己的な動機である。しかるに、まさ
に精神分析特有の斬新さであるものが省みられずに、誤謬として棄却されるのだ。この方途によっては、不愉
快な精神分析の革命的なインパクトがいとも容易に却下されてしまう。
  幼年期の場面の理解のために敵対者の見解が引いてくる契機はいずれも、ユングによって新機軸として教
えてもらうには当たらないのであって、そのことは特記しておいて無駄ではあるまい。現勢的な葛藤、現実か
らの方向転換、空想による代替満足、過去の素材への退行、これらはすべて、しかも同じ組み合わせで、ひょ
っとしたら名称は少々変わっているかも知れないにせよ、かねて来私自身の学説の不可欠の構成要素を形作っ
てきたものだ。それは私の学説の全体ではなかった。それは発病因の一部に過ぎないのであって、それが現実
から転じて退行的な方向を取り、神経症形成に向けて働くのである。それ以外に私は第二の前進的な影響にも
余地を残しておいた。これは幼年期の印象の方から働き、生活から撤退するリビードに道を指し示して、さも
なければ説明不能な幼年期への退行を理解させてくれるものである。私の見解では、このようにして両方の契
機とも症状形成に協力するが、協力に

   *23 私としては、現下の葛藤からのリビードの方向転換という言い方を優先するが、それには確かな
理由がある。

はより早期のものもあり、それも私には同様に重要であるように思われる。私の主張では、幼年期の影響はす
でに神経症形成の開始情況において感じとられるのであって、それというのも、その影響は、生活の現実的問
題を制覇するに当たって個体が不首尾になるか否か、もし不首尾になるとすればどこでそうなるのかを決定す
る一因となるのだからである。
 したがって、論争となっているのは幼児期の契機の意義である。課題となるのは、この意義を、いかなる疑
いも入れぬくらいに証示してくれる症例を見つけだすことである。われわれがここで詳しく論じている症例が
それであり、後の生活の神経症には幼児期早期の神経症が先行しているという性格によって際だっている。ま
さにそれゆえに私は、この症例を選んで報告することにしたのである。ここでの動物恐怖症は自立した神経症
として認可されるに十分なほど重大なものに思われないという理由で、この症例を退けようとするなら、この
恐怖症には間髪をおかず、本稿の続く節で話題にされる強迫儀式や強迫行為・思念が接続していることを指摘
しておきたい。
  三、四歳の幼年期における神経症発症はなにより、幼児期の体験はそれだけで神経症を生み出すことがで
きるのであって、そのためには生活の中で設定される課題から逃亡するにはおよぱないことを証明する。子供
にだって、もしかしたら逃げ出したいと思うような課題が絶えず押し寄せてくるものだと、異論が述べられる
だろう。それは正しいが、就学期以前の子供の生活は簡単に俯瞰できるのだから、神経症の発病因となる「課
題」がそこには見出されるのかどうか、調べてみてもいいだろう。そうすると、子供には充足不可能で、制覇
するだけの力もない欲動の蠢きと、この蠢きが流出してくる源泉以外にはなにも発見されない。
  神経症勃発と話題となっている幼年期体験の時期との合間をとてつもなく短縮すると、予想通り、発病因
の退行

的部分が矮小化され、前進的部分である、より早期の印象の影響が赤裸に前面に出されることになる。この事
態については本稿の病歴が明暸なイメージを与えてくれるものと、期待している。原場面の本性や、分析によ
って探り当てられた最初期の幼年期体験の本性に関する問いに対しては、幼年期神経症が他の理由からしても
決定的な答えを与えてくれる。
  次のことを異論のない前提として仮定することにしよう。つまり、そのような原場面が、幼年期発症の症
状構成によって課されてくるあらゆる謎の解決のために不可欠として技法上正確に詳述されており、分析のす
べての糸が原場面に通じてゆきもすれば、そこからはあらゆる効果が放散してもいる、と仮定しよう。そうす
ると、この原場面が子供の体験した現実の再現以外の何かであるなどということは、その内容を顧慮するなら、
不可能となる。というのも、子供は、大人にしても同じだが、どこかで手に入れた素材をもとにしてのみ、空
想を生み出すことができるのだからである。子供には、この素材獲得の方途は部分的に(たとえば読書は)閉
ざされているし、また、獲得のために自由にできる時間は短く、その典拠は簡単に突き止められるものである。
  われわれの症例の場合、原場面は、特定の観察にことさら有利な姿勢でなされた両親の性的交わりのイメ
ージを含んでいる。ある病者に関して原場面を見出したとしても、そして病者の症状が、それゆえ原場面の効
果が、後の生活のあるときに現れてきているとしても、それは、その場面の現実性を何ら証明するものとはな
らないであろう。病者は、長い合間をおいて極めて様々な時点で、いろいろな印象や表象や知識を獲得し、そ
れらをのちになって空想像に変換して幼年期に遡行投射し両親につなぎ止めているのかも知れないからである。
しかし、そのような場面の効果が三、四歳児に現れ出るなら、子供はそれをさらに早い年齡で目撃したに違い
ないことになる。だがそうす

ると、幼児期神経症の分析から結果した、奇異の念を催させる帰結はすべて残ったままとなる。もっとも、患
者はこの原場面を無意識的に空想したばかりか、自分の性格変化や狼不安や宗教的強迫も一緒に創作したのだ
とでも仮定するなら話は別であるが、こうした言い逃れは、彼が普段は醒めた質であったことや家族内で直接
言い伝えられたことからして、異議に屈する。だから依然として――他の可能性は見あたらないので――彼の
幼児期神経症を出発点とする分析はおよそ妄想であるか、すべては私が上に叙述した通りであって正しいのか、
のいずれかである。
  われわれは先に〔本巻四〇-四一頁〕、次のような二義性にもひっかかりを覚えた。すなわち、女性の臀
部と、その部位が突出する姿勢での性交とに対する患者の偏愛は、両親の性交の観察から導き出されるべきも
のに思われた一方で、そうした嗜好は強迫神経症の素因をもつ太古からの体質に遍く見られる特徴なのである。
この矛盾を重層決定として解消する、もっともらしい情報がここで差し出される。彼が性交におけるこの位置
関係を観察した人物とは実の父であり、彼はこの体質的な偏愛も父から受け継いでいたのかもしれない。父の
後の病気からも家系の歴史からも、そのことに対する反論は出てこない。ある叔父は、すでに言及したように
〔本巻一七頁〕、終末期の重度強迫の苦痛として捉えねばならない状態で死んだ。
  このこととのつながりで、三歳三ヵ月の弟を誘惑する際に姉がけなげな子守の老女に関して、みんなを逆
さにしてその性器をつかむと奇妙な悪態をついていたのをわれわれは想い出す。そのときわれわれには、もし
かしたら姉も後の弟と同様、いたいけな年齢で同じ場面を目撃し、だから性行為の際、逆立ちさせることに刺
激を覚えるようになったのではないかという考えが迫ってこないではいられなかった。こう仮定すると、彼女
自身の性的早熟の源泉が何なのかについて一つのヒントが与えられるだろう。

  [私にはもともと、「原場面」の現実的価値に関する議論をここでさらに続行しようという意図はなかっ
たが、その間に、『精神分析入門講義』〔第二三講〕でこのテーマをより広い文脈で、もはや論争的な意図な
しに論じる機会を得たので、同講義で主導的となっている観点を今の場合に適用することを怠ったなら、誤解
を呼び起こしかねないだろう。それゆえ補足と訂正の意味で続きを行うことにする。夢の根底に存する原場面
については実際、もう一つ別の見解も可能であり、それによって先になされた決断はかなり方向がずらされ、
いくつかの困難が解消されることになる。幼児期の場面を退行的象徴に引き下ろそうとする学説は、この変更
によっても何も得ることはないだろう。それはむしろ、子供の神経症のこの――そして他のあらゆる――分析
によっておよそ最終的に用済みとされるように思われる。
  つまり私が意味するのは、事態は次のような具合にも整理することができるということである。子供は性
交を観察し、その光景によって、去勢は内実のない脅しでは済まされないという確信を得た――この仮定は譲
ることはで
きない。また、男性と女性の姿勢がのちに不安の増進や愛の条件としてもつようになる意義からして、それは
《獣流儀の後背位性交》であったと推論する以外に選択の余地はない。だが、もう一つの契機はそれほどかけ
がえのないものではなく、遺棄してかまわないだろう。もしかしたら、子供が観察したのは両親の性交ではな
く、動物のそれだったかも知れず、それを子供は両親に移したのかも知れない。両親も違うやり方をすること
はないと推測したかのように。
   *24 四三頁〔本巻一五頁〕参照。

  この見解に有利に働くのは何よりも、夢の狼たちは実は本来牧羊大であって、患者の絵でもそのように見
えるということである。夢の少し前、少年は何度も羊の群のもとに連れてゆかれ〔本巻二七頁〕、そこでそう
いう大きな白い犬を見、またおそらくは犬の性交をも観察する機会があった。私は、夢見た者が特にその動機
は述べずに出した三という数〔原注(12)(本巻三七頁)〕もここから引き出し、牧羊犬に対するそういう観
察を三度行ったことが彼の記憶に残ったのだと仮定したい。そうすると、夢の夜、期待の興奮に胸膨らませる
なか行われたのは、近々に得られた想い出のイメージがそのあらゆる細部もろとも両親に転移されるというこ
とだったのだ。そしてこの転移によってはじめてあの強力な情動的効果が可能となったのである。こうしてい
まや、ひょっとして数週間ないし数力月前に受け取られた印象の事後的理解が出てきた。これは、われわれの
誰もがわが身において体験したことのある出来事かも知れない。もっとも、性交する犬から両親への転移は言
葉に拘束された推論手続きを介してなされたのではなく、両親の同衾という現実の場面が想い出の中で探し当
てられ、性交の情況と融合されたことによってなされた。夢分析の中で主張された原場面の細部は、すべて正
確に再現されたものだと言ってよい。それは実際、子供がマラリアで伏せっていた夏の午後のことであり、子
供が目覚めたとき両親は白のいでたちで二人とも在宅であった。しかし――場面はたわいのないものであった。
残りは、のちになって好奇心に燃えた子供の欲望が両親の愛の交わりにも耳を澄まし、犬に関する経験をもと
に付け足していた。そうなると、場面の空想は、われわれがその場面のせいとしたあらゆる効果を発揮した。
つまり、その場面が現実の場面であって、初期のどうでもよい部分と、後の最高に印象深い部分という、二つ
の構成要素が張り合わされたのではないかのような効果を発揮したのである。
  〔こう理解すると、〕われわれに要求された盲信の営みがいかほど軽減されるかは、即座に見て取れる。
われわれは

もはや、いかに幼いとはいえ子供のいる前で両親が性交を行ったと仮定しなくともよくなった。そのような仕
業はわれわれの多くにとって、考えたくもないことである。事後性の嵩もずいぶん低くなる。事後性はいまや、
三歳時の数力月だけのものであって、晦冥な最初期の幼年時代にまでは少しも遡らない。犬から両親に転移し
父の代わりに狼を恐れる子供の振舞いには、ほとんど奇異なところは残っていない。なんといっても子供は、
『トーテムと夕ブー』〔第四論文〕でトーテミズムの回帰として特徴づけられた成長段階の世界観に浸かって
いるのだ。神経症の原場面を後の時期の遡行的空想作用によって説明づけようとする学説は、四歳といういた
いけな年齢にもかかわらず、われわれの神経症者を観察することから強力な支持を見出すように思われる。こ
んなにも幼いのに、それでも彼は三歳時の印象を、一歳半時のものとして空想された外傷によって代替すると
いうことを成し遂げたのだというわけである。そしてこの退行は謎めいてもいなければ、わざとらしいところ
もないように思われる。打ち立てられ復元されるべき場面は、一定の条件を成就しなけれぱならなかったから
である。その条件とは、夢見る者の生活事情のために、まさにこの初期の時期にしか見出されえないものであ
った。それはたとえば、彼が両親の寝室でベッドの中にいたという条件である。
  しかし、たいていの読者にしてみるならば、いま提案した見解が正しいかどうかは、私が他の症例からど
のような分析的成果を追加できるかに端的にかかっているように思われるだろう。最初期幼年期における両親
の性的交わりの観察場面は――現実の想い出であれ空想であれ――神経症の人の分析においては真実のところ
何ら珍しいものではない。ひょっとしたら、それは神経症に罹らなかった人にも頻繁に見られるものなのかも
知れない。ひょっとしたら、それはそうした人の――意識的ないし無意識的な――想い出の宝箱の常連内容と
なっているのかも知れな

い。ところが私が分析によって詳述できる機会を得るたび、そうした場面はいつも同じ特有性を示した。この
特有性は、われわれの患者にあってもわれわれをまごつかせたものであるが、それは、観察者に性器の視察を
唯一可能にする(後背位性交)が場面ではなされていたということである。もはや事々しく疑う必要はないだ
ろう、ここで問題となっているのは空想に過ぎず、これはもしかしたら獣の交接を観察するといつも決まって
刺激されるものなのである。いや、それだけでない。すでに示唆したことだが〔本巻三六頁〕、両親の交わり
を妨害する子供のやり方がどういうものなのか、このことの伝達を後回しにしてきたため、「原場面」の私の
叙述は不完全に止まっていた。この妨害のやり方もあらゆる症例で同じであることを、私はいまとなっては付
け加えなければならない。
  私は、この病歴の読者からいまや重大な嫌疑をかけられているのではないかと思う。以上のような論拠を
使って、いま述べた「原場面」についての見解が支えられたとするなら、最初は別のはなはだ不合理に思われ
る見解を主張したことに、私は一体どういう責任を負えるのか。それとも私は、病歴の最初の執筆とこの追記
とのあいだの期間に、当初の見解の変更を余儀なくさせる新たなことを経験したのだが、何らかの動機からそ
のことを認めたくなかったというのか。そんなことはないが、別のことを白状しよう。私の意図としては、原
場面の現実的価値に関する議論を今回は(証拠不充分》ということで結審したいのである。この病歴誌はいま
だ終了してはいない。さらに進行してゆく中で、いまわれわれが享受していると思っている確信を妨害する契
機が浮上してくることだろう。そうなると、原空想ないし原場面の問題を論じている個所の『入門講義』の参
照を求める以外に、おそらく手はないであろう。]

Ⅳ 強迫神経症

  さて、彼は自分の成長を決定的に変化させた三度目の影響を経験した。四歳半の頃、イライラして怖がる
状態がいまだに改善していなかったが、母は、彼の気を紛らわし高揚させようと希望して、聖書の物語を彼に
教える決心をした。それはうまくいき、宗教を持ち込んだおかげで、これまでの段階に終止符が打たれたが、
不安症状がひっこんで強迫症状に交替することになった。彼はこれまでは、クリスマス前のあの夜と同じよう
なひどい夢を見るのではないかと恐れて、寝付きが悪かった。いまは、就寝前、部屋にあるあらゆる聖人画に
キスし、お祈りを唱え、自分と自分の寝床に何度も十字を切らないと気が済まなくなった。
  われわれの概観するところ、彼の幼年期は次のように時期が区分される。第一に、誘惑号一歳三ヵ月)に
先立つ時代で、この時代に原場面が入る。第二に、不安夢(四歳)までの性格変化の時代。第三に、宗教への
入信(四歳半)までの動物恐怖症、それからは九歳過ぎにいたるまでの強迫神経症の時代である。一つの段階
から次の段階への受け渡しが瞬時で平滑に済むなどということは、事態の性質からしても、われわれの患者の
性質からしてもありえない。反対に患者に特徴的であったのは、先行するあらゆるものの維持であり、多様き
わまりない潮流の並存であった。不安が始まっても、手の焼ける悪さはなくならず、ゆっくりと減退しながら、
信心の時代に引き継がれていった。しかし、この最後の時代には、もはや狼恐怖症は話題にならない。強迫神
経症は断続的に経過していった。最初の発作が最長で最強であった。別の発作は八歳および十歳の時に現れた
が、その都度、神経症の内容と明白な関連のあることをきっかけとしていた。母は自分で彼に聖なる物語を語
り聞かせ、それ以外にも、挿絵で飾られた本にあ

る同じような物語をナーニャに朗読させた。そういう語りの主眼は、もちろん受難史にあった。大変敬虔で迷
信深いナーニャは物語を自分で解説したが、しかしまた小さな批評家の異論や懐疑にもすべて耳を傾けなけれ
ばならなかった。心中の戦いが彼を揺さぶり始めたが、最終的に信仰の勝利に落ち着いたのには、ナーニャの
影響が無関係ではなかった。
  宗教に入信した際の反応を想い出して彼が私に教えてくれたことは、最初、私の断固たる無信仰とぶつか
った。そんなことを、四歳半から五歳の子供が考えるはずがない、と私は思った。おそらく彼は、やがて三十
歳になる成人が後から考えたことを、この初期の過去に遡って移し入れたのだ。しかしながら患者はこうした
修正を受け付けようとはしなかった。われわれの間に判断の相違があると、他の多くの場合には彼を改心させ
ることができたが、今度は成功しなかった。想い出された考えと報告された症状がうまくつながり、それらが
彼の性的成長に当てはまることからして、私は最後には彼の言うことにむしろ信をおかざるを得なくなった。
そのときにはまた、大人の方こそごくわずかの者しか、子供にできるはずがないとして信用する気になれなか
った宗教批判をなしえないのだ、とも私は思った。
  それでは、彼の想い出の素材を提示し、それから、その素材の理解につながる道を探し求めることにしよ
う。
  聖なる物語の語りから彼が受けた印象は、自身で伝えるところ、当初心地よいものではなかった。初め彼
は、キリストという人物の苦悩の性格に反発し、次に、キリストの物語の全体的な構成に反発した。不満げな
批判を、彼は父なる神に向けた。神が全能なら、人間が劣悪で他人を苦しめ、その代償として地獄行きになる
のも神のせいだ。神は人間を善良に作るべきだったのだ。あらゆる劣悪や苦しみの責任は神自身にある。片方
の頬を打たれたらもう

片方の頬も差し出せという命令や、十字架上のキリストが杯をやり過ごそうと望んだことに、彼はひっかかり
を覚えたが、キリストを神の息子として証明するための奇蹟が生じなかったことにも、ひっかかった。こうし
て彼の鋭敏な洞察力は目覚め、聖なる創作の弱点を仮借ない厳格さで嗅ぎ付けることができるようになった。
この合理主義的な批判に、しかしまもなく思案と懐疑が付け加わることになった。これは、秘められた蠢きも
そこでは一緒に作動していることをわれわれに漏らしてくれる。彼がナフニヤに向けた最初の問いの一つは、
キリストにも尻があるのかというものであった。ナーニャは、キリストは神であり人間でもあった、と答えた。
人間としてキリストは他の人と同じものをすべてもち、行った。これでは彼は全然満足しなかったが、お尻は
脚からつながっているだけのものなんだと考えて、みずからを宥めることができた。キリストもうんこをした
のかという問いが浮かんでくると、聖なる人物を貶めないでいられないのではないかという、ほとんど鎮めが
たい不安が再び燃え上がった。信心深いナーニャにこの疑問をぶつける気にはなれなかったが、ナーニャとて
これ以上うまく答えられないような言い抜けを自分で見つけた。キリストは無から葡萄酒を作り出したのだか
ら、食べ物を無にすることもできたのであり、そのようにして排泄をしないで済んだのだ。
  先に論じた彼の性的成長の一時期につなげてみれば、こうした思案の理解にわれわれは近づけるだろう。
彼の性

   *25 私はまた何度も、病人の既往歴を少なくとも一年先送りにしようと、つまり誘惑を四歳三ヵ月に、
夢を五歳の誕生日に置き換えようと、試みた。時期的間隔の方は如何ともしがたかったが、しかし患者はこの
点においても頑固であった。もっとも、この点に関する最後の疑いまでも私から拭い去られたわけではなかっ
た。彼の既往歴やそれに結びついたあらゆる論究や帰結が与える印象からして、そのような一年の延期はどう
やらどうでもよいことのようである。

的生活は、ナーニャに拒絶され〔本巻一石頁〕、開始しつつあった性器の活動がそれとともに抑え込まれて以
来、サディズムとマゾヒズムの方向に発展していたことをわれわれは知っている。彼は小動物を苛め虐待し、
馬を打擲したり逆に王位継承者が打擲される空想をしていた。サディズムにおいて彼は父との最古の同一化を
維持し、マゾヒズムにおいては父を性的対象に選抜した。彼は前性器的編成の段階の真っ只中にいたのだが、
この段階に私は強迫神経症の素因を見て取る。自分を原場面の影響下においたあの夢の働きがあれば、彼は性
器的編成へと進歩し、父に対するマゾヒズムを父への女性的態度に、つまり同性愛に変換することができてお
かしくなかった。ところが、夢はこの進歩をもたらさず、不安になり終わった。父との関係は、父から懲罰を
受けるという性的目標から、父によって女性のように性交されるという次なる目標に移っていくはずだったの
に、彼のナルシス的男性性の抗議を受け、さらに原始的な段階に投げ返されて父の代替物〔狼〕に遷移するこ
とによって、狼に喰われる不安となって分裂したが、しかしこのやり方で解決されたわけでは決してなかった。
むしろわれわれは、父を目標とする三つの性的追求の並存を堅持することによってのみ、複雑に見えるこの事
態に正しい対応をなしうる。彼は夢以来、無意識においては同性愛であったが、神経症にあってはカニバリズ
ムの水準を保っていた。しかし、支配的であったのは依然としてより以前のマゾヒズム的態度であった。三潮
流はすべて受動的性目標を持っており、対象も性的蠢きも同じであったが、その蠢きが三つの異なった水準に
合わせて分裂するようになっていたのである。
  聖なる物語を知るようになると、彼は、父に対する優勢なマゾヒズム的態度を昇華できるようになった。
彼はキリストとなった。これは誕生日が同じためにとりわけ容易であった。キリストになったことによって何
か偉大なものとなり、それとともに――このことにはまだそれほど重点は置かれなかったが――男となった。
キリストには尻

がありうるのかという疑いからは、抑圧された同性愛的態度が透けて見える。というのも、この思案が意味す
るのは、自分は、原場面の母のように、女性として父によって用いられることができるかどうかという疑問以
外ではあり得なかったからである。他の強迫観念も解明されるようになれば、われわれはこの解釈が確認され
るのを見るであろう。受動的な同性愛が抑圧されたわけは、聖なる人物にそのような疑問を突きつけるのがお
ぞましいことだと懸念されたからである。お気づきのように、彼は自分の新たな昇華を、抑圧されたものの源
泉から引き出されてくる付随物から遠ざけておこうと努めていた。だが、それに成功しなかった。
  ところが、彼がキリストの受動的性格や父による虐待にも反抗し、それによって、これまでのマゾヒズム
的な理想をも、その昇華された姿においてすら否み始めたのはなぜなのか、われわれはその理由をいまだ分か
っていない。この第二の葛藤は、(支配的なマゾヒズムの潮流と抑圧された同性愛の潮流との間の)第一の葛
藤から貶下への強迫的思念が出現してくるに際してとりわけ好都合であったと仮定することは許されよう。と
いうのも、心の葛藤においては、あらゆる対立する追求が、源はまったく別々であるとしても、互いに加算さ
れてゆくことは、当然のことでしかないからである。彼の反抗と、したがって宗教に対してなされた批判との
動機については、われわれは新たな報告から知るところがあるだろう。
  聖なる物語を教えてもらったことからは、彼の性的探究も利得を得ていた。それまで彼は、子供は女性だ
けから生まれるという仮定になにも根拠を持てないでいた。反対にナーニャは、彼は父の子で姉が母の子だと
彼に信じさ

   *26 特にペニスの打擲の空想(五〇頁〔本巻22頁〕)。

せていたが、父とのこの密接な関係〔本巻一三頁〕は彼にとって大変貴重なものであった。ところが彼は、マ
リアが神を産んだ女と呼ばれたと耳にした。だから、子供は女性から生まれたのであり、ナーニャの言うこと
はもはや信じられなかった。さらに彼は、キリストの父は本来誰なのかということに関する話によって当惑さ
せられた。ヨセフがそれだと信じる気になった。だって、ヨセフとキりストはいつも一緒に暮らしたと聞いた
からである。しかし、ナーニャは、ヨセフは父みたいなだけで、本当の父は神であったと言った。わけがわか
らなかった。彼に理解できたのは、このことがおよそ議論の種となったからには、父と息子の関係は、自分が
いつも思っているほど、そんなに親密なものではなかった、ということくらいであった。
  少年は、あらゆる宗教のうちには、父に対する感情の両価性が潜んでいることをある程度感じとっており、
自分の宗教は父とのこの関係がゆるんでいるとして、攻撃した。むろん彼の反対はまもなく、教えの真実性を
疑うのではなく、その代わりに神の人格に直接敵対するようになった。神は自分の息子を手ひどく残酷に取り
扱ったが、人間に対してもより優しいというわけではなかった。神は息子を犠牲に供し、同じことをアブラ
(ムに要求していた。彼は、神を恐れ始めた。
  自分がキリストなら、父は神であった。しかし、宗教によって押しつけられた神は、彼が愛し、奪われま
いとした父の正しい代替ではなかった。この父への愛が彼に鋭敏な批判精神を作り出した。彼は父にしがみつ
こうとして神に抗い、その際、実際のところ新しい父から古い父を護ることになった。彼は父からの離反とい
う困難な事業をやり遂げなければならなかったというのに。
  したがって、彼が神を打倒するための干不ルギーや宗教批判の鋭敏な精神を引き出したのは、最初期に明
らかと

なっていた父への古き愛だったのだ。だが他方、新たな神へのこの敵愾心も他に依存しない独自の起源をもつ
行いだったのではなく、不安夢の影響下で発生していた父に対する敵愾的な蠢きを模範としており、根本的に
は、この蠢きの再生にすぎなかった。彼の後の全生活を統治することになる、これら両方の対立した感情の蠢
きはここにおいて遭遇し、宗教をテーマとして両価性の闘争を戦うことになったのである。この闘争から症状
として結果したもの、つまり、冒涜的な観念だとか、神-汚物、神-豚ということを考えるよう彼を襲った強
迫だとかは、だからまた正しい妥協の顛末でもあった。このことは、こうした観念を肛門性愛とつなげて分析
してみることによって示されるであろう。
  もう少し典型的でない別の若干の強迫症状も同様に確かに父に行き着くが、しかし、強迫神経症とより以
前の偶発事とのつながりをも分からせてくれる。
  彼が神への中傷を最後に賄うために用いた信心の儀礼には、特定の条件下で恭しく呼吸せよという命令も
あった。十字を切る際、彼はいつも深く息を吸い勢いよく息を吐き出さなければならなかった。呼気とは彼の
母語では精霊
に等しい。だからそれは、聖霊の役割だったのである。彼は聖霊を吸い込み、かつて耳にしたり読んだりして
いた悪霊を吐き出さねばならなかった。多大の服罪を自分に課さざるを得ないもととなった冒涜的な考えをも、
彼はこうした悪霊のせいにした。彼は、物乞いや不具者など、醜く老いて哀れな人々〔本巻一⑬頁〕を見ると、
息を吐き出さずにいられなかったが、この強迫を精霊と関係づけようとは思わなかった。こういう人たちのよ
うにならないた

   *27 やがて耳にするように、この症状は、彼が読むことができるようになった五歳のときから、増長
した。

めに、そうするのだとのみ、自分では釈明していた。
  それから、分析はある夢にしたがって、気の毒な人々の光量に息を吐くというのは五歳以降になってよう
やく始まっていたが、それは父とつながっていたということを明らかにした。父とは数力月の長期間会ってい
なかったある時、母が、これから子供たちと一緒に町にゆき、大変嬉しいことを子供たちにみせてあげよう、
といった。それで母は子供たちをあるサナトりウムにつれてゆき、そこで皆は父と再会した。父は具合が悪そ
うで、息子は心がとても痛んだ。してみると父は、息子がその前では息を吐き出さなければならない不具者・
物乞い・貧者すべての原像でもあったし、それ以外にも、不安状態に見られるゆがんだ顔や、嘲笑のために描
かれる力りカチュアの原像である。別の個所で〔本巻九二-九三頁〕さらにわれわれは、この同情の態度は原
場面のある個別の細部にまで遡り、この細部がかなり遅くになって強迫神経症で効果をあらわすようになった
のだということを、知るであろう。
  不具者の前での息吐きの動機となった、そうした人々のようになるまいという企図はそれゆえ、消極的な
ものに転化された、父との古き同一化なのである。とはいえ彼はその際、積極的な意味でも父の写しとなって
いた。というのも、強い呼吸は、性交の際に父から発するものとして耳にしていた物音の模倣だったからであ
る。聖霊は、男性のこの官能的な興奮の徴しにその起源を負っていた。抑圧によってこの呼吸は悪霊となった
が、悪霊にはなお別の系譜もあった。マラリアである〔本巻三五頁〕。彼は原場面の当時、マラリアに苦しん
でいたのであった。
  これら悪霊の排斥は見間違えようのない禁欲的傾向に対応しているが、この傾向は他の反応にも姿をみせ
ていた。キりストがあるとき悪霊を雌豚たちの中に追いやると、豚たちは深淵に突っ込んでいったと聞いて、
彼は、自分が想い出せる以前に数歳の姉が港の崖道から浜辺に転げ落ちたことがあったということに思い至っ
た。だから姉は、

悪霊でも豚でもあった。ここから、神-豚への道は短かった、父自身も官能に支配されていることも分かって
いた。最初の人問の物語のことを知ると、自分の運命とアダムの運命の類似性が目に付いた。ナーニャと話を
交わしている際、彼は偽善者めかして、アダムが女によって不幸に陥れられたことに驚いてみせ、自分は決し
て結婚しないと、ナーニャに約束した。姉による誘惑のため女に対してもつようになった敵意は、この時期強
烈に表現された。この敵意によって彼は、後の性愛生活でもずいぶん障碍を受けているだろう。姉は彼にとっ
て、誘惑と罪とを持続的に具現する存在となった。告解をすませると、自分が清浄になり罪を免れたような気
がした。そうするとしかし、姉が彼を再び罪に陥れてやろうと待ちかまえているような気がして、間をおかず
姉に対し諍いの場面を挑発し、そのためまた罪深い者となるのであった。そのようにして彼は、誘惑の事実を
繰り返し新たに再現するよう余儀なくされた。ちなみに、自分の冒涜的な考えを、どれほどその考えではち切
れそうになろうと、告解で暴露することはなかった。
  われわれはいつの間にか、より後の時代の強迫神経症の症状論に入り込んでしまっている。だから、その
間の多量の物事は度外視して、強迫神経症の結末を報告することにしよう。すでにわかっていることだが、こ
の強迫神経症は、ずっと恒常的に存続していることを別にするなら、一時的に強化されることもあった。たと
えば、われわれにもくまなく見通せているわけではないのだが、彼が同一化することができた同じ街路に住む
少年が死んだときも、そうであった。彼が十歳になると、ドイツ人の家庭教師がやってきて、すぐさま彼に大
きな影響力を振るうように

   *28 原場面が現実のものであったということが前提されている!

なった。大変意義深いことに、この父の代替が信心に何ら価値をおかず、宗教の真理など何とも思っていない
ことに気づき、それをこの教師との啓発的な会話から確かめてしまうと、彼の重々しい信心はすっかり消え去
り、二度と勢いを取り戻すことがなかった。信心は父への依存とときを同じくして脱落した。父はいまや、新
たな付き合いやすい父に取って代わられた。もっとも、このことが生じたときには、強迫神経症の最後の再燃
がなかったわけではない。この再燃の際には、路上で汚物の三つの堆積が一緒になっているのを見ると、聖三
位一体を思わずにいられないという強迫〔本巻一三頁〕がとくに想い出された。彼はなにか刺激に屈するとし
ても、この屈服によって価値を喪失するものを堅持しておこうと試みないことがなかった。家庭教師が小動物
に対する残虐行為を諌めると、彼はこの不行跡にも終止符を打ったが、しかし、その前にもう一度、思う存分
イモムシをばらばらにしてからであった。分析治療を受ける際も同様に、一過性の「消極的反応」を繰り広げ
るという挙に出た。症状の解消がおおいに進捗するたびに、彼はしばしの間、解消されたはずの症状の悪化に
よって解消の効果を台無しにしようとした。ご存じのように、子供とはことごとく禁令に対し似た挙動に出る
ものである。たとえば、耐えられない物音を立てるといって叱られると、子供は禁じられた後でも、それをや
める前にもう一度この物音を反復する。そのようにして、見かけ上自分は自発的に止めたのだという形にして、
禁令への反発を完了するのである。
  ドイツ人の家庭教師の影響のおかげで、思春期が近づいたために当時マゾヒズムより優位に立っていたサ
ディズムは新たに、そしてよりよく昇華されることになった。彼は軍隊に、その制服・武器・馬に、熱中し始
め、そのことによって、連続する白昼夢を養った。そのようにして彼は、ある男性の影響で受動的な態度から
抜け出て、当初かなり正常な軌道を歩んでいた。まもなく彼のもとを離れた教師への愛着の余波は、後の生活
でドイツ製のもの

(医師、施設、女性)を故郷のもの(父の身代わり)より好むという形で表れた。そこからは、施療中の転移
も多大の利益を引き出した。
  教師による宗教からの解放前の時期、ある夢が見られたが、それは施療のうちで浮上してくるまで忘れら
れていたので、ここで言及する。彼は馬にまたがって騎行していたが、巨大なイモムシに追われていた。彼は
その夢で、われわれがずいぶん前に解釈していた、教師と知り合う以前の時期のある夢が仄めかされているの
が分かった。このより以前の夢で彼は、黒装束で背を伸ぱした悪魔を見た。この姿勢はかつて狼やライオンの
姿勢として彼を大いに恐怖で震え上がらせていたものであった。悪魔は指を仲ばして巨大なカタツムリを指し
示した。まもなく分かったことだが、この悪魔は周知の詩作〔レールモントフ『悪魔』に出てくる魔物であり、
夢それ自体は、ある少女と愛の場面を紡ぐ悪魔を描いたよく知られたイメージの改作であった。カタツムリは
女の精妙な性的象徴として女の代わりをなしていた。魔物の指差す仕草に導かれて、まもなくわれわれは夢の
意味は次のようなものだと述べることができた。つまり、性の交わりの謎についてかつて父は原場面で最初の
教えを与えてくれたが、それについていまだ欠けている最後の教えを与えてくれる人物を彼は憧憬していると
いうことなのである。
  女性の象徴〔カタツムリ〕が男性の象徴〔イモムシ〕に置き換えられるより後の夢について、彼はその少
し前のある体験を想い出した。ある日彼は、田舎の領地で乗馬しているとき、眠っている農夫の脇を通り過ぎ
た。農夫のそばには年少の息子が寝転んでいた。この子は父を起こし何か言った。そうすると父は、騎行して
いる彼に毒づき追い回し始めた。そのため彼は、馬を急がせその場から離れた。それにさらに、同じ領地に
木々があり、それらはすっか
りイモムシに覆われて真っ白であった、という第二の想い出が加わる。息子が父の傍らで眠るという空想の現

化からも彼は逃げを打ち、胡桃の木に登っている白い狼たちが現れる不安夢を示唆するために白い木々を引き
寄せたという次第である。それゆえ、これは男性に対して女性的態度をとることに対する不安の直接的な勃発
だったのであり、この態度から彼は最初わが身を宗教的昇華によって護り、つづいてまもなく軍隊による昇華
によって一層効果的に護ろうとしたのである。
  しかし、強迫症状を放棄したら、それで強迫神経症の恒常的影響が何ら残らなかったと仮定するのは、大
きな間違いであろう。〔強迫神経症の影響が消えてゆく〕プロセスの途上、敬虔な信仰が批判的探究の宗教排
斥に対して勝利していたし、また同性愛的態度の抑圧がこのプロセスの前提となってもいた。この両方の要因
から結果したのは持続的な不利益であった。知的活動は、この最初の大々的な敗北以来、重大な損害を受けた
ままであった。学びへの意欲は成長せず、かつて五歳といういたいけな年齡で宗教の教えを批判的に解体した
あの鋭敏な洞察力も跡形なかった。あの不安夢の間に行われた過大な同性愛の抑圧は、この重要な〔同性愛
の〕蠢きを無意識のうちに取っておき、そのようにして元来の目標に向かう態度のもとに留め置いたままで、
さもなければ昇華に引き入れられるこの蠢きを、あらゆる昇華から引き離した。だから患者には、生活に内実
を与える社会的関心がことごとく欠如することになった。分析的施療によって同性愛のこの束縛の解消に成功
してはじめて、事態は改善に向かうことができた。そして――医師の惻から直接催促することはなかったの
に――解放された同性愛のりビートがいずれも生活の中で役立てられることを求め、人類共通の偉大な任務に
従おうとするのを、共に体験できたことは、大いに珍重すべきことであった。

Ⅶ 肛門性愛と去勢コンプレクス      

  読者にはどうか想い出してほしいのだが、私はこの幼児期神経症の既往歴を、より成熟した年齢になって
からの発症を分析する中でいわば副産物として手に入れたのであった。だから私はこの既往歴を、普通総合に
適しているよりもさらに小さなかけらをかき集めて組み立てざるをえなかった。これは普段はそれほど難しい
仕事ではないのだが、多次元の形象を記述平面に定着させねばならないとなると、当然のことながら限界が出
てくる。だから私としては、成分となる要素を提示することで甘んじざるをえず、読者にはそれらを接合して
生きた全体にして頂きたいと思う。描出された強迫神経症の発生土壌となったのは、何度も強調したように、
サディズムー肛門的体質であった。しかしこれまで話題にされたのは、一方の主要因であるサディズムとその
変化形態だけであった。肛門性愛については意図的に脇に置いてきたが、ここでまとめて取り戻すことにしよ
う。
  肛門性愛として一括される多様な欲動の蠢きには、性生活や心の活動一般の構成にとって、いくら評価し
てもしきれない並々ならぬ意義が帰属するという点で、分析家は久しく意見の一致を見ている。また、これを
源泉として変形された性愛の最も重要な表出の一つが金銭の取り扱いに存しているのであって、金銭というこ
の貴重な物質によって肛門域の産物である糞に元来向けられていた心的関心が引き寄せられたのだということ
に関しても、同様に意見は一致している。われわれは習慣的に、金銭への関心を、それがリピート的性質のも
のであって合理的なものでない限りにおいて、排泄快に還元し、正常な人間には、金銭との関係がりビートに
よる影響を全面的に免れて現実的な顧慮によって規制されるように求めてきた。

  われわれの患者にあっては、後期の発症の際、この関係がとてつもなくひどい支障をきたしていた。自立
性のなさや生活能力のなさは少なからずそのためであった。彼は父や叔父の遺産でたいそう裕福となり、裕福
として認められることを、これ見よがしに重要視し、その点で低く評価されると、ひどく気分を害したりした。
しかし、自分はどれだけ所有していて、いかほど支出し、残部はどれほどなのか、知らなかった。彼は吝嗇な
のか浪費家なのか、言うことは難しかった。彼の挙動は時々で変わり、一貫した意図が指摘できるようなやり
方を決してしなかった。もっと先で引き合いに出すっもりの若干の顕著な特徴からするなら、彼はこちこちの
成金に見えた。富に自分という人物の最大のメリットを認め、金銭的利害関心に比べるなら感情のそれなどま
るで眼中にない。他方彼は富によって他人を評価することはなく、むしろ多数の機会に謙虚で慈善的で同情的
な姿を示した。金銭はまさに彼の意識的な操縦の手を逃れており、彼にとって何か別物を意味するようになっ
た。
  すでに言及したように(四七頁〔本巻T八-一九頁〕)、その最後の数年には自分の最良の同志となって
いた姉を喪失したことについて、これでもう両親の遺産を姉と分かたなくともよくなった、と彼は考えこんで
わが身を慰めたのだが、私は彼のそうした質に大変危ういものを見出した。もしかしたら、彼がこのことを語
ったときの平然とした様子の方がもっと目に付いたかも知れない。それはまるで、こう語ると認めたことにな
る感情の粗暴さなど知ったこっちゃないといわんばかりの語り方だったのだ。分析は、姉をめぐる苦痛は単に
遷移されただけだということを示して、彼を社会復帰させたが、それだけに、金持ちになることで姉の喪失の
代償としようとしていたことはますます不可解となった。
  別のときの彼の挙動は、彼自身にも謎に思われた。父の死後、残された財産は彼と母とで分けられた。管
理はほ

が行い、彼自身認めるように、彼が金を要求すると、申し分ない気前よさで応じてくれた。にもかかわらず、
金銭問題について二人で話し合うと殼後にはきまって、母は彼を愛していない、彼に金をヶチろうとしている、
金を独り占めするために、彼が死んでくれれば一番良いと多分思っているのだろう、と彼の側からの極めて激
しい罵言雑言で締めくくられるのであった。そうすると母は、泣きながら自分の利益など考えていないと断言
した。彼はみずからを恥じ、母のことをそんな風には全然思っていないと本心から請け合うことができたのだ
が、それでも、次の機会になれば同じ場面が繰り返されると確信しているのであった。
  分析を受ける以前、糞が彼にとって長い間金銭の意味をもっていたことは、多くの偶発事から明らかであ
るが、私はそのうち二つをお伝えしたい。腸のせいでまだ苦しまされていなかったある時期、彼は大都市に貧
しい従兄弟を訪れたことがあった。そこから退去すると、この親戚を金銭的に援助しなかったと自分を責め、
その直後「もしかしたら人生最大の便通」を得た。二年後彼は実際、この従兄弟に年金を提供した。もう一つ
の事例。十八歳で大学入学資格試験の準備をしている頃、彼は同級生のもとを訪れ、試験に落ちるのではない
かという共通の不安からして得策と思われることを約束しあった。学校の用務員を買収することに決めたのだ
が、調達される金額のうち彼の拠出分が当然ながら最大であった。帰路彼は、通りさえするなら、試験で何ご
とも起こらないで済みさえするなら、もっと多くを出してもよいと考えたが、実際には、家の玄関に到着する
前に別の粗相が起こった。

   *29 ドイツ語では周知のように「落第 Durchfall」は下痢の意味でも用いられるが、患者の言うとこ
ろでは、彼の母語ではそういうことはない。

  とするなら、彼が後期の発症で――機縁は様々でそれに応じて程度も揺れるが――大変頑固な腸機能の障
碍に苦しんだと間いても、われわれはもはや驚かない。私の治療を受ける頃には、お付きの者にしてもらう浣
腸は習慣化していた。自発的な排便は、特定の側から突発的に刺激が与えられないと、数力月なかったりもし
た。刺激が与えられると、その後数日間、腸は正常な活動を回復することができた。彼の主訴は、世界がヴェ
ールにくるまれたとか、世界からヴェールによって隔てられた、というものであった。このヴェールは、浣腸
によって腸内容物が空になった瞬間だけは、引き裂かれ、その時には彼は再び健康になり正常になったと感じ
るのであった。
  腸の具合を診断してもらうために、患者をある医者のもとに送ったが、医者は事態を見抜き、腸の不具合
は機能性のものであるか、もしくは心的に条件付けられてさえいると述べて、投薬の介入は避けた。ちなみに、
投薬も処方された食餌療法も役には立たなかった。分析治療を受けている年月の間自発的な便通はなかった
(あの突発的影響が及ぼされたときは別にして)。言うことを間かない器官にこれ以上手を入れても具合を悪
化させるだけだと病者には納得させ、週に一、二度浣腸もしくは下剤で強制的な排便をすることで満足しても
らった。
  私は腸障碍を論ずるに当たって、幼年期神経症をテーマとする本論文のプランに見合った以上の紙幅を患
者の後期の病気状態に振り当てた。そうしたのは、二つの理由による。第一に、腸の症状構成はそもそも子供
の頃の神経症から後期の神経症に至るまでたいして変化することなく引き継がれていたからであり、第二に、
その症状構成は治療終了に当たって主役を務めることになったからである。
  強迫神経症を分析する医者にとって懐疑がいかなる意味をもっているかは、周知のことである。懐疑は病
者の最強の武器であり、その抵抗のお気に入りの手段である。この懐疑のおかげでわれわれの患者も敬意ある
無関心の陰に立てこもり、何年間も施療の努力を無効のままにさせておくことができた。何の変化もなく、彼
を説得するすべもなかった〔本巻七頁〕。やっとのことで私は腸障碍が私の意図に対してもつ意味を認識した。
腸障碍は、強迫神経症の根底にいつも必ず見出される、幾ばくかのヒステリーの代理となっていたのである。
私は患者に腸の働きを完璧に直してやると約束し、そうすることで彼に不信感をむき出させた。それから、腸
がヒステリーに触発された器官として分析作業に「囗を挟み」始め、数週間のうちに、かくも長期間侵害され
ていたその正常な機能を取り戻すと、彼の懐疑も消えるのを見て満足した。
  それでは患者の幼年時代に戻ろう。それは糞が彼にとって金銭の意味をもっていたはずのない時代である。

  腸障碍はずいぶん早くから彼に現れていた。なによりも、もっとも頻繁で子供にとって一番普通の障碍で
ある失禁がそうであった。しかし、この最初期の出来事に関しては病理的な説明を控え、それは、排泄機能に
結びついた快を邪魔されたり阻止されたくないという意図を証明するだけだとしても、大過ないだろう。肛門
がらみの機知や露悪趣味に対する強い愉悦は、普通ならいくつかの社会階層の自然な粗暴さに見合ったものだ
が、彼の場合後期の発症の開始時期を越えて保持されていた。
  イギリス人の女家庭教師がやってくると、彼とナーニャはこの憎い女と寝室を共にしなけれぱならないこ
とが何度もあった。そうすると訳知りのナーニャは、普段はもうなくなっていたのに、こうした夜に限って彼
がベッドに

   *30 この成句は患者の母語でも、ドイツ語と同じ意味である〔家に着く前に糞を漏らしてしまったと
いうこと〕。
   *31 浣腸の効果は、他人に面倒を見てもらおうが自分で行おうが、同じであった。

お漏らしをしてしまう、と言ってくれるのであった。彼はそれを恥とも何とも思わなかった。それは女家庭教
師に対する反抗の表現であった。
  一年後(四歳半のとき)の不安の時期、彼は日中ズボンを汚すことがあった。身体を洗ってもらうとき、
彼は、こんなんではもう生きていられない、とものすごく恥じ愁嘆した。したがって、この間に何かが変化し
ていた。彼の嘆きを追跡してゆくことでわれわれはこの何かの痕跡に行き当たった。明らかとなったのは、
「こんなんではもう生きていられない」というこの言葉を、彼は他の誰かに倣って言ったということである。
いつかあるとき、母が往診に来ていた医者を駅まで見送った際、彼を一緒に連れて行ったことがあった。この
道すがら母は自分の痛みと出血を嘆き、「こんなんではもう生きていられない」と、同じ言葉を吐き出した。
母としては、手を引かれた子供がこれを記憶に留めておくということは思いも寄らなかったろう〔本巻九頁〕。
ちなみに、後期の病気において何度も繰り返されることになるこの愁訴は、だから、同一化を意味してい
た――母との。
  時間的にも内容的にも欠けている、二つの出来事をつなぐ中間項がまもなく想い出に現れてきた。彼の不
安が始まったある時期、領地の近くで赤痢が発生したのを心配した母が、子供を赤痢から護るよう注意を命じ
たことがあった。赤痢って何と尋ねると、赤痢にかかると便に血が混じると間いて、彼はとてもこわくなり、
自分の便にも血があると言い立てた。赤痢で死ぬのではないかと恐れたが、検査を受けてそれは間違いであり、
何も恐れるに当たらないと納得させられた。この不安にも、医師との会話で自分の出血のことを語るのを耳に
した母との同一化が貫徹されようとしていることが分かる。後の同一化の試み(四歳半)の際には、彼は血に
は頓着しなくなっていた。彼はもうわけがわからず、自分を恥じているつもりだった。自分が死の不安に揺さ
ぶられていることが分からなかっ

たのである、ところが、死の不安は彼の愁訴のうちに明暸に漏らされていた。
  下腹部を病んでいた母は当時総じて自分と子供たちのことを案じ、不安に感じていた。彼の不安な心配が
彼自身の動機以外にも母との同一化に支えられていた蓋然性はとても高い。
  だとしたら、母との同一化は何を意味するというのか。
  三歳半時の失禁の悪用と四歳半時の失禁への恐怖との間には、不安の時期を開始させた夢が挟まっている。
この夢のおかげで彼は、一歳半のとき体験した場面を事後的に理解し、性行為のときの女性の役割を明らかに
することができた。排便に対する彼の振舞いの変化も、この大革新と関連づけられて当然であろう。赤痢とは
どうやら彼にとっては、母がそれにかかったら生きていけないと嘆いていた病気の名前であるらしかった。彼
にしてみるなら、母は下腹部ではなく腸の病気であった。原場面の影響もあり、母は、父が母に対して企てた
ことのために、病気になったというつながりが彼には見えてきた。そして、便に血が混じり、母と同じように
病気になったのではないかという不安が意味したのは、あの性的場面で母と同一化することは願い下げだとい
うことであった。夢から目覚めさせたあの拒否とこれは同じ拒否であった。だが不安はまた、彼が後に原場面
を加工する際に母の立場に身を置き、父とこうした関係を結んでいるとして、母を妬んでいたことの証明でも
あった。女との同一化を表し、男に対する

   *32 それがいつかははっきりとは突き止められなかった。いずれにせよ、四歳の不安夢の前、おそら
くは両親が旅に出る以前のことであろう。
   *33 上述の七二頁〔本巻四四頁〕を見よ。
   *34 そう推論する際、彼はおそらく間違ってなどいなかった。

受動的な同性愛的態度を表すことができる器官は肛門域であった。この帯域の機能障碍は女性的な情愛の蠢き
を意味するようになっていたのであり、それは後期の発症においても保持されたのである。
  ここでわれわれはある異論に耳を傾けなければならない。これを議論することで、一見混乱した事態を大
いに明確にすることができるだろう。女は去勢されて、男性器の変わりに、性交渉に役立つ傷〔本巻二〇頁〕
をもつようになったのであり、去勢は女性性の条件であると、彼は夢の出来事の最中に理解するようになり、
この喪失の脅しのために男に対する女性的な態度を抑圧し、同性愛への熱狂から不安によって目が覚めた――
われわれとしてはこのように仮定せざるを得なかった。性交渉のこうした理解やヴァギナの承認がどうして、
よりにもよって腸によって女と同一化するということと折り合いが付くだろうか。腸の症状とは、おそらくよ
り以前の、去勢不安とは真っ向から矛盾する見解に、すなわち、腸の出口が性交渉の場所であるという見解に、
もとづくものではないだろうか。
  確かにこの矛盾は存在するし、双方の見解はまったく折り合いが付かない。ただ問題は、折り合いが付く
必要があるかどうかということである。われわれが奇異の念を抱くのは、無意識の心の出来事を意識的な出来
事と同様に扱い、双方の心的系の根深い相違のことを忘れがちだからである。
  クリスマスに夢でかき立てられていた期待が彼に、かつて観察した(あるいは構築した)両親の性的交わ
りのイメージを目の当たりにするような思いにさせたとき、最初は確かに、男根を受け入れる女性の身体個所
は腸の出口であるという旧見解が出てきたことだろう。一歳半でこの場面の目撃者となったとき、彼にはこれ
以外に何か別のことを信じることができただろうか。だがいまや、四歳になって新たなことが生起した。去勢
について仄めかされてきた、兼ねてからの経験が目覚めて、「排泄孔理論」に疑いを投げかけ、彼に性の違い
や女性の性的役割について

認識を与えてくれた、その際の彼の挙動は、一般に――性的あるいはそれ以外の事柄について――思いがけな
い説明が与えられる子供のようであった。彼は新たなものを――いまの場合には去勢不安という動機から――
棄却し、古いものにしがみついた。ヴァギナを捨てて腸の選択を決意したが、それはのちに神に反対し父の味
方をしたのと同じやり囗であり、同じような動機にもとづいてであった。新たな説明は排斥され、旧理論が堅
持された。旧理論は、腸のために死ぬのではないかという不安となって後に現れる女性との同一化や、キリス
トには尻があったのか等々という最初の宗教的逡巡のための素材を与えてくれたかもしれない。それはなにも、
新たな知見に効果がないままであったということではない。まったく反対であって、新たな知見は並はずれて
強力な効果を繰り広げたのである。というのも、それは、夢の出来事全体を抑圧されたままに維持して後に意
識的な加工がされないようにする動機となったからである。しかしその効果はそこまでであった。性的問題に
関する意思決定には、それは何ら影響を及ぼさなかった。むろん、腸を介した女との同一化に並んで去勢不安
がそれ以降も存続できたというのは矛盾であったが、単に論理的矛盾に過ぎず、それにはたいした意味はない。
この過程全体はむしろ、無意識の働き方に特徴的なものである。抑圧は棄却とは別ものである。
  狼恐怖症の生成を研究したときには、われわれは性行為に関する新たな洞察の影響を追跡した。腸の働き
の障碍を調査する今は、古い排泄孔理論の地盤に立っている。両者の立場は抑圧の段階によって互いに分け隔
てられている。抑圧の行為によって排斥された、男性への女性的態度は、いわば腸の症状構成に引き返し、子
供時代の下痢

   *35 あるいは、彼が犬の性交を理解できなかった限り。

便秘・腸痛の頻出となって現れる。正しい性的認識を土合に組み上げられる後の性的空想はそのため、退行的
な形で腸障碍として現れてくることができる。だが、最初期幼児期以来の糞の意味の変遷を露わにするまでは、
われわれはこの性的空想を理解できない。
  先にある個所で〔本巻三六頁〕私は、原場面の内容のうち一ヵ所が述べられずに留められている旨示して
いたが、それをいまとなれば補充できる。子供は最後に両親の同衾を、排便のせいで叫び声をあげたらしく、
中断させたのである。この追加部分を批判しようとするなら、それには、私が以前同じ場面のその他の内容に
ついて議論したことがすべて該当する。患者は私が構築したこの終幕を受け入れた。「一過性の症状形成」
〔本巻三九頁〕はその確証のようであった。私はさらにもう一つ、父は邪魔されたのに不満で、悪態をついて
怒りを発散したと、追加の提案をしたが、これは破棄されざるを得なかった。分析の素材はそれに反応しなか
った。
  私がいま追加した細部はむろん、場面のその他の内容と同列におかれるわけにはゆかない。この細部で問
題となるのは、のち多数の徴しがあればその回帰が期待される外部からの印象なのではなく、その子固有の反
応である。この感情表明が当時なされなかったとしても、あるいはのちになってから場面の出来事のうちに組
み込まれたのだとしても、物語の全体は何も変わらないであろう。しかしこの感情表明をどう理解するかは疑
いない。それは(最広義の)肛門域の興奮を意味する。似たような類いの他の事例では、性的交わりのそうし
た観察は排尿で締めくくられた。成人男性なら事情が同じ場合、勃起を自覚するだろう。私たちの男の子が性
的興奮の徴しとして排便を行うというのは、生来の性的体質の性格として判断されねばなるまい。彼はすぐさ
ま受け身の態度を取り、男性とよりも女性との後の同一化への傾向を見せるのである。

  彼はその際、腸内容物を他のあらゆる子供と同じく、その最初の元々の意味のものとして利用する。糞は
子供からの最初のプレゼント、最初の情愛の供物であり、自分の身体の一部である。それを放出するのも、ひ
とえに自分の愛する人のためである。三歳半のときの女家庭教師に対するように、反抗のために利用するのは、
このより早期のプレゼントの意味の消極的ヴァージョンにすぎない。押し込み強盗が犯行現場に残す《糞塚》
は二つのことを意味するように思われる。嘲笑と、退行的に表現された陳謝である。より高次の段階に到達し
たときにはいつも、前段階は消極的な貶められた意味で利用に供されることになる。抑圧は対立した逆の意味
で表現されるのだ。
  性的成長の後の段階となると糞は子供の意味となる。子供は大便のように尻の穴から生まれてくるのだ。
糞がプレゼントの意味を持つためにこの変換は容易となる。子供は言語使用の上では「プレゼント」として言
い表される。男性に「子供をプレゼントした」という言い方が女性についてかなり頻繁になされるが、しかし
無意識の言葉遣い

   *36 「欲望変転、特に肛門性愛の欲望変転について」(GW-X)〔本巻所収〕参照。
   *37 乳児は自分が知り愛している人だけを排泄物で汚すものだということは、簡単に確かめられると
思う。見も知らない人がこの栄誉に浴することはないのである。『性理論のための三篇』〔本全集第六巻〕で
私は、腸粘膜を自体性愛的に刺激するために糞は一等最初に利用されると言及した。それからの進展として、
子供の排便にとって鍵を握ることになるのは、排便の際自分の〔面倒を見てくれ、自分の関心の〕対象となる
人物を子供が好ましく思い、言うことを聞く気になれるかどうかということである。この関係はその後も続い
てゆく。というのは、子供はもっと年がいっても特定のひいきの人によってしか便座に座らせてもらわないし、
放尿の手伝いをさせないからである。その場合にはしかし、他の満足の意図も考慮されよう。

   *38 無意識には周知のように「ノー」は存在しない。対立は無意味となる。否定は抑圧の過程ではじ
めて導入される。

では正当にも、女性が男性から子供をプレゼントとして「受け取った〔身ごもった〕」という、この関係の別
側面にも同様に配慮されている。
  糞の金銭としての意味は、プレゼントの意味から別方向に分岐してゆく。
  クりスマスにたっぷりプレゼントをもらえなかったので、最初の癇癪の発作を起こしたという、われわれ
の病者の初期の遮蔽想起は今やそのより深い意味をさらけ出す。彼が手に入れられずにいらだっていたのは、
肛門との関連でとらえていた性的満足だった。彼は性的探求によって夢以前の段階で、小さな子供の到来の謎
を解くのは性行為であることを受け入れる準備を整えていたし、夢の出来事の最中には、同じことを理解して
いた。夢以前すでに彼は小さな子供を好んでいなかった。あるとき、巣から落ちた、まだ毛の生えていないひ
な鳥を見つけ、小さな人間だと思って、怖じ気づいたこともあった。彼が癇癪を爆発させたイモムシや昆虫な
ど、あらゆる小動物は彼にとっては小さな子供の意味を持っていたことが、分析によって証明された。姉との
関係が機縁となって、年長と年少の子供の関係について彼は大いに考えさせられていた。彼が末っ子だから母
親は彼がかわいくてしょうがないのだ、とナーニャがあるとき言ったときには、自分のあとにもっと年下の子
が続かないようにと欲するもっともな動機を得ていた。この末っ子に対する不安はその後、両親の交わりを見
せてくれた夢の影響で、改めて活気づいた。
  それでは、すでに知られている性的潮流に新たな潮流を追加することにしよう。この潮流も他のもの同様、
夢で再現された原場面に発するものである。女性(母親)との同一化のせいで、彼は父親に子供を贈る準備が
できているが、すでにそれを実行し、もしかしたらこれからもそうするかもしれない母親に嫉妬している。
  プレゼントの意味を結果として共通に持つことになったため、金銭は子供の意味を引き寄せ、そのように
して女
性的(同性愛的)な満足の表現を引き受けることができる。この出来事は我々の患者の場合、姉弟がドイツの
サナトリウムに滞在していた際、あるとき父が姉に二枚の大札紙幣を与えるのを目にしたときに生じた。彼は
空想ではいつも父と姉の関係を勘ぐっていた。このときには彼の嫉妬が目覚め、二人きりになると姉にくって
かかり、自分もお金をもらえるはずだと猛烈に姉を非難したため、姉は泣きながらお金を全部投げてよこした。
彼を刺激していたのは、現物のお金だけではない。父による肛門の性的満足〔の結果〕である子供の方によっ
ぼど刺激されていた。この満足があったから、姉が――父の存命のとき――死んでも〔本巻一八-一九頁、七
六頁〕、彼は我が身を慰めることができたのだ。姉が死んだことを聞いたときの、彼の不届き千万な想念が本
来意味していたのは、これで自分だけが唯一の子供であって、父は自分だけをいとおしく思うに違いないとい
うことである。だが、この算段を意識化するのは十分可能だとしても、その背後にある同性愛はとても堪え難
いものだったので、この算段を汚らわしい物欲に偽装した方がよっぼど気が楽だと感じられたのであろう。
  父の死後、母を相手に、自分の金をちょろまかそうとしている、自分より金を愛しているのだと理不尽な
非難をしたときも同じことであった〔本巻七六ー七七頁〕。母は自分とは別の子供を愛しているという昔から
の嫉妬、自分の後にも別の子供を欲しているという可能性が、彼に難癖を強いらせたのであったが、それがい
われもないことは彼自身わかっていた。
  糞の意味に関するこの分析を通してわれわれに明らかになったことといえば、神を糞と結びつけずにおか
なかっ

   *39 夢や恐怖症でしばしば小さな子供の代わりをなす害虫も同様である。

た強迫的思念が、彼が思っていた侮辱とは違うことを意味していたということであった。それらの強迫的思念
はむしろ、正真正銘の妥協の産物であって、それには情愛豊かな献身的潮流も、敵愾的で侮蔑的な潮流ととも
に参与していたのである。「神-糞」とはおそらく、人々の生活のなかでもとのままでも耳にしている恭順の
念の短縮形なのである。「神様に糞をひねる」とか「神様糞くらえ」というのは、神に子供を贈る、神から子
供を授かるということでもある。消極的に貶められた昔からのプレゼントの意味や、そののちそれから発展し
てきた子供の意味が強迫的な言辞のうちで一つにされている。子供の意味には女性的な情愛が、つまり、女と
して愛してくれるならその代わり自分の男性性はあきらめるという覚悟が、表現されている。そこからまさに、
パラノイアを病んだ控訴院議長シュレーバーの妄想体系において誤解の余地のない言葉で発言される、神に対
するあの心の蠢きが出てくる。
  私の患者の症状の最終的な解消をのちに報告する段になると、腸の障碍が同性愛の潮流に仕えており、父
に対する女性的態度を表現していたことがもう一度示されることになるだろう。しかしここでは、糞の新たな
意味が去勢コンプレクスを論ずる道を切り開いてくれるはずである。
  糞の柱は性源的な腸の粘膜を刺激することによって、この粘膜に能動的に働きかける器官の役割を果たす
が、その挙動はヴァギナの粘膜に対するペニスのようなもので、排泄孔時代においていわばペニスの先駆とな
る。他の人物(への愛)のために糞を提供するというのは、それはそれで去勢の見本となる。それは自分の体
の一部分を断念して、愛する他者の寵愛を得ようとする最初の事例である。だから、普段はナルシス的である
自分のペニスに対する愛は、肛門性愛からの寄与を受けていないわけではない。こうして、糞・子供・ペニス
は一つの統一体をなし、ある無意識的な概念――言わせてもらうなら――肉体から分離可能な小さなものの慨
念をなす。こうした結合の道を

辿って、病理学的に重要なリビード備給の遷移と強化が遂行され、それは分析によって発見されることになる。

  去勢問題に対してわれわれの患者が最初どのような姿勢を取ったかはわかっている。彼は去勢を棄却し、
尻の穴による交接の立場にとどまり続けた。彼は去勢を棄却したと私が述べたとき、この表現のさしあたりの
意味は、抑圧の意味であって、去勢など知らないということである。これによっては本来去勢の存在について
は何も判断されていなかったが、しかし、去勢は存在しないも同然の態度を彼は示していた。この態度はしか
し、最終的なものであり続けることができなかった。幼年期神経症の時代ですら、そうであった。後になると、
去勢を事実として彼が認定していた証拠がたっぷり見つかる。彼の挙動はこの点でも彼の気質に特徴的なもの
であったが、だからわれわれには彼に感情移入し叙述するのがとてつもなく困難となるのだ。彼は最初反抗し
それから譲歩したが、一方の反応は他方の反応によって廃棄されたわけではなかった。最後には二つの対立す
る潮流が彼には併存し、その一方は去勢を唾棄したが、他方は去勢を受け入れ、女性性をその代替とすること
ですすんでみずからを慰めようとした。去勢を端的に棄却し、去勢の現実性に関する判断がまだ問題となって
いなかった、第三の、最古で最深の潮流も確かにまだ活動を再開可能であった。私はまさにこの患者について
別の個所で、四歳時のある幻覚のことを語ったが、

   *40 「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察〔シユレーバー〕」(GW-
VIII)〔本全集第十一巻〕を見よ。
   *41 子供は糞を全面的にこの一部分として扱う。
   *42 「分析作業中の誤った再認(「すでに話した」)について」(Internationale Zeitschrift
fur arztliche Psychoanalyse, II, 1914)(GW-X)〔本全集第十三巻〕。

ここでは〔幻覚を載せ〕それに短いコメントを加えるだけにしたい。
  「五歳のとき私は、庭の子守女のそばで遊んでいて、私の夢でもある重要な役割を果たしている例の胡桃
の木の一本の皮に、ポケットナイフで切り込みを入れていました。突然私は、(右手だったか左手だったか
の)小指が切断されて、かろうじて皮一枚でぶら下がっているのに気づき、言いようのない驚愕に襲われまし
た。痛みはまったくありませんでしたが、とてつもなく不安な気持ちがしました。わずか数歩しか離れていな
い子守女に声をかけることもできず、すぐわきのベンチに崩れ落ちて、あの切れた指に目を注ぐこともできな
いまま、そこにじっと座っていました。ようやく落ち着きを取り戻すと、指に目を向けてみましたが、はたせ
るかな、指は無傷のままだったのです」。
  四歳半のとき聖なる物語を聞いて彼の思考は猛烈に働き始め、結果的に強迫的信心に行き着いたことをわ
れわれは知っている。だから、この幻覚は彼が意を決して去勢の現実性を認定した時期のことであり、もしか
したらまさにこの認定の一歩を印づけるものであろう、と仮定してよい。患者のちょっとした訂正も興味を惹
かないことはない。タッソーが『エルサレム解放』で主人公タンクレーディについて報告しているのと同じ身
震いすべき体験を幻覚として視ているのだから、われわれの小さな患者にとっても木は女を意味すると解釈し
ても、問題ないだろう。してみると彼はその際、父の役を演じ、自分も知っている母の出血を、女性の去勢の
認識と、つまり「傷」の認識と関連づけたのである。
  切断された指の幻覚を刺激したのは、彼が後に報告したところでは、六本の足指を持って生まれたある親
戚の女性がこの余分な指の一本を生まれてすぐに斧で切り落とされたと、話に聞いたからであった。だから女
性には、生

まれたときに除去されたから、ペニスがなかった、このようにして彼は、夢の出来事の最中にすでに知ってい
たが、そのときは抑圧して撥ね付けていた事柄を、強迫神経症の時期になって受け入れたのである。キリスト
の儀式的な割礼についても、一般的なユダヤ人の割礼と同様、聖なる物語を読んだりそれについて話を交わし
たりしていたのだから、彼は知らないわけがなかった。
  父が去勢の脅しを発するあの驚愕すべき人物となったのがこの時期であることは、全く疑えない。当時彼
が格闘していた残酷な神、人間に責めを負わせては罰し、自分の息子と人間の息子たちを犠牲に供する神、こ
の神はその性格を父に投げ返した。それでいながら、彼は他方で父をこの神から護ろうともしていた。この点
で少年は、系統発生の図式を成就せずにおかない。たとえ自分の個人的な体験が一致しなくとも、彼はそれを
実現するのである。彼が経験していた去勢の脅しや仄めかしはむしろ女性たちからやってきていたが、最終的
な顛末が長期間阻止されることはありえなかった。自分を去勢するのではないかと恐れた相手は、最終的には
やはり父であった。この点で

   *43 「夢における童話の題材」(Internationale Zeitschrift fur arztliche


Psychoanalyse, I, 2[1913]) (GW-X)〔本全集第十三巻。本論文Ⅳ節の最初に載せられている夢のこと〕。

  水 44 あとで物語ってもらった際の修正はこうなっている。「私は、じっさいに木に切りつけていたので
はなかったと思いま
   す。これはじつは、とある木にナイフで刻みを入れたところ、その木から血が流れ出してきた、という
幻覚も混ざり込ん
   だある別の想い出とごちゃまぜになっています」。
  *45 ナーニャがそれに該当することをわれわれは知っているし、さらにもう一人の女性のことも聞き知
ることになるだろう
   〔本巻九七頁〕。

は遺伝が偶発的な体験に勝利したのであり、人類の先史時代に去勢を罰として執行し、その後割礼に緩和した
のは確かに父であったのだ。強迫神経症のプロセスが進行するにつれても彼はますます官能を抑圧するように
なったが、官能の活動の本来の代弁者である父にそうした邪悪な意図を帰すのは、彼にしてみるならそれだけ
いっそう自然なことであったに違いない。
 父と去勢者の同一化は、父に対する、死の欲望にまで嵩じる強烈な無意識的敵愾心とそれへの反動である罪
責感情との源泉であり、重大な意義をもつようになった。その限りでは彼の挙措は正常なものであった、つま
り、表のエディプスコンプレクスに取り付かれたいずれの神経症者とも同じである。奇妙なことはその後にあ
った。この表エディプスコンプレクスに対しても彼の場合、対抗潮流が存在し、そこでは父はむしろ去勢され
たものであり、そういう者として彼の同情を誘ったのである。
 不具者や物乞いなどを目にした際の呼吸の儀礼を分析したとき、私は、この症状ももとをただせば父に遡る
のであって、施設を見舞うと病人となっていた父に彼は心痛めていたことを示すことができた〔本巻六九-七
〇頁〕。分析はこの糸をさらに遡って追跡することを可能にした。ずいぶん早い時期、おそらく誘惑(三歳三
ヵ月)よりも前に、領地には、水を家に運ぶ貧しい目雇いがいた。彼は舌が切り取られたとかで、話すことが
できなかった。多分、ろうあ者だったのだろう。小さな男の子はこの男がたいそう好きで、心から気の毒に思
っていた。彼が死ぬとこの子は天に彼を捜した。だから、その男が彼の同情した最初の不具者であった。分析
で明らかになったつながりや順列からして、疑いなく父の代替であった。
  分析してゆくと、この男に引き続いて、彼が好いていたほかの奉公人たちの想い出が出てきた。これらの
奉公人

も病気がちであったりユダヤ人(割礼!)であった、と彼は強調した。四筬半のときの粗相の際〔本巻八〇
頁〕、彼が体を洗うのを手伝ってくれた召使いも肺病病みのユダヤ人で、彼の同情をかっていた。こうした人
物は皆、サナトリウムに父を見舞う以前の時期に、つまり、気の毒に思われた者たちとの同一化を息吐きによ
って逆に遠ざけておこうとする症状形成以前の時期に、登場する。それから分析は、ある夢に引き続いて突然
大昔に方向転換して遡り、彼は、原場面の性交の際ペニスが消え去るのを観察したために父に同情し、失われ
たと思ったものが再び現れたのを見て喜んだと主張した。これはだから、またしてもこの場面から発している
新たな感情の蠢きである。ちなみに、同情がナルシス的起源を持つことは、同情という言葉自身からして明ら
かであるが、ここではまったく誤解の余地がない。

Ⅷ 原初時代からの補足-解決       

  多くの分析は、終わりに近づくと、それまでは入念に隠されていた新たな想い出の素材が突然浮かび上が
ってく

   *46 その典拠として九九頁〔本巻七〇-七一頁〕を参照。
   *47 彼の後期の病苦の最も痛ましくまた最もグロテスクな症状として、衣服を注文していた仕立
屋――どの仕立屋であれ――との関係があった。この高位な〔とみなされた〕人物に対する敬意や内気、法外
なチップでこの人物に取り入ろうとする試み、そして、結果がどうなろうと、自分のなしたことに対する絶望
感といったところが、その症状である。
  *48 この関連で、不安夢よりは後であるが、まだ最初の領地にいたときに生じた、性交場面を天体間の
出来事として表した夢があったことを述べておく。

るという具合に進行する。もしくは、口立たない言明が、どうでもいい余計なものであるといった無関心な調
子で一度は投げ出されながら、もう一度この言明に戻って何かが付け加えられ、この何かに医師はすでに間き
耳を立てているが、最後にはその軽視された――かけらの想い出が、病者の神経症が包み隠していた最重要の
秘密を解く鍵となることが認識される。
  早くから私の患者は、悪さをすると決まって不安が出現した時期のある想い出を語ってくれた。彼は大き
な羽の先端がギザギザに尖っている、黄色い縞模様の美しい大きな蝶を追っていた――だから追っていたのは
キアゲハである〔本巻一⑫頁〕。蝶が花にとまると、突然彼はこの動物に対してぞっとするような不安にとら
われ、叫びながら走って逃げた。
  この想い出は分析の間ときおり回帰してきたが、説明しようにも長いこと説明がつかなかった。けれども、
このような些細なことが記憶に場を占めたのはそれ自身のためではなく、遮蔽想起として、それが何らかの形
で結びついている何か重要なことを代弁するためだということは、はじめから想定できた。ある口彼は言った、
蝶というのは彼の母語では、バブーシュカ、つまりおばあさんだ。一般に彼には、蝶は女性や少女で、カブト
ムシやイモムシは少年のように思えていた、と。してみるなら、あの不安の場面では誰か女の人の想い出が呼
び覚まされていたに違いなかった。黙秘しておくつもりはないが、私はそのとき、蝶の黄色い縞が、女性の身
につける衣服の似たようなストライプを想い起こさせた可能性を打診した。こう述べるのはただ、投げかけら
れた疑問を解決するために医師が行う推理が通例いかに貧弱であるか、だから、分析結果を医師の空想や暗示
のせいにするのはいかに不当であるかを、一つの例で示すためにすぎない。

  全く別のつながりで、何力月もしてから患者は、蝶がとまっているときの羽の開閉が彼には不気味な印象
を与えていた、と述べた。それは婦人が脚を開くみたいで、そうすると脚の形はローマ数字のVとなる。周知
のように、これは、すでに少年時代、しかしいまでも、彼の気分がいつも陰鬱となり始める時刻であった〔本
巻三五頁〕。
  これは私には思いもよらない思い付きであったが、このことのうちで暴かれた連想経過は極めて幼児的な
性格を持っていることを考慮して、この思い付きの価値を評価できるようになった。私自身よく目にしたよう
に、子供とは静止した形態よりもはるかに運動によってその注意力を惹き付けられ、運動の類似性をもとに頻
繁にその連想を組み上げるものだが、われわれ成人の方はそうした連想を蔑ろにしたり中断してしまう。
  それでこの小問題は、再び長期間未決定となった。さらに、蝶の羽の、尖っているか棒状である先端は性
器の象徴としての意味を持ち得たであろう、との安直な推測も述べておきたい。
  ある日おずおずとはっきりしない形で、ある種の想い出が浮上してきた。ずいぶん初期のことだが、子守
女が来る前にも、子守の少女がいたはずで、この子は彼をずいぶんかわいがってくれたというのである。彼女
は母と同名であった。彼も彼女の情愛に応えたのは確かであった。してみれば、これが彼の消失した初恋なの
だ。しかし、後に重要性を持った何かがそのときに生じたに違いないということで、われわれは意見の一致を
見た。
  それから彼は、別のときに想い出を訂正した。彼女の名前は母と同じではありえない、これは自分の間違
いであった。この間違いは当然、彼女が想い出の中で母と合流していたことを証していた。彼女の正しい名前
を、彼もある迂路を経て思い付いた。彼は突然、最初の領地にある、収穫された果物の貯蔵倉のことを考えず
にいられなくなり、また、とびきり美味な特定種の梨のことを、皮に黄色の縞がある大きな梨のことを考えず
にいられなくなった

というのだ。梨は彼の母語ではグルーシャといい、これが子守の少女の名前であった。
  こうして、蝶狩りの遮蔽想起の背後には子守の少女の記憶が隠れていたことが明らかとなった。黄色い縞
は彼女の衣服にあったのではなく、彼女と同じ呼び名の梨の衣服にあった。だが、彼女への想起が活性化する
際の不安はどこから来たのか。さしあたりざっと推理してみるなら、彼が小さな子供の頃この少女のもとで最
初に見たのが、彼自身ローマ数字のVの記号によって固着させていた脚の動きであった、そしてそれは性器へ
の通路となる動きであるというところだろう。われわれはしかし、この推理は差し控え、さらなる素材に期待
した。
  そうするとすぐにも、ある場面の想い出がやってきた。不完全な想い出であったが、保存されている限り
では、はっきりしていた。グルーシャは床に這いつくばり、その脇にはバケツと、木の細枝を束ねた短い箒が
あった。彼はそばにいたが、彼女は彼をからかうか、ののしっていた。
  想い出に欠けていたものは、別方面から筒単に取り入れることができた。施療の最初の数カ月間に彼は、
ある農民の娘に強迫的に恋着したことがあり、それが十八歳のとき自分の後期の発症に機縁となった、と語っ
ていた。当時彼は、娘の名前を告げることに、とても目立つやり方で抗っていた。それはまったく突出した抵
抗であった。それ以外では、彼は分析の根本規則に留保なしに従っていた。しかし彼は、その名前は百姓臭さ
満点だから、恥ずかしくて囗に出せない、と言い張った。もう少し身分の高い娘ならそんな名前を付けられな
いだろう。やっとのことで聞き出した名前は、マトローナであった。それには母の響きがある。恥ずかしいと
いうのは明らかに場違いである。自分のこうした恋着がもっぱら最底辺の娘相手のものだったという事実それ
自体を恥じているわけではなかった。ただ名前だけを恥じていた。マトローナとのアヴァンチュールがグルー
シヤの場面と何か共通していたのなら、

恥ずかしい気持ちはグルーシャとのこの初期の一件にも置き入れるべきだろう。
  別のときには、自分は〔焚刑に処された宗教改革者〕ヤン・フスの物語を聞いて、大変心動かされた、自
分の注意力はその火刑場に寄せ集められた柴の束に釘付けになった、と彼は語っていた。フスヘの共感はある
特定の疑惑を呼び覚ます。この共感を私は若い患者たちによく見いだし、いつも同じやり方で説明付けること
ができた。患者の一人はフスの運命を劇に加工してさえいた。彼はその劇を、隠密にしていた恋着の対象が彼
から離れていった日に書き始めた。フスは火に焼かれて死ぬが、同じ条件を成就した他の者たちと同じく、か
つて遺尿症を病んだ者たちの英雄となった。フスの火刑場の柴の束を私の患者は自分で、子守娘の箒(細枝の
束)と関連づけた。
  こうした素材は無理なくまとまり、グルーシャとの場面の想い出の欠落を埋めてくれた。グルーシャが床
の水掃除をするのを眺めていたとき、彼は部屋に放尿した。そうすると彼女は冗談めかしながら去勢の脅しを
囗にした。
  どうしてこの初期幼児期のエピソードをこんなに詳しく伝えたのか、読者がその理由をすでに推し量るこ
とができているのか、私にはわからない。このエピソードは原場面と、彼の運命にとって決定的なものとなっ
た後の愛の

   *49 たいそう奇妙なことだが、羞恥という反応は不如意な(昼と夜の)放尿と緊密に結びついてはい
るが、予想されるように、大使の失禁とは同様の結びつきを示してはいない。経験上、この点に関してはいか
なる疑いもない。尿の失禁と火とのお定まりの関係もいろいろ考えさせてくれるものである。こうした反応や
つながりには人類の文化史の沈殿物が存している可能性がある。この沈殿物とは、神話や民話にその痕跡が保
存されているものすべてよりも、さらに深部にまで及ぶものである。
   *50 このエピソードはおおよそ、二歳半の時期、言うところの性交の観察と誘惑との間のものである。

強迫{本巻四〇-四}頁〕との間に重要な結合を打ち立てるとともに、そのうえ、この強迫を解明するある愛
の条件を導入するものである。
  少女が這いつくばって、床の水洗いに取りかかり、ひざまずきながら臀部を突き出し、背を水平にしてい
るのを見たとき、彼は彼女に、性交場面で母が取っていた姿勢を再び見いだしたのであった。少女は母となり、
あのイメージの活性化の結果、性的興奮が彼を虜にし、彼は少女に対して男として、父のような挙動に出た。
父の行動を彼は当時、単に放尿としか理解できなかったのである。床に放尿するというのは本来誘惑の試みで
あり、少女はそれに、わかったといわんばかりに去勢の脅しで応えたのであった。
  原場面に発する強迫はグルーシヤとのこの場面に転移し、そのあとも作用を及ぼした。しかし愛の条件は
変化し、これは第二の場面の影響を証している。愛の条件は女の態勢からその態勢における女の行いへと転移
した。このことは例えば、マトローナとの体験で明白になった。彼は、(後の)領地〔本巻一⑫頁〕に属して
いる村を散歩していたが、池のほとりで農民の娘がひざまずいて、池で洗濯物を洗っているのを見た。彼はた
ちまちこの洗濯女に、まだ全然顔も見えないのに、抗しがたい激しさで恋着した。彼女は体位と行いによって
グルーシャの代わりとなっていたのだ。グルーシャとの場面の内容に向けられていた羞恥がマトローナの名前
と結びつくことができたのはどうしてなのかが、こうして理解できる。
  グルーシャとの場面の強制的な影響をもっと判明に示しているのは、〔マトローナとの一件の〕数年前の
別の発作的恋着である。彼の家で奉公していた若い農民の娘を彼はずいぶん前から気に入っていたが、その子
に近付かないよう自制していた。ある囗部屋に一人でいる彼女と会うと、恋着の気持ちの虜となってしまった。
彼が見た彼女は床

に這いつくばり、バケツと箒をそばにし、洗浄に精を出していた。だから、彼の幼年期の少女とまったく同じ
だったわけだ。
  彼の人生に大変重要な意味を持つことになった最終的な対象選択ですら、ここでは述べることのできない
そのより詳細な事情を見れぱ、同じ愛の条件に依存しており、原場面から出発しグルーシヤとの場面を経て彼
の愛の選択を支配した強迫の成れの果てであることがわかる。私は上で、愛の対象を貶めようとする患者の奮
闘はよく承知していると、記した。これは、彼に優越した姉の圧力に対する反動に帰せられよう。しかしその
とき私は、この専横的な性質の動機(四六頁{本巻}八頁〕)が唯一の規定的動機なのではなく、純粋に性愛
的な動機によるより深い決定を隠匿していることを示すと、約束した。床を洗う子守女はその態勢からして貶
められているが、この少女の想い出はその深層の動機付けを前面に出した。後の愛の対象はすべて、偶然の情
況のために母の最初の代替となっていたこの一人の女性の代替人物であった。蝶に対する不安の問題に関する
患者の最初の思い付きは事後的に、原場面へのはるかな当てこすり(五時)として認識される。グルーシヤと
の場面が去勢の脅しと関係することは、彼もことさら意味深長な夢によって確認した。この夢を彼はみずから
翻訳することもできた。彼は言った、ある男がエスペから羽をむしり取る夢を見た、と。エスペだって、と私
は尋ねずにいられなかった、それはどういうこと?-そう、体に黄色い縞があって、剌すかもしれない昆虫だ
よ。これはグルーシャ、つまり黄色の縞の梨をあてこすったものに違いない。――じや、ヴェスペ〔スズメバ
チ〕のことを言ってるんだね、と私は訂正することができた。――ヴェ

   *51 夢以前のことである!

スペというの? てっきりエスペというのだと思っていた。(彼は他の多くの人と同様に、自分の外国語使用
を逆手に取って、症状行為の遮蔽のために利用していた。)でも、エスペは僕、S・P(彼の名前のイニシャ
ル)のことだよね。エスペ〔Espe〕はむろん毀損したヴェスペ〔Wespe〕である。夢が明快に語っているのは、
彼がグルーシャの去勢の脅しに復讐しているということである。
  グルーシャとの場面における二歳半時の行動は、原場面が及ぼした効果で、われわれに知られるようにな
った最初のものであり、そこでは彼は父のコピーとして描かれ、後には男性的という名に値することになる発
展性向が認められる。誘惑によって彼は受動性に押しやられるが、これはもちろん、両親の交わりの目撃者と
しての挙動によってもすでに準備されているものでもある。
  治療歴からはさらに、彼が実際に想い出すことができた、それも私の側からの推測や介添えなしに想い出
した最初の体験である、グルーシャとの場面が制覇されやりこなされたことによって、施療の課題は解決され
ていたという印象を受けたことを特記しなければならない。それ以降抵抗はなく、ただもっと収集し組み合わ
せていくだけでよかった。精神分析療法から得られた印象をもとに組み立てられた古い外傷理論が一挙に妥当
性を取り戻した。批判的関心からして私は彼の既往歴について、冷静な理性にはより歓迎されるであろう別の
見解を患者に押し付けようと今一度試みた。グルーシャとの場面について疑いはありえないにしても、しかし
それ自体としてはこの場面はなにも意味しないし、それが後になって強調されたのも、対象選択が貶下の性向
のために姉から離れて手伝いの娘たちへと方向変更され、そのようにしてなされた対象選択の出来事から退行
して〔グルーシヤとの場面に戻って〕いったためにすぎない、と。それに対し、性交の観察は彼の後の時代の
空想であって、それの史的核心はなにかたわ

いのない浣腸の観察ないし体験だった可能性がある、と。もしかしたらかなりの数の読者は、こうした仮定に
よってようやく私がこの症例の理解に近付いた、と思うかもしれない。私がこの見解を間陳すると、患者は、
わけがわからないといった様子で私をどこか軽蔑する風に見つめ、この見解には二度と反応を示さなかった。
こうした合理化に反対する私自身の論拠は上の関連する個所で展開した〔V 節〕。
 [しかし、グルーシャとの場面は、対象選択について、患者の生涯にとって決定的な条件を含んでいるだけ
でなく、そのことによって、女を貶める性向を過大評価する過ちからわれわれを守ってくれる。私は先に、原
場面を夢の少し前になされた動物観察に還元することが唯一可能な解決方法だとして気安く主張することを拒
否したが(九〇頁〔本巻六二頁〕)、グルーシャとの場面はそのことも正当化してくれる。この場面は患者の
想い出の中で、私の介添えなしにおのずと浮かび上がってきたものである。黄色の縞を持った蝶に対する不安
はこの場面に遡るものであるが、この場面が意義深い内容を持っていた、ないし場面の内容はそのような意義
を事後的にもたされえたということを証明した。この意義深いものが何かは、想い出からはわからないが、そ
の場面に随伴する思い付きや、それに結びつく推論によって確実に補足できた。そうするとはっきりしたのは、
蝶不安は狼不安とそっくりで、両方の場合とも去勢に対する不安であり、最初に去勢の脅しを口にした人物に
さしあたり関連づけられていたが、次には、系統発生的な手本に従えば去勢の脅しを発するに違いないほかの
人物に置き換えられたということである。グルーシャとの場面は二歳半のときのことであったが、黄蝶に対す
る不安体験はしかし、不安夢の後のことであったのは間違いない。簡単に理解されたことだが、去勢の可能性
に関する後の理解によってグルーシヤとの場面は事後的に不安を増大させていた。しかし、この場面そのもの
にはなにも気に障るところも信じ難いところもなかった。むし

ろ、そこにあったのはごく平凡な瑣末事ばかりで、それらを疑う理由はなにもなかった。この場面を子供の空
想に帰するよう求めるものはなかったし、それはまたほとんど不可能のように想われる。
  ということで、問いが生じる。すなわち、少女がひざまずいて床を洗っている最中に少年が立ったまま放
った小便に、少年の性的興奮の証拠を見ることは正しいのか。もし正しいとするなら、この興奮はより早い印
象の影響を証拠立てることになるが、その印象によれば、原場面が事実である可能性もあれぱ、二歳半以前に
なされた動物の観察が事実であった可能性も出てくる。それとも、情況はまったくたわいないものであって、
放尿は純粋な偶然であり、全場面は、類似の情況が重大なものだと認識された後になって初めて想い出の中で
性化されたのであろうか。
  ここでは、あえてどちらかに決することは避けよう。精神分析がこのような問いにたどり着いただけでも
たいしたものだと、私は言いたい。だが、グルーシャとの場面や、分析においてその場面に振り当てられた役
割、さらに彼の人生において場面が及ぼした効果は、原場面がほかのときなら空想であるかもしれないにせよ、
ここでは現実として認められるなら、それで一番無理なく完全に説明されるということは、否みようがない。
原場面は根本的にはなにも不可能なことを言い立てていない。原場面が現実であると仮定しても、それは、夢
の像にある牧羊犬が示唆する動物観察の刺激的な影響とも全面的に両立する。
  この終わり方には満足がゆかないので、『精神分析入門講義』〔第三二講〕で試みた問題の取り扱い方に
方向転換しよう。私自身としては、私の患者の場合に原場面が空想なのか現実の体験なのか、大いに知りたい
ところだが、他の類似の症例のことを考慮するなら、このことに結論を下すのは本来それほど重要なことでは
ない、と言わざるを得ない。両親の性的交わりの観察や、幼年期の誘惑、さらに去勢の脅しといった場面は、
疑いなく遺伝されてき

た所有、つまり系統発生的遺伝であるが、それらはまた個人的体験によって獲得されたものでもありうるので
ある。私の患者の場合、姉による誘惑は争いがたい現実であった。両親の性交の観察もどうしてそうあっては
ならないだろうか。
  子供が自分の体験では足らないと、この系統発生的体験に手を仲ばすことは、神経症の原史においてのみ
見られることである。系統発生的体験は個人的真実の隙間を先史の真実で埋め合わせ、自分の経験の代わりと
して祖先の経験をはめ込む。系統発生的遺伝を承認するという点では私はユングに(『無意識的過程の心理
学』 一九一七年、これに私の〔一九一五-一七年におこなわれた〕『入門講義』が影響を受けたということ
はもはやありえない)完全に同調するが、しかし、個体発生の可能性を汲み尽くしてしまう以前に、系統発生
による説明に手を伸ばすのは、方法的に正しくないと私は思う。先史の祖先には喜んで認める意義を、幼年期
という先史にはどうして頑なに拒もうとするのか、私には得心がゆかない。系統発生的動機や生産はそれ自身
解明を必要としており、その解明は個人の幼年期の一連の莫大な事例に即して与えられうるものだということ
も誤解の余地がないし、最後に、素因として再獲得されるべきものをかつて先史時代に作り出し遺伝的に伝承
してきた条件と同じ諸条件が〔現在の〕個々人にも保持されるなら、同じ素因が〔現在の個人において〕器質
的に再興されるとしても、何ら不思議はないだろう。]
  原場面と誘惑の間の時期二歳半から三歳三ヵ月)にはさらに、口のきけない水運び人が挿入される〔本巻
九二頁〕が、彼はグルーシャが母の代替であったように、父の代替であった。両親が二人とも奉公人に取って
代わられているにしても、それを貶下の性向だというのはあたらないだろう。子供には社会的相違などは大し
た意味を持たず、だからその違いを無視し、両親のように自分に愛を寄せてくれるなら、取るに足らない人で
も両親と同列にする。

両親を動物に取り替えることにもこの貶下の性向は関与しない。子供は動物を軽視するなどまったく思いもよ
らない。そういう貶下のことは顧慮せずに、おじやおばが両親の代替として引き寄せられる。このことはわれ
われの患者についても何回かの想い出によって証拠立てられている。
  同じ時期、彼は菓子以外はなにも食べようとせず、人々が先を心配したひとときがあって、それについて
ぼんやりとした情報が残されている。同じように食を断って若くして消耗死したある叔父のことを彼は聞かさ
れた〔本巻
一七頁、五八頁、七六頁で言及されている叔父と同一人物〕。また、彼は生後三ヵ月で重病(肺炎であろう
か)に罹り、経帷子がすでに用意されていたほどだったという話も聞いた。それで彼は不安で怖くなり、再び
食べるようになった。もっと後の子供時代には、差し迫った死から我が身を護るかのように、食べるというこ
の義務行為を誇張するようにすらなった。当時人々が彼を保護するために呼び覚ました死の不安はのち、母が
赤痢の危険に注意を促したときに再び現れた〔本巻八〇頁〕。それは、さらに後には強迫神経症の発作を挑発
した(九九頁〔本巻七一頁〕)。われわれは、この不安の起源や意義について後の個所で論究することにしよ
う〔本巻一一⑫一一⑬頁〕。
  摂食障碍に関して、私としては、それは一番最初の神経症発症の意義を持つと主張したい。それゆえ、摂
食障碍・狼恐怖症・強迫的信心の順で幼児期の全発症が生じているのであり、これらの発症は思春期以後の年
月における神経症による意気消沈の素因を携えているのである。一過的な摂食嫌悪や動物恐怖症のような障碍
にかからない子供はほとんどいないと、私は反論されるであろう。しかし、こういう議論は大歓迎である。私
としては、成人のどのような神経症も子供時代の神経症をもとに築かれるのだが、ただ後者は十分な強度を保
っていないので、目立たずそれとしてわからないだけなのだ、と主張する準備がある。ある発症を把握するに
あたって幼児期神経症の持

つ理論的意義は、この発症が後の生活の影響のみから導出される神経症として取り扱われるとしても、先の反
論によってはかえって高められるだけである。われわれの患者が摂食障碍と動物恐怖症に加えて強迫的信心を
得ていなかったなら、彼の既往歴は他の人々のそれと目立って区別はされず、ありそうな誤謬からわれわれを
防御してくれる貴重な素材が失われることになるだろう。
  分析は、患者が自分の苦しみを総括したあの愁訴を理解させてくれないなら、不充分であろう。その愁訴
とは、彼にとって世界はヴェールに覆われているというものであったが〔本巻七八頁〕、こうした言葉は意味
がなく偶然選択されたようなものだろうとの予想は、精神分析の鍛錬を受けると、拒否されることになる。ヴ
ェールは――奇妙なことに――ある情況においてのみ、つまり、浣腸によって便が肛門を通過したときにのみ、
引き裂かれるのであった。そうすると彼は気分がまた良くなり、しばし世界は晴れ渡るのであった。この「ヴ
ェール」の解釈は、蝶不安の場合と同じく困難であった。とはいえ、彼はヴェールにしがみついていたわけで
もなく、ヴェールは彼にとって希薄化してゆき、黄昏の、「《闇》」の、他の捉えどころのないものの感情に
なるのであった。
  施療から離れる少し前になってようやく彼は、「幸福帽」をかぶって生まれてきたと話に聞いたことにつ
いて、よく考えてみた。だから自分はいつも、悪いことなど起こりえない特別に幸福な子と思ってきた。それ
から淋病が発症して体に重度の傷害を得たと認めざるをえなくなって、この自信は彼から消えた。彼は自分の
ナルシシズムがこのように傷つけられ、意気消沈した。そうするとわれわれは、彼は淋病の発症によって、す
でに一度彼において作動していた機制を反復したのだと言うだろう。狼恐怖症も、去勢はありうるという事実
に直面して勃発していたのだし、淋病は彼によって明らかに去勢と同列におかれたのである。

  してみると、幸福帽は、世界から彼を、また彼から世界を覆い隠すヴェールだったのだ。彼の愁訴とは本
来、欲望空想の成就であって、彼が母胎に帰還したことを示しているのだ。もっともそれは、世界からの逃避
という欲望空想であるが。愁訴を翻訳するなら、僕の人生はとても不幸だ、もう一度母のおなかのなかに戻ら
なければならない、となろう。
  しかし、この象徴的なヴェール、一度は現実であったヴェールが浣腸後の排便の瞬間には引き裂かれ、こ
の条件の下で病気が彼から退いてゆくというのは何を意味するのだろうか。文脈からしてわれわれは、次のよ
うに答えることができる。すなわち、誕生のヴェールが引き裂かれると、彼は世界を目にとめ再度生まれるこ
とになる。便とは、彼がより幸福な人生を送るべく二度目に生まれる子供である。したがってそれは再生の空
想ということになろう。この空想にユングは最近注意を促し、神経症者の欲望生活において支配的な地位にあ
ると認めた。
  これで完璧なら、結構なことだ。しかし、〔彼の〕特殊な生活史とつながりをつける必要性を考えると、
特定の情況の細部からしても、われわれはさらに解釈を進めてゆかざるを得ない。再生の条件は、ある男性が
彼に浣湯を施す(彼は後になってやむを得ず自分でこの男性の代わりをした)ということである。これは、彼
が母と同一化し、男性が父を演じ、浣腸が生殖行為を反復し、この行為の果実として糞という子供が――また
しても彼が――生まれること以外ではありえない。だから、再生空想は、その男性によって与えられる性的満
足という条件と緊密に結びついている。それで翻訳するならこうなる。彼が女に取って代わって、母の代替と
なることが許されて、父から満足を得、父に子供を産んでやるときにのみ、彼から病気は退いたのである。そ
れゆえ再生空想はここでは、同性愛的欲望空想の毀損され検閲された再現にすぎなかったのである。
  よく見てみるなら、治癒条件がこのようであるからには、病者はいわゆる原場面の情況を反復しているに
すぎないことに、われわれは本来気づかなければならない。当時彼はこっそり母の身代わりをしようとしてい
た。久しい以前にわれわれが仮定していたように、糞の子供を彼はあの場面でみずから産出した。彼は、自分
の性生活にとって決定的なものとなり、〔狼の〕夢の夜に回帰して彼の病的状態を開始した場面に、呪縛され
たかのようにいまだに固着している。ヴェールが引き裂かれるとは、目を開けることに、窓が開くことに類比
している。原場面は治癒条件へと改造されていたのだ。
  愁訴によって表現され、例外〔であるとの思い〕によって表現されていることは、容易に一つにまとめら
れ、その意味全体を間示する。彼は母の胎内に戻ろうと欲しているが、それは単純に再び生まれるためではな
く、胎内で性交の際父に射当てられ、父から満足を得て、父に子供を産んでやるためである。
  当初彼が思っていたように、父に生んでもらい、父から性的に満足させられ、父に子供を授ける、それも
自分の男性性を放棄し肛門性愛の言葉で表現する――こうした欲望によって父への固着の円環が閉じられ、同性
愛はその最高にして最内密の表現を見いだした。
  思うに、この事例からは母胎空想や再生空想の意味や起源についても光が当てられるであろう。前者の空
想はわれわれの症例でもそうであったが、父への拘束から頻繁に出てきた。母の体の中に入り、性交の際母に
取って代わ

   *52 ヴェールは、男性との交わりの際に引き裂かれる処女膜を表しているというのは二次的な意味と
してありうるが、治癒条件と正確には合致せず、処女性を少しも重視しない忠者の人生とは何ら関係しない。

り、父に対して母の位置を占めようと欲望するのである。再生空想の方はおそらくいつもながら、母とのイン
セス卜的交わりの空想の緩和、いわば婉曲表現なのであり、H・ジルベラーの語法を用いるなら、その空想の
天上的短縮表現なのである。自分が母の性器のうちに居た情況に戻ろうと欲望するが、その際、男性はペニス
と同一化しペニスによって代用されることになる。以上のことから、二つの空想は好一対をなすのであって、
当事者が男性的態度を取るか女性的態度を取るか次第で、父との性的交わりの欲望を表現するかそれとも母と
の性的交わりの欲望を表現するものであることが明らかとなる。われわれの患者の愁訴と治癒条件のうちには
双方の空想が、それゆえまた双方のインセストの欲望が、合一している可能性が排せられない。
  分析の最終的成果を敵対者の手本に従って解釈し直すよう、もう一度試みてみたい。そうすると、患者は
世界からの逃避を典型的な母胎空想によって嘆き、自分の治癒をもっぱら、典型的な形で捉えられた再生のう
ちに見ていることになる。後者の再生を彼は、自分の優勢な素質に従い肛門の症状によって表現する。肛門的
再生空想を手本に彼は、太古の象徴的表現手段を用いて自分の欲望を反復する子供時代の場面を拵えた。そう
すると彼の症状は鎖状につながり、症状はそういう原場面から発するかのようになる。彼がこうした還帰の道
を決意せざるを得なかったのは、ある人生の課題にぶつかったが、それを解決するには怠惰すぎたか、もしく
は、劣等な自分に不信感を抱かざるをえないために、こういう後戻りの工夫に頼ると一番よく自信喪失を防げ
そうだと思ったからである。
  もし不幸な患者が四歳にしてすでに、仕立屋と狼に関する祖父の物語に刺激されたある夢を見て、その夢
から神経症が始まり、またその夢の解釈にはあの原場面の仮定が必然的となるというのでさえなければ、すべ
てはめでたしめでたしだろう。残念ながら、ユングやアードラーの理論が人々の気持ちを楽にしてやろうとし
ても、こうした

細々しているが不可侵である事実によって、それは挫折するのである。ことがこうであるからには、再生空想
の方がむしろ原場面の蘗なのであって、逆に原場面が再生空想の反映であるのではないように思われる。もし
かしたら、生後四年の当時には患者は、はや再生を欲望するには若すぎた、と仮定することもできるかもしれ
ない。しかし、この最後の議論を私は撤回せざるを得ない。私自身の観察が証明するところでは、子供は過小
評価されてきており、人々は子供に何ができるかがもはやわからなくなっているのである。

   *53 この問題は分析の全学説の中でも最もきわどいものであることは、私も認める。アードラーやユ
ングの報告を待つまでもなく、私は次のような可能性と批判的に取り組んできた。それはすなわち、分析が主
張する忘却された幼年期体験――ありそうもないほど早い時期の幼年期に体験されている――はむしろ、後の
機縁に生み出される空想に基づいており、そうした幼児期の印象の余波を分析によって見つけ出すと思ってい
ても、それはいつも、体質的な契機ないし系統発生的に保存されてきた素因の表出であるという可能性である。
ところが、もはや私を食い止める疑念はなかったし、それ以外に公刊をこれ以上決定的に差し控えさせるほど
の不信の念もなかった。症状形成における空想の役割にしても、後の刺激から幼年期への「遡行的空想作用」
や幼年期の事後的な性化にしても、私が最初に突き止めたものであるが、そんなことは敵対者の誰も指摘しな
い。(「夢解釈」初版、四九頁(GW-II/III)および「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」(GW-
VII)参照。)それにもかかわらず、私がこのより困難で蓋然性の低い見解を自分の見解として堅持したのは、
本稿で記述された症例や他のあらゆる幼児期神経症が研究者に採用を余儀なくさせる論拠があったればこそで
あった。この論拠を、私は今改めて読者に判断を決してもらうべく提示しているのである。
Ⅸ 総括と問題

  以上の分析の報告で読者が、私の患者の病状の発生と進展について判明なイメージを抱くことができたの
か、私にはわからない。むしろ、そうではないのではないかと恐れている。しかし、私は普段自分の描写力に
思い入れすることなど少しもなかったのだが、今度ばかりは情状酌量をお願いしたいと思う。心の生活のこれ
ほど初期の段階や深い層を記述に取り入れるということは、従来取り組まれたことのない課題であり、逃げを
打つくらいなら、へたな解決をする方がましなくらいである。課題解決に怖じ気づくと、特定の危険も出てく
るはずだからである。だからむしろ、自分の劣等意識によって妨げられなかったところを果敢に示したい。
  症例それ自体は、特に好都合なものではなかった。大人を媒体として子供を研究できたので、幼年期の情
報をたっぷり手にすることができたが、他方で代償として分析がどうしようもなく断片化し、それに応じて叙
述も不完全とならざるをえなかった。個人的な特異性やわれわれとは異質な国民性は、感情移入を手こずらせ
た。患者の愛想の良さ・鋭い知能・高貴なものの考え方と始末に負えない欲動生活との間の間隔によって、異
常に長い準備的・教育的作業が必要になったが、そのため、全体の概観が困難となった。この症例特有の性格
のために記述が極めて苛酷な課題となったが、患者自身はこの性格にまったく責任がない。成人の心理につい
ては、われわれは心の出来事を意識的出来事と無意識的出来事に分け、それぞれを明晰な言葉で記述すること
に成功するようになった。子供に対してはこの区別を適用することはほとんどできない。なにを意識的としな
にを無意識的と表示したらよいのか、困惑に陥ることもしばしばである。ある出来事が支配的となり、後の振
舞いからして意識的出来事と同等化されて

しかるべきであっても、子供にあってはだからといって意識的であったことにはならない。何故かは簡単にわ
かる。意識的なものは子供にあってはまだその全性格を獲得しておらずに、成長途上にあり、言語表象に移し
替えられる資質を本格的に所有していないのである。知覚として意識内に登場するという現象と、何か名前を
取り決めた方がよいのだが、やはり意識(意識系)と呼んでいる仮定上の心的系への所属との間で、われわれ
が普段いつもきまって引き起こす混同は、成人を心理学的に記述する場合には危害のないものであるが、小さ
な子供の記述の際には誤解のもととなる。「前意識」の導入もここではたいして役に立たない。というのも、
子供の前意識が成人のそれと合致するいわれも同様にないからである。だから、曖昧な点を明晰に認識したと
なれぱ、それで十分なのである。
  本稿で記述されたような症例が、精神分析の成果や問題をことごとく討論に引き込む機縁となることは、
自明である。ただし、その討論は正当化不能な無際限の作業となるだろう。たった一つの症例ですべてを知る
ことはできないし、その症例ですべての決着を付けることはできないと、肝に銘じなけれぱならない。だから、
症例が明々白々に示していることのためにそれを役立てることでよしとしなければならない。精神分析におけ
る説明という課題は、そもそも狭く限界づけられている。目につく症状形成をそれの生成の暴露によって説明
しなければならないのだが、その説明がたどり着くことになる心的機制や欲動過程は説明されるのでなく、記
述されるべきものである。これらの心的機制や欲動過程に関する確定事項から新たな一般的事項を得るために
は、無数の同じように良好に深く分析された症例が必要となる。そうした症例は筒単に手に入るわけではなく、
個々それぞれのために数年にわたる作業が費やされる。したがって、こうした分野において進歩はごくゆっく
りとしか遂行されない。何人かの人物の心的表面を「引っ掻いて」、残余についてはその後何らかの哲学流派
を笠に着た思弁によって補うことで十分だ

とする誘いにはむろん、たいへん心そそられる。こうしたやり方は実際的な欲求に見合っていると申し立てる
こともできるが、科学の欲求はいかなる代用品によっても満足されるものではない。
  私の患者の性的成長を総合的に概観するよう試みたいが、その際、最初期の徴候から始めることができる
だろう。彼について耳にする最初のことは食欲障碍である〔本巻一〇四頁〕が、それを私は他の経験からして、
しかしあらゆる留保をつけて、性的領域におけるある出来事の結果として捉えたい。私はいわゆる食人的ない
し口唇的編成を最初の顕著な性的編成と見なさずにいられなかったが、この編成においては当初から行われて
いる性的興奮の摂食欲動への依托がいまだに場面を支配している。この段階の直接的表出は期待できないが、
しかしおそらく、障碍が出てくると徴候が見られるだろう。摂食欲動の侵害――それにはむろん普段は別の原因
もあるだろうが――はそうすると、有機体が性的興奮の制覇に成功しなかったことにわれわれの注意を向けさ
せる。この段階の性目標は食人行動、つまり喰うことでしかありえないだろう。このことはわれわれの患者の
場合、高次の段階からの退行によって、狼に喰われる不安のうちで表面化している。この不安をわれわれは、
父によって性交されることと翻訳しないわけにはゆかなかった。周知のように、もっとずっと年齢がいってか
らであるが、思春期ないしその後少しした少女には、性の拒否を拒食症によって表現する神経症が存在する。
この神経症を、性的生活のこの口唇段階に関連づけることは許されるだろう。恋着の発作の絶頂(「愛おしく
て食べちやいそう」)や小さな子供との情愛に満ちた交わりにおいて、大人は自身も幼児的に振舞うものだが、
そこには囗唇期編成の愛の目標が再度登場している。私は先の個所で、われわれの患者の父自身が「情愛に満
ちたからかい」をおこない、小さな子と狼ごっこや犬ごっこをして遊び、その子を戯れに食べちゃうぞと脅し
ていただろう、と推測を述べた(五八頁〔本巻三〇頁〕)。患者はこの推測を、転移に
よる目立った挙動によって確証するばかりであった。施療が困難になって転移へと撤退する度ごとに、患者は、
食べちゃうぞとか、その他あらゆる可能な虐待によって脅すのであったが、それはみな情愛の表現でしかなか
った。
  彼の言葉遣いは、この口唇的性的段階の特定の刻印を長期的に帯びることになった。彼は愛の対象を「食
欲をそそる」と言い、愛人を「甘い」と呼んだ。患者が小さいころ甘いものだけを食べようとしたことが想い
出される〔本巻一〇四頁〕。お菓子やボンボンは、夢では決まっていつも愛撫や性的満足の代用となっている
ものである。
  この段階には不安もつきもののようだが(むろん障碍がある場合のことである)、この不安は人生に対す
る不安として登場し、その子に適したとされるあらゆるものに取り付くことができる。われわれの患者にあっ
てはこの不安は、摂食嫌悪を克服するために、いやそれの過剰補償に誘導するために、利用された。彼の摂食
障碍のありうる源泉にわれわれが導かれるのは――あの多いに論じられた仮定の地盤に立って――かくも多数
の事後的な効果の発出源となった性交観察は一歳半の年齡のときのことであり、摂食困難の時期よりも確実に
前だということを想い出してもらうときである。この観察は性的成熟のプロセスを加速し、そのようにしてま
た目立たないかもしれないが直接的な効果を繰り広げていた、と仮定することももしかしたら許されよう。
  この時期の症状構成、つまり狼恐怖や摂食障碍が、性や性の前性器的編成段階を顧慮することなく、違っ
た形でより単純に説明できることも、私はむろんわかっている。神経症罹患の徴しや諸現象の連関を蔑ろにし
たい者は、このもう一方の説明の方を優先するだろうし、私にはそれを妨げようもないだろう。しかし、性生
活のこうした端緒について、上に告知した迂路を経る以外に何か有無をいわさぬ事象を探知することは困難で
ある。
  グルーシャとの場面(二歳半頃)はわれわれの男の子が、正常と呼んでよい成長の開始時点にいることを
示してい

る。それが正常な成長だというのには、男性性の代弁となる尿性愛――それは父との同一化の表れである――に見ら
れる早熟性も含められるかも知れない。その場面は、実際は原場面の影響をどっぷり受けてもいる。これまで
われわれは父との同一化をナルシス的なものとして捉えてきたが、原場面の内容を考慮するなら、すでに性器
的編成の段階に対応していることも排除できない。男性器はその役割を果たし始め、姉の誘惑の影響下でその
役割を継続してゆく。
  しかし、誘惑は成長を促進するだけでなく、より高度に阻害し逸脱させるという印象も得られる。誘惑は
受動的な性目標を与えるが、この目標は男性器の行動とは根本的に非両立的である。ナーニヤから去勢のこと
を仄めかされ最初の外的妨害を受けると、いまだ内気であった性器的編成は(三歳半で)崩壊し、それに先立
つサディズムー肛門的編成の段階に退行する。さもなければ、この段階はもしかしたらほかの子供と同じく、
軽い徴候を示すだけで
通過されたかもしれない。
  サディズムー肛門的編成が囗唇的編成の継続であることは簡単にわかる。この編成で際立つ、対象に対す
る筋肉の暴力活動は、喰うことの準備行為として位置づけられるが、喰うことはその後性目標としては脱落し、
準備行為の方が自立した目標となるのである。前段階に対する本質的な新しさは、受動的な受け入れ器官が囗
の帯域から分離されて、肛門域に形成されることである。ここには〔動物との〕生物学的な平行関係があり、
幾多の動物種で長期的に堅持される仕組みの残渣として人間の前性器的編成を理解するのはもっともなことだ
ろう。探究の欲動がその成分から構成されるのも同様に、この段階に特徴的なことである。
  〔患者の〕肛門性愛には目立つほどのものはない。糞はサディズムの影響下で情愛的な意味から攻撃的な
意味に転

じた。サディズムがマゾヒズムに変換するにあたっては罪者感情も関与しているが、この感情は性以外の領域
において成長が行われていることを示している。
  誘惑は性目標の受動性を維持することによって、その影響を継続する。誘惑はいまや、サディズムの大部
分をその受動的対応物であるマゾヒズムに変換する。受動性の性格をことごとく誘惑のせいにしてよいかは疑
問である。というのも、一歳半の子供の性交観察に対する反応は、すでにして受動性が優勢だったからである。
そのとき一緒に生じた性的興奮は排便の形で姿を現したが、もっとも排便には能動的な部分も識別できる。彼
の性的追求を支配し空想となって現れるマゾヒズムに並んで、サディズムも存続しており、小動物に対して発
揮されている。彼の性的探求は誘惑のときから始まったが、基本的には、子供はどこから来るのか、および性
器をなくすことはありうるのかという二つの問題に手を染めて、欲動の蠢きの表出のうちに織り込まれる。性
的探求は小動物を小さな子供の代理に見立て、それにサディズム的傾向を差し向ける。
  われわれの描写は四歳の誕生日近くにまでいたったが、この誕生日に夢が一歳半時の性交観察に事後的な
効果を発揮させる。そのとき繰り広げられる出来事は、われわれには完全に把握することも、十分に記述する
こともできない。性交のイメージは知的成長の進展のおかげでいまでは理解可能となっている。このイメージ
の活性化は新鮮な生起のようにも働くが、新たな外傷として、誘惑に類比する異質な介入のようでもある。中
断された性器的編成が突如再開されるが、夢の中で成し遂げられた進歩は保持されえない。むしろ、抑圧にし
か比定できないある出来事によって、新たなものは拒否され、恐怖症によって代替される。
  したがって、サディズムー肛門的編成は、今開始した動物恐怖症の段階にも存続したままであるが、ただ、
それ

には不安現象が混入している。子供はサディズムの活動もマゾヒズムの活動も継続するが、けれども、それら
の活動の一部には不安によって反応する。サディズムのその反対への逆転はおそらくさらに先に進んでゆくだ
ろう。
  不安夢の分析からは、抑圧が去勢の認識に続いて出てくることが推察される。新たなものは、それを仮定
するとペニスが犠牲にされるので、棄却される。より入念に考察すると、だいたい次のようなことが認識され
る。抑圧されたものとは性器が奪われる同性愛的態度のことであるが、この態度はそもそも去勢の認識の影響
下で形成されていた。ところが、この態度はいまや無意識に向けて保存され、他から遮断されたより深い層と
して構成されている。こうした抑圧の原動力は、性器のナルシス的男性性であると思われるが、この男性性が
同性愛的性目標の受動性と、久しく準備されていた葛藤に陥るのである。抑圧とはしたがって、男性性のなせ
る業なのだ。
  そうするなら、精神分析理論を一部変更したい気になるかもしれない。実際、男性的追求と女性的追求と
の葛藤から、それゆえ、両性性から抑圧や神経症形成が生じているのは、火を見るより明らかだと信じられよ
う。しかしながら、この理解には欠落がある。二つの相反する性的蠢きの一方は自我親和的だが、もう一方は
ナルシス的利害関心を侵害する。だからそれは抑圧されることになる。この場合も、一方の性的追求のために
抑圧を発動するのは自我である。それ以外の場合には、男性性と女性性とのそのような葛藤は存在しない。受
け入れられることを請い求めながら、自我の特定の力を撥ね付けようとして、逆にそれ自身が撥ね付けられる
性的追求は一つしかないのである。性内部の葛藤それ自身よりも実際はるかに頻繁に見られるのは、性と自我
の道徳的性向との間で結果する、それ以外の葛藤の方である。〔ただし〕われわれの症例では、そのような道
徳的葛藤は欠けている。こうして、抑圧の動機として両性性を強調してみても、それは一面的すぎるだろう。
自我と性的追求(りビート)との葛藤を強調す

る方があらゆる事例がカヴァーされる。
  アードラーが作り上げたような、「男性的抗議」の学説に対しては、抑圧とはいつでも男性性の側に付い
て女性性に立ち向かうものでは決してない、と述べられなければならない。大多数の症例群においては、男性
性の方が自我による抑圧を甘受せざるをえないのである。
  ちなみに、われわれの症例における抑圧過程をより公正に検討してみても、ナルシス的男性性がそれの唯
一の動機であるとは認められないであろう。夢の最中に生じてくる同性愛的態度はとても強烈なものなので、
小さな子の自我はそれを制覇しようにも不首尾に終わり、抑圧過程によって防ぐことになる。この意図を遂行
する手助けとして、同性愛的態度とは対立する性器のナルシス的男性性が引き合いに出されるのである。誤解
を避けるためだけにも言っておかねばならないが、あらゆるナルシス的蠢きは自我を起点として働き、自我の
もとに滞留するが、抑圧はリビードの対象備給に差し向けられているのである。
  抑圧過程をくまなく制覇してマスターすることにはもしかしたら成功していないかもしれないが、ともあ
れ抑圧過程から目を転じて、夢からの覚醒によって生ずる状態に向かおう。夢の出来事の最中に同性愛(女性
性)に打ち勝ったのが本当に男性性であるなら、上述の男性的性格を持った能動的な性的追求が支配的追求と
して見いだされねばならないであろう。そのようなことは何も言われていないし、性的編成は本質的なところ
ではなにも変わらずに、サディズムー肛門的段階は相変わらず存続し、支配的なままにとどまっている。男性
性の勝利が現れているのは単に、支配的編成(マゾヒズム的ではあるが、女性的ではない)の受動的性目標に
対しては今や不安によって反応するという点だけである。男性の性的追求が勝利したというのではなく、ただ
受動的な性的追求およびそれへの反抗が

あるだけなのである。
  能動的と男性的とを区別し受動的と女性的とを鋭く区別するという不慣れな、しかし不可欠である分断の
せいで読者がどんな困難を背負い込むことになるかは、私にも想像できるので、繰り返しを厭わないことにし
よう。夢以降の状態は、してみると、次のように記述できる。すなわち、性的追求は分裂し、無意識内では性
器的編成の段階に到達し強度の同性愛が構成されているが、その上には(意識のうちで潜在的に)より初期の
サディズム的な、しかしマゾヒズムの方が優位に立つ性的潮流が存続し、自我は性に対するその立場を全体と
して変更して、性的拒否状態となって、より深層の同性愛の目標に対してかつて恐怖症の形成によって反応し
たように、いまでは支配的なマゾヒズム的目標を不安によって拒絶するのである。夢の結果はそれゆえ、大々
的に男性的潮流の勝利というのではなく、女性的潮流や受動的潮流に対する反動であった。この反動に男性性
の性格を付与しようとするのは、乱暴というものであろう。自我にはまさに性的追求はないのであって、自我
はひたすら、自己保持とナルシシズムの保存に関心を寄せるだけなのである。
  それでは恐怖症に目を向けよう。恐怖症は性器的編成の水準で発生し、不安ヒステリーの相対的に単純な
機制を示してくれる。自我は、過大な危険として査定するものから、つまり同性愛の充足から、不安の増大に
よって身を守る。けれども、抑圧過程は一つの見逃しえない痕跡を残す。恐れられている性目標が結びついた
対象は、意識にとって別の対象によって代用されざるをえない。父に対する不安ではなく、狼に対する不安が
意識されるのである。恐怖症の形成にあっても一つの同じ内容にとどまることはない。狼は後しばしの間ライ
オンに取って代わられる〔本巻三八頁〕。小動物に対するサディズム的な蠢きに、ライヴァルとなりうる小さ
な子供の代用として小動物をお

それる恐怖症が競合する、特に興味深いのは蝶恐怖症の発生である。それは、夢で狼恐怖症を産み出した機制
をほぼ繰り返している。偶発的な刺激によって昔の体験が、グルーシャとの場面が活性化され、彼女による去
勢の脅しが、それが生じたときには印象に残らなかったのに、事後的に効果を発揮する。
  こうした恐怖症の形成に紛れ込んでくる不安とは去勢不安である、と言ってよい。こう言つたからといっ
て、不安は同性愛的リビードの抑圧に発したという見解と何ら矛盾するわけではない。双方の言い方で意味さ
れているのは、自我は同性愛の欲望の蠢きからリビードを引き離し、そのリビードが自由に浮遊する不安に転
化され、その後

   *54 グルーシャとの場面はすでに述べたように、医師の側からの構築や刺激は関与していない、思者
の側の自動的な想起の営みであった。場面にある隙間は、およそ分析の作業法を尊重するなら、申し分ないと
呼ばれてしかるべきやり方で、分析によって埋められた。この恐怖症を合理主義的に説明付けるなら、不安げ
な臆病の素因を持った子供が、おそらく不安傾向の遺伝のために、一度黄縮の蝶に不安の発作を得たとしても、
なにも異常なことはない、としか言えないであろう。(スタンリー・ホール「恐怖の総合的発生研究」
(American Journal of Psychology, XXV, 1914)参照)。つまり、この子は蝶不安の原因が分からない
ままに、この不安に幼年期とのとっかかりを求め、名前が同じことや縞の回帰という偶然を利用して、まだ想
い出せる子守の少女とのアヴァンチュールの空想を構築するのだ、というわけである。だが、それ自体として
はたわいのない出来事の副次的事項が、すなわち、洗浄、バケツ、箒が後の生活で力を発揮して、持続的・強
迫的にその人の対象選択を規定するなら、蝶恐怖症の意義はわけのわからないものになる。事態は少なくとも、
私の主張している事態に劣らず奇妙であり、これらの場面に関する合理主義的見解の利得はもろくも消え去っ
てしまう。だから、グルーシャとの場面は、それによってわれわれはより確保の難しい原場面について判断を
準備できるがゆえに、ことさら貴重なのである。

恐怖症によって拘束されるという、同じ過程である。ただ前者の言い方では、自我を駆り立てる動機だけが一
緒に表示されている。
  もっとよく見てみると、われわれの患者のこの最初の発症(摂食障碍は別にして)は恐怖症を取り出せば
それで完了となるのではなく、真性のヒステリーとして理解されねばならず、それには不安症状のほかに転換
現象も帰属しているということがわかる。同性愛の蠢きの一部は、この蠢きに関与している器官に留め置かれ
る。そのときからの腸の挙動、また後のときにおける腸の挙動はヒステリーに触発された器官のそれである。
無意識的な抑圧された同性愛は腸のうちに引きこもった。まさにヒステリーのこの部分がのちに後期の病状の
解消にあって最良の奉仕をしてくれたのであった。
  それではまた、勇気を奮いたたせ、いっそう複雑である強迫神経症の事情にアタックしよう。もう一度情
況を思い浮かべてみよう。一つの支配的なマゾヒズムの性的潮流ともう一つの抑圧された同性愛の性的潮流、
それらに対して、ヒステリー的な拒否の囚われになった自我、いかなる出来事が、この状態を強迫神経症の状
態に変換させるのであろうか。
  変換は内的な成長の継続によって自動的に生じるのではなく、外部からの異質な影響によって生ずる。変
換の目に見える結果とは、これまでは狼恐怖症として表現されて前景に出ていた、父との関係がいまや強迫的
信心として表出されるようになるということである。この過程はこの患者の場合、私が『トーテムとタブー』
でトーテム動物と神性の関係について立てた主張に、明暸な確証を与えてくれることを、指摘しないわけには
ゆかない。同書で私は意を決して、神表象はトーテムからの発展形態なのではなく、トーテムとは独立に、神
と卜Jテム両者に共通す

る根にもとづいて、トーテムと交代に立ち上がるという見解を採用した。トーテムは父の最初の代替であるが、
神はより後の代替であって、そこで父は人間の形姿を取り戻すということである。われわれの患者にあっても
同じことが見られる。彼は狼恐怖症によってトーテミズム的な父の代替の段階を経過するが、その段階は中断
し、父と自分の間の新たな関係のゆえに、宗教的信心の段階に取って代わられるのである。
  この変化を呼び起こす影響は、母を介して宗教の教えや聖なる物語を知るようになったことである。その
結末は、教育が欲した通りのものとなる。サディズムーマゾヒズム的な性的編成には徐々に終止符が打たれて
ゆき、狼恐怖症はあっという間に消え、性の不安におびえた拒否に代わって、性のより高次の形態の抑え込み
が登場する。信心は子供の生活を支配する力となる。しかしそうした克服は闘争なくして進行せず、冒涜的な
考えが闘争の徴しとして出現し、宗教的儀礼の強迫的な誇張が闘争の帰結として固定化する。
  こうした病理的な現象を度外視するなら、宗教は今の場合、個人の教育に果たすことが期待されることを
すべて果たした、と言えるだろう。宗教は個人の性的追求に昇華と確たる停泊地を提供して性的追求を馴致し
たし、家族関係の価値を切り下げ、そのことによって人間の大共同体への参加を切り間き、孤立の脅威を予防
した。野蛮でおどおどした子供は社会化され行儀が良くなり、教育可能となった。
  宗教的影響の主たる原動力はキリストとの同一化であった。これは偶然にも誕生日が同じであったことで
彼にはことさら容易であった。このおかげで、抑圧を必然的なものにしていた、父への過大な愛はやっとのこ
とで、理想

   *55 『トーテムとタブー』一⑬七頁、一九一三年。

的な昇華に逃げ道を見つけた。みずからはキリストとして、いまや神と呼ばれることになった父を、世俗の父
に対してなら発散させることのできない熱情を持って愛することが許された。この愛を証する方途は宗教によ
って知らされていたし、その方途には個人的な愛の追求からは切り離されえない罪責意識がつきまとうことも
なかった。そのようにして無意識的な同性愛としてすでに沈殿していた最深の性的潮流がガス抜きできたとし
たら、より表層のマゾヒズムの追求もたいして断念されることなく、キリストの受難史に、比類のない昇華を
見いだした。キリストは父なる神の委託を受け、また神の栄誉のために、我が身を虐待し犠牲に供するにまか
せたのであった。このようにして宗教は小さな落伍者に対して、満足、昇華、官能から純粋精神過程への転換、
信者に差し出す社会関係の開示、これらを混ぜ合わせることによって、その務めを果たしたのである。
  宗教に対する彼の反抗の始まりには三つの異なった出発点があった。第一に、その例はすでに見たが、一
般的に言って、あらゆる新規事項を防ごうとする彼の気質である。彼は一度採用されたリビード態勢はどのよ
うなものであれ防御した。それは、その態勢はいったん諦めると失われてしまうという不安にかられるからで
あり、また、新たに引き入れられる態勢がその十分な代わりになるとはとうてい思えないからであった。これ
は、私が『性理論のための三篇』において固着の能力として提示した、重要で基本的な心理的特性である。ユ
ングはこれを心的「惰性」と呼んで、神経症者のあらゆる失敗を惹き起こす主因に仕立てようとした。私の思
うに、それは正しくなかった。この特性の及ぶ範囲ははるかに広く、それは神経質症でない者の生活において
も重大な役割を果たすからである。リビードおよび他の種類のエネルギー備給の淡白であるか粘着的であるか
は、あらゆる神経質症者のみに特有なわけではなく、多くの健常者にも特有で、これまでのところ他のものと
関連づけられていない特殊な性格であっ

て、素数のようにそれ以上分解不可能なものである。われわれにわかっていることは、心的備給の可動性とい
う特質は年齡とともに目立って退化するということだけである。この特質はわれわれにとって、精神分析によ
る影響の限界を示す一つの指標ともなった。だが、心的可塑性が通常の年齢の限界をはるかに越えて存続した
ままの人もいれば、ずいぶん早くからそれが失われる別の人もいるのである。それが神経症者なら、一見事情
が同じなのに、他の人では簡単に制覇できた変更が撤回できないという発見をして、居心地の悪い思いをさせ
られる。だから、心的過程を置換するにあたっても、ある程度の量となるとやり直しがきかなくなるエントロ
ピー概念を考慮すべきなのだろう。
  第二の攻撃地点を彼に差し出したのは、宗教の教えはそれ自身、神なる父に対する一義的な関係を基礎と
しているのではなく、両価的な態度の徴候がちりばめられており、この両価的な態度によって教えの発生は統
帥されていたという事実であった。この両価性を彼は自分の高度に発達した両価性によって嗅ぎ付け、四歳の
子供にしては驚くほかないあの鋭い批判を放ったのであった。しかし、一番重要なのは第三の契機であった。
この契機の働きにわれわれは宗教に対する彼の闘争の病理的顛末を還元してよいだろう。男性に向かって押し
寄せる潮流は宗教によって昇華されるはずなのに、もはや自由ではなく、部分的に抑圧によって分離され、そ
のため昇華の手を逃れ、それの元々の性的な目標に拘束されていた。こうした脈絡に力を得て、抑圧された部
分は昇華された部分に立ち向かってゆき、後者を自分の方に引き下ろそうと追い求めた。キリストという人物
を取り巻く最初の詮索にはすでに、この崇高な息子は無意識のうちに堅持されている父への性的関係も成就で
きるのだろうかという疑問が含まれていた。こうした〔思考の〕奮闘を拒絶したため、一見冒涜的な強迫的思
念を発生させる結果にしかならず、この思念に

よって神に対する身体的な情愛は神の低下という形で貫徹された。これらの妥協形成に対する激しい防衛闘争
によってその後、神に対する純粋な愛である信心の抜け道として予示されていたあらゆる活動が強迫的に誇張
されていった。最終的には宗教が勝利していたが、しかし、欲動による宗教の基礎固めは、宗教的昇華の産物
の耐用能力よりも、比較にならないほど強力であった。人生によって新たな父の代替がもたらされ、その人の
影響のために宗教に敵対するようになると、宗教は放擲され、他のものに取って代わられた〔本巻七二頁〕。
さらに、信心は女性(母と子守女)の影響下で発生したのに、男性の影響は宗教からの解放を可能にしたとい
う興味深いこみいった事情も忘れないようにしよう。
  サディズムー肛門的性的編成を地盤とした強迫神経症の発生は全体として、私が別のところで「強迫神経
症の素因について」詳論した通りである。しかし、強度のヒステリーが居座っていたため、われわれの症例は
この点の見通しが利かない。われわれの病者の性的成長の概観を閉じるにあたって、私としては、この成長の
後の変化に簡単にスポットライトを当てることにしたい。思春期の年月とともに彼には正常と呼ぶべき、強く
官能的な男性的潮流が性器的編成の性目標とともに登場した。この性器的編成の運命が、彼の後期の発症まで
の時期を満たしている。男性的潮流はグルーシャとの場面に直接つながり、発作的にやってきては衰退する強
迫的な恋着の性格をその場面から借り受けたが、幼児期神経症の残渣に発する制止と戦わねばならなかった。
無理矢理に女への突破を敢行して、彼はやっとのことで十分な男性性を勝ちとっていた。以降この性的対象は
堅持されたが、彼はその対象の所有に悦びを感じなかった。というのも、今や完全に無意識的となった、男性
への強い傾斜がそれ以前の段階のあらゆる力を糾合して、彼を繰り返し女性という対象から引きはがし、その
間〔逆に〕女性への依存を誇張するよう、余儀なく

させたからである。彼は施療中、女には我慢ならないと嘆いたので、全作業は、彼自身には無意識的である男
性関係を暴くことに集中された。彼の幼年期は、型通りの総括をするなら、能動性と受動性との間の動揺によ
って際立っており、思春期は男性性を求める苦闘によって、〔後期の〕発症後の時期は男性的追求の対象をめ
ぐる闘争によって、際立っていた。彼の発症の機縁は、私が「不首尾」の個別事例として総括できた[神経症
の発症類型]にはおさまらず、そのようにして神経症発症類型の系列形成にある間隙に注意を向けさせる。彼
が意気消沈したのは、性器が〔淋病によって〕器質的に触発をうけ、去勢不安が蘇生してナルシシズムを挫き、
運命による個人的な優先の期待を放棄するよう強制されたときであった。だから彼は、ナルシス的な「不首
尾」によって発症したのだ。彼のナルシシズムの過剰な強さは、制止された性的成長の他の徴候と完全に一致
していた。他の徴候とは、彼の異性愛的な愛の選択はどれほどエネルギーを注ごうとも、心的追求を自分のう
ちに集約することがなかったということであり、また、それだけにいっそうナルシシズムの意にかなった同性
愛的態度が無意識的な力として彼にあっては強靭に自己主張していたということである。むろん、精神分析の
施療はそのような障碍の場合、瞬時の反転をもたらしたり正常な成長と同じ状態に引き戻したりできるわけで
はなく、ただ、生活の影響にそってよりよい方向への成長をやり遂げることができるように、妨害を除去し道
を平坦にしてゆくことができるだけである。
  精神分析的施療によって発見されたが、それ以上説明付けられず、したがってまた直接的に影響を及ぼす
ことが

   *56 Internationale Zeitschrift fur arztliche Psychoanalyse, I, [6,]1913, S.


525 ff。
   *57 Zentralblatt fur Psychoanalyse, II, 6, 1912.

できなかった、彼の心的性質の特性をまとめるなら、以下のようになる。すなわち、すでに論じられた固着の
粘着性、両価的傾向の並外れた発達、そして太古的と呼ぶべき体質の第三の特徴として、相互に矛盾だらけの
多様きわまりないリビード備給をことごとく機能を保ったまま併存させておく能力。患者はこれらの特性の間
を絶えず揺れ動き、そのため問題解決や進歩が長い間閉め出されているように思われたのだが、このことが、
ここではスケッチすることしかできなかった後期の病像を支配していた。疑いなくこれは無意識の性格特徴で
あるが、それが彼の場合、意識的なものとなった過程のなかにまで引き継がれていたのである。しかしこの特
徴は情動の蠢きの顛末にしか現れず、純粋に論理的な領域では、彼はむしろ矛盾や非両立性を嗅ぎ付ける格別
の巧みさを証示していた。だ
から彼の心の生活からは、古代エジプトの宗教が与えるような印象が受け取られたのである。古代エジプトの
宗教は、最終的産物に並んで発展段階も保存し、神々や神に相当するものは最古のものも最新のものも受け継
ぎ、別の発展経路なら深層の形象となるものも同一平面に並べるので、われわれにはとても想像できないもの
となるのである。
  これで、この症例について伝えたかったことを私は最後まで述べたことになる。この症例に刺激される数
多い問題のうち二つだけはまだ、とくに際立たせておくに値するように思われる。第一の問題は、系統発生的
にもちこされている諸図式に関わる。これらは哲学でいう「範疇」のように、生の印象の収納を行う。これら
の図式とは人間の文化史のなかで沈殿してきたものであるという見解を私としては提起したい。両親に対する
子供の関係を包括するエディプスコンプレクスはその一つである、いやむしろ、その種のもので最も有名な例
である。体験が遺伝的図式にあてはまらない場合には、体験は空相Jによって改訂されるが、そうした空想の
働きを個別的に追跡するのは

たしかに有益であろう。まさにそのような事例こそが、図式の自立的存在の証明に適したものなのである。図
式が個人的体験に打ち勝つことはしばしば気付かれうることである。たとえば、われわれの症例では、エディ
プスコンプレクスは普段は反転しているのに、父が去勢者となって子供の性を脅かす場合がそうである。また、
乳母が母の代わりとなったり母と融合するというのは、〔図式の〕今ひとつの効果である。図式に対する体験
の矛盾は幼児期葛藤に材料をたっぷり供給するようである。
  第二の問題もこの問題からそんなにかけ離れているわけではないが、比較にならないほどより重要である。
再活性化された原場面に対する四歳児の振舞いを考慮するなら、いやこの場面を体験したときの一歳半の子供
のはるかに単純な反応を考えてみるだけでも、なんらかの知が――どのような知なのかはっきり述べることは
難しいが――理解を準備するようなものとして、その際子供において一緒に働いているという考えを排除する
ことは困難だろう。この知が奈辺に存しているかは、想像を絶する。われわれの手中にあるのはただ、動物の
広範な本能的知を一つの顕著なアナロジーとして提示することだけである。
  人間にもそのような本能が所有されているのなら、それは別に性生活に限定されるいわれはないにしろ、
性生活の出来事をことさら標的としたとしても、不思議はないであろう。こうした本能は無意識の核であり、
原始的精神

   *58 この振舞いが二十年後になってようやく言語化され得たということは度外視してかまわないだろ
う。というのも、この場面からわれわれが導き出すあらゆる効果は、症状や強迫の形態をとって、分析のはる
か以前の幼年期にすでに表出されていたのだからである。その場合、この場面を原場面と見るか、あるいは原
空想と見なそうとするかは、無関係である。
   *59 改めて強調しておかねばならないが、夢や神経症が幼年期自身のものでないなら、こうした考察
は無益であろう。

作用であって、それは、後に獲得される人間理性によって廃位されて上から覆い被されるのであるが、それで
も、頻繁に、いやもしかしたらすべての人間において、より高次の心の過程を自分のところにまで引きずりお
ろす力を
保持するのである。抑圧とはそうすると、この本能的段階への逆戻りであって、人間は新たな獲得物の代価と
して神経症になる能力を与えられ、神経症の可能性によって、より以前の本能的前段階の存在を証拠立てると
いうことになろう。一方、早期幼年期の外傷の意義とは、この本能的無意識に材料を供給して、無意識が後続
の発展によって喰い尽くされるのを防ぐところに存するだろう。
  心の生活において系統発生的に獲得された遺伝的契機を強調する類似の考えが、様々な方面から述べ立て
られてきたことは、私も知っているし、それどころか、そうした考えは、精神分析的に実地に検分されるにあ
たって、安易にしかるべき地位が認められようとしてきた、とすら思っている。精神分析が〔個体発生から系
統発生へという〕正しい審級関係を厳守しつつ、個人的獲得物の層を突き抜けた後で、遺伝の痕跡に行き当た
ったときにはじめて、そうした考えは許容されるのだと私には思われる。

   *60 〔一九二三年の追加〕ここでもう一度、この病歴で言及された出来事の年代記をまとめておきた
い。
    クリスマスの日の誕生。
    一歳半:マラリア。両親の性交ないし、のちに性交の空想が置き入れられた両親の同衾の観察。
    二歳半少し前:グルーシャとの場面。
    二歳半:姉を連れた両親の旅立ちの遮蔽想起。これによると彼はナーニャと二人きりであり、だから
グルーシャと姉の存在が否認されている。

    三歳三ヵ月より前:医師に対する母の嘆き。
    三歳三ヵ月:姉による誘惑の開始、まもなくナーニヤによる去勢の脅し。
    三歳半:イギリス人の女家庭教師、性格変化の開始。
    四歳:狼の夢、恐怖症の発生。
    四歳半:聖書物語の影響。強迫症状の登場。
    五歳少し前:指の喪失の幻覚。
    五歳:最初の領地を離れる。
    六歳以降:病気の父を見舞う。
    Ⅷさい十歳:強迫神経症の取後の勃発。
    【十七歳:淋病に触発された意気消沈状態。
    二十三歳:治療の開始。
  次に挙げる諸事件の年月は確定的ではない。
    原場面(一歳半)と誘惑(三歳三ヵ月)の間に食欲障碍。
    同じ時節に:囗のきけない水運搬人。
    四歳以前:犬の交接を観察した可能性。
    四歳の誕生日後:蝶(キアゲハ)に対する不安。】
    私の叙述から、患者がロシア人であったことは簡単に推測できるだろう。私は彼が治癒したと判断し、
世界大戦の思いがけない勃発の数週間前に解放し、一進一退する戦況をへて中欧諸国が南ロシアと通交できる
ようになって初めて、彼に再会した。そのとき彼はウィーンにやってきて、医師の影響から脱却するために、
施療終了直後からなされた奮闘努力のことを報告した。数力月の作業によって、いまだ克服されていなかった
個所の転移が制覇された。それ以来、戦争のせい

   で故郷も財産もあらゆる家族関係も奪われていた患者は、白分を正常と感じており、その挙動も申し分
ない。もしかしたら、まさに悲惨な目にあって罪責感情が満足されたために、彼の回復はしっかりとしたもの
になるように益されたのかもしれない。

一 一 一 一 一 一   一一  一 一’一一 一    一      一    一一  ”  
一一一一一    一

論 稿二九一五年)

戦争と死についての時評
Zeitgemasses uber Krieg und Tod
I 戦争がもたらした幻滅         

  われわれは、この戦時の渦に飲み込まれ、一方的な情報しか与えられず、既に実行されたか、あるいは実
行され始めている様々な大変動から距離を取ることができず、未来がこれからどのような形になっていくかを
察知することもできないでいる。このような状況においてわれわれは、しきりに脳裏をよぎる様々な印象の意
味を測りかね、自らが下す様々な判断の値踏みをどうつけてよいかわからなくなる。かくも大量に人類の高価
な共有財を破壊し、かくも多数の明晰この上ない知識人たちの頭を混乱させ、かくも根こそぎ高貴なものを貶
めた出来事は、かつて一度もなかったように思われる。学問でさえ、激情に左右されない不偏不党性を失った。
憤懣やるかたない学究の徒らは、敵に立ち向かうべく、学問の武器を取り出そうとしている。人類学者ならば、
敵のことを劣等かつ堕落していると説明するに違いないし、精神科医ならば、敵には精神の――あるいは心の障
碍があるという診断を下すに違いない。しかしおそらく、われわれはこの時代の悪をけた外れに強く感じてい
るのである。われわれには、この時代の悪を、自分が生きたことのない他の時代の悪と比較する権利はない。
  自分自身は戦闘員とならず、そのため、戦争という巨大な機構の小さな部品にならなかった人はみな、自
らの方

向付けに混乱を感じ、自らの能力に自信をなくした気持ちでいる。私が思うに、少なくとも自分の心の中だけ
でも取るべき道を見つけることを容易にしてくれるなら、どのように小さな示唆でも、このような人に歓迎さ
れるだろう。家に残った人々の心を悲惨なものにした諸要因は、彼らにとって克服すべき重い課題となってい
るのだが、私はそれらのうち次の二つの要因を特に取り上げて、この場で論じようと思う。一つは、この戦争
が呼び起こした幻滅であり、もう一つは、この戦争が――他のすべての戦争と同じように――私たちに強いる、
死についての考え方の変化である。
  私が幻滅について語るとき、幻滅という言葉で何を言おうとしているか、誰でもすぐに分かるだろう。な
にも、思いやりの信奉者である必要はない。人間生活の経済を支えるためには、生物学的、心理学的な苦しみ
が必然的に発生すると了解してもよい。しかしそれでも、戦争をおのれの手段と目標にすることを断罪し、戦
争の終結を切望してよいのである。たしかに、次のように言われてきたものである。諸民族が、かくも種々
様々な生存条件のもとで生活している限り、また、個々の生活の価値付けが民族によって大きくかけ離れてい
る限り、また、諸民族を引き離す悪意ある言葉の数々が、かくも強い心的欲動力を表している限り、戦争を終
結させることはできないだろう、と。それ故、未間民族と文明化された民族との間の戦争や、皮膚の色を異に
する人種間の戦争や、ヨーロッパのあまり発展していない、あるいは粗野な諸民族との戦争や、それらの民族
相互の戦争に、人類が、なお相当に長い間、煩わされるであろうということは、仕方がないと思われていた。
しかし、それとは違うことを望む余地もあった。世界を支配する白色人種の列強国の人々には人類の指揮が委
ねられ、彼らは、世界を覆う利害を調停する義務に従事していると自負していた。彼らはまた、自然を支配す
る技術的進歩を遂げ、芸術的、学問的な文化価値を創造し

た。こういった列強国の諸民族ならば、紛争や利害の対立があっても、戦争とは別の方法でけりをつけるすべ
を心得ているであろうと、期待されていたのである。このような列強国の内部には必ず、高度な道徳規範が
個々人のために据え付けられており、個々人は、自分が文明共同体の一員でありたいなら、その道徳規範に則
って自らの生活方針を立てなければならなかった。道徳規範がもたらす規則は、しばしば過度に厳格であり、
個々人から多くを要求した。大きな自己制約や、欲動満足の広範囲にわたる断念を要求したのである。何より
も、隣人との争いにおいて、嘘とごまかしの使用がもたらしてくれる特別な利益を我が物とすることが禁じら
れた。文明国は、こういった道徳規範を国家存続の基盤とみなし、それをあえて侵す者には重い罪を問うた。
文明国はしばしば、批判的悟性によって道徳規範を単に吟味にかけることさえ、無用なことと宣言していた。
それ故、文明国自身も道徳規範を尊敬しており、道徳規範に逆らうようなことは何一つ企てるつもりはないで
あろうと、仮定されていたのである。そのようなことをしたら、文明国はその存続を自ら危うくすることにな
っただろう。ついには、文明国の中に弱小民族集団が散らばって存在することさえ、認められるようになった。
そういう民族集団は周りとほとんど親交を結ぶことがなく、文化的共同事業への参画が許されたとしても、適
性ありと十分に証明された部門においてだけ、しかも渋々と許されるに過ぎなかったのだが、存在することは
認められたのである。一方、規模の大きい諸民族について言うならば、彼らは互いの共通性に関しては大いに
理解を深め、互いの相違に関しては大いに寛容の精神を獲得していったので、彼らにとって、「疎遠な〔異人
の〕」という言葉と「敵の」という言葉は、古典的古代の時代のように一つの概念へと融合することはなくな
った。
  文明国同士のこのようなまとまりを信用して、数えきれないほどの人々が故郷の住まいを離れて異国に滞
在する

ようになった。そして友好的な諸民族の相互関係に、その生存を託したのである。しかし、生活上の必要から
同じ場所に縛りつけられない人は、文明国のあらゆる長所と魅力を集めて、邪魔されることも蔑まれることも
なく歩ける、新しい、もっと偉大な祖国を建てることができた。こうして彼は、青い海や灰色の海を、雪山の
美や緑の草原の美を、北方の森の魔力や南方の草木の華やかさを、そしてまた、偉大な歴史的記憶を宿す風景
のたたずまいや原生自然の静寂を楽しんだのである。このような新しい祖国は、彼にとって、一つの博物館で
もあった。それは、文明化された人類の芸術家たちが何百年もの時をかけて創り出し、後世に残してくれた宝
物で満たされていた。この博物館の部屋から部屋へと歩みを進めるにつれて、彼は偏りのない賞賛の心で確認
することができたのである。血の交わりや歴史や出身地の特徴が、彼の広範な同国民の間に、なんと様々なタ
イプの完全性を発展させてきたかを。ここでは、冷静で意志を曲げない活力が最高度に発揮されたかと思うと、
あそこでは、生を美しくする優雅な芸術が花開き、また別のところでは、秩序と法への感覚や人間を大地の主
となした諸特性が発達したという具合である。
  さらに、文明世界の国民たちが、それぞれの国に独自の「パルナッソス」や「アテネの学堂」を造ったこ
とも、忘れてはならない。ありとあらゆる国民の偉大なる思想家、詩人、芸術家たちから、各国民は、人生を
享受し、その理解を深める際に参考にすることのできた最善のものを選り抜いた。そして、その人々を、彼自
身の言葉で語る親しき巨匠たちと回じに扱って、尊敬の念を込めて不滅の古人に加えたのである。これらの偉
人のうち誰一人として、人間的情熱の比類なき探求者であろうと、美に酔いしれる夢想家であろうと、はたま
た、激しく威嚇する預言者であろうと、鋭敏な嘲笑家であろうと、自国語とは異なる言語で語るからといって、
彼にとって、疎遠な〔異国の〕と思われることはなかった。そしてそのように感じたからといって、自分の国
家や愛すべき母国語に背いたと

いう非難を受けることも、決してなかったのである。
  もちろん、文化共同体の構成員同士であっても古くから伝わる違いはあり、それによる戦争は避けられな
いであろうという声によって、折りにふれ、文化共同体の享受は妨げられた。だが、その声を信じようとする
者はいなかった。そもそも、そういう戦争が起こったとしたら、それをどのように思い描けただろう。古代ギ
リシアのアンビクティオン同盟は、同盟に属する都市の破壊やオリーブ樹の切り倒しや水源の遮断を禁止して
いたものだが、その時以来受け継がれてきたはずの人間の共同感情が、どれくらい進歩したかを示す機会とし
てだろうか。それとも、騎士道的な戦闘としてだろうか。騎士道的な戦闘というものは、対立する二人のうち
の一方の優越性を確認するだけにとどめようとするものであり、その決定に何の影響も及ぼさないようなひど
い損害は、できる限り回避する。戦いから退かねばならない負傷者や、負傷者の治療に携わる医師や看護人に
は、十分な配慮を払うことになっていたのだ。もちろん、住民のうち戦闘に携わっていない人々、たとえば、
軍役に就いていない女性たちや、成長した暁には双方を互いに結ぶ友人や協力者になるであろう子どもたちに
対して、あらゆる配慮を払うことは、言うまでもないことだった。また、平時の文化共同体を体現している国
際的事業や国際機関をすべて維持することも、言うまでもないことだった。
  そのような戦争であってもやはり、恐ろしいこと、耐えがたいことを嫌というほど含んでいたことだろう。
だがそれは、民族や国のような大きな人間集団の間に結ばれている倫理の絆の発展を、ぶち壊しにすることは
なかったはずなのだ。
  こんな戦争があろうとは信じられないような戦争が、今や勃発した、そして――幻滅をもたらしたのであ
る。こ

のたびの戦争は、攻撃と防衛の武器が非常に完成されていた。そのため、これまでのどの戦争よりも血なまぐ
さく、損害の大きいものとなっただけでなく、昔の戦争のいずれに比べても、少なくとも同じくらいに残酷で
激烈で配慮に欠けたものである。この戦争は、平時には守ってきたはずの国際法と呼ばれてきた制限を超える
ところに置かれている。そして、負傷者や医師の特権や、非戦闘員と戦闘員の区別や、私有財産の保全要求を
認めない。この戦争は、邪魔になるものを度外れの怒りで打ち倒す。まるでその戦争の後、人々の間に未来も
平和も一切存在させまいとするかのようである。この戦争は、たがいに格闘する諸民族同士の共同体的絆を引
き裂き、諸民族の再結合を長きにわたって不可能にするような憤激を後に残す。
  この戦争はまた、ほとんど理解できないような現象を出現させた。それは、文明化された諸民族が、互い
に知り合い、互いに理解し合うことがあまりにも少ないために、互いに憎しみと嫌悪をもって対抗しさえする
ようになるという現象である。それどころか、偉大なる文明国の一つが、かくも広範にわたって嫌われるとい
う現象や、その文明国を「野蛮」だとして文化共同体から排除しようとする試みがあえて実行されるかもしれ
ないという現象も出現させた。その国が文明国だということは、文化に寄与するすばらしい業績によって、と
うの昔に証明されているにもかかわらずである。私たちは、不偏不党の歴史記述が次のことを証明してくれる
という希望を糧に生きている。すなわち、その言語を私たちが話し、その勝利のために私たちの愛する者が戦
っているこの国は、人間の礼儀作法の掟に違反することがもっとも少なかった国だと証明して欲しいのだ。し
かし、このような時代において、誰が自分の事に公正であり得よう。
  諸民族は、それらをまとめる国家によってほぼ代表される。そして、国家は、それを率いている政府によ
って代

表されている。個々の民族メンバーは、この戦争において、平時においてすでに時には強いられているような
ことを、恐怖をもって確認することになる。すなわち、国家が個人に不正の使用を禁じていたのは、国家がそ
れをこの世から無くそうと思うからではなく、塩やタバコのように不正の使用を占有しようと思うからだった
のだ。戦争中の国家は、個人ならば名誉を失うようなあらゆる不正や暴力を、国家自身には許す。戦争中の国
家は、敵に対して、許可された策略だけでなく、意識的な嘘や計画的な詐欺を用いる。しかも、かつての戦争
における慣用を上回ると思われるほどまでになのである。戦争中の国家は、その市民に極度の服従と獣身を要
求する。しかもその際、おびただしい隠蔽をしたり、通信や意見表明を検閲したりすることによって、市民に
禁治産宣告をするのである。検閲というものは、このようにして、知的に抑制された人々の声を、不利な状況
やひどいうわさに対して無防備にする。戦争中の国家は、それによって他の国と結ぱれていた保障や条約から
離反して、強欲と権力志向の持ち主であることを恐れ気もなく認めるのである。そうなると個人は愛国主義に
よって、それを承認せざるをえない。
  不正を使用すると不利になるからという理由でしか、国家が不正の使用を断念することはあり得ない。こ
のことに反論の余地はない。個人にとっても、道徳規範の遵守や残忍な権力行使の断念は、通常、実に得にな
らないものである。しかも国家は、国家が個人に要求した犠牲の償いをする能力さえめったにないことが、明
らかになっている。驚くにはあたらないことだが、人間の大きな集合の間で道徳的関係が緩みきってしまうと、
個人の道徳性にもそれが反映されてくる。なぜなら、われわれの良心は、倫理学者〔道徳家〕たちが称するよ
うな、意志を曲げない裁判官などではないからである。良心とはその起源からして「社会的不安」なのであり、
それ以外のものではない。共同体が非難を止めるところでは、悪い欲望の抑制もなくなってしまう。そして、
人間は、残忍、悪意、裏切り、

粗暴の行いをする。そういう行いの可能性は、共同体の文明的水準とは両立しないと思われてきたのだが。
  私がいましがた紹介した文明世界の市民は、疎遠なものとなってしまった世界において、途方に暮れてい
るかもしれない。彼の偉大なる祖国は崩壊し、共同財産は荒廃し、同国民たちが離反し品位を落としていると
いうのだか戦争への彼の幻滅について、注目すべき意見の統一があるだろう。戦争への彼の幻滅は、厳密に言
って、正当なものとは言いがたい。なぜなら、幻滅とは、錯覚の破壊によるものだからである。錯覚は、不快
感を免れさせ、不快感の代わりに満足をわれわれに味わわせてくれるので、われわれは、つい錯覚へと招き寄
せられてしまう。だが、われわれは嘆くことなく甘受しなければならない。錯覚というものが現実の一片に一
度でもぶつかったなら、それによって粉々になってしまうということを。
  このたびの戦争において、われわれの幻滅は次の二つの意味で強く感じられた。一つは、内側に向けては
道徳規範の監視人として振舞っている諸国家が、外向きに見せる道徳性の低下についての幻滅。もう一つは、
個々人の振舞いの残忍さである。それは、もっとも高度に人間的な文明に参与する者にそういうものがあろう
とは信じられなかったような残忍さであった。
  われわれは第二の点に取りかかり、われわれが批判しようとしている見解を一つの短い文で捉えることを
試みよう。個々の人間が道徳性のより高い段階に到達する道筋を、いったいどのようにイメージできるだろう
か。第一の答は、個々の人間は、誕生の時から、つまり初めから善良であり高貴である、というものである。
第一の答は、ここではこれ以上考慮されるには及ばない。第二の答は、ここには一つの発達経過が存在するに
違いないということ

を、大いに強調する。この答は、発達につれて人間の悪い傾向性が根絶され、教育と文化的環境の影響の下で
悪い傾向性が善への傾向性に置き換えられると仮定するだろう。
  しかしこの答も、われわれが異論を唱えようとしている命題を含んでいる。実際のところ、悪の「根絶」
などというものはない。心理学的――より厳密に言えば精神分析的――探求はむしろ、人間のもっとも深い本
質は欲動の蠢きにあることを示している。欲動の蠢きは基本的本性に属するものであり、すべての人間におい
て同じであり、ある種の根源的欲求の充足を目指しているのである。これらの欲動の蠢きは、それ自身として
は善くも悪くもない。われわれが、欲動の蠢き、およびその表れを、欲求との関係や人間共同体からの要求と
の関係に応じて、善悪に分類しているのだ。社会から悪いものとして忌避される欲動の蠢きはすべて――われ
われは自己愛的傾向性と残忍な傾向性をその代表とみなす――、このような原始的状態のもとにあるというこ
とを、正しいと認めるべきである。
  これらの原始的蠢きが成人において活動を許されるまでには、長い発達の道のりがある。発達の過程で、
これらの原始的蠢きは、せきとめられたり、別の目標や領域に導かれたり、互いに融合したり、その対象を取
り替えたり、部分的に自分自身の人格に向かったりする。ある種の欲動に対する反動形成は、その欲動の内容
的変換を装う。あたかも利己主義から利他主義が、残忍さから思いやりが生ずるかのように。こういった反動
形成にとって、幾つもの欲動の蠢きがほとんど最初から対立対として現れることは大いに役に立つ。対立対と
は、非常に奇妙な、一般的知識にとって見慣れない関係であり、「感情両価性」と名付けられてきた。もっと
もたやすく観察されること、そして理解によって把握されることは、強い愛と強い憎しみが非常にしぱしば同
一の人格において互いに一つになって生じるという事実である。精神分析は次のことを付け加える。二つの対
立する感情の蠢きが同一の人格を対象

とすることもまれではないと。
  そのような「欲動運命」をすべて乗り越えた後で明らかとなるのは、一人の人間の性格と呼ばれるもので
あり、これは、周知のように、非常に不十分な仕方で「善い」とか「悪い」とか分類されるのである。人間と
いうものは、完全に善いとか、完全に悪いとかいうことはめったにない。たいていの場合は、しかじかの関係
において「善い」、また別の関係では[悪い]、しかじかの外的条件のもとで「善い」、また別の条件のもと
では明らかに「悪い」、ということなのである。次のような経験は興味深い。それは、強力な「悪い」蠢きが
子どもの頃にまず現れることが、しばしば、成人が「善」へと、ことのほか明白に転回するためのまさしく条
件となるということを見聞きする経験である。もっとも強烈で子どもっぼい利己主義者たちが、もっとも親切
で献身的な市民になり得る。情け深い人や人類友愛者や動物愛護者はたいてい、幼きサディストや動物虐待者
から発達したのである。
  「悪い」欲動の〔「善い」欲動への〕作りかえは、同じ意味で作用する二つの要因、すなわち内的要因と
外的要因の仕事である。内的要因は、性愛、より広い意味で言うなら愛の欲求〔愛されたいという欲求〕によ
って、悪い――自己愛的と言われている――欲動に影響を及ぼす働きをする。性愛的構成要素が混じることによって、
自己愛的欲動は社会的欲動へと変換される。人は愛されることを、そのためには他の利益を断念してもよいよ
うな利益として評価することを学ぶのである。外的要因とは、教育による強迫である。教育は文化的環境の要
求を代表するものであり、文化的環境の直接的作用によって続けられる。文明は、欲動満足の断念によって獲
得されたのであり、新たにやってくる者みなに、その欲動を断念することを要求するのである。個人の生が進
む間に、外的強迫から内的強迫への絶え間ない置き換えが行われる。文化の影響力は、性愛的要素を付け加え
ることによって自己愛的努力が、できる

かぎり利他的、社会的努力に変換されるように人を導く。ついには次のように仮定してもよいだろう。人間の
発達において影響力を持つすべての内的強迫は、根源的には、すなわち人類史に根差すものとしては、外的要
因だけだったと。今日生まれる人々は、利己的な欲動を社会的な欲動に変換する傾向性(態勢)の一片を、ち
ょっとした刺激でこの変換をやりとげる遺伝的編成として、持ち合わせている。そして、この欲動変換はやが
て、人生そのものにおいて成し遂げられることになる。そのような仕方で、個々の人間は、彼の現在の文化的
環境の作用のもとにあるだけでなく、彼の先祖がたどった文明の歴史が及ぼす影響の支配下にもある。
  われわれは、性愛の影響のもとに利己的欲動を〔社会的欲動へ〕変換するという人間にふさわしい能力の
ことを、人間の文化適性と呼ぼう。この文化適性というものは、ふたつの部分から成っている。一つは生まれ
つきの部分であり、もう一つは人生において獲得される部分である。両部分の相互関係や、欲動生活のうち変
換されないままの部分への関係は、非常に多様である。
  一般的に、われわれは生まれつきの部分を過大評価しようとする。そしてその上、原始的なままとどまっ
ている欲動生活に対する文化的適性の関係においては、文化的適性の全体を過大評価するという危険を冒すの
である。すなわち、われわれは、人間たちを現実にそうであるより「ずっと善い」と判断しがちなのである。
というのも、さらに別の契機もあるからであり、それは、われわれの判断を濁らせ、結果を好ましい意味に歪
曲してしまう。
  他者の欲動の蠢きはもちろん、われわれの知覚の外にある。われわれは、他者の行為と態度から他者の欲
動の蠢きを推論する。他者の行為と態度を、われわれは、他者の欲動生活から出てきた動機に帰する。そのよ
うな推論は、幾つかの場合において、必然的に道を誤るものである。同一の「善い」文化的行動が、ある時は
「高貴な」動機に由

来するものであり、別の時にはそうではないということがあり得る。理論的倫理学者は、善なる欲動の蠢きの
表れである行動だけを「善い」と呼び、そうでない行動には彼らの承認を拒否する。しかし、実践的意図によ
って導かれている社会は、このような区別をまったく意に介さないのである。実践的意図によって導かれてい
る社会は、人間が自分の態度と行動を、文化的規則に従わせていることで満足するのであり、その動機を問う
ことはまずないのである。
  われわれが聞いたのは、教育と環境が人間に及ぼす外的強迫が人間の欲動生活をより大幅に善へと作り変
え、エゴイズムから利他主義への転換を引き起こすということである。しかしこういうことは、外的強迫の必
然的あるいは規則的な作用というわけではない。教育と環境は、愛というご褒美だけで人を動かすのではなく、
別の仕方で、すなわち、報酬と罰で人を動かす。それゆえ教育と環境は、教育と環境の支配下にある人に、文
化的意味において善い行動をする決心をさせる――欲動を高貴にすることや、利己的傾向性を社会的傾向性に
置き換えることが、その人の内面で行われたわけではないにせよ。その結果はおおまかなところ、同一となる
だろう。特殊な関係のもとで初めて分かることだが、欲動傾向性に強いられるために常に善い行いをする人も
いれぱ、文化的態度が彼の利己主義的意図に利益をもたらす限りにおいてのみ善である人もいる。しかしわれ
われは、個々の人間と表面的に知り合うだけでは、上記の二つの場合を区別する手段を持たない。そこでわれ
われは、おそらく楽天主義によって、文化的に改造された人間の総数を高く見積もりたいという誘惑に駆られ
る。
  善い行為を要求するだけで、その行為がどういう欲動に基づいているかを気にかけない文明社会は、それ
故、非常に大きな数の人間を文明に服従させてきた。しかし、かれらはその際、彼らの本性に従ったわけでは
なかった。

このような成功に気をよくして、文明社会は道徳的要請を可能な限り高く掲げてしまい、その構成員を欲動的
素質からさらに一層離れるように強制してしまったのである。文明社会の構成員たちには、いまや、絶え間な
い欲動の抑え込みが課されている。欲動の抑え込みの緊張は、奇妙な反動形成および代償形成の現象に表れて
いる。性欲の領域においては、非常にわずかしかこの抑え込みを遂行することができない。そのため、神経症
の発病という反応現象が生ずることになる。文明が及ぼすそれ以外の圧力は、なるほど、いかなる病的結果も
示さない。しかしそれは、性格の歪みをもたらしたり、阻止された欲動が絶えず待機している状態をもたらし
たりする。阻止された欲動は、充足への適当な機会をつかまえて姿を現そうと、待機しているのである。絶え
ず、指示に則って反応するように強要されている人は、その指示が自分の欲動傾向の表現ではないのだから、
心理学的に理解するならば、分不相応な暮らしをしているのである。そして、客観的に言うなら、偽善者と呼
ばれても仕方がない。彼にとってこの違いが明確に意識されるかどうかは、どうでもいい。私たちの現在の文
明がこの種の偽善者を異常なまでに広範囲にわたって養成していることは、否定できない。あえて主張するこ
ともできるだろう。現在の文明はそのような偽善の上に建てられていて、もし人間たちが心理学的真理に従っ
て生きることを企てたなら、深層に達する変更を我慢しなければならないのだと。従って、現実に文明的であ
る人間よりもはるかに多くの文明的偽善者が存在する。もちろん、一定量の文明的偽善が文明の維持のために
欠かせないものであるかどうか、議論の余地はあるだろうが。
なぜなら、今日生きている人間たちが備えている、すでに組織された文明適性だけでは、文明を維持する任務
のために十分ではないかもしれないからである。別の面から言えば、これほどいかがわしい土合の上でも文明
が維持されていることが、次のような見込みを与えてくれるのである。すなわち、新しい世代の各々が、より
よい文明の担

い手として、先の長い欲動改造の道に乗り出してくれるという見込みを。
  ここまでの論究から、われわれはすでに一つの慰めを取り出した。それは、このたびの戦争でわれわれの
世界市民たちが見せた非文明的振舞いのためにわれわれが受けた侮辱やつらい幻滅は、そもそも正当なもので
はなかったという慰めである。われわれが受けた侮辱やつらい幻滅は、われわれを捉えていた錯覚に基づいて
いたのである。実際のところ、世界市民は、われわれが恐れたほどひどく品位を下げたのではなかった。なぜ
なら、世界市民は、われわれが彼らについて信じていたほど、品位が高くなかったからである。民族や国家と
いった大きな人間集団が互いに対する道徳的制約を堕落させたことは、文明の持続的圧力をしばし逃れること
や、差し止められていた欲動に一時的な充足を認めることを促進した。その際、彼らの民族性の内部にある相
対的道徳性には、おそらくいささかの崩壊も発生しなかった。
  われわれは、しかし、この戦争がわれわれのかつての同国人にもたらした変化について理解をもっと深め、
彼らにいかなる不正も働いてはならないという警告を受け取ることができる。心の発達には、それ以外のいか
なる発達経過にも見出されない特徴がある。村が街に、子どもが大人に成長していく時、村は街の中に、子ど
もは大人の中に消える。その記憶のみが、古い面影を新しい姿の中に書き込むことができるのだが、実際には、
古い素材や形式は取り除かれ、新しい素材や形式と取り替えられる。しかし、心の発達においては、そうでは
ない。他の発達とは比較され得ない心の発達の実情を描写するには、次のような主張によるほかない。それは、
発達のどの段階においても、先行段階から生じた後続段階の隣に、先行段階が保持されているという主張であ
る。変化の全行程が進行するのが同じ素材においてであるにもかかわらず、心の発達の継起は、共存在を生み
出す。先行する心の状態は、た

とえ何年ものあいた表現されなかったとしても、存在を保ち続ける。そして、ある日、あたかも後続の発達が
すべて無効とされ、取り消されでもしたかのように、先行段階が再び心の力を表現する形式、しかも、唯一の
形式となり得るのである。心の発達が持つこのような特別な可塑性は、その方向において、制限なしというわ
けではない。それは、後退-すなわち退行-に向かう特別な力と呼ばれる。というのも、後続のより高い発達
段階は、それが失われたなら、二度と達成され得ないからである。一方、原始的状態は、いつも再び元通りに
される。原始的な心の状態は、そのまったき意味において、不滅なのである。
  いわゆる精神疾患は、精神および心の生活が破壊に至ったような印象を、素人に呼び起こすに違いない。
実際には、破壊されるのは、より後期の獲得物や発達だけなのである。精神疾患の本質は、情動生活と機能が
より早期の状態に回帰してしまうところにある。われわれは夜毎、眠ろうと努めるわけだが、睡眠状態は、心
の生活の可塑性を示すのにびったりの例を与えてくれる。われわれが支離滅裂で混乱した夢を翻訳することに
習熟して以来わかったことなのだが、人は眠り込むごとに、苦労して獲得した道徳性を、まるで衣装のように
脱ぎ捨て――朝になったら再び道徳性を行使する。道徳性を脱ぎ捨てて心がむき出しになることは、もちろん
危険ではない。なぜなら、睡眠状態によってわれわれは麻痺させられ、活動しない状態に置かれているからで
ある。夢だけが、われわれの感情生活がもっとも早期の発達段階に退行するありさまについて、情報を与えて
くれる。そこで、たとえば、われわれの夢がすべて、純粋に利己的な動機によって支配されているということ
は、注目に値する。私のイギりスの友人の一人が、アメり力の学問的会合の席でこの命題を主張したところ、
そこに居合わせた女性が、それはオーストリアに関して正しいかもしれないが、彼女と彼女の友人には当ては
まらない、自分たちは夢の中でも利他的に感じると

コメントした。私の友人は〔オーストりア人ではなく〕イギリス人だったのだが、夢分析における彼自身の経
験に基づいて、その女性に、断固として反論しなければならなかった。たとえ高潔なアメリカ女性であっても、
夢の中ではオーストリア人と同じように利己的であると。
  われわれの文明適性がそれに基づいているところの欲動改造もまた、人生の様々な作用によって――持続
的であれ一時的であれ――後退せしめられることがある。疑いなく、戦争の影響は、このような後退を引き起
こしうる諸力と同じ働きをする。だから、われわれは、現在、非文明的に振舞っている人すべてから、文明適
性を剥奪するには及ばない。われわれは、平和な時代には彼らの欲動の高貴さが再び元通りになるだろうと期
待してよい。
  あれほど苦痛に感じられた世界市民の道徳的堕落に負けず劣らず、かれらの別の症状がわれわれを驚かせ、
怖がらせた。私が言っているのは、もっとも優秀な頭脳においてさえ示されている無分別、強く心に訴える議
論に対しての頑なさや受容力のなさ、反論の余地のある主張への批判なき信じやすさのことである。こういっ
たことは、たしかに嘆かわしい光景をもたらす。だが私ははっきりと強調しておこう。私は分別を失った政党
支持者のように、二つの面の一方にだけ、すべての知的過ちを見出すことは決してしないと。しかしこのよう
な現象は、さきほどから重要視してきた現象よりも、ずっと説明しやすく、不審なところが少ない。人情の機
微に通じた人や哲学者たちは、われわれにずっと前から次のように教えてきた。われわれの知性を自立的な力
と評価したり、知性が感情生活に依存していることを見過ごしたりすることは、正しくないということを。わ
れわれの知性は、感情の強力な蠢きの影響から遠ざけられている時、ようやく信用のおけるものとして働き得
るのである。そうでない時には、知性は、意志の道具のように振舞い、意志によって命じられている結果をも
たらすのである。論理的な議論は、それゆえ、

情動的利益に対して無力であり、理由をあげての争いは、利益の世界では不毛である。理由というものは、フ
ォルスタッフの言葉によれば、ブラックベリーのように、どこにでもあるのだから。精神分析の経験は、この
ような主張を、さらに強調したものかもしれない。精神分析の経験が日々教えてくれることだが、もっとも頭
脳明晰な人々であっても、求められた洞察が自分の感情的抵抗に遭遇するやいなや、突然、まるで精神薄弱者
のように無分別に振舞うものである。そして、感情的抵抗が克服されれば、再び理解力をすっかり取り戻すの
である。この戦争は、しばしば、もっとも善良なわれわれの市民たちを幻惑して、論理的分別を喪失させたの
だが、それは一種の二次的現象であり、感情的興奮の結果なのである。おそらくそれは、感情的興奮とともに
消えるに違いない。
  このような仕方で、われわれから遠ざけられた市民を再び理解するならば、われわれは、大きな人間集団
や民族がわれわれに引き起こした幻滅を、はるかにたやすく耐え忍ぶことができるだろう。なぜなら、われわ
れは集団や民族に、ずっと控えめな要求しかしないからである。これらは、おそらく個人の発達を繰り返して
いるのであり、より高度な統一体の組織や機構の非常に原始的な段階を、今日もなおわれわれに示しているの
である。そのような対応なので、道徳性に向かわせる外的強迫の教育的契機は、個人において非常に効果があ
ることが見出されたのだが、それら〔大きな人間集団や民族〕においては、まだほとんど証明されていない。
われわれはたしかに、希望を持っていた。交通と生産によって生み出された大規模な利益共同体が、このよう
な強迫の始まりを、結果としてもたらすことを。しかし、民族は目下のところ、彼らの利益よりも彼らの情熱
に従っているように見える。諸民族は、情熱を合理化するために利益を最高度に利用する。彼らは、情熱を満
足させることを根拠づけできるように、利益を口実とするのである。いったいなぜ、個々の民族が互いに軽ん
じ合い、憎しみ合い、嫌悪し合うのだろう。しかも

平時においてさえ、そうであるし、国家間にもそういうことがある。これはたしかに不可解なことである。私
には何と言っていいかわからない。このような場合、事態はまさにこうである。すなわち、人々が集まって多
数派を作るとき、あるいは何百万人という集団ができるとき、個々人の道徳的獲得物がことごとく失われて、
もっとも原始的で、もっとも古い、もっとも粗野な心的態度のみが残ったかのようになる、ということなのだ。
おそらく、後世の発達がようやく、このような遺憾な事態をいくぶんなりとも変えることができるのだろう。
ただし、人間たちの相互関係、および人間たちと統治者の間にある関係に、あらゆる方面からもう少し誠実さ
と正直さがあれば、このような変革への道も平らになるかもしれない。

Ⅱ 死に対するわれわれの態度

  かつてあれほど美しく、親しいものだった世界において、われわれがかくも疎遠な感じを受けるのはなぜ
なのか、その理由として私が取り上げる第二の契機とは、これまでわれわれが固く守ってきた死への態度の混
乱である。
  死に対するわれわれの態度は、決して率直なものではなかった。人が聞いているときには、われわれはも
ちろん、進んで主張したものだ。死はあらゆる生命の必然的な結末なのだ、と。われわれは誰しも、自然から
死を負わされているのであり、その負債を支払う心構えをしておかなければならないのだ、と。要するに、死
は自然であり、否定することも避けることもできないのだ、と。しかし、実際には、われわれは、あたかもそ
うではないかのように振舞ってきた。われわれは、死を脇へ押しやり、死を生から締め出そうとする傾向を、
まぎれもなく示してきたのである。われわれは、死を黙殺しようと努めてきた。われわれは、次のような格言
さえ持っている。「物事は、死
について考えるように考えるべし」。これはもちろん、自分の死について考えるように、ということである。
自分自身の死というものは、どうしても思い描けないものである。何度も思い描こうとしてわかることは、そ
れについてわれわれは、本当のところ、傍観者にとどまり続けるということである。そこで、精神分析学派に
おいて、あえて表明することができたのは、こういうことである。すなわち、根本のところでは、誰も自分の
死を信じていない。あるいは同じことだが、無意識においては、われわれはみな、自分の不死性を確信してい
る。
  では、他人の死ならどうかというと、文明人は、死ぬと決まった人が聞くかもしれない時には、死の可能
性について語ることを極力避けようとする。こうした制約を飛び越えるのは子どもだけである。子どもは恐れ
気もなく、「そんなことしたら死んじゃうぞ」と互いに脅かしあうし、愛しい人に面と向かって、こんなこと
も言う。たとえば、「大好きなママ、もしママが死んでしまったら、ぼくはこんなことやあんなことをする
よ」などと。大人になった文明人は、他人の死をできるだけ思考にのぼらせないように心がけ、つい考えてし
まった時には、自分のことを冷酷で悪い人間だと思うものである。ただし、医師や弁護士など、職業上、死と
関わりを持つ場合は別であるが。他人の死が自由や財産や地位の獲得と結びついている時には特に、文明人は
他人の死について考えることを自分に許さない。もちろん、このようなわれわれの優しい気持ちによって、人
の死を妨げられるわけではない。それがやってくると、われわれはそのたびに、深く心に打撃を受け、期待が
裹切られたように動揺してしまう。われわれは、いつも決まって、事故、病気、感染、高齡などが死を招いた
のだと強調する。そして、そんな風にすることによって、死を必然性から偶然性に引き下げる努力をしている
ことが、明らかになってしまう。人の死が度重なることは、われわれにとって何かひどく恐ろしいことのよう
に思われる。亡くなった人自身に、われわれは、ある特別な態度

を向けるものだが、それはまるで、何か非常に困難なことを成し遂げた人に感嘆の念を向けるようになのだ。
われわれは亡くなった人に対する批判を中正し、彼に正しくない行いがあったとしても大目に見て、次のよう
な命令を発する。「《死者に関しては、よきようにのみ〔de morituis nil nisi bene〕》」と。そして、
弔辞においても墓碑銘においても、死者のよいところを誉めそやすのが正しいことだと考える。死者への配慮
は、死者にとってはもう必要ないものなのだが、われわれにとっては真実よりも大切なのであり、われわれの
多くにとっては、生きている人への配慮よりも大切なのである。
  さて、死に対するこのような文明的l慣習的な考え方は、死がわれわれの近しい人の一人、たとえば両親
の一方や伴侶、兄弟姉妹の一人や子どもや親しい友人などを襲った時に、われわれが完全にがっくりきてしま
うことによって、いっそう強固なものとなる。われわれは、死者とともに希望も要求も人生の楽しみも葬り、
慰めを受けつけず、失った人の代わりを得ることを拒否する。われわれは、そういう時、愛する人が死ぬ時、
ともに死ぬアズラ族のように振舞うのである。
  死に対するわれわれのこのような態度は、しかし、われわれの生に強い影響を及ぼす。人生というゲーム
におけるもっとも高額の賭け金、つまり、生そのものを賭けなくてもよいことになると、生は貧しくなり、生
への興味が失われてしまう。それは、大陸の恋愛関係と違って、はじめから、何も起こらないと決まっている
アメリカの恋愛遊戯のような、気の抜けた空疎なものとなる。大陸の恋愛関係においては、カップルの二人は、
常に深刻な結果を念頭に置いていなければならない。われわれの感情的結びつきや喪の悲しみの耐え難い強さ
のために、われわれは自分と身内にとって危険があるところに赴くことを、嫌がるようになる。われわれは、
危険だが本当は必要不

可欠ないくつかの企てを、思い切ってやってみようとしなくなる。たとえば、飛行の試みや遠くの国々への探
検旅行や爆発物を使った実験など。そういう危険な企てに際して事故でも起きたら、誰が母にとっての息子、
妻にとっての夫、子どもたちにとっての父親の代わりをすることができようか。こういう疑念が、われわれを
麻痺させる。人生の計画から死を締め出そうとする傾向性は、結果として、非常に多くの断念や締め出しをも
たらす。だがそれでもハンザ同盟のモットーは次のように言っている。Navigare necesse est, vivere
non necesse!「航海すること
が必要なのであり、生きることが必要なのではない!」
  さて、そうなると、次のようになるしかない。すなわち、われわれは、フィクションの世界、たとえば文
学や演劇の中に、生の損害の代用品を見出すのである。フィクションの世界には、死ぬ術を知っている人間や、
人殺しをやってのける人間さえ見出される。フィクションの世界においてのみ、死と和解することのできる条
件が満たされる。人生の浮き沈みがどうであれ、その背後に、なお侵されることのない生が残っているのだか
ら。だが、実に悲しいことに、人生においては、チェスにおいてと同じように事が進むのであり、指し手を一
つ間違えるだけで、勝負を失わざるをえないこともある。しかも、チェスの場合と異なって、人生には二度目
の勝負はなく、雪辱戦に臨むことはできないのである。フィクションの領域においてなら、われわれは、たく
さんの人生を、必要なだけ見出す。われわれは、一人の主人公に同一化して死ぬ。だがその後も生き続け、な
んら損害をこうむることなく、別の主人公と共に二度目の死を遂げようとする。
  明らかに、戦争は、死についてのこのような慣習的な扱い方を一掃するに違いない。今や、死を否認する
わけにはいかず、死を信じざるを得ない。人間たちは実際に死んでいるのであり、しかもそれは一人ではなく
多数である。
しばしば、一日に何万人もが死んでいるのである。また、それはもはや、偶然ではない。たしかに、この弾が
誰に当たるかは、やはり偶然であると思われる。だが、この弾に当たらなかったとしても、あっけなく次の弾
に当たるかもしれず、それが度重なれば、偶然という印象に終止符が打たれる。生は再び興味深いものとなり、
その充実した内容を再び取り戻したのである。
  ここに至って、人々は二つのグループに区別されよう。戦闘に自分自身の生を委ねる人々と、家にとどま
り、愛する者の一人が負傷や病気や感染症による死で失われることを予期するしかない人々とに分けられる。
戦闘員の心理学上の変化を研究することは、きっと、非常に興味深いことであろう。だが私がそれについて知
っていることは、あまりにも乏しい。そこでわれわれは、自身が属している第二のグループに考察を限定せざ
るを得ない。すでに述べたことだが、われわれが現在陥っている遂行能力の混乱や麻痺は、本質的には、次の
ような事情によるものと思われる。すなわち、死に対するわれわれの従来の態度をそのまま保つことができず、
かといって新しい態度を見つけることも、まだできていないという事情である。これを考察するにあたって、
われわれの心理学的探求を、死に対する二つの、それぞれ異なる関係に向けたなら、有益であろう。一方は原
人間、すなわち原始時代の人間のものとみなせるような態度であり、もう一方は、われわれが皆、今でも心の
中に維持している態度である。もっともそれは、われわれの心の生活の奥深い層に、意識には見えないように
隠されているのだが。
  死に対して原始時代の人間がどのような態度であったかということを、われわれはもちろん、遡及的推論
や構築によってしか知りえない。だが私が思うに、これらの手法はかなり信頼できる情報をもたらしてきたの
である。
  原人間は、死に対して非常に奇妙な仕方で振舞っていた。それはまったく一貫性がなく、むしろかなり矛
盾に満

ちていた、原始人は、一方では死を真剣に受け止め、死を生の終わりとして承認していた。そして、その意味
において死を利用してもいたのである。だが他方では、死を否定し、なんでもないものとして見くびっていた。
このような矛盾が可能となったのは、次のような事情による。すなわち、原始人は、疎遠な人や敵のような他
人の死に対しては、自分自身の死に対してとは根本的に異なる立場を保持していたのである。原人間にとって、
他人の死は当然のことであり、憎らしい者の抹消とみなされた。原人間は他人を死に向かわせることに、いさ
さかの疑念も覚えなかったのである。原人間はさだめし、非常に激情的な存在であり、他の動物よりも残酷で
邪悪だったのだろう。彼は喜んで、しかも自明のこととして人を殺した。他の動物の場合は、本能が、自分と
同種の存在を殺したり、食べつくしたりすることを妨げているものだが、そういった本能が原始人にもあった
と考える必要はない。
  つまり、人間の原始時代の歴史は、殺人に満ちていたのである。今日においてもなお、われわれの子ども
が学校で世界史として習うことは、人体のところ、民族間の殺戮の羅列なのである。人類が原始時代から抱え
ている暗い罪責感は、多くの宗教において原罪〔Unschuld, Erbsunde〕の措定へと凝縮されてきたのだが、
それは、おそらく、原始時代の人類が背負っていた殺人の罪の表現なのであろう。私は拙著『トーテムとタブ
ー』(一九一三年)〔本全集第十二巻〕の中で、W・ロバートソン・スミス、アトキンソン、(J・ダーウィ
ン等の示唆に従って、この太古の罪の性質を推測しようとした。私が思うに、今日のキリスト教の教えからも、
原罪についてのこのような遡及的推論が可能である。もしも神の息子が、人類を原罪から解放するためにその
生を犠牲にしなければならなかったというなら、タリオンすなわち同害報復の掟から見ると、この罪とは殺し、
つまり殺人であったのだ。これだけが、償いのために、生の犠牲を必要とすることができたのである。さて、
原罪が父なる神に対する負債だとしたら、人類のも

つとも古い犯罪は父殺しだったにちがいない。すなわち原始時代に起こった群族集団の原父殺害である。後世、
その記憶像が美化されて神となったのである。
  自分自身の死は、原人間にとって、たしかに、思い描くことができないもの、現実的ではないものだった。
われわれは今日なお、原人間とまったく同じように自分の死をとらえている。しかし、死に対する互いに矛盾
する考え方がぶつかり合い、葛藤に陥るという状況が、原人間に生じた。この状況は、非常に意味のある、
後々まで作用を及ぼす結果をもたらした。この状況は、原人間が身内の一人、たとえば妻、子ども、友人の一
人が死ぬのを見た時に発生した。われわれが自分の身内を愛するのと同じように、原人間も身内を愛していた
に違いない。愛が殺人欲よりずっと後に発生したはずはないのだから。身内が死ぬのを見た時、原人間は苦し
みの中で、自分自身も死ぬことがあり得るという経験をしたに違いない。そして、彼の全存在は、このような
譲歩に反抗した。愛する人は皆、愛しい自分の自我の一片だったのだから。他方、原人間にとって身内の死は、
正しいものでもあった。なぜなら、愛しい人の中には必ず、一片の疎遠なものがはさまっていたからである。
愛しい人に対するわれわれの感情関係を今日もなお支配している感情両価性の法則が、原始時代においては、
きっと、もっと無条件的に働いていたのだろう。そういうわけで、原人間にとって、このような愛しい死者た
ちは、いくぶんかの敵意を孕んだ感情を呼び起こす疎遠な者や敵対者でもあった。
  哲学者たちは、死のイメージが原人間に与えた知的な謎が、原人間にいやおうなく熟考をもたらし、それ
が、すべての思弁の出発点となったのだと主張してきたものだった。私が思うに、哲学者たちはあまりにも哲
学的に考え、一次的に作用している動機を考慮するところがあまりにも少ない。そこで私は、上述の主張に制
限を加え、次のよ

うに訂正したい、すなわち、打ち殺された敵の死体の傍らで原人間は勝利の凱歌をあげたのであり、生と死の
謎に頭を悩ませるきっかけを見出すことなどなかった、と。知的な謎や人の死のことごとくが人間の探求心を
発動させる端緒となったのではなく、愛しい、そして、にもかかわらず疎遠で憎らしい人物の死に際しての感
情葛藤こそが、端緒となったのである。このような感情葛藤から、まず心理学〔霊魂の学〕が生れた。死者を
悼む苦痛の中で死を味わってしまったため、人間は、死というものをもはや自分から遠ざけておくことができ
なかった。しかし、自分自身が死んでいる状態をイメージできなかったため、原人間は死を容認したくはなか
った。そこで彼は妥協することにして、自分自身に関しても死を認めるが、生命の抹消という意味を死に認め
ることには反対したのである。敵の死に際しては、そのような態度を取る動機などまったく持たなかったのだ
が。愛しい人の死体の傍らで、彼は霊というものを案出した。そして、喪の悲しみに入り混じる満足感から生
れた罪の意識が、初めに案出された霊を、恐れねばならない悪霊にしてしまったのである。死がもたらす変化
を見て、彼は、一個の人間を一つの肉体と一つの心――元来は多数の心だった――に分けることを思いついた。
そのような具合に、彼の思考の歩みは、死がもたらす腐敗と平行して進行した。死者たちについての消えるこ
とのない記憶は、別の存在形式を仮定する土台となり、見かけの上では死んでも、その後も生き続けるのだと
いう観念を与えた。
  このような死後の存在は、初めのうちは、死によって生を終わりにされた人々への単なる添え物であり、
影のよ

   *1 「幼児期におけるトーテミズムの回帰」(『トーテムとタブー』第四論文」参照。
   *2 「タブーと感情の蠢きの両価性」(『卜ーテムとタブー』第二論文)を見よ。

うな、内容の空虚なものだった。ずっと後の時代になるまで、死後の存在は軽んじられ、みすぼらしいイメー
ジの性格を帯びていたのである。われわれは、アキレウスの霊がオデュッセウスに答えて言ったことを覚えて
いる。

  「以前おぬしが世に在った時は、われらアルゴス勢はみな、おぬしを神同様にあがめていたし、今はまた

   の冥府に在って、おぬしは死者の間に君臨し権勢を誇っているではないか。されぱアキレウスよ、死ん
だとて
   決して嘆くことはないぞ」。
   こうわたしがいうと、彼は直ぐに答えて、
   「勇名高きオデュッセウスよ、わたしの死に気休めをいうのはやめてくれ。世を去った死人全員の王に
なって君臨するよりも、むしろ地上に在って、どこかの、土地の割当ても受けられず、資産も乏しい男にでも
傭われて仕えたい気持だ」。
   (『オデュッセイア』第一一歌、四八四-四九一行)

  あるいはまた、H・ハイネの力強く、苦みのこもったパロディ的な詩句に、次のようなものがある。

   「ネッカー河のシュトッケルト〔シュトゥットガルトのこと〕に住まう、もっとも卑小な俗物でも、生
きている限りにおいて、ずっと幸せなのだ。この私、ペレウスの子〔アキレウスの添え名〕、死せる英雄、地
下にある冥界の王者よりも」。

  ずっと後になってはじめて、宗教が死後の存在のことを、価値があり、完全な重みを持つものと言いくる
め、死によって終わりにされる生を、その準備に過ぎないものに貶めた。さらに、生を過去の方にも引き伸ば
し、生れる前の存在や翰廻や再生を案出するに至って、これは一貫したものとなった。こういったことはすべ
て、生の中断という意味を死から取り除くという意図のもとに行われたことである。われわれは死の否認を、
慣習的ー→文明的なものと呼んできたのだが、それは、このように早い時期に始まっていたのである。
  愛しい人の死体の傍らで生じたのは、心理学玉魂の学〕や霊魂不滅の信仰や人間的な罪意識の強力な源だ
けで
ない。そこからは、最初の倫理的掟も生じたのである。育っていく良心が命じる第一のもっとも重要な禁止は
「汝、殺すなかれ」であった。それは、愛しい人の死に際して、喪の悲しみの背後に隠された憎悪の満足に対

反応だった。それは、禁止の範囲を次第に広げていき、愛しい人ではない疎遠な人も対象にするようになり、

には敵をも対象にするようになった。
 禁止の最後の段階に至ると、文明人にはもはや、いきさつがわからなくなる。このたびの戦争の野蛮な闘争
に決着がついたなら、勝利を収めた兵士たちは喜んで故郷に戻り、接近戦において、あるいは離れたところか
ら撃てる武器によって彼が殺した敵のことを思って心をわずらわされることなく、妻や子どもたちのところに
即座に帰るだろう。注目に値することだが、今なお地上に生きており、われわれよりも原人間に近い状態にい
る未開の諸民族は、この点に関して文明人とは異なる振舞いをする――あるいは、われわれの文化から影響を
受けるまでは、異なる振舞いをしてきたのである。オーストラリア人、ブッシュマン、フェゴ鳥人などの未開
人は、後悔をしない殺人者な

どでは決してない。戦場から勝者として帰還すると、長期間、骨の折れる贖罪を済ませて、戦争における殺人
行為を償ってからでなければ、村に立ち入ることも妻に触れることも許されない。もちろん、こうした行為は
彼の迷信から来ているのだという説明が、すぐに頭に浮かぶだろう。未間人は、打ち殺された人々が死んだ後
も復讐にやってくるのを恐れているというわけである。しかし打ち殺された敵の亡霊とは、人殺しの罪から来
る彼の疚しい良心の表れにほかならない。迷信の背後には、倫理的な感情のこまやかさの一片が隠されている。
それは、われわれ文明人からは失われてしまったものなのである。
  信心深い心の持ち主は、悪や卑劣とのかかわり合いから離れたところに、われわれの本質を認めたいと願
う。そして、殺人禁止の掟が遥か昔から存在し、しかも強力なものであることから、われわれの心には強度の
倫理的傾向性が植え付けられているに違いないという、望ましい結論を引き出そうとする。残念ながら、この
論拠は、むしろその反対を証明する。それほどまでに強い禁止は、同じくらいに強い衝動に対してこそ向けら
れたに違いない。いかなる人間の心も熱望していないものを、禁止する必要はない。そんなものは、自ずと締
め出されよう。「汝、殺すなかれ」という禁止が強調されることからまさに確信できるのは、われわれが、殺
人者の無限に長い世代連続の子孫だということである。祖先の血の中にあった殺人欲が、今もなおわれわれ自
身の血の中に存在している。人類の倫理的努力というものは、その強さや意味深さについて文句を言うには及
ぱないが、人類が歴史を通じて獲得したものなのである。それは、今日生きている人類の遺伝的素質となった
とはいえ、残念なことにその程度が非常に様々なのである。
  ここでいったん原人間のことを脇に置いて、自分自身の心の生活における無意識に目を向けよう。われわ
れはこ

こで、精神分析の探求方法を全面的に拠り所とする。これだけが、無意識という深みに到達する唯一の方法な
のである。われわれは問う。われわれの無意識は死という問題とどのような関係にあるのか。答は、「まさに
原人間と同じように」というものである。この点においても、他の多くの点においてと同様、原始時代の人間
がわれわれの無意識の中に変わることなく生き続けている。すなわち、われわれの無意識は自分の死を信じる
ことがなく、不死であるかのように振舞う。われわれが「無意識」と呼んでいるものは、欲動の蠢きから構成
される、もっとも深い層なのであるが、それはおよそネガティブなものを知らず、いかなる否定も知らないの
である。対立しているものは、無意識の中では重なり合って合致している。それゆえ、無意識は、われわれが
否定的な内容しか与えることができない自分自身の死に関しても、知らないのである。それゆえ、われわれの
中には、死を信じることに傾くような欲動的なものは一切ない。おそらくこれが、英雄的精神の秘密なのだろ
う。英雄的精神を合理的に説明するものとして考えられるのは、ある種の抽象的、普遍的な善に比べたら自分
自身の生命などたいして価値はないという判断である。しかし私は、そのような動機付けによるのではなく、
単にアンツェングルーバーのシュタインクロプファーハンス式の「君には何も起こりはしない、危険なことな
どあるものか」という保証に従っているだけのような、本能的、衝動的な英雄的精神の方が多いのではないか
と思う。あるいは先に述べた動機付けは、無意識というものに応える英雄的反応を妨げかねない疑念を、たん
に取り除く役割を果たしているのだろう。死の不安は、われわれ

   *3 「トーテムとタブー」を見よ。
   *4 ブレイザーの輝かしい論証を参照(フロイト『トーテムとタブー』)。

が自分で知っているよりもしばしば、われわれを支配しているのだが、実は二次的なものであり、たいていの
場合、罪の意識から生じているのである。
  他方、われわれは、原人間と同様に、疎遠な人や敵に対しては死を承認し、喜んで、躊躇なく死を宣告す
る。ここには確かに、実際には決定的なものだと説明されるような一つの違いがある。われわれの無意識は殺
人を実行せず、単にそれを考えたり、望んだりするだけである。しかし、このような心的リアリティを実際の
リアリティと比較して過小評価するとしたら、不当というものだろう。心的リアリティは十分に意味があり、
重大な結果を引き起こすものである。われわれは、無意識の蠢きの中で、日々刻々、われわれを邪魔している
もの、われわれを侮辱したり、われわれに損害を与えたりしたものを、すべて抹殺している。腹立ちを冗談で
示す時に思わず囗をついて出る「悪魔に連れて行かれるがいい」という言い回しは、実は「死神に連れて行か
れるがいい」と言おうとしているのである。われわれの無意識において、それは、真剣で強力な死の願望なの
である。たしかに、われわれの無意識は、些細なことに対してでさえ殺人を犯す。これは、古代アテネのドラ
コンの立法が、法律違反に対して死刑以外の刑罰を知らないのと同様であり、ある種の一貫性が備わっている。
なぜなら、われわれの全能かつ独裁的な自我がこうむる損害はすべて、結局のところ《大逆罪〔Crimen
Laesae majestatis〕》だからである。
  そこで、無意識的願望の蠢きによって判断されるなら、われわれもまた、原人間たちが人殺しの群れであ
るのと変わるところはない。幸運にも、これらの願望はすべて、原始時代の人間たちが信じていたような力を
持っていない。さもなければ、呪い合いの十字砲火の中で、もっとも善良で賢明な男たちや、もっとも美しく
愛らしい女たちでさえ、とうの昔に滅びていたことだろう。

  これらのような説を主張するので、精神分析は、素人には、ほとんどまったく信じてもらえない。これら
は、意識が断言することに反する論外の誹謗中傷として、退けられる。そして、わずかとはいえ、やはり無意
識が意識に自らの正体を明かしているはずの徴候は、たくみに見逃されるのである。そこで、ここでは次のよ
うに指摘しておくことにしよう。精神分析の影響を受けることがありえなかった多くの思想家が、われわれに
は、自分の邪魔になるものを、殺人禁止の掟を無視してでも取り除こうと考えるひそかな心づもりがあること
を、十分、明白に非難してきたのだ、と。これを示す例はたくさんあるだろうが、私は一つの有名な例を選ぶ
ことにする。
  『ゴリオ爺さん』の中でバルザックは、シャン・ジャック・ルソーが読者に次のように問いかけている個
所に触れている。それは、パリを離れることも、そしてもちろん発覚することもなく、単に意志するだけで、
北京の老マンダリン〔高官〕を殺すことができるとしたら、その人が死去することによって多大な利益が自分
にころがりこむことがわかっている場合、いったいどうする、という問いかけである。ルソーは、〔このよう
な状況設定においては〕こ
の高官の生命はあまり保障されまいと思っているのである。以来、「(彼のマンダリンを殺す〔Tuer s
on mandar in〕》」は、現代人の心の中にも潜んでいる秘密の心づもりを示すための、格言風の言い
回しとなっている。
  同じ方向の証言をするシニカルな冗談や小噺もたくさんある。たとえば、亭主いわく、「もし二人のうち
のどちらかが死んだら、私はパリに引越すとしよう」など。このようなシニカルな冗談は、ある否認された真
実を含んでいなかったら、成り立たなかっただろう。否認された真実というものは、もしそれがあからさまに
表明されたら、

   *5 『トーテムとタブー』の「思考の万能」について参照せよ。

認めることが許されないものだからである。周知のように、洒落の中でなら、真実でさえ言ってよいのだ。
  原人間にとってと同様、われわれの無意識にとっても、死に対する二つの対立する考え方がぶつかりあい、
葛藤にいたる場合がある。一方は、死を生の終局として承認し、他方は、死を非現実的なものとして否認する。
それは、原始時代においてと同様、われわれの愛する人たち、たとえば、両親や伴侶、兄弟姉妹や子ども、あ
るいはまた愛する友人の一人が死んだり、死の危険にさらされたりする場合である。これらの愛する人たちは、
われわれにとって、一方では内的所有物であり、われわれ自身の自我の構成要素であるのだが、他方では、部
分的には疎遠な存在であり、敵でさえある。われわれの愛情関係のうち、もっとも情愛深く、心のこもった関
係にさえ、きわめてわずかな状況を除いて、ひとかけらの敵意が付着している。そしてそれが、無意識の死の
願望を活発にすることがある。このような両価性の葛藤からは、かつてのように霊魂の学と倫理学が生れるの
ではなく、神経症が生れる。そして神経症を研究することによって、われわれは、正常な心の生活の中に深く
洞察をめぐらせることができる。精神分析的に治療する医師は、いかにしばしば扱わなければならなかったこ
とだろう。親族の幸せを願う度の過ぎた気づかいという症状や、愛する人の死後に発生する、まったく根拠の
ない自己非難などを。こういった事例を研究することによって、精神分析医たちは、無意識の死の願望の広が
りと意味について、まったく疑いを持たなくなった。
  素人は、このような感情の可能性を前にして極端なおぞましさを感じ、その嫌悪感を、精神分析の主張に
対する不信の正当な根拠とする。私が思うに、これは不当である。精神分析の研究は、決して、われわれの愛
情生活を貶めることを意図するものではないし、また、じっさい貶めてなどいない。もちろん、われわれの感
覚にとっても理解にとっても、愛と憎しみをこのような仕方で結びつけることは、ありそうにないことである。
だが、自然は、愛

と憎しみを対立対で作用させることによって、愛をいつも生き生きと新鮮なまま保ってくれるのであり、その
結果、愛の背後に待ち伏せている憎しみに対抗して、愛が確実なものとされるのだ。われわれの愛情生活のも
っとも美しい展開は、胸の奥に感じる敵対的衝動に対する反応のおかげなのだと言ってもよいだろう。
  さて、要約してみよう。われわれの無意識は、原始時代の人間とまったく同様に、自分の死を思い描くこ
とに対しては受け入れようとせず、敵に対しては殺してやりたいと思い、愛しい人に対しては葛藤含み(両価
性)に陥る。それなのに、死に対する慣習的-文明的な考え方において、われわれはなんと原始時代の状態か
ら隔たってしまったことか!
  このような隔たりに、戦争がどのように介入してくるかを言うことは、たやすい。戦争はわれわれから、
文明が後からかぶせた層をはぎとり、われわれの中に原人間をふたたび出現させるのである。戦争はわれわれ
に、もう一度、自分の死を信じることができない英雄になることを強いる。戦争は、われわれに、疎遠な人に
敵のレッテルを貼り、その死を招くべきであり、その死を願うべきであると思わせる。そして戦争は、愛しい
人の死に関しては、それを無視するようにわれわれに勧める。しかし戦争が廃止されることはないだろう。諸
民族の生存条件がこれほどまでに多様であり、諸民族の間の反発がこれほどまでに激しいものである限り、戦
争は存在せざるを得ないだろう。そこで次のような疑問が生ずる。われわれは、膝を屈して戦争に適応するよ
うな存在であってはならないのか。われわれは、認めるべきではないだろうか。死に対する文明的な考え方に
よって、われわれは、心理学的にはむしろ分不相応に生きてきたのだ、と。おそらくわれわれは、改心して、
真実を告白すべきなのだ。現実においてもわれわれの思考においても、死というものに、与えられてしかるべ
き席をあけてやり、われわれがこれまで念入りに

抑え込んできた死に対する無意識の考え方を、もう少し露わに示したなら、もっとよいのではなかろうか。そ
のようにすることは、より高い業績ではないだろう。むしろ、多くの点において後退であり、退行であると思
われる。しかし、それでも、正直であることをもっと大切にして、生をわれわれにとって、もう一度耐えられ
るものにするという利点がある。生に耐えること、それこそが生きている者すべての第一の義務であり続ける。
錯覚は、われわれが生に耐えることを妨げるならば、価値がない。
  われわれは、Si vis pacem, para bellum「汝が平和を維持しようと欲するなら、戦いの準備を整え
よ」という古い格言を想い出す。
  この格言を、Si vis vitam, para mortem「汝が生に耐えようと欲するなら、死の準備をせよ」と言
い換えることは、時宜にかなっていよう。
(田村公江訳)

欲動と欲動運命
Triebe und Triebschicksale
                        われわれはこれまでにしばしば、科学は明快に定義された
あいまいさのない基礎概念の上に構築されていなければならないとする主張を耳にしてきた゜しかし実際には、
どれほど厳密な科学であろうが、科学がそのような定義から始められることはない。むしろ、諸現象を記述す
ることから科学的活動が始まるのが実情なのであって、それらの現象が種類分けされ秩序づけられてゆくと、
やっと相互の連関が見えてくるのである。そして、単に記述しているのみだと思っていても、われわれはその
際に、当該の新しい経験からのみ導き出されたのではないと解っているようなある種の抽象観念を、どうして
もその素材に当てはめてしまうことを避けられない。この際に使われた抽象観念は、材料をさらに処理してゆ
く際にいよいよ不可欠なものになるので、結局それは後に科学の基礎概念となってゆく。そうした観念が初め
はある程度まで未決定な部分を有しているのは致し方ないことであって、その内容を判明に輪郭づけておくと
いうことは、まずできない相談である。観念がこのような状態にある間は、われわれはその観念が何を意味す
るかということについて、その観念の元になっている経験素材を繰り返し参照することによって、意見の一致
を形成しておくしかない。ただし、その経験素材は、実はあらかじめその観念に影響を受けている。したがっ
て厳密にいえば、これらの観念は約束事としての性格をもっており、この約束事が設定されるに当たっては、
それらが恣意的に選ばれたのではなく、経験的材料への有意味な連関によって規定されているということ

にすべてが懸かっているのである。といっても、われわれはそのような連関を認識したり立証したりしうるわ
けではなく、いずれは知り得るだろうと想定しているだけである。問題となっている現象の領域を徹底的に研
究したあとに初めて、その科学的基礎概念がやっといままでより鮮明に把握できるようになり、さらにはそれ
を修正して、それが広い範囲にわたって一貫性をもって使用可能となるところまでもってゆくことができるの
である。そのときには、それを定義の中にきっちりと納めるのに適した時期が来たと考えられる。むろん認識
の進歩は、いかなる定義の硬直化も許さない。物理学の輝かしい例が教えているように、定義の形でいったん
確定された「基礎概念」も、絶えざる内容変更を閲することになる。
  このような、約束事としての性質をもち、さしあたってはかなり暗いところのある基礎概念は、心理学の
領域でもやはり無しですますことはできない。いろいろな欲動はまさにこうした基礎概念である。われわれは
この概念に、さまざまな面から内容を盛り込んでゆくことにしよう。
  まずは生理学の側から。生理学はわれわれに刺激の概念と反射図式とを提供しており、それに従うなら、
外部から生体組織(神経基質)にもたらされた刺激は、行動を通じて外部へと放出される。この行動は、刺激
を受けた基質を刺激の影響力から引き離して、刺激の作用の範囲外に移す。ゆえにこの行動は合目的性をもっ
たものとなる。
  さて「欲動」は「刺激」とどういう関係にあるのだろうか。欲動の概念は刺激の概念のもとに包摂してし
まっても差し支えはない。つまり欲動は心的なものにとっては刺激のひとつであるといえる。しかし、われわ
れはここでただちに、欲動と心的刺激とをひとしなみに扱うことには慎重でなければならないことに気づく。
心的なものに対しては、欲動刺激とは異なり、はるかに生理学的刺激によく似た形で振る舞うような別の刺激
もあるではないか。

たとえば強い光が目に入ったとき、それは欲動刺激ではない。しかし、喉の粘膜の乾燥や胃粘膜への侵襲が感
知されたとき、それはやはり欲動刺激である。
  これによってわれわれは、欲動刺激と、心に対して働きかけはするけれども欲動刺激ではないような(生
理学的な)刺激とを区別しておくための材料を手にしている。まずはじめに、欲動刺激は、外界からではなく、
有機体組織そのものの内部から発生する。それゆえ欲動刺激は心に対して別の仕方で働きかけ、その除去のた
めにも別の行動を要請する。さらには、刺激にとって本質的なあらゆることがらは、それがI回きりの衝撃の
ように働くと仮定してみれぱ与えられる。というのは、その除去もまた、一回きりの行動によってなされるか
らである。その典型例としては刺激源泉を前にしての逃避行動を考えてみればよい。もちろんこれらの衝撃は
反復も累積もされるであろうが、だからといって刺激の過程の把捉や刺激の終息の条件に何か変化があるわけ
ではない。これに対して、欲動は決して瞬間的衝撃力としては働かず、いつでも恒常的な力として働いている。
欲動は外からではなく身体内部から襲いかかってくるのであるから、そこからどう逃避しようとも無益である。
欲動刺激を「欠乏状態〔欲求〕」と呼べば、それをより良く言い表したことになる。というのは、欠乏状態
〔欲求〕は、それを「満足」させることによってなくなるものだからである。この「満足」が得られるのは、
内的な刺激源泉に、その目的に適った(適合的な)変
化が生じることによってのみである。
  自分が、ほとんど何の寄る辺もなくこの世の中でまだ右も左も分からない生き物であったとしてみよう。
この生

   *1 これらの内的な過程が、渇きや空腹といった欠乏状態〔欲求〕の器質的基盤であると想定しての
ことである。

き物がその神経基質に刺激を受けたとする。生き物はすぐに、最初の区別というものを行い、最初の身の振り
方を決めることができるようになるだろう。すなわちこの生き物は、一方では、ある筋肉活動(逃避)によっ
て逃れうる刺激のあることを感知し、それらの刺激を外界に属するものと見なすことになるが、他方でまた、
そのような活動で立ち向かうことがどうしても功を奏さない刺激のあることをも感知するだろう。それでいて、
こういった刺激は、恒常的に迫ってくるという性格を失わないのだ。これらの刺激は、ひとつの内部世界があ
ることを示すもの、欲動という欠乏状態があることの証拠である。こうして、その生き物の知覚作用基質は、
自分の筋肉の活動が有効であるかどうかを通して、「外」と「内」とを区別する手がかりを得ることになるだ
ろう。
  こうしてわれわれは、さしあたり欲動の本質を、その主たる性格、すなわち刺激の発生源が有機体内部に
あり、恒常的な力として現れてくるという点に見てとり、そこから、逃避活動によっても克服しきれないとい
う、欲動のさらに別の特徴のひとつを導き出すことになった。しかし、このように論じてみると、ひとつ見逃
せないことに行き当たる。われわれはそれをここで明確にしておきたい。われわれは、ある種の約束事を基礎
概念として経験素材に押し当てるだけではなく、心理学的な現象の世界を取り扱う上での手引きとすべく、い
くつもの複雑な想定をも用いる。実はここでも、すでにこういった想定に属する最も重要なものを引き合いに
出しながら論を進めてきているのである。ここまで来た以上は、それをあらためて明示的に浮かび上がらせて
おかなくてはなるまい。その想定は生物学的な性質をもち、傾向性(もしくは合目的性)の概念に沿っている。
いわく、神経系とは、やって来る刺激をふたたび除去する、可能なかぎり低い水準に落とすという機能を授け
られた器官、あるいは、もし可能であるなら、自分をおよそ刺激のない状態に保とうとする器官である。この
考え方がほんとうに正しいかどうかはまだ決着

が付いていないということには差し当たり目をつむっておき、神経系には一般的に言うなら刺激克服という課
題があるとしよう。そうすると、生理学的な反射という単純な図式が欲動の導入によっていかに複雑なものと
なるかが分かる。刺激が外から来る場合、課題と言えば唯一それから逃れることであり、それを行うのが筋肉
運動であって、様々な筋肉運動のうちのひとつによってついにその目的が果たされ、次いでそれは合目的的な
運動として遺伝性の素質となる。有機体の内部で発生する欲動刺激は、この機制によって片付けられない。そ
れゆえ欲動刺激は、神経系に対し遥かに高度な要請を課し、神経系を、内的な刺激の源に充足を与える程度に
まで外界を変化させるような、錯綜し互いに入り組んだ様々の活動に駆りたてる。とりわけ、有機体にとって
は理想的である、刺激を遠ざけておくという意図を断念することを有機体に強いる。欲動刺激が、不可避的に
絶えず刺激を供給し続けるからである。それゆえわれわれは、おそらく外的な刺激ではなく欲動こそが、これ
ほどに無限の能力を備えた神経系を今日の発展段階にまで高めた進歩の本来の動因である、との結論を引き出
してよいであろう。もとより、こういった欲動そのものが、少なくともその一部が、系統発生の過程で生命基
質に変化を及ぼした外的な刺激作用が沈殿した結果で
あると想定してみることを妨げるものは何もない。
  ついで、高度に発達した心の装置の活動も快原理の支配下にある、すなわち快-不快系列の感覚によって
自動的に調整されているということを見定めるなら、われわれとしては、さらに進んで、これらの感覚が刺激
克服のなされる様を反映している、と想定するのは避けがたい。もちろん、不快感覚が刺激の増大に、快感覚
が刺激の低減に関係するという意味においてである。この想定には未決定なところがかなりあるが、それでも、
快―不快と、心の生活に影響を及ぼす刺激量の変動とのあいだの関係がどのようなものであるかを見極めうる
まで、われわれはあえ

てこの想定を、その未決定性のままに保持するように慎重を期したい。このような関係には、はなはだ多様な
ものがありうるだろうし、しかもそれらはさほど単純なものではないことは間違いない。
  ここで、生物学的な側面から心の生活を眺めておくことにすると、「欲動」は、心的なものと身体的なも
のとの境界概念としてわれわれの目に映るようになる。すなわち、それは、身体内部に発し心の内へと達する
刺激を心的に代表するもの、すなわち心的なものが身体的なものと繋がっているために心的なものに課せられ
ている労働要請の値であると思われるのである。
  ここに至って、われわれは、欲動の衝迫、目標、対象、源泉などといった、欲動の概念に関連して用いら
れるいくつかの術語を検討することができる。
  ある欲動の衝迫ということで、その欲動の運動的な契機、力の総和、欲動が代表している労働要請の値が
理解される。圧迫してくるという性格は、もろもろの欲動の一般的な性格、のみならず欲動の本質でさえある。
欲動というのはいずれも歴とした能動的なものである。うかつにも受動的な欲動という言い方をすることがあ
るが、それは、受動的な目標を持った欲動の謂いよりほかにありえない。
  欲動の目標が満足にあることは間違いなく、またこの満足は、欲動源泉にある刺激状態を除去することに
よってしか達成されえない。しかし、いずれの欲動にしても、たとえその最終目標があくまで不変ではあって
も、この同じ目標には種々の方途が通じていることもあり、ひとつの欲動にとって比較的手近な目標や中間的
な目標が様々に生じてきて、これらが相互に結び合わさったり、入れ替わったりする。経験によれば「目標を
阻まれた」欲動ということを語ることが許される。かなりのところまで欲動満足の方向に進ませてもらえたの
に、そのあと阻まれたり、

はぐらかされたりするような過程である。このような過程にも部分的な満足が伴っていると仮定しておくべき
である。
  欲動の対象とは、それにおいて、あるいはそれによって欲動が自らの目標を達成しうるものである。これ
は、欲動に関わるもののうち最も可変的なものであり、元からその欲動と結びついているわけではなく、欲動
の満足を可能にするという適性を持つゆえにこの欲動に一括りにされているにすぎない。これは必ずしも何か
余所から来た客体であるとは限らず、自分の身体の一部であってもよい。欲動が様々な生涯の運命を辿る中で、
対象は何度となくしばしば変更されうる。欲動のこの遷移は、一連のとりわけ重要な役割を担っている。同一
の対象が同時にいくつかの欲動を充足する役目を果たすというような場合もありうるが、これはアルフレート
・アードラーのいう欲動の絡み合いの事例である。欲動が対象にとりわけ緊密に結びついている場合には、こ
れを特に欲動の固着と呼ぶ。固着は、しばしば欲動の発展のごく早い段階で起きることがあり、解除に激しく
抵抗することで欲動の可動性の命脈を断つことになる。
  欲動の源泉とは、ある器官ないしは身体の一部における身体的な過程で、なおかつその刺激が心の生活の
中で欲動によって代表されているようなものとして理解される。この過程が必ず化学的な性質のものであるの
か、それとも、たとえば機械的な力などといった他の力の逃出に対応するものであるのかは、分かっていない。
欲動源泉の研究となると、もはや心理学の領分ではない。身体的な源泉に由来するということは、欲動にとっ
てとにかく決定的なことであるにもかかわらず、心の生活においては欲動はただそのもろもろの目標を通じて
のみわれわれに知られてくる。欲動の源泉をさらに正確に知ることは、心理学的な研究にとってぜひとも必要
なわけではない。けれども

欲動の目標から欲動の源泉に遡る推論の道は、確保されているときもある。
  身体的なものに由来し心的なものに影響を及ぼす様々な欲動は、また様々の異なった特質を持ち、それゆ
え心の生活の中で質的に様々に異なった仕方で振る舞うと想定するべきだろうか。これは正しくないと思われ
る。むしろもっと単純に、欲動はすべて質的に等しく一様であり、それぞれの作用はもっぱら、個々の欲動が
引き起こす興奮量に、あるいはこの量に応じた機能によるのだと想定すれば、それで済む。個々の欲動の心的
な働きのあいだの相互の違いは、欲動の源泉の相違に根差すと見るべきである。もっとも、欲動の質の問題が
何を意味するかについては、もっと後の文脈の中で初めて明らかにされるであろう。
  欲動として、どのようなものがどれほど、挙げられるだろうか。ここには明らかに、恣意の働く余地がか
なりある。この点に関しては、誰かがもし遊戯欲動や破壊欲動、社交欲動といった概念を用いたとしても、研
究対象の性質上それが必要になり、また心理学的分析がくわえる制限がそれを許容する場合には、だれも異論
を差し挟むことはできない。しかし、一方で、きわめて特殊化された欲動動因を欲動源泉の方向にどんどん解
体していって、もうこれ以上解体できないような原欲動というものだけに意味を認めることができないかとい
う問いも、おろそかにはできないはずだ。
  そのような原欲動を二つのグループに分けることをわたしは提案した。自我欲動もしくは自己保存欲動の
グループと性欲動のグループとである。もっともこのようなニグループを挙げたのは、たとえば心の装置の生
物学的な傾向性をわれわれが想定した場合のように(上記〔本巻一七〇-一七一頁〕参照)、なにかある不可
欠の前提としてではない。これはたんに補助的な足場にすぎないわけで、役に立つことが明らかな限りは維持
しておくがそれ以上は敢え

て残しておくまでもないのであり、別の足場に取り替えてもわれわれがこれまで行ってきた記述と分類の作業
の結果はほとんど変わるところがないであろう。このようなニグループを挙げるきっかけを与えてくれたのは、
精神分析の発達史である。精神分析は精神神経症、なかでも「転移神経症」と表示すべきグループ(ヒステリ
ーと強迫神経症)を最初の対象とし、それを研究していくなかで、こうした疾患すべての根に、性の要求と自
我の要求とのあいだの葛藤が見出されるという見通しを得た。とはいえ、他の神経症的疾患(とりわけナルシ
ス的精神神経症、統合失調症)を詳しく研究していけば、こうした公式の変更を迫られ、原欲動をまたもっと
別なかたちで分類しなおさざるをえなくなることもありうる。だが現在のところ、われわれはこうした新しい
公式を知らないし、自我欲動と性欲動との対置を無効とするような論拠を未だ見出すにはいたっていない。
  私に言わせれば、心理学的な素材をこねくりまわしてみて、欲動を区別し分類するためのなにか決定的な
ヒントが得られるのかどうかが、そもそもあやしい。そういう作業をしようと思えば、むしろ、欲動生活に関
する確定的な仮説を素材に当てはめる必要が生じてくると思われるし、こうした仮説を心理学に転用するため
には、それを他の領域から取り出してくるというのが望ましいことかもしれない。この点に関連して生物学か
ら得られる知見は、自我欲動と性欲動との分離ということにたしかに背馳しない。性という傾向性は個体を超
え出るものであり、新しい個体の生産、つまりは種の保存を内容とするものであるがゆえに、性は個体の他の
諸機能と同列に置かれえないと、生物学は教える。そこからさらに生物学は、自我と性との関係には二通りの
考え方があって、それらが同等の権利をもって並立していることを示す。一方の考え方によれば、個体こそ主
役であり、性は個体のなす活動の一つなのであり、性的満足は個体の抱える欲求の一つであるとみなされる。
もう一方の考え方によれば、個体はさなが

ら不死と見えなくもない胚原質にI時的にかりそめに付属するものなのであって、この胚原質は生殖によって
個体に委託されたのだとみる。性機能がある特殊な化学機構によって他のもろもろの身体過程から区別される
という仮説は、私の知るかぎり、エールリヒの生物学研究の前提ともなっている。
  欲動生活を意識の側から研究すると、そこにはどうしても乗り越えがたい困難が立ちはだかるので、そこ
で精神障碍についての精神分析的探究がわれわれの見識の主要な源泉となる。しかし、精神分析がその発展段
階に応じて、これまでにいくらかでも満足のゆく情報を供しえたのは、性欲動に関してだけである。なにぶん
精神分析は、精神神経症においてまさしく一連のこの欲動をまるで孤立したものであるかのように観察するこ
としかできなかったのだ。精神分析を他の神経症性の疾患へと拡張するにつれて、たしかに自我欲動について
のわれわれの見識も基礎づけられてゆくことになろうが、こうした将来の研究領域で観察を行うときにも今と
同じような好条件を期待したりすれば、それは思い上がりというものであろう。
  性欲動の一般的な特性については次のように言うことができる。性欲動は数多くあり、多岐にわたる器官
を源泉として生じるものであって、それらははじめはばらばらに活動しており、のちになってはじめて、程度
の差こそあれある完結したかたちへととりまとめられる。それぞれの性欲動がそれぞれにめがける目標は、器
官快の獲得である。そしてそれらのとりまとめが行われてはじめて生殖機能の務めをはたすことができように
なる。こうして性欲動は性欲動として皆の認めるところとなる。性欲動がはじめてその姿を現すとき、それは
まず保存欲動によりかかる〔依托される〕。性欲動はこの保存欲動から少しずつやっとのことで身を引き離し
ていくのだが、おのれの対象を見出すにあたっても自我欲動が示してくれる道筋をたどる。性欲動のある一部
は終生にわたって自我欲動と結託しており、自我欲動にリビード的な構成要素を供給する。こうした構成要素
は、正常な機能をはたしているあいだは見過ごされやすく、発病してはじめて明らかになるものである。性欲
動に特徴的なことは、それらが互いに大々的に代理しあいながら出現し、その対象を簡単に取り換えることが
できるということである。この最後に述べた特性によって、性欲動はそれが本来目標としている行動とははる
かにかけ離れた仕事をなしとげることができる(昇華)。
  欲動が発達の途上で、また生涯の経過のなかで、どのような運命にめぐりあうかについては、われわれに
比較的なじみのある性欲動に的を絞って調べるしかないであろう。そういう欲動運命としては、観察をつうじ
て次のようなものを挙げることができる。
  対立物への反転。
  わが身への向き直り。
  抑圧。
  昇華。
  ここでは昇華を取り扱おうとは思っていないし、抑圧については特別の一章を要するので、残るは最初の
二点の記述と検討だけである。欲動がそのまま前に進むのを妨げる動因を考えあわせると、欲動運命は、欲動
に対する防衛の仕方としても、描きだすことができる。
  対立物への反転は、子細に見れば、ふたつの異なる過程に分解される。ひとつは欲動の能動性から受動性
への向き直りであり、もうひとつは内容の反転である。このふたつの過程は本質的に異なるものなので、別々
に取り扱うことが必要になってくる。
  上記のうち第一の過程の好例を与えてくれるのは、サディズム マゾヒズムの対と、視ることの快露出の
対という、二組の対立対である。反転が起こっているのは、もっぱら欲動の目標についてである。苛む、視る
という能動的な目標に代わって、苛まれる、視られるという受動的な目標が設定されるのである。〔第二の過
程である〕内容の反転は、愛することから憎むことへの転換という事例のうちに見出される。
  我が身への向き直りは、マゾヒズムがどうやら自我自身に向き直ったサディズムであること、また露出が
自分の身体を視ることを含んでいることを考えてみれば、われわれにとって理解しやすいものになる。マゾヒ
ストは自分の身体に向けられた憤怒を共に享受し、露出症者はむき出しにされた自分の身体を共に享受してい
るのだということは、分析的な観察からすると何の疑いもない。したがってこの過程に本質的なことは、目標
は不変のままに保持されて、対象だけが入れ替えられるということである。
  ただし、ここで見逃すことができないのは、我が身への向き直りと、能動から受動への向き直りが、これ
らの例では合致している、あるいは一緒に起こっているということである。その関係を明確に呈示するために、
もっと根本的なところにまで踏み込んでみる必要があるだろう。
  サディズム、マゾヒズムの対においては、その過程を次のように描き出すことができる。
  a サディズムは、対象としての他人の身に向けられた、暴力行為や権力行使から成り立っている。
  b この対象が放棄され、我が身でもって置き換えられる。我が身へのこの向き直りによって、能動的な
欲動目標から受動的な欲動目標への変換も遂行される。
  c あらたに、ある人物が対象として余所から探し出され、この人物は、目標の変換が遂行されたことに
伴って、

主体としての役割を引き受けさせられることになる。
  上のCのケースが、一般にマゾヒズムと呼ばれているものである。受動的な自我は、いまや余所からの主
体によって占められている元の自分の場所へと、空想によって自分自身を置き直し、このことによって、ここ
でもやはり、本来的なサディズムの道を通って、満足が発生していることになる。直接のマゾヒズム的満足と
いうものもあるかどうかということになると、これはまったく疑わしい。ここに述べたような仕方でサディズ
ムから発生してくるのではないような、本来的なマゾヒズムなるものは、どうも見出されないようである。上
のbの段階が余計なものでないということは、強迫神経症者のサド的な欲動の振る舞いから十分明らかになっ
てくる。この神経症では、我が身への向き直りは、新しい人物に対する受動性を伴うことなしに見出される。
変換〔Verwandlung〕はbの段階までしか進まない。苛め好きから生成してくるのは自己苛めであり自己処罰
であって、マゾヒズムではない。能動態の動詞が受動態に変換されることなく、再帰的な中間態に変換される
ようなものである。
  サディズムというものの理解を妨げているいま一つの事情は、この欲動が、一般的な目標と並んで(そう
いった目標の内部で、と言うべきかもしれないが)、あるまったく特殊な目標行動に到達しようと努めている
ように見えるということである。つまり、屈辱を与え征服することと並ぶ、痛みを加えるという行動のことで
ある。ところが精神分析を行ってみると、痛みを加えることは、欲動の本来的な目標行動においては、何らの
役割をも果たしてい

   *2 〔。九二四年の追加〕のちの研究において(一九二四年の「マゾヒズムの経済論的問題」(GW-
XIII)〔本全集第十八巻〕を見よ)、私は欲動生活に関連して、これとは反対の見解を提出した。

ないことが示されてくるように思われるのである。サド的な子どもは、実は、痛みを加えることに関心がある
のではなく、それを目標としているのではない。しかし、マゾヒズムへの転回がいったん成し遂げられてしま
うと、痛みというものが、受動的でマゾヒスティックな目標を提供するものとして恰好のはまり役となってく
る。というのは、あらゆる根拠からわれわれはそう想定しなければならないのだが、痛みおよびその他の不快
感覚であっても、その感覚が性興奮に飛び火すれば快に満ちた状態を現出せしめるものであって、そうなれば
人間は痛みの不快をさえ甘んじて受けるようになってしまうからである。痛みの感覚がいったんマソヒスティ
ックな目標になってしまうと、今度は痛みを与えるというサド的な目標が、もと来た道を辿って出現してくる
ことが可能となる。そして人間はこの痛みを他人の上に加えながら、苦しんでいる対象と同一化することによ
って、マゾヒスティックに自らそれを享受することになるのである。むろんそのどちらの場合においても、享
受されているのは痛みそのものではなく、それに伴う性興奮である。そしてこのことは、サディストの立場に
立った場合に、特に都合良くなされることになる。痛みの享受が一つの目標であるとすれば、それは本来はマ
ゾヒスティックな目標であるべきものだが、それは、本来的にサド的な人において、はじめて欲動目標となり
うる。
  言い落としのないように付け加えておくとすれば、同情はサディズムにおける欲動変換の結果として記述
できるものではなく、むしろ欲動に対する反動形成という考え方をわれわれに要請してくるものである(違い
については後述部分を見よ)。
  もう一つの対立対、つまり、視ることと自分を見せることとをそれぞれ目標にする両欲動の対を調べてみ
ると、やや異なるがより簡潔な結果が得られる(性倒錯の用語でいうと、窃視者と露出症者の対となる)。こ
こにおいても
また、先ほどの場合のように、同じ諸段階を呈示できる。a、視ることが能動性として、余所からの対象に向
けられる。b、対象が放棄される。自分の身体の一部へと、視る欲動が向き直る。それに伴って受動性への反
転が起こり、新たな目標、つまり視られるという目標が設定される。c、自分を視てもらうようにするために、
新しい主体が設定され、その主体に自分を見せる。なおここでも、能動的な目標が受動的な目標に先だって現
れ、視ることが視られることに先立つということには何らの疑いもない。しかし、サディズムの場合と比べて
みるとそこには意味深い隔たりがある。それは、視る欲動の場合には、aで示した段階よりもさらに早い段階
を認めなければならないということである。すなわち視る欲動はその活動のはじまりに当たっては自体性愛的
であって、それは確かに一つの対象を有していて、対象として自分の身体が見出されているのである。後にな
ってはじめて(比較という道を通って)、この対象は、余所の人の身体の類同的な部分と、交換されるのであ
る(段階a)。さて、この前段階は、次
のような点で興味を惹くものである。つまり、ここからは、振り子がどちらに振れるかに応じて、対立物の対
の両方の状況が結果として生じてくるということである。とすると、視る欲動の図式は次のように描けるだろ
う。
   α 自分で、性器を撹ている=性器が、我が身によって視られている
   β 自分が、余所の対象を視て  γ 自分の対象が、余所の人によっ
   いる(能動的な視ることの快)  て視られている(見せる快、露出)
  このような前段階は、サディズムには欠けている。サディズムはそのはじまりから余所の対象に向けられ
るものであるから。ただし、自分の四肢の主人たらんとする子供の奮闘を、このような前段階として考えてみ
るというこ

とは、まったくの見当はずれでもないだろう。
  これまでに二つの欲動の例について考察してきたわけだが、そのどちらについても、次のことに注意して
おかなければならない。能動から受動への反転や我が身への向き直りを通じての欲動変換は、そもそもけっし
て欲動の蠢きの総体にわたって行われるものではないということである。古くからの能動的な欲動方向は、た
とえ欲動転回の過程が十分に成し終えられたとしても、より新しい受動的な方向のかたわらに、ある程度の量
はなくならずに残っているのである。視る欲動に例をとって、一つだけこれならば正しかろうという言い方を
述べるならば、自体性愛的前段階と能動的こ受動的な最終形態とを含めて、欲動のあらゆる発達段階は、互い
のかたわらに残り続けるということになろう。この主張の正しさは、欲動の行動からではなく、充足機制をも
とにして判断するならば明らかになる。しかし、次のようにやや違った把握と記述の仕方を試みておくことも
許されるだろうと付け加えておきたい。われわれは個々の欲動生活を、時間的に別々に隔てられた、そして
(任意の)時間的単位の中では等質的ないくつかの激発へと、切り分けてみることができる。それらの激発は、
例えば継起的な溶岩の噴出のように、互いにつながり合っていることになる。すると、次のようなことを思い
描いてみることができる。第一番目の、起源となった欲
動の噴出は変化することなく続いており、そもそも何らの発達というものも蒙らない。その次の激発はそのは
じめから、たとえば受動への向き直りのような何らかの変化に服しており、この新たな性質をもって、以前の
激発に加わってゆき、以下同様に続くのである。もしそうだとすると、欲動の蠢きをその始まりから、ある一
定の停止点までを取って見渡すなら、描き出されたこれらの激発の継起は、欲動のある一定の発達という様相
を呈してくること
になるにちがいない。

  このように発達が後の時期になると、ある一つの欲動興奮のかたわらに、(受動的な)対立物が認められ
ることになるはずであり、このことは、ブロイラーによって導入された両価性という適切な名称によって明確
化しておくにふさわしいだろう。
  欲動には発達の歴史というものがあり、その様々の中間段階が永続的に存立することを指摘したことで、
欲動の発達はわれわれにとってぐんと理解しやすいものとなったかもしれない。欲動が両価的であることは
様々なところで確かめられるが、この両価性の程度となると、経験的に、個人や人間集団、人種によってはな
はだ異なる。今日生きている者に欲動両価性が十分に見出されるのは、太古からの遺産と見なすことができる。
変換されない能動的な蠢きが欲動生活において占める度合いは、始原においては今日の平均よりも大きかった
と仮定しておく根拠があるからである。
  自我の初期の発達段階では、自我の性欲動は自体性愛的に満足させられるが、この段階をわれわれはナル
シシズムと呼びならわし、さしあたり自体性愛とナルシシズムとの関係を論議することはなかった。そうなる
と、視る欲動の前段階において、視ることの快は自分の身体を対象としているわけだから、われわれはこの前
段階についても、それがナルシシズムに属する、つまりナルシス的な形成物であると言わねぱならない。この
前段階から視る欲動の能動的な面が発達してナルシシズムを脱してゆくが、視る欲動に含まれる受動的な面は
ナルシス的な対象を手放そうとしない。同様に、サディズムからマゾヒズムへの転回もナルシシズムの対象へ
の帰還を意味すると言うべきで
   *3 〔一九二四年の追加〕二二一頁〔本巻一七九頁〕の原注を見よ。

あるが、いずれの場合ともナルシシズムの主体は同一化によって他の余所からの自我と交換されている。この
ように想定されるサディズムのナルシス的前段階を考慮するなら、われわれは、自分の自我のほうへ向き直っ
たり能動性から受動性に反転したりという欲動が辿る運命が、自我のナルシス的な編成に拠るものであり、こ
の段階の刻印を背負い続けるという、より一般的な洞察に近づく。ことによると、こういった運命は、自我の
発達がさらに高くにまで進んだ段階では他の手段をもって行われる防衛の試みに対応するものであるのかもし
れない。
  考えてみると、われわれはこれまでサディズムノマゾヒズム、視ることの快、見せることの快という二組
の欲動の対立対だけを検討してきたにすぎない。これらは両価的に現れる性欲動の最もよく知られたものであ
る。もっと後に生じる性機能の他の構成要素については、分析にとってまだ十分に近づきうるものになってい
ないので、同様に論じるわけにはいかない。一般的には、それらは自体性愛的に活動すると言っておくことが
できる。すなわち、そういった構成要素の対象はそれら要素の源である器官の陰に隠れ、通常その器官と一体
化する、と言えるのである。視る欲動の対象は、さしあたっては自分の身体の一部ではあるものの目そのもの
ではない。そして、サディズムの場合、能動的な活動をなしうる筋肉組織と推定される器官源泉は、自分の身
体に付属する場合もあるとはいえ直接には別の対象のほうに向いている。自体性愛的な諸欲動にあっては器官
源泉の役割は実に決定的であり、P・フェーデルンとL・イェーケルスによる興味深い推測によれば、器官の
形状と機能によって欲動の目標が能動的か受動的かが決定されるのである。
  ひとつの欲動がその(内容上の)対立物に変換されるということは、ただひとつのケースにおいてのみ観
察される。愛から憎しみへの転化がそれである。この両者は同時に同じ対象に向けてとりわけ頻繁に現れてく
るものであるか

ら、この共存はまた感情の両価性の最も重要な例となる。
  われわれはいくつかの欲動について叙述してきたが、愛と憎しみの事例は、この叙述への組み入れに抗す
るものであり、この事情ゆえにそれは特段の関心を呼ぶ。これら互いに対立し合う感情と性生活とのあいだの
緊密な関係を、誰も疑いはしないであろうが、愛するということを、他の欲動と同様に性の特別な部分欲動の
ひとつと捉えることに対しては、もちろん誰もが逆らいたくなるにちがいない。むしろ、愛することは性的追
求の全体を表現するものであると見なしたくなるところであるが、そのように見なしてもやはりしっくりこな
いし、そのような全体的追求に対する内容的な対立物は何であるのかが分からなくなってしまう。
  愛するということには、ひとつではなく三つの対立がありうる。愛する´憎むの対立のほかに、愛する愛さ
れるという対立があるのに加えて、愛すると憎むとを一体とすると、それは無頓着、無関心の状態に対立する。
これら三つの対立のうち、第二の愛する、愛されるの対立は、紛うことなく能動性から受動性への向き直りに
対応し、また視る欲動の場合と同様ひとつの根本状況に還元されうる。この根本状況とは、いわく自分自身を
愛することであり、われわれの見るところ、それはナルシシズムの特徴である。対象が余所からの対象に置き
換えられるか、それとも主体が余所からの主体に置き換えられるかに従って、愛するという能動的な目標追求
や愛されるという受動的な目標追求が生じるのであり、そのうち後者は依然ナルシシズムに近いままである。
  愛することの逆が様々にあることへの理解に近づくには、心の生活がそもそも三つの双極構造によって支
配され

   *4 Internationale Zeitschrift fur Psychoanalyse, I, 1913.

ていることを考えてみるのがよいかもしれない。すなわち次の一連の対立である。
  主体(自我)。対象(外界)。
  快/-不快。
  能動的/受動的。
  先に述べたように〔本巻一六九一一七〇頁〕、個体は、自我/非我(外部)、(主体/対象)の対立を早
い時期に思い知らされる。外部刺激が筋肉の活動によって黙り込ませることができるのに対し、欲動刺激につ
いては自分が無防備であるという経験によってそれが突き付けられるのである。この対立は、とりわけ知的な
営みにおいては、あくまで主調をなすものであって、いかに手を尽くそうとも変更しようのない、研究の根本
状況をなしている。快/不快
の双極構造は一連の感覚系列につきものであって、それがわれわれの活動の決定(意志)において最も優越し
た意義を占めることはすでに強調したところである。能動的、受動的の対立を、自我―主体、外部対象の対立
と混同してはならない。自我は、外界から刺激を受けている限り外部世界に対して受動的に振る舞うが、刺激
に反応する段には能動的に振る舞う。自我は自分の様々な欲動によって外部世界に対する全く特殊な能動性へ
駆り立てられるのであって、本質的なところを強調するなら、自我‐主体は外的刺激に対して受動的であり自
分の欲動によって能動的であると言えるかもしれない。能動的/受動的の対立は、後に男性的/女性的の対立
と融合する。男性的/女性的の対立は、この融合が起こる前では何ら心理的な意味を持たない。能動性と男ら
しさ、受動性と女らしさとの繋がりは、われわれには生物学的な事実だと思えてくるものであるが、それは決
してわれわれが想定しがちなほど規則的に徹底したものでも例外のないものでもない。

  心の三つの双極構造は、互いに実に重要な結合を行う。それらの二つが出会うような心的な根本状況とい
うものがあるのだ。自我は、元来、心の生活のそもそもの始まりから欲動で備給されており、その諸欲動を部
分的には自分自身において満たすことができる。われわれはこの状態をナルシシズムの状態と呼び、このよう
な形での満足の仕方を自体性愛的な満足と呼ぶ。この段階では外界は、(一般的に言うなら)関心を備給され
ておらず、満足にとってはどうでもよいものである。したがって、この頃には、自我-主体とはすなわち快い
ものであり、外界はと言うと、何の関心も呼び起こさない、どうでもよいもの(時には刺激源泉として不快な
もの)ということになる。愛するということを、ひとまず快の源泉と自我との関係と定義するなら、自分自身
だけを愛し世界に対して無関心であるというこの状況によって、「愛する」ということをめぐってわれわれの
見出した様々な対立関係のうち第一のものが説明されることになる。
  自我は、自体性愛的である限り外界を必要としないが、自我保存欲動の経験の結果、外界から対象を獲得
するよ

   *5 われわれが知っているように、性欲動のある部分にとっては、この自体性愛的満足が可能であり、
後に〔次の段落で〕述べる快原理の支配のもとでの発達を担うものとなってゆく。そもそも対象を必要として
いる性欲動と、自体性愛的には満足させられるべくもない自我欲動から来る欲求とは、本然的には、このよう
な満足状態を妨げるものとなり、前進への道を開く。たしかに、もし個体が寄る辺なく世話を受けるばかりの
一時期を通り抜けてしまうのでなければ、ナルシス的な原状態から、そのような発達が遂げられてゆくという
ことはあり得ないだろう。寄る辺なく世話を受けるその時期には、個体のさし迫り来る欲求は、外界から何か
がやってくることによって満足させられ、それによって、発達などということから引き離しておいてもらえる
わけだから。

うになる。となると、内的な欲動刺激をしばらくのあいだ不快なものとして感じることはやはり避けられない。
ここで、快原理の支配下にあって自我の中にさらなる展開が生じる。自我は差し出された対象を、それらが快
の源泉である限り自分の自我の中に受け入れる。すなわち、(フェレンツィの表現に従えば)これらを取り込
み、他方では、内部で不快を引き起こすものは、自分の中から押し出してしまう(投射の機制については後に
述べたい)。
  こうして、内部と外部とをきちんとした客観的基準に従って区別していた当初の現実自我から、何にもま
して快の性格を優先させる生粋の快自我への転換が生じる。この快自我からすると、外界は、自分が体内化し
た快の部分と、自分にとって余所のものである爾余の部分とに二分される。快自我は、自分の自我からある部
分を遊離させて外界の中に投げ込んだ上で、それを敵対的と感じる。この組織替えを経て、〔主体/外界、快
/不快の〕二つの双極構
造の重なり合いは、自我-主体が快と重なり、外界が不快(以前には無関心)と重なる、という形で、あらた
めて確立される。
  最初のナルシシズムの段階の中へ対象が登場してくることによって、愛することに対立する二つめの意味
である憎しみも明確な輪郭を取るに至る。
  対象は、先に述べたように最初に自己保存欲動によって外界から自我に持ち込まれる。憎しみの元々の意
味も自分にとってよそよそしくて刺激を与える外界に対する関係を指しているのは否定できない。無関心は、
最初、憎しみの先駆けとして登場していたのだが、その後、この憎しみや嫌悪の特殊な事例としてそれに含ま
れることになる。外のもの、対象、憎むべきもの、これらはそもそものはじめには同じものなのではあるまい
か。後に対象が快の源

泉であることが分かれば、それは愛されるが、また自我に体内化されもするのであって、そうなると生粋の快
-自我にとって対象はまたしてもよそよそしいものや憎むべきものと同じになってしまう。
  そうだとすると、愛/無関心の対立対が自我/外界の双極性を映しているように、愛y憎しみという第二
の対立対は、自我’外界という第一の双極性と結びついた快/不快の双極性を再生産していることも分かる。
純粋にナルシス的な段階が対象段階にとって代わられたあとには、快’不快は対象に対する自我の関係を意味
することになる。対象が快感の源泉になると、運動傾向が生じて、それが対象を自我に近づけ、自我のうちに
体内化しようとする。その場合には、われわれは快を与えてくれる対象が放つ「魅力」ということを囗にし、
対象を「愛している」と言ったりする。反対に、対象が不快感の源泉であれぱ、対象と自我のあいだの距離を
開けようとする傾向が出てきて、刺激を送りだしてくる外界から逃れようというもともとの試みを対象におい
て反復しようと努める。われわれは対象への「反撥」を感じ、その対象を憎む。こうした憎しみはさらに、対
象に対する攻撃性向や対象を抹消しようという意図へと高まることもある。
  欲動にとっての欠乏状態に関しては、欲動はみずからの満足のために追求している対象を「愛している」
のであると言えるかもしれない。ところが、欲動が対象を「憎む」という言い方は変な感じがする。だからこ
こで注意しておくべきは、愛とか憎しみといわれる関係は、欲動とその諸対象との関係には適用できないので
あって、むしろ全体自我とその諸対象との関係のためにとっておかねばならないということである。たしかに
意味のある言葉遣いというものがあって、それを子細に見ていくと、愛と憎しみの意味をさらに制限しなけれ
ばならなくなる。自我の保存に役立つ対象については、それを愛しているとは言わず、それが必要なのだと強
調することがあるのであって、

たとえばもっと別の関係がつけ加わってくる場合には、ごく和らいだ愛を暗示する語を用いて、それが好きだ
とか、見たいとか、気持ちいいなどと表現することもある。
  「愛している」という語はこのようにして、対象に対する自我の純粋な快関係の領域のなかにますます深
く入り込んでいき、ついには狭義の性的対象や昇華された性欲動の欲求を満たす対象に固定化されることにな
る。われわれがわれわれの心理学に押しつけてきた自我欲動と性欲動の区別は、こうして、われわれの言葉の
精神と一致することが明らかになる。われわれは、個々の性欲動がその対象を愛しているという言い方には馴
染めないのに、「愛している」という語を性的対象に対する自我の関係に適用するのは最も妥当だと感じるわ
けであるが、そのことがわれわれに教えているのは、性器の卓越のもとで、また生殖機能に奉仕するために、
性のすべての部分欲動が統合されるとき、はじめてこの関係に「愛している」という語が適用されるようにな
るのだということである。
  ここで心にとめておくべきは、「憎む」という語を使うときには、性的な快や機能とのあいだに、それほ
ど密接な関係は見られず、不快関係が唯一決定的なものであるらしいということである。自我は自分にとって
不快感の源泉となるような対象をことごとく憎み、忌み嫌い、破壊しようとしてそれにつきまとう。それらが
自我にとって性的満足の不首尾を意味しようと、保存欲求の満足の不首尾を意味しようと、それにかかわりな
くである。それどころか、憎しみの関係の原型は正確には性的生活に由来するのではなくて、保存と固守を求
める自我のもがきに由来すると主張することさえできる。
  まったく実質的に対立していると思われがちな愛と憎しみであるが、それらはけっして単純な相互関係に
あるのではない。愛と憎しみはもともと共通のものが分裂して生まれてきたものではなくて、それぞれが別々
の起源をも

ち、独自の展開をくぐり抜けて、その結果、快示快関係の影響のもとに対立項としてかたちづくられたのであ
る。こうして、そろそろ愛と憎しみの発生についての知見をまとめなければならない段階にきた。
  自我は自らの欲動の蠢きのある部分を、器官快の獲得を通して自体性愛的に満たす能力を有しており、愛
はそこから芽生えるのである。愛はもともとはナルシシズム的であり、やがては諸対象へと越境してゆき、そ
れらの諸対象は拡大された自我へと体内化されてしまう。愛が表出しているのは、快源泉としてのそれらの対
象に向かう自我の動的な追求である。愛は、その後の性欲動の活動へと内密に結び付き、性欲動の統合が遂行
されれば、性的追求の全体に合致するようになる。性欲動は錯綜した発展を潜り抜けてゆかねばならないが、
その間に、愛するということも、いくつかの前駆段階を経てゆく。そうした前駆段階は、いくつかの暫定的な
性目標として現れてくる。それらの性目標の最初に当たるものとしてわれわれが認めることができるのは、自
分の中へと体内化すること、もしくはむさぼり食うことであり、これもひとつの愛である。これは対象の独立
存在を破棄してしまうことと表裏一体であるから、両価的という形容を当てはめることができる。サディズム
ー肛門的編成という、より高次の前性器的段階になると、対象へと向かう追求は力ずくの占有の衝迫という形
で登場するが、これは対象に損害を負わせたり対象を亡きものにするということと選ぶところはない。愛とい
うもののこのような形や前段階は、対象に向かうその振る舞いから見る限り、憎しみからほとんど区別するこ
とができない。性器的編成の組み立てがどうにかできあがったときにやっと、愛は憎しみの対立物になってい
るのである。
  対象への関係として、憎しみは愛よりも古い。ナルシス的な自我のそばに、刺激を与える外界を寄せ付け
ないようにすること、そもそものはじめにあるこの忌避から、憎しみは生まれてくる。憎しみはさまざまな対
象によって

喚起されてしまう不快反応の表出の形なのであるから、自我保存の諸欲動と憎しみとのあいだには、内密な関
係がずっと保持されることになる。その結果、自我欲動と性欲動とは、容易に一つの対立を形作ることになっ
てしまう。そして今度はこの対立によって、憎しみと愛の対立が反復されるようになるのである。サディズム
ー肛門的編成の段階におけるように、性の機能が自我の諸欲動によって制圧されている場合には、欲動の目標
もまた、それによってさまざまな憎しみの性格を持たされる。
  愛の発生と関係にまつわる歴史は、愛がなぜかくもしばしば「両価的」であるのか、つまり同じ対象に向
かう憎しみの動きと手をつないで現れてくるのかということを、われわれに納得させてくれる。愛とない交ぜ
になった憎しみの一部は、十分に乗り越えられなかった、愛することの前駆段階に、由来している。また別の
一部は、あの自我諸欲動の忌避反応にその基盤をもっていて、しばしばありがちなように自我の利益と愛の利
益が矛盾を来したときに、現実的で実際的な動機に基づいてその忌避反応が呼び起こされてしまうのである。
よってどちらの場合でも、愛とない交ぜになった憎しみは、自我保存の諸欲動という源泉に立ち戻っている。
何らかの対象への愛の関係が断ち切られたとき、愛があった場所に憎しみが立ち現れるということは稀ではな
い。われわれはそうした場合に、愛が憎しみへと変換されたという印象を受けとる。ここでさらに次のような
把握を試みることによって、われわれはこうした単なる記述を越えて先に進むことができる。すなわち、こう
した場合には、愛することがサド的な前段階へと退行して、現実的に動機付られた憎しみは、この退行によっ
てさらなる強化を受けるのである。そして憎むということがエロース的な性格を手に入れて、愛の関係がなお
も続いてゆくことが保証されるのである。
  愛するということの第三の対立項、すなわち、愛するということから愛されるということへの変換は、能
動と受

動の双極性の作用に対応したものであり、視る欲動やサディズムの場合と同様の考え方を適用していただいて
よい。要約の意味で、次のことを強調しておくことにしよう。欲動の蠢きが、心の生活を支配する三つの大き
な双極性の影響のもとに引き入れられてゆくこと、これが本質的に欲動運命なのである。これらの三つの双極
性に関しては、能動/受動は生物学的、自我/外界は現実的、そして最後に快/不快は経済論的であると言い
表しておくことができよう。
  抑圧という欲動運命は、引き続いての研究の主題となる。              (新宮一成訳)

抑圧
Die Verdrangung

  欲動の蠢きの運命として、抵抗にぶつかり、無効にされてしまうということがありうる。その条件をこれ
から詳しく考究しようと思うのであるが、こういう場合、欲動の蠢きは抑圧の状態に入ることになる。これが
もし外的な刺激作用の問題であったならば、明らかに逃走こそが本来取るべき手段となったであろう。欲動の
場合は、逃走はおよそ使い物にならない。なぜなら自我は自分の力で自分自身から逃れ去ることなどできない
からである。のちには、判断棄却(断罪)ということに、欲動の蠢きに対する格好の手立てが見出されるよう
にもなるであろう。断罪の前段階、すなわち、逃走と断罪の中間物が抑圧であり、この概念は精神分析の研究
が現れる以前の時代には、設定することのできなかったものである。
  抑圧というものが可能であるということを、理論的に導き出そうと思うと、これは容易ではない。欲動の
蠢きが、どうしてこのような運命に陥ってしまわなければならないのであろうか。明らかにここでは、欲動の
目標に到達するということが、快のかわりにむしろ不快を与える、という条件が満たされていなければならな
い。しかしそれがどんな具合なのか、うまく思い描けない。そんな欲動は存在せず、欲動の満足はいつも快い
ものである。そこで特殊な巡り合わせを、つまりは、満足の快が不快へと変換されるようななんらかの過程を、
想定してみるしかないであろう。

  抑圧の輪郭をより良く描き出すために、欲動についてのいくつかの別の状況を引っ張ってきて説明させて
いただきたい。たとえばなんらかの外部刺激が、ある器官を侵食し破壊することによって内側に入り込み、持
続的な興奮と緊張増大の新たな源泉と化す、ということが起こりうる。するとこういう外部刺激は、なかなか
欲動とよく似た質を獲得することになる。人も知るごとく、このような具合になったとき、われわれはそれを
痛みとして感覚するのである。しかしこの欲動に似て非なるものの目標は、ただ器官に起こっている変化およ
びそれに結びついた不快を、止めさせることである。痛みが已んだとしても、その他の何か直接的な快が、そ
れで得られるというわけのものでもない。痛みとはまことに絶対命令的なものである。対するわれわれに残さ
れた手立てと言えば、毒性のある薬物の力を借りてそれを鎮めるとか心的な発散でもってそれを紛らわせるく
らいのものであろう。
  痛みという事例は、われわれの目的のために役立てようとするためには、見通しにくいところが多すぎる。
空腹のような欲動刺激が、満たされぬままになっているという事例を、考えてみることにしよう。しかしその
場合は空腹刺激だって絶対命令的になり、鎮めようと思えば満足のための行動を起こすしかなく、持続的な欲
求緊張を強いてくる。抑圧のようなことは、ここではいつまで経っても視野に入って来そうにない。
  このように、欲動の蠢きの不満足による緊張が耐え難い程度にまで高まったようなときには、確かに、抑
圧ということは起こっていない。このような状況にあらがうために、有機体にどのような防衛手段が与えられ
ているのかということは、別の文脈において説明されるべきことである。
  そこでむしろわれわれは、抑圧が精神分析の実践において出会われるという限りでの、臨床的経験に話を
絞ってみよう。そうすると分かってくることがある。すなわち、抑圧に屈する欲動の満足というものが確かに
可能であっ

て、満足はそれ自体では快いものであるのだが、それ以外からのいろいろな要求や意図と折り合わない、とい
うことである。その満足はある場では快を、別の場では不快を引き起こすのである。とすると、抑圧の条件な
るものは、満足の快よりも不快の動機がより強い力を持つことである、ということになる。さらに、転移神経
症での精神分析経験から、抑圧とはけっして根源から存在している防衛機制ではなく、意識的な心の活動と無
意識的な心の活動との間の鋭い区別が打ち立てられるよりも以前には、成立しえないものであり、そしてその
本質は、意識的なものを退け、遠ざけておくことにあるという推論が導き出される。抑圧についてのこうした
理解を、次のような仮定で補完しておこう。すなわち、心のこの編成段階より以前には、別の欲動運命、すな
わち対立物への変換やわが身への向き直りといったものが、欲動の蠢きへの防衛という課題を主にこなしてい
るのであろう。
  ここでいまお断りしておきたいのは、抑圧と無意識とは大幅に相関しているのであるから、われわれは一
連の心的審級がどう組み立てられているのか、また無意識と意識がどのように分化しているのかについてもう
少し学び知ってからでないと、抑圧の本質について深くは探っていけないということである。それより前には、
われわれは純粋に記述的な方法で、臨床的に識別できる抑圧のいくつかの特徴を取りまとめていくことしかで
きないであろう。ただしその際には、すでに別の場所で述べたことがらを、大して変わり映えもせず繰り返す
という危険は無きにしもあらずとしておかなくてはなるまい。
  そこでわれわれは、原抑圧というものを仮定しておく根拠を持つことになる。原抑圧は抑圧の最初の相期
であって、それは、心的な(表象の)代表が、意識的なものの中へと受け入れられることが不首尾に終わると
いうことに存している。そしてこれによって、固着が成立する。ここからは、当該の代表は不変のままに存続
し、欲動は、その

代表に結びついたままになる。このことは、のちに議論すべき鎰意識の諸過程の特性に従って生起する。
  抑圧の第二の段階、すなわち本来固有の抑圧は、先の抑圧された代表の心的な蘖に対して向けられるか、
あるいはその代表とは別のところに由来しつつも、その代表との連想関係を持つようになってしまった思考系
列に対して向けられる。その連想関係のゆえに、それらの表象たちは、原抑圧されたものと等しい運命を辿る
ことになる。本来固有の抑圧は、だから踏襲性抑圧とでも言うべきものである。ついでながら、意識的なもの
から、抑圧されるべきもののほうに向かって、という一方向の追い出しぱかりを強調していたのでは、公平を
欠くことになるであろう。原抑圧されたものは、みずからが結びつきを持てるようなあらゆるものごとへと、
引力を及ぼしているのであって、そうした引力もまた同じほどに考慮すべきものであるからだ。これらの二つ
の力が協同して働いているのでなかったら、そして、何か先立って抑圧されていたものが存在していて、意識
から追い出されたものを受け入れる用意をしてくれているのでなかったら、抑圧という傾向性も、たぶん己の
もくろみを果たすことはできないのではないか。
  われわれに抑圧の働きの重要さを教えてくれたのは精神神経症の研究であるから、そこからの影響もあり、
われわれは抑圧の心理学的内容のほうをともすれぱ過大評価しがちであり、抑圧といえども、欲動代表が無意
識の中で存続して、さらに組織化され、蘖を発生させたり結びつきを持とうとしてくるのを妨げることはでき
ないのだ、ということを容易に忘れてしまう。抑圧は実際には、一つの心的系、すなわち意識の系への関係を
妨げるだけなのである。
  精神分析はまた、精神神経症において抑圧の作用の理解のために重要な、別のことがらをわれわれに示す
ことができる。たとえば、欲動代表は、抑圧によって意識の影響力から遠いところに置かれると、ますます大
手を振って

内容豊かに発展を遂げるということである。それはいわば暗闇で繁茂し、極端な表現形式を身に纏う。それが
神経症者の目の前に翻訳され突きつけられると、それは彼に余所余所しい感じを与えるだけではなく、その途
方もなく危険な欲動の強度の見せかけによってもまた、彼を必ず驚愕させることになる。欲動のこのような疑
似強度は、空想の中での制止されなかった展開と、不首尾に終わった満足からくる鬱積の結果である。この最
後の結果が抑圧に結びついているということは、抑圧の本来の重要性をわれわれがどこに求めなければならな
いかを示している。
  しかし、今いちど抑圧の反対の面に帰ってみると、原抑圧されたものの蘖のすべてを、抑圧は意識に入ら
ぬよう引き留めておけるのだとするのはそもそも正しいわけではないと、改めてわれわれは確認する。それら
の蘖たちが、歪曲の装着とか一定数の中間項の挿入とかによって、抑圧された代表からどれほど遠くまで引き
離されていようが、とにかくそれらにとって、意識への接続が自由にできるようになったわけだ。それはまる
で、それらの蘗たちに対しての意識の抵抗が、根源的に抑圧されたものからの距離の、ある種の関数ででもあ
るかのようである。精神分析技法を実践しているとき、われわれは患者に、抑圧されたもののこのような蘗た
ちを、途切れなく発出させるように求めているわけである。それらは距離が取れたかあるいは歪曲ができたか
によって、意識の検閲をすりぬけることができたものたちである。実際われわれは、患者に対し、意識的なあ
らゆる目的表象と批判を放棄することでもって、思いつきを求めているが、これらの思いつきこそその蘖たち
に他ならない。そうした思いつきから、われわれは、抑圧された代表の意識的翻訳を捉え直すわけである。そ
の際われわれは、次のようなことを観察できる。患者はこのような思いつきの系列を紡ぎ出してくるのである
が、その途上で、抑圧されたものへの関係があまりにも強くなって、彼の抑圧を反復せざるを得なくなるよう
な、そんな思考系列にぶつかるのである。神経症の症状それ

自体がまた、抑圧されたものからの蘗たちなのであるから、やはり先ほどから言っている条件を満たしていた
のでなくてはならない。抑圧されたものは、症状形成という手段を介して、不首尾に終わった意識への到達を、
遂に勝ち得ていたのである。
  意識の抵抗が除去されるに至るまでには、抑圧されたものの歪曲やそこからの遠ざかりがどこまで進まな
くてはならないのかということを、いちがいに言ってしまうことはできない。それはそこに精妙な平衡形成が
あってのことであり、その動きはわれわれには隠されている。しかし起こっていることから推して、それを越
えれば無意識が満足に向けて押し寄せてくることになるという一定の無意識備給強度の手前で、いったん歩み
を止めさせるようなことが問題になっているのが分かる。抑圧というものは、高度に個別的に、働くのである。
抑圧されたものからの一つ一つの蘗が、自分の特別な運命を持つことができる。すこしでも歪曲が多いか少な
いかということでもって、全体の結果が急変するからである。人間が最も好む対象、すなわち人間の理想とい
うものが、人間が最も嫌悪する対象と同じ知覚や経験から発生してくるということ、そして両者が、ほんの僅
かな修整のみにて、互いに根源的に区別されているということも、またこの同じ文脈で理解されるべきである。
実際、フェティッシュの発生においてわれわれがすでに見ておいたように、根源的な欲動代表は、二つの断片
に分割されることがある。その片方は抑圧の手に落ちるが、残りは、まさにこうした内的な繋がりのおかげで、
理想化という運命を辿るのである。
  歪曲を多くするか少なくするかというこのことは、いわば装置のもう一つの端においても、快-不快産出
にあたっての条件を修整するという形で、執り行われうる。もとは不快を産み出すようなことがらが、快をも
もたらすようになる、そのようなことを、心的な力の働きの変化で起こしてみせる、そんなもくろみをもつ特
別な技法が作り

上げられているのである。このような技法的手段はしばしぱ顔を見せるから、もとは避けられていた欲動代表
に対する抑圧が解除されるほどである。このような技法は、これまでは機知に関してのみ、詳細なところまで
究明されている。原則としては抑圧の解除は束の間であり、すぐに再び設定し直される。
  この種の経験によって、われわれは抑圧のさらなる諸特徴へと、注意を向けるようになってくる。抑圧は、
今詳しく述べたように個別的であるばかりではなく、高度に流動的でもある。抑圧過程をたとえば、何かの生
き物を打ち殺した場合のように、一回きり生起して永続的成功を収めるに至ったものというように思い描くべ
きではない。抑圧はむしろ、持続的な力の消費を要求するものであり、その消費を止めれぱ抑圧の成功がおぼ
つかなくなって、新たな抑圧行為が必要とされてくる。われわれは次のように思い描いてよいだろう。すなわ
ち、抑圧されたものは、意識に対して、持続的な圧力を掛け続けていて、この途切れることなき反対圧力によ
って、平衡が維持されているに違いないと。抑圧を維持するということは、持続的な力の出費を前提とするも
のであって、これを中止することは、経済論的には節約を意味することになる。ついでながら、抑圧の流動性
の表現は、睡眠状態の心的特徴の中にも見出され、睡眠状態だけが夢形成を可能にしている。覚醒と共に、撤
収されていた抑圧備給は、ふたたび送り出される。
  最後にわれわれが忘れてはならないのは、われわれは、欲動の蠢きが抑圧されているということを確認し
たとしても、その蠢きそのものについては非常に僅かなことしか言っていないということである。抑圧を損な
うということなく、欲動の蠢きは、非常にさまざまな状態で存在することができ、不活性な、つまりは心的エ
ネルギーでほとんど備給されないままでいることもできれば、めまぐるしくいろいろな程度に備給を受けて活
性化状態になってい

るかもしれない。欲動の蠢きの活性化は、確かに直接の抑圧の廃棄という結果には繋がらないであろう。しか
し、迂回路を通っての意識への侵入ということがその結末になるような、あらゆる出来事を引き起こすことに
なるであろう。無意識の抑圧されていない蘗たちに関して言えば、活性化ないし備給の程度ということが、
個々の表象の運命を決する。抑圧されていない蘖は、それが僅かなエネルギーしか代表していないかぎりは、
たとえその内容が意識的に支配的なものとの葛藤を生じさせるようなものであったとしても、抑圧されないま
までいられるということは、日常よく起こっていることである。しかし、葛藤にとっては、量的な契機が決定
的なのであるから、基本的に不愉快な表象がある一定の程度を越えて強くなれば、たちまち葛藤は現勢的なも
のとなって、活性化は抑圧を招き寄せる。抑圧という点から言えば、エネルギー備給の増大は無意識への接近
と同じ意味を持って機能し、また、その減少は、無意識からの遠ざかり、または歪曲と同じ意味を持って機能
する。われわれの理解するところでは、抑圧的な傾向性は、好ましくないものの強さが減れぱ、それを抑圧の
代替物だとみなすものなのである。
  これまでの議論においてわれわれは、欲動代表の抑圧を取り扱い、欲動代表というものを、一定の心的エ
ネルギー(リビード、関心)の量をもって欲動からの備給を受けている表象または表象群であると、理解して
きた。今、臨床的観察によれば、われわれは、これまで単一的なものと理解してきたこれを、分解してみるこ
とを迫られている。というのは、表象以外に、欲動を代表しているのではあるけれどもまったく別なものを考
慮しなければならないし、また、この別なものは、表象が辿る抑圧運命とはまったく違った抑圧運命を辿るか
らである。心的代表のこの別な要素には、情動総計という名称が用いられた。欲動が表象から離れてしまい、
情動として感づかれるようになる過程で、その量にふさわしい表現を見出すというかぎりにおいて、このもの
は欲動に対応している。今後われわれは、
なんらかの抑圧の事例を記述するにあたっては、抑圧を受けた場合に表象はどのようなことになるのかという
ことと、表象に付着していた欲動エネルギーはどのようなことになるのかということとを、別々に、究明して
いかなければならない。
  これら二つに別れた運命について、できれば何か一般的なことを述べてみたいものではある。そしていさ
さか方角を見定めてみれば、それは可能であると思われる。欲動を代表している表象の一般的な運命は、おお
よそ次のようなこと以外ではまずなかろう。すなわち、その表象は、以前に意識的になっていたのであれば、
意識から消えてしまう。まさに意識的にならんとしていたところだったのであれば、意識から引き離しておか
れる。その違いはそう重要ではない。それはたとえぱ、招かれざる客を応接室(あるいは玄関)から追い出す
か、彼の姿を見ればもう住居の敷居をまたがせないようにするか、その違いになる。欲動代表の量的因子の運
命は、精神分析から学び知ることのできることがらをざっと見渡してみれば分かるように、三様でありうる。
欲動は、まったく抑え込まれてしまい、もはや何もそれについて見つけ出すことができなくなるか、あるいは
どのようにかして質的に色づけられた情動として前景に出てくるか、それとも不安へと変転するかである。あ
との二つは、欲動の心的エネルギーの情動への、なかんずく不安への転化を新たな欲動運命として視野に捉え
るという課題を、われわれに与える。

   *1 抑圧の過程に用いられたこの比喩は、先ほど触れた抑圧の性格に敷衍しておくことができる。す
なわち、次のように付け加えておかねばならない。私は、客に対して立てた戸を、誰か恒常的な番人を立てて
見張らせなくてはならない、さもないと、追い出された者がその戸を破りに来ないともかぎらないからである
(上記〔本巻二〇一頁〕参照)。

 抑圧の動機と意図は、不快の回避に他ならなかったということを、想い出しておこう。そこから帰結するこ
とだが、代表の情動総計の運命が、表象の運命よりもはるかに重大であり、このことが抑圧過程の判断を決定
するのである。不快感覚ないし不安の発生を防止することに成功しなかったならば、抑圧がたとえ表象成分の
ほうでは目的を達することができていたとしても、その抑圧は失敗であったと言えよう。もちろん、失敗した
抑圧は、成功した抑圧に比べてわれわれの関心をより大きく引き寄せる。成功した抑圧はわれわれの研究の埒
内に入ってこないからである。
  われわれはここで、抑圧過程の機制へと一歩踏み込み、なかんずく、抑圧にはただ一つの機制しかないの
か、それとも幾つかの機制があって、精神神経症の各々が、自分に固有な抑圧機制によって印づけられるのか、
ということについて、洞見を得たいと思う。しかし探究の端緒においてわれわれはすでに錯綜した事情にぶつ
かる。すなわち、抑圧の機制へと近づくには、われわれとしては、抑圧の結果から始めて遡っていくしかない
のである。代表の表象成分での成果に観察を限って言えば、われわれは、抑圧はたいてい代替物形成を引き起
こすということを学び知っている。ではこうした代替物形成が行われる機制は、どのようなものであろうか、
あるいはここでもまた幾つかの区別すべき機制があるのだろうか。抑圧が症状を後に残すということをもわれ
われは知っている。それではわれわれは代替物形成と症状形成を一緒にしてもよいのか、もし大体はそれでよ
いのだとしたら、症状形成の機制と抑圧の機制は、重なり合ってしまうのか。いまのところありそうだと思え
るのは、その両者はかけ離れており、代替物形成と症状とを作り出すのが抑圧だというのではなく、それらは
抑圧されたものの回帰の標識であって、その発生をまったく別の過程に負っているということである。また、
抑圧の諸機制よりも代替物形成と症状形成の諸機

制を先に研究することが勁められてよいだろう。
  明らかに、これ以上の思弁を重ねても得るところは少なく、代わって、個々の神経症で観察されるべき抑
圧の帰結について周到な分析が行われなければならない。しかし、この課題もまた、意識と無意識との関係に
ついて頼りになる概念化が得られるまでは延期させてもらおうと思う。ただ、ここまで拮々説明してきたこと
をまったくの無駄に終わらせないために、私は次の諸点を提唱しておきたいと思う。一、抑圧の機制は、代替
物形成の機制または諸機制と、実際には重ならない。二、非常に様々な代替物形成機制が存在している。三、
抑圧の諸機制にとっては、少なくとも次の一つのことが共通している。すなわち、エネルギー備給(あるいは
性生活を扱うときにはリビード)の撤収ということである。
  さらに私は、ここで導入された諸概念が、抑圧の研究にどのように適用されるかを、最もよく知られた精
神神経症の三型についてのみ、例を挙げて示したいと思う。不安ヒステリーの中から、動物恐怖症のよく分析
された例を選んでみよう。ここで抑圧に服した欲動の蠢きは、父親に向けられたリビード的な態度である。こ
の蠢きはまた、父親への不安と表裏一体になっている。抑圧の後では、この蠢きは意識から消し去られて、意
識の中では父親はリビードの対象としてはもう現れない。その代替として、類同的な場に、不安対象として多
かれ少なかれうまく当てはまるような一つの動物がやって来る。表象成分の代替物形成は、なんらかの方法で
定められた関連に沿って、遷移という道を通って作り上げられる。量的成分は消え去ったわけではなくて、不
安へと転化される。この結果は、父親への愛の要求に代わって場を占めた、狼への不安である。ここで応用さ
れたいくつかの概念範疇では、まだ、精神神経症の最も単純な例を解明すべしという要求を満たすためにさえ、
十分とは言えない。さらに別のいくつか
の視点が考慮に入ってくる。
  動物恐怖症の例におけるようなこうした抑圧は、基本的には失敗した抑圧であると印づけられるであろう。
抑圧の作業は、表象を片付けて代替するということからのみ成り立ち、不快の削減にはそもそも成功していな
い。このことからして、神経症の仕事もそこで止まることなく、もっと直接的で重要な目標に到達すべく、第
二段階へと加速する。次に来るのは逃走の試みの形成である。これは固有の意味での恐怖症である。すなわち
不安形成を閉め出してくれるはずの、幾多の回避である。どのような機制によって恐怖症がその目標に到達す
るのであるのか、それはより特殊化された研究によって、われわれは学び知ることができるであろう。
  真の転換ヒステリーの病像は、抑圧過程をまったく別様に考えてみるようにとわれわれに迫る。ここには、
ひょっとしたら情動総計を完全な消去にまでもたらすことができるのではないかということを、われわれに考
えさせて已まないものがある。そのように考えてみると、なるほど患者は、その症状とはうらはらに、シャル
コーが「《ヒステリー者の美しき無関心》)と名づけた振る舞いを示している。ここまで完璧に抑え込みに成
功するということは、ほかの場合では、まずない。症状それ自体に苦痛な感覚が付きまとったり、どうしても
避けがたい不安の迸出が一部あって、それが今度はまた恐怖症形成の機制を作動させたりするものである。こ
こでは欲動代表の表象内容は、意識からは根本的に撤収され、その代替物形成として――同時に症状とし
て――見出されるのは、過剰な強度を持った――代表的な例では身体的な――神経入射であり、それは、興奮
または制止として、ときに感覚的、ときに運動的な性質を備えている。過剰な神経入射を受けた部位は、よく
観察すれば、抑圧された欲動代表そのものの一片であることが証示される。この表象代表は、あたかも縮合に
よってでもあるかのように、備給のすべてを、自

らの上に引き寄せて来ているのである。こう言ったからとて、これで転換ヒステリーの機制の全体が明るみに
もたらされたというわけではない。とりわけ、退行という契機を付け加えなければならないが、これは別の関
連で考察すべきである。
  〔転換〕ヒステリーにおける抑圧は、甚だしい代替物形成を通してのみ可能になっているという点では、
完全に失敗していると判定されることになるだろうが、しかし、情動総計を片付けるということ、すなわち、
抑圧の本来の課題を果たすという点から見れば、それはいつも完全な成功を意味している。このようにして、
転換ヒステリーの抑圧過程は、症状形成をもって完結しており、不安ヒステリーの場合のように、第二の時期
にまで――あるいは本来の意味では際限なく――続くことを要したりはしないのである。
  ここに第三の疾患、つまり強迫神経症を引き合いに出して比較してみると、抑圧は、またさらに異なる様
相を帯びてくる。冒頭から、疑念が生じてくる。抑圧に服している〔欲動〕代表は、いったい何であると見れ
ばよいのか、それはリビード的追求なのか敵対的追求なのか、ということである。この不確かさは、強迫神経
症が、ある種の退行を前提として発生するということから来る。その退行を通じて入り込んでいるのは、情愛
的な追求に代わってサド的な追求である。抑圧に服している当のものは、愛された人物に向けられたこの敵対
的な衝動である。その結果は、抑圧作業の初期段階においては、後の段階においてとまったく異なったものに
なる。当初、抑圧作業は完全に成功する。表象内容は駆逐され、情動は消滅にまで導かれる。代替物形成とし
ては、ある種の自我変容、すなわち良心性の増強が見られるが、これをもって症状という名で呼ぶことはでき
にくい。ここでは、代替物形成と症状形成とは、一致していない。ここでなにがしかのことが、抑圧機制につ
いて分かってくる。この場合にも、一般的に

そうであるように、リビードの撤収が実行されているのであるが、しかしこの目的のためには、対立物の強化
を通じての反動形成が、役に立っているのである。したがってここでは、代替物形成は、抑圧と同じ機制を有
し、基本においては抑圧と符合しているのではあるが、時間的に、また概念的に、症状形成からは袂を分かつ
のである。この過程全体を可能にしているのが、両価性という関係であり、これによって抑圧されるべきサド
的衝動が持ち込まれているというのは、ごくありそうなことである。
  初めのうちは良好な抑圧も、持ちこたえられない。経過が進むと、抑圧の失敗がますます表に出てくるよ
うになる。反動形成を通じて抑圧を可能にしてくれている両価性、それはまた、抑圧されたものが回帰を果た
す場でもある。消失していた情動は、社会不安、良心不安、仮借なき自己非難へと変成して再現し、駆逐され
ていた表象は、遷移代替物によって、しばしば些細な、どうでもよいものへの遷移を通じて、代わりを見出す。
抑圧された表象を無傷のままに回復せんとする傾向性は、ほとんど見まごうべくもない。量的・情動的因子の
抑圧における失敗は、回避とか禁止とかを通じて、ちょうどヒステリー性恐怖症の形成でわれわれが見知って
いるのと同じ逃走機制を作動させる。しかし、表象を意識から撥ね付けておくということは、頑固に維持され
る。なぜなら、この撥ね付けによって、行動の差し止め、あるいは衝動の運動性拘束ということが与えられて
いるからである。こうして、強迫神経症における抑圧作業は、実りのない、終わりのない格闘へと、陥ってい
くのである。
  ここに提出された小さな比較系列をお読みになった読者は、抑圧と神経症性症状形成とに繋がる諸過程を
見通す希望が開けてくるまでには、さらに包括的な探究が必要になるという確信をお持ちになったことだろう。
考慮に入ってくるあらゆる契機の著しい錯綜具合からして、われわれにはただ一つの呈示の仕方しか残されて
いない。われ

われは、時に応じてあれこれの視点を掴みながら、素材でもって何かが分かってくると思われる限り、それに
従って進んでいくというふうにせざるを得ない。問題が別個に取り扱われ、その一つ一つの扱いは不十分なも
のになろうし、まだ触れられていなかったことを取り扱おうとするときには不分明さも避け難いが、最終的に
総合してみたときには、なんらかの良き理解が生まれるであろうと期待したい。      (新宮一成訳)

無意識
Das Unbewusste

  われわれは精神分析の経験から、抑圧過程の本質は、欲動を代表する表象を廃棄したり絶滅させてしまう
ことではなく、それが意識になることを妨げるところにあることを学び知った。そうしたときにわれわれは、
その表象が「無意識」という状態のうちに存している、という言い方をする。そして、そうした表象はまた、
無意識のままに働きを為すことができ、その働きの中には最終的には意識に到達するものもあるということに
ついて、然るべき証拠を提出しようとするものである。抑圧されたものはすべて無意識にとどまらざるを得な
いのであるが、まさにこの冒頭から確認しておきたいのは、抑圧されたものが、無意識の全体と重なるわけで
はない、ということである。無意識は、より広い輪郭を有し、抑圧されたものは、無意識の一部分である。
  無意識を識るには、いったいどのような道を取るべきなのであろうか。むろんわれわれは無意識を、それ
が意識への転化や翻訳を経過したあとでしか、識ることはできない。精神分析の作業は、日々、このような翻
訳が可能であることを教えている。それには分析を受ける人がある種の抵抗を克服することが必要であるが、
その抵抗とは、意識から遠ざけることによって無意識を抑圧されたものにしてしまっていたかつての抵抗と、
同じものである。

I 無意識についての弁明

  無意識の心というものを仮定し、その仮定の下に科学的に仕事を進めるということに関しては、各方面か
らわれわれに異論が唱えられてきた。これに対してわれわれは、無意識というわれわれの仮定は必要かつ正統
的であり、無意識の存在について幾重もの証拠を捉えていると申し述べることができる。意識の所与は、甚だ
しく隙間の多いものであるから、この仮定は必要である。健康な人たちにおいても病気の人たちにおいても、
次のような心的行為がしぱしば現れる。その行為を説明するには、別の行為が前提されなければならないが、
その行為に対しては意識は証言を与えることができないのである。これらの行為としては、健康な人たちの錯
誤行為とか夢、そして病気の人たちにおいて心的症状とか強迫現象とか呼ばれているもののすべてがあるが、
そればかりではなく、われわれの最も個人的な日々の体験を振り返ってみれば、どこからやって来たのかわか
らない思いつきだの、どのような経過を辿ってきたのかが隠されたままになっている思考の成果だのというも
のは、すでにお馴染みである。これらは意識的な行為ではあるけれども、われわれの中で心の行為として起こ
るあらゆることがらを、やはり意識を通じて経験していなくてはならないのだという要請を維持しようとすれ
ば、それらは連関を欠いた、理解できないものにとどまるであろう。他方、もしわれわれが、推論した無意識
の行為をそこに挿入してみるならば、それらは証示可能な関連性のうちに秩序づけられることになる。意味と
関連性とにおいて得るところがあるということは、われわれが直接経験を越えて進むための、十分に根拠のあ
る動機である。またそれに加えて、無意識という仮定に基づいて、意識過程の経過に対して目的に叶った影響
を及ぼすための手順を組み立てることができたとすれぱ、この成功は、

われわれが仮定しておいた無意識の存在にとっての動かしがたい証拠となることであろう。このように考えて
くると、心のうちで起こっているあらゆることがらはまた、意識にも識られているものでなくてはならないと
する主張は、支持しがたい僭越にほかならないとする立場に、われわれは立たなければならないのである。
  さらに進んで次のように無意識の心的状態の裏付けを述べることができる。意識は、それぞれの瞬間にお
いて、ごくわずかな内容だけしか包摂していない。そしてわれわれが意識的な知識と呼び慣わしているものの
大部分は、どうしたって、時間の流れのなかで相当な時期にわたり、潜在的な状態に、すなわち心的に無意識
の状態に存しているに違いないのである。無意識に反対する議論は、われわれの潜在的なあらゆる想起を考慮
してみれば、まったく考えにくいものとなってしまうであろう。ここでわれわれは異論にぶつかる。それは、
このような潜在的な想起というものは心的と呼ばれるべきものではもはやなくて、むしろ身体的な出来事の残
渣に対応しているのであり、そこから心的なものが再び呼び起こされるに過ぎない、というものである。この
異論に対しては、潜在的想起というものはそのようなものではなくて、紛れもない心的過程の形跡であると、
はっきりと返答しておくべきである。それよりも重要なのは、この異論の基礎にあるのが、意識的なるものと
心とを等しく扱うよう、明言しないままにはじめから決めてかかっている考えだということを、よく見破って
おくことだ。このように等しく扱う考えは、一つには、すべての心的なるものがまた意識的でなければならな
いかどうかという問いそれ自体を許さない論点先取であるか、もう一つには約束事の、つまり名前の付け方の
問題であるかのどちらかである。後者の性格からいえば、この考えにはむろん、すべての約束事がそうである
のと同様、反論してみてもはじまらない。それが目的に叶っていることが分かるからそれに従おう、というこ
とにするかどうかの問題が残っているだけである。約束事として心
的なものを意識的なものと等しなみに扱うこの考えは、全然目的に叶っていないと答えることもまた可能なの
である。その考えは心的なものの連続性を断裂させ、われわれを心身平行論の抜けがたい難局に落とし込むで
あろう。またそれは意識の役割を大した見通しもなく過大評価し、他の領域からの応援を期待できないままに
われわれをして心理学的研究の領域を早々と見捨てさせるという点で、非難を受けざるを得ないであろう。
  いずれにしても、心の生活の、およそ拒みようもない潜在的状態というものを、無意識の心の状態と捉え
るべきか、あるいは身体的状態と捉えるべきか、それは明らかに、結局言葉の上の争いに帰してしまう懼れが
ある。したがって、問題となっている状態の性質について、われわれに確実性をもって知られていることがら
を、前景に引き出してくることが賢明ということになるだろう。この状態の身体的性格となると、今のところ
われわれにはまったく手掛かりがない。この状態の本質については、生理学的な観念や化学的な過程は、われ
われに何らの着想も伝えてきてはくれない。それに対して、この状態は、意識的な心の出来事との間には、豊
富な接触点を持っていることが確認される。それは、一定量の仕事によって、この状態が意識的な心の出来事
へと変換されたり、それで代替されたりすることがあるからであり、また、意識的な心の行為について用いる
あらゆる範疇、たとえば表象、追求、決断などの範疇でもって、その状態は記述されうるからである。実際、
これらの潜在的状態の幾つかのものについてわれわれは、それらは意識から脱落しているというその一点にお
いてのみ、意識的なものから区別されているだけだと言ってよい。したがってわれわれは、それらを心理学的
研究の対象として、また、意識的な心の行為とのきわめて密接な関連の下に取り扱うことを、ためらってはな
らないであろう。
  潜在的な心の行為に心的な性格を認めることへのかたくなな拒絶は、次のことから説明される。すなわち、
観察

に入ってくる現象の大部分が、精神分析の外側では研究の主題として扱われてこなかったということである。
病理的な事実を識らない人、正常な人々の失錯行為を偶然的なものとしておく人、そして、夢はうたかた、と
いう古い知恵で安んじている人、これらの人々は、無意識の心の活動を仮定するという労を執らないでおこう
と思えば、意識心理学のいくばくかの謎に、知らぬ顔を決め込んでおけば済むのである。念のために言ってお
けば、精神分析の時代の前にも、催眠実験、とりわけ後催眠暗示は、心の無意識の存在と作動様式とを、すで
に見まごうかたなく証示していた。
  ところが、無意識という仮定は、われわれがそれを設定するに際して、われわれが慣れ親しみ、正しいと
されてきた思考様式から決して逸脱してはいないという意味において、完全に正統的なものなのである。意識
は、われわれの一人一人に、自分自身の心の状態の知識しか伝えてきてくれない。ところが、他の人間も意識
を持っているということは、その他人の知覚できる表現や行動に基づいて、類似によって引き出されてきた推
論であって、そのようにしてその人の振る舞いが理解できるようになっているに過ぎない。(心理学的には次
のように言っておいた方がもちろん正確である。われわれはわれわれ自身の体質を、そしてわれわれの意識を
もまた、取り立てて考えてみることもなく誰彼かまわず他人になすりつけるものであり、こうした同一化こそ
がわれわれの〔相互〕理解の前提になっているものである、と。)この推論――または同一化――は、かつて
は、自我から他人へ、動物へ、植物へ、無生物へ、そして世界全体へと広がっていて、それらの他なるものた
ちが個々の自我に圧倒的に似ているところが大きかった間は役に立っていたのであるが、それらが自我からか
け離れて行くにつれて、当てにされなくなっていったのである。今日では、われわれの批判力は、動物の意識
という点についてはすでに不確実なものとしており、

植物についてはそれを認めることを拒み、無生物に意識を仮定することについては、神秘主義にお任せしてい
る。しかし、根源的に存在していた同一化傾向が批判力に耐えて存続している場合、つまりわれわれに最も近
い他なるものとしての人間に対する場合でも、意識が他人にあるという仮定は推論に基づいており、われわれ
が自分自身についての意識に関して持っているような直接性を、それは共有してはいないのである。
  してみれば、精神分析が要求していることとは、この推論過程を、われわれが我が身にも向けてみるとい
うことにほかならない。それはたしかに、われわれが体質的にそのように方向付けられてはいないような手続
きではあるけれども。もしそのようにしてみるならば、われわれは次のように言わざるを得ないであろう。私
が私において気づきながらも、その他の私の心的生活とどう結びつけてよいか分からないような、すべての行
為と表現は、あたかもそれらが別の人物に属しているかのように判断されなけれぱならず、他の人物に帰せら
れている心の生活を通して、解明されるべきものである、と。経験はまた、次のことを教えている。すなわち、
我が身においては心的な認証を与えることを拒むようなまさにそういった行為を、人は、他人においては甚だ
上手に解釈する、すなわち心の連関の中にすんなり納めて理解するものである。明らかにわれわれの探究は、
ここで特別の阻害に遭って、我が身から逸らされて、正しくそれを認識することができにくくなっている。
  このようにして、内的な抵抗的追求をふりほどきつつ我が身へと向けられた推論手続きは、無意識を発見
するところへと向かうのかというと、そうではなくて、正確に言えば、別の第二の意識を仮定するところに至
る。それは、私に知られている意識に、私という人物の中で結びついているような意識である。しかしここで
は、批判的な見方から、幾ばくかの異論が差し挟まれて当然であろう。まず第一には、その担い手本人がそれ
について何も知らないような無意識なるものがあり、それがそれでもやはり余所の人の意識というわけにはい
かないものである、といったことがあるとすれぱ、このような意識、つまり意識の最も重要な性格が消え去っ
てしまったような意識は、そもそも意識として論ずるに値するのかどうか、ということが疑問である。無意識
の心的なるものという仮定に反対してきた人は、その代わりに無意識の意識なるものが出されたからといって、
それで満足してくれるはずもなかろう。第二には、分析が示しているように、われわれが推定している個々の
潜在的な心の出来事は、互いに何の結びつきもなく、お互いについて何も知らないとでもいうかのように、高
度に相互の独立性を享受しているものである。そうすると、われわれは、われわれの中に第二の意識というぱ
かりではなく、第三の、第四の、そしておそらくは際限のない意識状態系列を仮定して、それらが全体として
われわれにも、またそれら相互の間ででも知られていない、ということになるのを覚悟しなければなるまい。
第三に考慮さるべきは、そしてこれが最も難しい議論になるが、分析的研究によれば、これらの潜在的過程の
一部分はわれわれにとって余所余所しく信じがたいような性格や特異さを帯びていると見え、それらはわれわ
れが馴染んでいる意識の属性と真っ向からぶつかり合うということである。これは、我が身に向けられた推論
の舵取りを、次のような方向に切り替える根拠になる。すなわち、この推論によって論証されているのは、わ
れわれの裡にある第二の意識の存在などではなく、意識というものがなくても構わないような心的行為が存在
するということなのである。われわれはまた、「下意識」という呼称も、不正確で誤解に導きやすいものとし
て退けてよい。有名な「《二重意識》」(意識の分裂)の症例たちの存在も、われわれの理解にとっての反証
となることはない。それらの例は、心の活動が二つのグループに分割されていて、同じ一つの意識が代わるが
わるにそなたこなたの陣営に振り向けられている例として記述しておけば最も適切であろう。

  心の出来事たちをそれ自体無意識のものとして説明し、そして意識によるそれらの出来事の知覚を、感覚
器官による外界の知覚になぞらえる、このようなことしか、精神分析においては残されている道はない。われ
われはまさにこのようななぞらえから、何かわれわれの認識にとって引き出せることがあるのではないかと願
っている。無意識の心の活動という精神分析的な仮定は、一面では原始的アニミズムのさらなる発展ででもあ
るかのように映るが、この原始的アニミズムは、われわれの意識というものの活き写しを、至るところでわれ
われの眼前に繰り広げて見せていた。他面ではそれは、外的知覚に関するわれわれの把握の仕方について、カ
ントが企てて見せた矯正の継承であるかのようにも、映るのである。カントは、われわれの知覚は主観的に条
件付けられており、知られることなく知覚されたものそのものと同一だとはみなせないという事実を見逃さな
いようにと、われわれに警告したわけである。精神分析もまた、意識による知覚を、無意識の心的過程と同じ
場に置いたりしないようにと警告する。無意識の心的過程のほうは、意識による知覚の対象なのである。自然
的なものと同じく、心的なものも、現実に、われわれに見えているとおりに存在していなければならぬ必要は
ない。しかしわれわれは、内的な知覚の訂正は、外的な知覚の訂正に比べるとそれほど大きな困難を伴わない
ということが分かり、また、内的な対象は、外界よりも、知ることができないという程度がより少ないという
ことが分かれば、それもまたよしと受け止める用意をしよう。

Ⅱ 無意識の多義性と局所論的見地

  歩みを進めるに先立ち、重要でありながらなかなか厄介な事実を、確認しておこう。それは、無意識性と
いうものは、心的なものの指標であるのだが、この指標は、その心的なるものの性格づけとしては、決して十
分ではない

ということである。無意識であるという性格においてこそ一致はしているものの、非常にさまざまな価値のあ
り方をもった心的行為が存在するからである。無意識には、一面では、単に潜在的であって一時的に無意識に
なっていて、その他の点では意識的な行為と変わらないような行為も含まれるが、他面では、抑圧された出来
事がそうなのだが、仮に意識的になることがあるとすれば、その他の意識的な出来事から激越な仕方で際立つ
ことにならざるを得ないような出来事も含まれる。われわれがこれから多種の心的行為を記述するにあたって、
意識的か無意識的かの区別からはすっかり目を逸らせて、単に欲動と目標への関係に従って、また相互に階層
的に秩序づけられた心的な系への関連性と所属性とに従って、それらを分類し関連づけるならば、すべての誤
解に終止符を打てるということになるのだろう。ところが、さまざまな理由があって、このようなことは実行
不可能である。だからわれわれは、意識的と無意識的という言葉を、あるときは記述的な意味で使ったかと思
うと、一定の系への所属とか、なんらかの特性の装備などといった意味づけでもって系の問題として使ったり
もするわけであり、このように、両義性なしで済まそうと思ってもそれはできないのである。それでもなお、
認識できた心的系を、任意に選んだ名称、ただし意識性が争点にならないような名称でもって印づけることに
よって混乱を避けるという試みも、可能かもしれない。ところが、その前にまず、どういう根拠でその系を識
別できたのかを明らかにしなければならないわけで、その際にはやはり、意識性ということを避けて通ること
はできないことになる。意識性が、われわれのすべての研究の出発点となっているからだ。そこで、いくばく
かの助けになることを期待して、少なくとも書き記す場合には、意識を Bw で呈示し、また、無意識をそれに呼
応する略号 Ubw で代替するということを、提案してみようと思う。われわれがこれらの二つの言葉を、系の問
題として使っているときにそうしようというわけである。

 精神分析の成果としては、われわれは積極的な呈示の仕方で、次のように言う。心的行為は、一般的に、二
つの状態相を経過し、その間には、ある種の試験(検閲)が挟まっている。最初の相では、心的行為は無意識
的であり、大系に属している。検閲の試験に際して拒絶されれば、心的行為の第二の相への移行は不首尾に終
わる。心的行為はこうして「抑圧された」と言われることになり、無意識のままに留まらねばならない。しか
しこの試験に耐え抜けば、心的行為は第二の相に入り、われわれが恥系と名づけようとしている第二の系に属
するところとなる。しかしながら、この心的行為の意識への関係は、系への所属性によって一義的に決定され
るのではない。この心的行為はまだ意識的ではない、しかし意識に参入できる(J・ブロイアーの表現によ
る)のであり、言い換えれぱ、この心的行為は今では、幾つかの条件が揃えば、取り立てて抵抗に遭うことな
く、意識の対象たり得るのである。この意識への参入可能性ということを顧慮して、われわれはこの Bw という
系を、「前意識」とも呼ぶ。前意識が意識的になるかどうかということにもまた、何らかの検閲が関与してい
ることを強調しておかねばならないとなれば、われわれは Vbw 大系と Bw 系を、より厳密に区分けしていくこと
になるだろう。さしあたりは、Vbw 大系は Bw 系の特性を分け持っているということ、そして、厳しい検閲が立
ちはだかるのは Ubw から Vbw(または Bw)への移行の場合であるということを確認しておけば足りるであろう。

  これらの(二つあるいは三つの)心的系を仮定することによって、精神分析は、記述的な意識心理学から
一歩距離を取って、新しい問題設定と新しい内容とを備えるに至った。精神分析は、これまでは主として、心
の出来事の力動論的理解によって、意識心理学から区別されているが、いまはこれに加えて、心的局所論を考
慮し、任意の心の行為について、どの系の内部で、またどの系とどの系の間でその行為が行われたのかという
ことを陳述しようとす

る。こうした追求の仕方によって、精神分析は深層心理学という名前を頂戴したりもした。精神分析はまたさ
らに別の観点をめぐって豊かになっていくということを、のちに述べよう〔本巻二二九-23〇頁参照〕。
  もしわれわれが心の行為の局所論をまじめに取ろうとするならば、ここで浮かんでくる次のような疑問点
に関心を振り向けなければなるまい。なんらかの心的行為(ここでは表象の質を持った心的行為に限ろう)が、
Ubw 系を出て
Bw 系(または Vbw 系)の中へと変換を果たそうという段になれば、われわれは、この変換には、こと新たな固
着、いわば、当該の表象の二回目の書き込みのようなことが結びついており、その固着は新たな心的局在性の
もとに確保され、さらにそれと並んで、元々の無意識の書き込みは存在し続けるということを仮定しなければ
ならないのであろうか。それともむしろわれわれは、この変換は、同じ素材のままで、かつ同じ局在性のもと
で行われる、ある種の状態変化のようなものであると信じるべきなのであろうか。この問いは分かりにくいも
のに聞こえるかもしれない、しかし、われわれが心的局所論、あるいは心的深部次元に関して一定の観念を構
築しようと思えば、この問いを投げかけざるを得ない。この問いが難しいのは、それが純粋に心理学的なもの
から出て、心的装置と解剖学との関係に触れるからである。ごく大雑把に言えば、われわれはこのような関係
が存在することを知っている。心の活動が、脳の機能に結ばれており、それ以外の別の器官にではないという
ことは、研究の成果として動かし難い。脳の各部位が同じ意義を持つものではなくて、各部位が特定の身体部
位や精神活動と特殊な結ばれ方をしていることが発見されたからには、われわれは、どこまでかということは
知られていないにせよ、さらに歩みを進めることができる。ところが、ここからさらに進んで心の出来事の局
在性を推定しようとするあらゆる試みも、諸表象が神経細胞の中に蓄えられていると考えて、興奮が神経繊維
の上を動いてゆくと見なすあらゆる努力も、基本的に暗礁に乗り上げ

ている。たとえば、Bw 系つまり意識的な心の活動の、解剖学的な座を脳皮質に見つけ出し、無意識の過程を皮
質下の脳部位に置いてみようとするような理論があれば、同じ運命がその理論を待っていることであろう。こ
こには間隙があって、それを埋めることは現在はできないし、それが心理学の課題であるというわけでもない。
われわれの心的局所論は、解剖学とはさしあたり関係なく、心の装置の諸領域を参照しているのであり、解剖
学的な局在性を参照しているのではない。たとえその諸領域が、身体のどこかに位置づけられることがあった
としても、そうなのである。
  このようにみてくると、われわれの仕事は自由であって、それ自身の必要とするところに従って進んでい
けばよいのである。また、われわれはさまざまな仮定を行うが、それらは具象的説明に役立とうとしてのこと
だということを思い出しておいてもらうのも、無駄ではあるまい。さて、今視野に入ってきている二つの可能
性のうち、最初のほうを見てみよう。すなわち、表象の bw 相というのは、別の場所においてなされた、その表
象の新たな書き込みを意味するということ、こちらはどう見ても大雑把ではあるが、より便利な可能性である。
第二の仮定、すなわち単なる機能的な状態変化という仮定、これはもともと、より蓋然性の高い仮定であるが、
最初のものに比べると可塑性が低く、扱いが容易でなくなってくる。第一の、局所論的な仮定には、Ubw 系と
Bw 系の局所論的分裂という仮定が結びついている。ここにはさらに、一つの表象が、心的装置の二つの場所に
同時に存在するということ、すなわち、検閲によって制止されるということがなければ、その表象はいつでも
一つの場所から他の場所に移動することができ、その際最初の固定化あるいは書き込みを失うこともない、と
いう可能性が結びついている。これはおかしな具合に見えるであろうが、精神分析の実践から引き出された印
象にその支えを求めることができる。
  われわれがある患者に、彼によってある時代に、ある表象が抑圧されていた、それを今こう推測する、と
伝えたとすると、それでも、まずは、彼の心的状態にはまったく変化が起こらない。なかんずく、それで抑圧
が廃棄されるというものでもないし、また、それまで無意識であった表象がいまや意識的になったのだからと
期待されるところではあろうが、抑圧の結果が巻き戻されるということもないのである。その反対に、まずは、
抑圧された表象がこと新たに拒絶されるのを、目にすることとなる。とはいえ、患者は、今では、実際に、同
じ表象を二重の形式で、心の装置の異なった位置に、所持しているわけである。第一に、こちらから伝えられ
たことを通じて、彼はその表象の聴覚痕跡の意識的想起を有することになったのであり、第二に、われわれが
確実性をもって知っているように、彼はそれと並んで、経験内容の無意識的想起を、以前からの形式において
自分の裡に蔵している。実際には、抑圧の廃棄というものは、抵抗の克服の後に、意識的な表象が無意識の想
起痕跡と結びつきを持つに至るよりも前には、起こることはない。まさにこの、無意識の想起痕跡が意識的に
なるということを通じて初めて、成果が得られる。表面的に思量すると、意識的表象と無意識的表象は、同じ
内容を持ちながらも、局所論的に区分された異なった書き込みであるということがこれで証明されたように見
えるかもしれない。しかし、もう一度よく考えてみると、こちらから伝えたことと、患者の抑圧された想起と
の間の同一性は、一つの見かけの同一性というにとどまる。聞いたことと経験したこととは、その心理学的な
質において、まったく異なった二つのものである。たとえ両者が同じ内容を持っていても、そうである。
  こうしてわれわれは今のところ、議論してきた二つの可能性の間のどちらかに決められるところにまでは
至っていない。後になればおそらく、二つのうちからどちらかを選べるような契機に逢着するであろう。おそ
らくわれわ

れはほどなく、問題の立て方が十分でなかったこと、そして無意識的表象と意識的表象の間の区別はまったく
別様に決定しなければならないということを、発見することになるであろう〔本巻二五一頁参照〕。

Ⅲ 無意識の感情

  われわれはこれまでの議論を表象に限ってきたが、ここからは理論的な見地を明らかにすることに寄与す
べく、新しい問いを提起してみることにしたい。われわれは意識的な表象と無意識的な表象が存在するとして
きたが、では、無意識的な欲動の蠢きとか、無意識的な感情とか、無意識的な感覚とかもまた、存在するので
あろうか、それともここでこのような関連を作り上げてもそれは無意味なことなのだろうか。
  私は実際、欲動には、意識的と無意識的との対立は、適用できないと考えている。欲動は意識の対象には
決してなり得ず、欲動を代表する表象のみが、意識の対象になり得る。しかしまた欲動は、無意識においても、
表象によって代表されるしかない。欲動が表象に付着するのでなければ、あるいは情動状態として前景に出る
のでなければ、およそ欲動についてわれわれはなにも知るところがないだろう。それでもわれわれは、無意識
の欲動の蠢きとか、抑圧された欲動の蠢きとかという言い方をするが、それは表現上の無害な怠慢とでもいう
べきものである。そういう場合には、ある欲動の蠢きについて、その表象代表が無意識になっているというこ
とを言っているのであって、それ以外のことが考えられているわけではない。
  無意識の感覚、感情、そして情動という問題に答えることは同じく容易であると考える向きもあるかもし
れない。なるほど、感情というものが感知されること、したがって意識に知られるところとなるということは、
感情の本質

に属する。だから、感情、感覚、情動に関しては、それらが無意識になっているという可能性は、まったく考
慮の外となる。ところが、精神分析の実践では、われわれは無意識の愛、憎しみ、怒りといったものを囗にす
ることに慣れている。そして、「無意識の罪責意識」というおかしな合成語や、逆説的な「無意識の不安」と
いったものをも、避けがたいと感じている。これらの言語用法は、「無意識の欲動」という場合におけるより
も、意味あるものと言えるのだろうか。
  ここでは実は、事情が別である。まず、情動または感情の蠢きは、知覚はされても誤認されるということ
が起こりうる。情動または感情の蠢きは、その本来の代表が抑圧されてしまうことで、別の表象と結びつくべ
く強いられ、そうすると今度は、意識の側からは、それはこの別の表象の表現であるとみなされることになる。
われわれが正しい連関を再び作成できたとすれば、そのとき元々の情動の蠢きは、「無意識の」情動の蠢きと
呼ばれることになる。情動は決して無意識になったわけではなくて、ただ、情動の蠢きの表象が、抑圧に抗し
きれなかったのである。「無意識の情動」や「無意識の感情」という表現の使用は、概して、欲動の蠢きのう
ち量的な因子が、抑圧を蒙った結果、辿る運命に関わるものである(「抑圧」に関する論文を見よ)。この運
命は、三様でありうることをわれわれは知っている。情動が、そのままに――全体的にせよ部分的にせよ――
存続すること、または、情動が質的に別の情動総計、なかんずく不安へと変転を蒙ること、または、情動が抑
え込まれる、すなわちその増長が大体阻止されてしまうこと、である。(これらの可能性は、夢工作について
は、おそらく神経症についてよりも、より容易に調べられる。)われわれはまた、情動の増長を抑え込むこと
こそ、抑圧の本来固有の目標であり、この目標が果たされないうちは、抑圧の仕事も終わらないということを
知っている。いずれの場合にしても、抑圧が情動たちの増
長を制止することに成功しているのであれば、われわれが抑圧の仕事を手直しして回復させてゆくことになる
それらの情動を、われわれは「無意識の」情動と呼ぶ。こうして、言語用法については、一貫性のなさをあげ
つらうわけにはいかない。ただし、無意識の表象と比較して、重要な区別がある。つまり、抑圧の後でも、無
意識の表象は、Ubw 系において現実の形成物として存続しているが、無意識の情動に対応しているのは、Ubw
系においてさえ単なる可能性としての手掛かりだけであり、それは間陳に至ることはできない。厳密な言い方
をすれば、無意識の表象が存在するようには、無意識の情動は存在しないのである。ただしその言語用法には
問題はないのだが。しかしもちろん、Ubw 系において、別の形成物と同様意識的になっていくような情動形成
がなされているということはあり得る。全体としてこういう区別は、表象というのは備給――基本的には想起
痕跡の――であって、一方、情動や感情は放散過程に対応してその最終表出が感覚として知覚されるものだとい
うところから来ている。情動と感情に関するわれわれの知識の現状では、これ以上明快にその区別を表現する
ことはできない。
  抑圧によって、欲動の蠢きから情動表出への変換がうまく制止されることがあり得るという点を確認して
おくことは、われわれにとって特別な興味のあることである。この確認でもって示されるのは、Bw 系は、普段
から、情動性とともに運動性への接近をも支配しているということである。このことは抑圧というものの価値
を高める。なぜなら、抑圧は、それが成功した場合の結果として、意識から遠ざけるだけでなく、情動の増長
や筋肉運動の開始を阻止するということも示されるからである。順序を換えて次のように言ってもよいだろう。
すなわち、Bw 系が情動性と運動性を支配している限りで、われわれはその個人の心的状態を正常と呼んでいる
のである。しかし、互いに隣接しているこれら二つの放散行動に対して、支配する系がどのような関係を結ん
でいるかについては差異があり、

それは否応なく目に入る。随意運動に対する Bw 系の支配は堅固であり、神経症からの圧力に対してはまず屈す
ることはなく、精神病において初めて崩壊するのであるが、情動の増長に対する Bw の支配力となると、そこま
で頼りがいのあるものではない。正常の生活の内部においてすでに、Bw 系と Ubw 系の間で、情動性における支
配権をめぐる抗争が恒常的に認められ、互いの影響圏の境目が置かれ、そこに働く諸力の混成物が形成されて
いる。
  情動送出や行動への接近に際して Bw(Vbw)系が有しているこうした重要性を見れば、われわれは、病態形
成にあたり代替表象に割り当てられている役割をも理解できるようになる。情動の増長が Ubw 系から直接に行
われるということも可能ではある。その場合にはその増長はいつでも不安という性格を持っており、あらゆる
「抑圧された」情動がその不安と取り替えられるだろう。しかしながらしばしば、欲動の蠢きは、Bw 系の中に、
何らかの代替表象が見つかるまで、待たざるを得ないものである。この意識的な代替が見つかって以降に、情
動の増長が可能となり、その代替の性質に従って、情動の質的な性格も決定される。われわれが主張したよう
に、抑圧に際しては、情動がその表象から剥離するということが起こる。そしてその両者は別々の運命を辿る。
このことは、記述的には争う余地がない。しかし現実の出来事は通例、次のように進む。すなわち、Bw 系の中
の新しい代表に向かっての侵入が果たされないかぎり、情動というものは成立しないのである。

   *1 情動性も、基本的には運動性の(分泌性の、血管調節性の)放散において、自分自身の身体の
(内的な)変化へと繋がるべきものであるが、外界への関係は無くてもよく、運動性はさまざまな行動におい
て、外界の変化へと繋がるべきものである。

Ⅳ 抑圧の局所性と力動性

  われわれは、抑圧というものは基本的に、Ubw 系と Vbw(Bw)系との境界にある表象に関して遂行される過
程であるという結論を得てきたが、ここで、この過程についてさらに突っ込んだ記述を行う新たな試みをして
みてもよいだろう。問題になっているのは、備給の撤収ということであるに違いない。しかし、撤収がどの系
において起こり、撤収された備給がどの系に属するようになるのか、ということが問われることになる。
  抑圧された表象は、Ubw の中でも行動する力を持ったままでいる。だから備給も保持しているのでなくて
はならない。撤収されたものはなにか別のものでなければならない〔本巻二五一頁参照〕。本来固有の抑圧
(踏襲性抑圧)の場合を取り上げてみれば、それは前意識の表象について、あるいはすでに意識的になった表
象について生じているのであるが、この場合、抑圧とは、大系に属している(前)意識的な備給が、表象から
撤収されるというところに成り立つほかはない。そうであるならば、その表象は備給されないままになるか、
心から備給を受けるか、以前から有していた心な備給を保持しているかのいずれかである。言い換えれば、前
意識の備給が撤収されるか、飯意識の備給が保持されるか、前意識の備給が無意識の備給で代替されるかのい
ずれかである。ちなみに、ここで二言述べておくが、われわれはいわば思わず知らず、考察の基礎として次の
ように仮定してきている。すなわち大系から次の系への移行は、新しい書き込みによってではなくて、一つの
状態変化、すなわち備給における変遷によって生起するということである。機能的な仮説が、ここで局所論的
な仮説を、労せずして土俵から追い出してしまった〔本巻22二頁参照〕。
  しかしこのようなリビードの撤収の過程だけでは、抑圧のもう一つの性格が理解できるようになるには十
分ではない。備給されたままに留まっているかもしくは Ubw から備給を受け取った表象が、どうしてその備給
の力をもってして、Vbw 系に押し入る努力を再開しないのかということが、見通せるようにならないのである。
そのようなことが起これば、この表象からのリビードの撤収が反復されることになるに違いないし、こうした
作動は際限なく続いて行くであろう。このような結果が、抑圧の結果であるとは、とても言えたものではなか
ろう。それにまた、今論じている限りでの前意識の備給の撤収機制で、原抑圧を呈示するとなれば、それは首
尾良くいかないであろう。なぜなら、原抑圧の場合には、無意識の表象が問題になってくるわけだが、その無
意識の表象たるや、心からはまったく備給を受け取ったことがなく、だから当然その備給を撤収されたことも
ないような表象だからである。
  したがってここで、第一の場合〔踏襲性抑圧〕では抑圧を維持し、第二の場合〔原抑圧〕では抑圧の設定
と持続を管理しているような、もう一つ別の過程が必要になってくる。その過程は、対抗備給というものを仮
定することによってのみ見出すことができる。これによって、Vbw 系は、無意識の表象の押しかけから身を護
ることができている。大系の中で生じたこういう対抗備給というものがどのように表出されるのか、それは臨
床例について見れば分かってくるであろう。対抗備給とは、原抑圧による持続的消費を表すものであり、しか
しまた原抑圧の耐久性を保証するものでもある。対抗備給は、原抑圧の唯一の機制であり、本来固有の抑圧
(踏襲性抑圧)になると、そこに Vbw 備給の撤収ということが加わってくる。表象から撤収されたまさにこの
備給が、対抗備給のほうに割り当てられるということは、まったくもってありそうなことである。
 ここでわれわれは、いわば漸進的に、心的現象の呈示にあたり、第三の見地とでも言うべきものを導き入れ
るに

至ったことに気付く。すなわち、力動論的見地と局所論的見地〔本巻二二〇頁参照〕にならぶ、経済論的見地
である。これによって、興奮量の運命を追跡し、少なくともその相対的な評定を行おうと努めるのである。精
神分析研究の
完成であるこうした観察法に、特別な名前を付けておくことは、不当なことであるとは思えない。心的な出来
事を、力動論的、局所論的、そして経済論的な諸関係に従って記述することに成功すれば、それをメタサイコ
ロジー的な呈示と呼ぶことを、私は提案したい。われわれの洞察の現段階では、それは個々の局面においてし
か達成できないであろうということを、前もってお断りしておきたい。
  そこでわれわれはためらいがちにではあるが、抑圧過程のメタサイコロジー的記述を、よく知られている
三つの転移神経症の場合に即して試みてみることにしよう。われわれはその際に、「備給」に替えて「リビー
ド」の語を用いることにしてもよいだろう。というのは、これらの神経症においては、われわれが知っている
ように、性欲動の運命が問題になっているからである。
  不安ヒステリーの過程の第一の段階はしばしば見逃され、おそらく実際にもそのまま通り抜けられてしま
う。しかし注意深い観察があれば、それははっきりと感知せられる。この段階は、何に対する不安なのかが分
からないまま、不安が発生することから成っている。次のようなことが起こったと想定される。Ubw において、
愛の蠢きが存在していて、それは Vbw 系の中への変換を求めていた。しかし Vbw 系からその蠢きに割り当てら
れていた備給は、逃避の試みのような形でそこから撤収されていった。そして、追い返された表象の無意識の
リビード備給は、不安として、放散された。場合によってはこの過程は反復されて、そうした反復の一つに当
たって、好ましからぬ不安の増長の克服に向けて、最初の一歩が踏み出された。逃避していた〔Vbw 系の〕備
給は、代替表象へと割り当てられ、この代替

表象は一方では連想関係によって、追い返された表象と関連を持つようになり、他方では追い返された表象か
らの距離を取ることによって抑圧を免れ(遷移による代替)、いまだに制止し難い不安の増長に合理化の道を
開いた。代替表象は、今や、Bw(Vbw)にとって対抗備給の役割を演じている。代替衣象は、抑圧された表象が
Bw の裡に浮上することに対抗して、この系を護る。他方では、代替表象は、今いよいよ制止し難いものになっ
てきた不安情動閉屏出の出口の場所となるか、そのようなものとして振る舞うかである。臨床的観察の示すと
ころによれば、たとえば
物恐怖症を患う子どもは、今は二様の条件のもとで不安を感じる。一つには抑圧された愛の蠢きが増強を蒙る
とき
二つには不安動物が知覚されるときである。代替表象は、ある場合に Ubw 大系か Bw 肘系への伝導の場であるか
のよ
に、別の場合には、不安退出の独立的源泉であるかのように振る舞う Bw 恥系の支配の延長は、代替表象の第一

奮様式が第二の興奮様式へと次々と後退するということで表現されるのを常とする。おそらく子どもは、最後
には
父には何ら愛着が無く父からすっかり自由になったかのように、そして現実に動物に不安を抱いているかのよ

振る舞う。ただ、この動物不安は、無意識の欲動源泉によって養われているので Bw 肚系からのどんな影響力に

ても統御できないほど過大であることが判明して、そのことによって大系からの出自を洩らしている。
 このように、Bw 系からの対抗備給は、不安ヒステリーの第二の段階では、代替物形成へと通じて行ったので
ある。同じ機制がまもなく新たな適用を見いだすことになる。われわれが知っているように、これで抑圧過程
が終了するというわけではなく、代替物に発する不安の増長を制止するという課題のもとに、抑圧の次の目標
が現れる。これは、代替表象の全体的連想近傍が、特別な強度をもって備給され、その近傍が興奮に対して高
度の感受性を示すようになるというやり方で、起こってくる。この前壁構築のどこかの場所の興奮は、代替表
象と結びつく結果、わず

かな不安の増長にきっかけを与えるに違いなく、それが今回は信号として利用され、備給の新たな逃避によっ
て、不安の増長の進行が制止されることになる。敏感で警戒的な対抗備給が、怖れられた代替物から遠く離れ
たところにもたらされれぱもたらされるほど、代替表象を切り離して、それが興奮するのを抑えるというこの
機制は、より厳格に機能することができる。もちろんこのような警戒は、外からやって来て知覚を通して代替
表象にまで踏み入るような興奮に対してのみ防護となるものであり、抑圧された表象との結びつきを通して代
替表象に至るような欲動の蠢きに対しては、決して防護にならない。したがってこの警戒は、代替物が、抑圧
されたものの代表を十分に引き受けたときに、はじめて作動し始め、決して完全に信頼に足るほどに作動する
ことはない。欲動の興奮の亢進が起こるたびに、代替表象の周りの防護壁は少し外側に移設されなければなら
ない。こうした構築の全体は、他の神経症においても同様の仕方で作られるものではあるが、恐怖症という名
前で呼ばれている。代替表象の意識的備給を前にして逃避することの表現は、回避と断念と禁止とである。こ
うしたものについて、われわれは不安ヒステリーを認めるのである。この過程の全体を見渡すと、われわれは、
第三段階では、第二段階の仕事がより大きな規模で反復されたと言うことができる。今や、Bw 系は、代替表象
の活性化に対して、近傍の対抗備給によって身を護っており、それはちょうど、以前には、抑圧された表象の
浮上に対して、代替表象の備給によって安全を保っていたのと同じである。遷移による代替物形成が、このよ
うな仕方で続行して来たのである。ここで付け加えておかねばならないが、Bw 系は、以前には、単に小さな場
所を占めていて、その場所は抑圧された欲動の蠢きが侵入してくる戸囗、つまりは代替表象であったのである
が、最後には恐怖症の前壁構築全体が、無意識の影響力からのこのような飛び地となってしまう。さらに、興
味ある観点が指摘できる。すなわち、このような防衛機制を総動員して働

かせることを通じて、欲動の危険を外界に投射するということが、成し遂げられたわけである。自我はあたか
も、不安の増長の危険が欲動の蠢きの側から迫っているのではなく、知覚の側から彼に迫っているかのように
振る舞い、そのため、恐怖症的回避による逃避の試みをもって外的な危険に対して反応することが可能になる。
この抑圧の過程において、不安の退出を幾分なりとも堰き止めるということにはこうして成功するのであるが、
ただしそれは人格的な自由の大きな犠牲のもとにのみである。しかし欲動の要求を前にしての逃避の試みは、
一般的には役に立たず、恐怖症的な逃避の結果は、やはり不満足なままに留まる。
 われわれが不安ヒステリーに認めてきた諸事情の大部分は、他の二つの神経症にもやはり当てはまるので、
われわれは、議論を対抗備給の差異と役割に限ることにしたい。転換ヒステリーにおいては、抑圧された表象
の欲動備給は、症状の神経支配へと変換される。無意識の表象が、この神経支配への放散によって、どの程度
までそしてどういう状況のもとでなら、備給を空にされ、その結果 Bw 系への押し入りを中止することができる
のかということ。この問題および類似の問題は、ヒステリーに特化した研究のために取り置いておこう。
Bw(Vbw)系から発する対抗備給の役割は、転換ヒステリーにおいては明白であり症状形成において前景に現
れている。欲動代表のどの部分に欲動代表の備給の全体を集中させるのかを選択するのが、対抗備給なのであ
る。症状のために選び出されるこの部分は、次のような条件を満たしている。それは欲動の蠢きの欲望目標に
表現を与えるとともに、Bw 系による防衛と懲罰の追求にも表現を与える。それはちょうど不安ヒステリーの場
合の代替表象と同じように、過剰に備給され両面から支えられるのである。われわれはこうした事情から、た
だちに次のような結論を導いてもよい。すなわち、抑圧に当たって Bw 系によって用いられる出費は、症状の備
給エネルギーほど大きくなくてもよい。というのは、抑圧

の強さは、費やされた対抗備給によって測られ、症状は、対抗備給のみならず、症状の中で縮合されている
Ubw 系からの欲動備給によっても支えられているからである。
  強迫神経症に関しては、これに先立つ論文の中で提出した所見に、次のことを付け加えておくだけでよい
であろう。すなわち、この神経症では、Bw 系の対抗備給が、最も顕著に前景に押し出てきている。この対抗備
給は、反動形成として組繊化されているが、最初の抑圧を手がけたのはこの対抗備給であり、また抑圧された
表象の侵入が後に行われることになるのも、この対抗備給からである。不安ヒステリーと強迫神経症において
転換ヒステリーに比べて抑圧の仕事がうまく運ばないように見えるとすれば、それは対抗備給が優勢であるこ
とと、放散が欠落していることによるのではないかという想定を、ここで述べておいてもよいだろう。
V Ubw 系の特別な特性

 二つの心的系の一方である Ubw 系の諸過程は、その系に接しその系より高次な系においては見出されない諸


特性を示すということに、われわれが注意を向けてみるならば、二つの心的系の区別は、新しい意義を持って
くる。
 Ubw の核は、その備給を放散させようとしている欲動代表から、すなわち欲望の蠢きから成り立っている。
これらの欲動の蠢きは、互いに共存し、互いに影響を受けずに並存し、互いに矛盾を起こすことがない。二つ
の欲望の蠢きが同時に活性化され、それらの目標がわれわれにとっては纏め難いように見えるはずの時にも、
二つの蠢きはたとえば離反しあったりも廃棄しあったりもせず、それらの二つが中間的な目標の形成つまり妥
協形成に向けて一緒現れる。

  この系には、否定もなく、懐疑もなく、どんな確実性の程度といったものもない。こういったものすべて
は、Ubw と Vbw のあいだの検閲の作業によって初めて持ち込まれてくる。否定は、より高次の水準での、抑圧
の代替物である。Ubw には、単に、内容がより強く備給されているか、より弱く備給されているかということ
しかない。
  備給の強度の、はるかに大きな可動性が、そこでは支配しているのである。一つの表象は、遷移の過程に
よって、その備給の全総計を別の表象に譲り渡すこともできれば、縮合の過程によって、いくつかの別の表象
の備給の全体を我が身に引き受けることもできるのある。これらの二つの過程を、私はいわゆる心的一次過程
の標識と見なすことを提案した。Ubw 系においては、二次過程が支配している。だから、このような一次過程
がら系の諸要素の間で生じることが可能になったとすれば、それは「滑稽」に見えて笑いを引き起こすことに
なる。
  Ubw 系の諸過程は無時間的である。すなわちそれらは時間的に秩序づけられていない。それらは経過する
時間によって変化して行くのではない。それらはそもそも時間への関係を持っていない。時間に関係づけると
いうこともまた、Bw 系の仕事に結びついている。
  Ubw 過程はまた、現実を顧慮することも同様に知らない。それらは快原理に服従している。その運命はた
だ、それらの強度がどのくらいかということと、快-不快調節からの要求をそれらが成就させられるかどうか
ということにのみ依存している。

   *2 『夢解釈』の第七章〔本全集第五巻〕での議論を参照されたい。それはJ・ブロイアーが『ヒステ
リー研究』の中で展開した考想に基づいている。

  要約しよう。無矛盾性、一次過程(備給の可動性)、無時間性、そして心的現実による外界の現実の代替
作用。これらは、大系に属している諸過程の中に見出せると期待できる特徴である。
  無意識の過程は、われわれにとっては夢という条件ないし神経症という条件のもとでのみ、知られうる。
それはつまり、高次の Vbw 系の諸過程が、ある種の低下(退行)によって、以前の段階にまで引き戻されたと
きにのみ、ということである。そのもの自体としては、それらは知られ得ない、それどころか、存在無能力で
ある。その理由は、Ubw 系はごく早期に Vbw によって被覆されてしまい、Vbw が、意識への通路と運動性への
通路を、独り占めしてしまった
からである。Ubw 系からの放散は、情動の増長の身体神経支配へと向かうが、こうした荷下ろし経路も、すで
に考えておいたように〔本巻二二六-二二七頁参昭〕、Vbw によって抗争の種にされる。Ubw 系は、単独では、
正常の条件下でなんらかの合目的的筋運動をもたらすことはできず、その例外となるのは、反射としてすでに
組織化されている筋運動のみである。
  ここまで記述してきた大系の諸特徴の全体的な意味は、われわれがそれらを大系の諸特性と突き合わせ測
ってみたときに、ようやく見えてくるものであろう。ただしそこに至るまでにはわれわれはまだ遠いところに
いるので、私はまず、再びここでいったん猶予をもらうこと、そして二つの系の比較には、より高次の系の考
量に結びつけながら取り組むことを提案したい。ただどうしても緊急となることがらだけは、今の段階で述べ
ておかなければならない。
  Vbw 系の諸過程が示しているのは――すでに意識的になっているか単に意識に参入できる状態であるかに
関係なく――備給された表象の放散傾向への制止である。一つの表象から次の表象へと過程が移行するとき、
はじめの表象

はその備給を確保しており、ほんの僅かな部分だけが遷移を蒙る。一次過程におけるような遷移と縮合は、除
外されているかもしくは非常に制限されている。こうした事情は、J・ブロイアーをして、心の生活における
備給エネルギーの二つの異なる状態を仮定せしめた。すなわち緊張した拘束性の状態と、放散を追求している
自由可動性の状態とである。私はこの区別は、今までのところ、神経のエネルギーの本質についてわれわれが
得た最も深い洞察を呈示するものであると信じるし、どうしてこれを避けて通れるのかも分からない。メタサ
イコロジー的な呈示にとっては、ここで議論を続けることがさし迫った必要性――しかしまだあまりにも果敢
な企て――であると思われる。
  Vbw 系は、さらに、表象内容のもとでの交通能力を作り出すこと、そしてそれらの内容の間に相互影響を
可能にすること、それらの内容を時間的に秩序立てること、一つまたは複数の検閲を導入すること、そして、
現実吟味と現実原理とを、背負わされている。また、意識的な記憶は、ひとえにもにかかっているように思わ
れ、これは、心の経験がそこに固着しているような想起痕跡とは、鋭く区別されるべきである。その意識的記
憶はおそらくは、われわれが意識の表象と無意識の表象との間の関係のために仮定しようとしながら、すでに
棄却してしまった、あの特殊な書き込み〔本巻二二一頁以下参照〕に対応している。この文脈においてはまた、
今のところ無方針に、あるときは Vbw と呼び、別のときは Bw と呼んでいる高次の系の命名においてわれわれが
陥っている動揺に、終止符を打つ方法が見つかるかもしれない。

   *3 心のもう一つの重要な特権性への言及は、別の文脈のために取っておきたい。

  ここはまた、われわれがこれまで二つの系への心の能作の配分に関して解明してきたことがらを、性急に
一般化しないようにと警告しておくいい機会かもしれない。われわれは、成人における事態を記述しているの
であり、そこでは、厳密に捉えた意味での Ubw 系は、より高次の編成のあくまでも前段階として機能している
のである。どのような内容とどのような関連をこの系が個人の発達の間に持つようになって行くのか、動物に
おいてはこの系にはどのような意義が割り当てられるのか、そういったことはわれわれの記述から導き出され
るのではなく、独立した研究に委ねられるべきである。われわれはまた、人間においては次のような病的な条
件が見出されるかもしれないということを覚悟していなければならない。そうした条件の下では、二つの系の
内容も性格も変成してしまう、あるいは互いに入れ替わってしまうということをである。

     Ⅵ 二つの系の間の交通

  心的な仕事がすべて Vbw によって手がけられているあいだ、Ubw はすっかりなりをひそめており、こうし


て Ubw は何かもう終わったもの、痕跡器官のようなもの、発達の名残のようなものだと考えるとしたら、それ
は誤りを犯すことになるだろう。あるいはまた、Vbw は、自分にとって厄介そうなものは何もかも、Ubw の深
淵に投げ込んでしまうのだから、二つの系の間の交通は、もう抑圧という行為だけに限られている、そう仮定
することもまた同様である。Ubw は、そうではなくかえって、生きており、発達の能力があり、Vbw との間に
は多くの別の関係を、協力関係さえも含めて持っているのである。要約すれば次のように言わねぱなるまい。
心は、いわゆる蘖の中で存続しており、それは生活の作用圈へと入ってきて、持続的に Vbw に影響を与えるし、
ひるがえって自らも Vbw の側からの影響下に入っ

ている。
  Ubw の蘗の研究は、二つの心的系の間を図式的にきれいに区分しようというわれわれの期待にとって、根
本的な幻滅を誘うものとなるだろう。このことは確かにわれわれの成果への不満を呼び起こし、おそらくは、
心的過程を分割しようとするわれわれのやり方に疑念を投げかけるのに利用されるであろう。しかし、言って
おかねばならない。われわれはひとえに、観察の結果を理論に変換することを課題としているだけであり、出
だしからすでに耳触りがよくて単純さで訴えかけてくるような理論に到達することを自分の義務だとは心得て
いない。理論が観察にとって適切である限りは、われわれは理論の複雑さを擁護するであろうし、また、その
理論によって、それ自体は単純でありながら現実の複雑さを反映しているようなものごとの、最終的な理解へ
と導かれることを諦めないのである。
 すでに述べた性格を有する ubw な欲動の蠢きの蘖の中には、自らのうちに相対立する規定を抱え込んでいる
ものがある。それらは一方では高度に編成されており、矛盾がなく、Bw 系のあらゆる獲得物を能く再利用して
おり、われわれの判断からしても Bw 系の形成物からほとんど区別されない。他方では、それらは無意識であっ
て、意識的になる力がない。すなわちそれらは質的には Vbw 系に属しているが、事実的には Ubw に属している。
それらの出自は、それらの運命にとって決定的なものであり続けている。それらを、大体はすでに白人と同じ
であるが、有色人種としての出自が何らかの目立つ特徴から洩れて、社会から閉め出されて白人の特権を何も
享けられないでいる人種間の混血の人に喩えてみることができよう。正常人にも神経症者にもみられる空想形
成がこの種のものであり、われわれはそういったものを夢形成や症状形成の前段階と位置づけており、それら
は高度な編成にもかかわらず抑圧されていて、それゆえそのまま意識的になることができないでいる。それら
は意識の近くまでやって来て、強度な備給

を持たない限りは障りなくその辺りにいる。ただし備給が一定以上の高さを越えるやいなや、押し戻されてし
まう。代替物形成もまたこの種の高度の編成を見せる Ubw の蘗であろう。ただしこれらの場合には、好適な関
係性が整えば、
たとえば Vbw からの対抗備給と合流するようなことがあれば、意識に侵入することに成功する。
  ここに現れてきた難しさは、意識的になることについてはどのような条件があるのかということを別の個
所でより詳しく探っていくときに、いくぶんか解きほぐすことができるであろう。今はむしろ、これまでに得
られた、山から現れてきた所見に、意識から出発した所見を対比させておくことが得策であるように思われる。
意識に対しては、前意識の領域としての心的諸過程の総体が、面と向かい合っている。この前意識の非常に大
きな部分は、無意識から生まれ来たったものである。そして無意識の蘖としての性格を持ち、意識的になる前
には、検閲の配下にも入っている。Vbw の別の部分は、検閲なしに意識に参入することができる。ここでわれ
われは、以前に仮定したこととの矛盾に逢着する。抑圧について観察してきたわれわれは、意識的になること
について決定的な役割を果たす検閲を、Ubw 系と Vbw 系の間に敷かれるべきものとせざるを得なかった〔本巻
二二〇頁参昭〕。しかし今われわれは、Vbw と Bw の間に、何らかの検閲を設けようとしている。しかしわれわ
れは、こうした輻輳を困難とばかり見るのではなくて、むしろ、一つの系からもう一つのより高次の系への移
行に当たっては、すなわち心的編成のより高次の段階への進歩に当たっては、そのたびに何らかの新たな検閲
が現れるものであると仮定すれば、話がうまくいくのではあるまいか。確かにこれに伴い、書き込みが次々に
更新されるという仮説〔本巻ニニー頁参照〕も、これで過去のものになるのだが。
  これらのあらゆる困難の素は、意識性という、われわれに直接与えられた心的諸過程の唯一の性格が、系
を区別

するということには全く不向きであるというところに求められるべきである。意識がいつも意識されているの
ではなく、時に応じては潜在的にもなるということは別にしても、Vbw 系の特性を分け持つ多くのものごとが、
意識的にならないでいることが観察されるし、意識的になるということはその注意力の一定の方向づけによっ
て制約されているということも知っておかなければならない。意識は、様々な系に対しても、また抑圧に対し
ても、単純な関係を持っているのではない。真実を言ってしまえば、心的に抑圧されたものだけが意識にとっ
ての余所者であるというわけではなく、われわれの自我そのものを支配している蠢きの一部、すなわちまさに
抑圧されたものに対して最も強力に機能的対立を成しているものもまた、意識にとっての余所者なのである。
心の生活のメタサイコロジー的考察の中に深く分け入ろうとすればするほど、われわれは「意識性」なる症状
の重みから、身をもぎ離すことを覚えていかねばならなくなるのである。
  この「意識性」なるものに執着している限り、われわれの求める一般化は、例外の発生によって絶えざる
挫折を蒙り続けることになる。われわれは、Ubw からの蘖たちは代替物形成として、ならびに症状として、意
識的になった
ものと見ている。もとの無意識を背景にしてみれば、通例それは大きな歪曲が行われた後のことなのだが、し
かしそれにしても、そこにはしばしば、抑圧に誘うような性格がいくつも残されているのである。われわれは、
多くの前意識の形成物が無意識にとどまっていることを見いだす。それらの形成物は、その性質からして十分
に意識的になることができるはずだと思われるにもかかわらずである。どうやらそういう形成物においては、
Ubw からの牽引力の強さが立ち勝るのであるらしい。意識と無意識の間よりも、前意識と無意識の間に、より
意味のある差異を求めるべきだということが指摘される。Ubw は、Vbw の境界面において検閲によって押し戻
されるが、Ubw の蘖は、この検閲

を迂回することができ、高度な編成を整えて、Vbw において一定の強度の備給を備えるに至る。しかしその程
度を越えて意識にまで押し入ってこようとすれば、Ubw の蘖はそのものとしての素性を知られて、Vbw と Bw と
の間の新しい検閲境界において、新たに抑圧されることになる。最初の検閲は Ubw そのものに向かって、そし
て後の検閲は、vbw になった蘖に向かって機能する。検閲は、個人の発達の経過と共に、少し、前の方にずら
されることになったと考えてよいだろう。
  われわれは精神分析治療の中で、このうち二番目の検閲、つまり Vbw 系と Bw 系の間の検閲が存在するとい
う動かしがたい証拠を見せつけられる。われわれは患者に、心の蘗を豊かに形成するようにと促し、また、こ
の前意識の形成物が意識的になることに対しての検閲からの異議申し立てにも打ち克つことを、患者に義務づ
ける。この検閲に勝って、以前の検閲の仕業である抑圧をも撤廃することに向かう道筋をつけるのである。さ
らに付け加えておくと、Vbw と Bw の間の検閲の存在は、われわれに次のことを示唆している。すなわち、意識
的になるということは、単なる知覚行為ではなくて、おそらく過剰備給であり〔本巻二五一頁参照〕、心的な
編成におけるさらなる一歩前進であるということである。
  新所見を打ち立てるためにというよりもむしろ、顕著なことを見逃さないためにというつもりで、Ubw と
他の諸系との間の交通に目を向けてみよう。欲動の活動の根のところでは、系と系は、互いにきわめて豊かに
交流し合っている。そこで興奮している過程の一部は Ubw を通り抜け、そして準備的段階も通り抜けて、Bw に
おいて最高次の心的段階にまで育成される。別の一部は Ubw として留め置かれる。しかし、Ubw はまた、外部
の知覚から生じてくる経験によって影響を受ける。知覚から Ubw に至るすべての経路は、正常では自由通行で
きる。Ubw からさらに延びる経路にな
って初めて、抑圧によって通行止めになる。
  一人の人間の Ubw が、Bw を迂回しながら、もう一人の人間の Ubw に反応することができるというのは、た
いへん注目に値することである。この事実は、前意識の活動をそこから除外した上でのことなのかどうかとい
う方向で、もう少し詳しく調べてみなければならない。しかしこの事実は、記述としてならば、争う余地はな
い。
  Vbw(あるいは Bw)系の内容は、一部は欲動生活に(Ubw の媒介を通って)由来し、別の一部は知覚に由来
する。この系の過程が、Ubw の上に直接の作用をどの程度まで及ぼすことができるのかとなると、それは疑わ
しい。というのも、病理的な事例の研究によって、しばしば、ぶの、まったく信じがたいような独立性と非影
響性とが示されるからである。さまざまな追求が互いに完全に勝手な方向を向いていること、両方の系が絶対
的な崩壊を蒙ることが、一般的に、病気であるということの特徴である。ただし、精神分析治療は、Bw からの、
Ubw への影響力ということの上に、成立している。治療は、そうした影響力を及ぼすことが、たとえ困難は伴
っても、ともかくも不可能ではないことを示している。すでに触れたように、われわれにとって、この作業へ
の道筋をつけてくれるのは、二つの系の間の橋渡しをしている Ubw の蘖である。われわれはむろん、自然発生
的に起こっている、Bw の側から Ubw に与えられる変化
は、難儀な、緩慢に進んでいる過程であると仮定しておいてよいだろう。
  前意識の蠢きと、無意識の、それ自体では強力に抑圧されている蠢きとの間に、協調が起こることもあり
うる。それは、無意識の蠢きが、さまざまな支配的な追求のどれか一つと同じ方向で作用するような事態が生
じた時である。この場合には抑圧は撤廃され、抑圧された活動は、自我によってもくろまれた活動の強化とし
て許容される。無意識は、他のところでは抑圧という点に関して何の変化もないものの、この一つの布置にと
っては、自我適合的

なものとなる。この協調にあたっての大の成果は明白である。活動を強化されたさまざまな追求は、通常の追
求とは異なった仕方で振る舞い、それらはことのほか完璧な作業をこなし、異議申し立てに対しては、たとえ
ば強迫症状に似た抵抗を示す。
  Ubw の内容は、心的な原住民といったものになぞらえられる。人間においても、遺伝される心的形成物、
何か動物の本能に類似のものがあるとすれば、これが、Ubw の核を成すであろう。後になるとここに、幼年期
の発達の間に不
要になったとして片付けられたものたちが付け加わっていくことになる。これは、その性質からして、遺伝さ
れたものと区別をつける必要がない。二つの系の内容の間に、厳密で最終的な区別が立てられるのは、通例、
思春期の訪れを待ってからである。

Ⅶ 無意識の承認

  夢生活や転移神経症の知見から汲み取れる範囲では、これまでの議論の中でわれわれがまとめ上げてきた
ほどのことがらは、Ubw についてほぼ言い得るであろう。たしかにたくさんのことが言えたとは言えない。と
ころどころで、不分明や混乱の印象を与えたであろうし、とくに、Ubw をすでに知られた連関のもとに秩序づ
け、その中に組み込む可能性が感じられるところまで至っていない。ナルシス的精神神経症とわれわれが呼ん
でいる疾患のどれか一つを分析すれば、謎に満ちた Ubw を近くに引き寄せ、いわばこの手で捕まえられるよう
にする理解の仕方が、われわれに与えられることになるであろう。
  アブラハムのある仕事(一九〇八年)――良心的な著者はこれを私の示唆のおかげとしているが――以来、われ

れは、クレペリンの早発性痴呆(ブロイラーの統合失調症)を、自我と対象の対立に関してこの病気がどうい
う行動を採っているかによって、特徴づけようとしている。転移神経症(不安ヒステリー、転換ヒステリー、
強迫神経症)
にあっては、この対立を前景に押し出してくるようなものは何もない。確かに、対象との不首尾が神経症の発
症をもたらすこと、神経症は現実の対象の断念を含んでいること、そして現実の対象から撤収されたリビード
が、空想された対象へ、そこからさらに抑圧された対象へと戻っていくこと(内向)が知られてきた。しかし
ながら、これらの神経症にあっては、対象備給は一般に大きなエネルギーをもって保持されているし、抑圧過
程をより細密に調べることによって、対象備給は抑圧にもかかわらず――むしろ抑圧のおかげで――Ubw 系の
内部で存続していると仮定せざるを得なくなった。これらの疾患の場合にわれわれが治療上活用する転移の能
力は、やはり障碍されていない対象備給を前提とするものである。
  統合失調症ではこれに反して、次のような仮定を置かざるを得ない。すなわち、抑圧の過程の後、引き揚
げられたリビートは新しい対象を探したりはせず、むしろ自我の中に後退してしまい、したがってここで対象
備給も断念されてしまい、原初的な、対象のない、ナルシシズムの状態が再現されることになる。この病気の
患者が――疾病過程が進んで行くと――転移について無能力となること、その結果治療的接近ができなくなる
こと、彼らに独特の外界の拒否を示すこと、自身の自我への過剰備給の徴候が出現すること、完全なアパシー
状態に陥ること、これらの臨床的性格の全体が、対象備給の断念という仮定に、すっかり合致しているように
見える。二つの心的系の関係という側面からは、次のことがすべての観察者の目に止まるようになった。それ
は、統合失調症では、転移神経症においては精神分析によって初めて Ubw の中に認められるようになることが
らの多くが、すでに意識的なものとして

表出されているということである。しかし、自我一対象関係と、意識の諸関係との間に理解できる繋がりを作
り出すことには、目下のところ成功していない。
  われわれが探し求めているものは、次のような、想定していなかった仕方で現れて来るように思われる。
統合失調症においては、教えられるところの多い発病初期においてはとりわけそうだが、一群の言語の変容が
観察され、その中のいくつかはある特定の観点から考察してみる価値がある。表現の仕方は、しばしぱ特有の
仕方で、念が入っている。それらは「気取って」いたり「凝って」いたりする。文は、特有の構造の解体を蒙
り、われわれには理解できないものとなり、患者の表現は無意味だと見られるようになる。こうした表出の内
容を見ると、身体諸器官や身体の神経支配への関係が、前景に立っている場合がしばしばある。このことに関
連して、次のように付け加えておくことができるだろう。統合失調症のこのような症状は、ヒステリー性ある
いは強迫神経症性の代替物形成に似ているが、それでも、代替物と抑圧されたものとの間の関係は、それらの
どちらの神経症でも考えられないような独白性を示している、と。
  V・タウスク博士(ウィーン)の御好意を得て、私は、発病初期の統合失調症についての彼の観察を、こ
こに紹介させていただく。この観察は、その女性患者が、自分の話したことを自分自身で説明してくれたとい
う点でたいへん貴重である。ここでは彼の二点の観察を例にとって、私がどのような理解を提言しようとして
いるのかを示してみたい。ちなみに私は、いずれの観察者にとっても、このような素材は豊富に思い当たると
ころがあるものだとい
うことを疑わない。
  タウスクの患者の一人は、若い女性であって、彼女は恋人とうまくいかなくなった後で、病院に連れて来
られた。

彼女は次のように訴える。
  目が正しくない。目がねじれている。そしてこのことを、彼女自身が、整った言語で恋人への非難の系列
を囗にしながら、説明してみせる。すなわち、「私は、彼をまったく理解できません。彼は、見るたびに違っ
て見えます。彼は偽善者です。彼は目のねじり人です。彼は、私の両目をねじりました。だから私は両目がね
じれています。もうそれは私の目ではないんです。私はもう世界を別の目で見ています」。
  了解できない患者の話に対して患者自身が与えたこの評言は、ある種の分析としての価値を持っている。
というのは、それらの評言は、一般的に了解される言い回しを用いて、もとの話の等価物を含んだものになっ
ているからである。それらの評言は同時に、統合失調症での語形成の意義と発生についての説明を与えてくれ
る。この例では、器官への(目への)関係が、内容全体を代表することを僭越にも買って出ているわけである。
この見方で、私はタウスクと意見が一致している。統合失調症性の発話は、ここでは心気症的な特徴を帯び、
器官言語と化している。
  同じ女性患者の第二の陳述はこうである。「私が教会の中に立っていると、いきなり、突き動かしが来ま
す。私は、別のところに動いてしまいます。誰かが私をそのところに動かしたらしいです。私はそこに動かさ
れたらしいです」。
  ここに、恋人に対する新たな非難の系列による分析が加わる。「彼は下品なんです。私は生まれつき上品
なんです。彼が私も下品にしたんです。彼は、自分が私より優れていると私に信じさせたんです。そうやって
私を彼に似させたんです。いま私は彼と同じようになってしまったんです。彼と同じになったら、私はより良
くなるだろうと信じたからです。彼は自分を偽ったんです。いま私は彼のようなものです(同一化!)。彼は
私を偽ったんです」。

  タウスクは次のように述べている。すなわち「別のところに動く」という運動は、「偽る」という語を、
展示したものに当たり、かつ、恋人との同一化をも展示したものに当たる。私はここでもう一度、この思考経
路の全体におけるあの要素の優勢を指摘しておく。それは、身体の神経支配(むしろそれについての感覚)を
内容として有しているのである。ちなみに、ヒステリーの女性ならば、初めのような場合では、痙攣的に目を
ねじったであろう。第二のような場合では、突き動かされているところを実際に実演して見せたであろう。そ
の衝動やその感覚を感じ取るいとまもなく、そのようにしたであろう。そして両方の場合とも、その際には意
識的な思考を持たなかったであろうし、事後的にその思考を表明することもできなかったであろう。
  これまで述べたように、二つの観察は、われわれが心気的言語あるいは器官言語と呼んできたものを証言
している。しかし、ここからはまた、さらに重要と思われる事情にも、われわれは気付くことができる。それ
は、たとえばブロイラーの研究書に集められた例を繙いてみれば至るところに見出されることがらであり、あ
る一定の定式で把握することができるものだ。すなわち、統合失調症では、言葉は、潜在的夢思考から夢心像
が作られる過程、すなわちわれわれが心的一次過程と呼んでいるものに、委ねられるということである。言葉
たちは縮合され、自分たちの備給を、遷移を通じて休みなく転移し合う。この過程は甚だしい程度にまで進む
ことがあり、ただ一つの語が、幾重にも積み重ねられた関係によって都合の良いものになれば、思考の網の目
全体の代表を引き受けることができる。ブロイラー、ユング、そして彼らの弟子たちの仕事は、この主張に豊
富な素材を提供してくれている。
  われわれは、こうした印象から結論を引き出すに先立ち、統合失調症の代替物形成とヒステリーや強迫神
経症の代替物形成との間の、微細でありながら奇怪な印象を与える差異を、考慮しておきたいと思う。私が目
下観察中の

ある患者は、自分の顔の皮膚の状態が悪いと言って、人生のあらゆる関心事から身を引いている。彼の主張で
は、にきびがあり、しかも顔に深い穴が開いていて、それを誰もが見つめてくるという。分析では、彼は自分
の去勢コンプレクスを自分の皮膚において上演しているということが示された。彼は最初のうちは、自分のに
きびをいじっていても悔いるところはなかった。にきびを絞り出すのは、大いなる満足を与えてくれるものだ
った。彼の言うには、そのときに何かがびゅっと出てきたからである。そのうち彼は思い始めた。にきびを取
り除いた跡は、どこもかしこも深い穴になっていると。そして彼は、「しじゅう手でいじくりまわして」自分
の皮膚をもう永遠に駄目にしてしまった、と激しく自責するようになった。彼にとって、にきびの中身を押し
出すことが手淫の代替物になっていたことは明白である。彼の罪によって生じた穴は、女性性器である。これ
はすなわち、手淫によって賦活された去勢威嚇(ないしはそれを代理している空想の成就である。この代替物
形成は、心気症的な性格にも拘わらずヒステリー性の転換と似たものを有しているが、それよりもわれわれに、
ここには何か別の出来事が起きているに違いない、このような代替物形成はヒステリーというだけでは話が済
まない、といってもこの違いが何に基づいているのかはどうもまだ言うことができない、という感じを持たせ
るのである。皮膚の毛穴のようなごく小さな穴を、ヒステリー者が膣の象徴として受け取ることはまずないだ
ろう。ヒステリー者は空洞のあるものならばなんでもかんでも、膣に比較するものであるけれども。それに、
皮膚の小穴はいくつでもあるのだから、そうしたものを女性性器の代替物として用いるのを、ヒステリー者な
らば思いとどまるであろうと思われる。これとよく似たことが、

   *4 時として、夢工作は言葉を物のように扱い、これに非常によく似た「統合失調的」談話や言語新
作を作り出す。

タウスクが数年前にウィーン精神分析協会で報告したある若い男性患者においても当てはまる。この患者は、
その他の点では、まったく強迫神経症者のように振る舞っており、化粧室で何時間も過ごしたりしていたので
あるが、しかし彼には一つ目立った点があって、彼は自分の行動制止の意味するところを、抵抗もなく次のよ
うに報告したのである。靴下を穿くときに、たとえば、靴下の編み目たち、つまりは小穴たちということにな
るが、それを広げなくてはならないという観念が、彼の邪魔をする。彼にとってはどの一つ一つの穴も、女性
の性的開口部の象徴であった。こうしたこともやはり、強迫神経症者にはあまりありそうにない。R・ライト
ラーの観察中にある強迫神経症者も、やはり靴下を穿くことに同様のためらいがあって悩んでいたのではある
が、しかしこの人の場合は、多くの抵抗を克服したあと、次のような説明を見つけ出した。足は陰茎の象徴で
ある。靴下を穿くことは手淫の行為である。そして彼は、ずっと靴下を穿いたり脱いだりし続けなけれぱなら
ない。一部には手淫という形を完成させるためだし、もう一部にはそれが起こらなかったことにするためであ
る。
  統合失調性の代替物形成や症状に、いったい何がこのような奇怪な性格を付与しているのかを問うてみる
と、われわれは結局、物の関連に対して、語の関連が立ちまさりすぎているのではないかということを把握す
る。にきびを絞り出すことと陰茎からの射精との間にある、物の類似性は、まことに僅かである。数え切れな
い浅い皮膚の穴たちと膣との間にある物の類似性は、さらに輪をかけて僅かである。しかし、第一の場合には、
どちらにも、何かが飛び出てくるということがあるし、第二の場合には、シニカルな、「穴は穴である」とい
う命題が、字義通りに当てはまる。言語的表現の同質性が代替物を定めているのであり、指示されている物た
ちの類似性が定めているのではない。双方-語と物-が合致しなくなったところで、統合失調性の代替物形成
は、転移神経症における代

替物形成から、逸れていってしまうのである。
  この洞察を、統合失調症においては対象備給が断念されているという仮定〔本巻二四五頁参照〕と、組み
合わせてみよう。そうするとわれわれは、次のように修正しなければならなくなる。対象の語表象の備給は保
持されているのだ、と。われわれが意識的な対象表象と呼ぶことにしていたもの、それは今では、語表象と物
表象に分解される。
  この場合の物表象は、直接的な、物の想起心像の備給からではないとしても、ずっと離れた、しかもそこ
から導き出された、想起痕跡の備給から成り立っている。われわれは今、突然、何によって意識的な表象が無
意識的な表象から区別されるのかが分かったという気がする。両者は、われわれが考えてきたように、異なっ
た心的場所における同一の内容の異なった書き込みというものではなく、また、同じ場所における異なった機
能的な備給状態というものでもない。むしろ、意識的な表象は、物表象と、それに属する語表象とを含んでお
り、無意識的表象は、単に物表象なのである。卵系は、対象の物備給、すなわち初めの、本来固有の対象備給
を含んでいる。Vbw 系は、この物表象が、それに対応する語表象との結びつきによって過剰備給されるという
ことによって、発生してくる。このような過剰備給は、より高次の心的編成をもたらし、一次過程に代わって
二次過程が置かれ、二次過程が Vbw において支配的になることを可能にするのだと推定できる。今われわれは
また、転移神経症における抑圧が、追い払われた表象に対して何を拒んでいるのかを精確に表現できる〔本巻
二二八頁参照〕。すなわち、対象と結びついたままにとどまるべき語へとそれが翻訳されることである。語で
表されない表象、あるいは過剰備給されない心的行為は、そのようにして Ubw において、抑圧されたものとし
て残留する。
  統合失調症の顕著な性格の一つを理解させてくれた今回の洞察を、われわれがどんなに早い時期から手に
してい

たかに、注意を向けておいてもよいだろう。一九〇〇年に公刊された『夢解釈』の最後の数頁において、思考
するという過程、すなわち、知覚からかなり遠ざけられた備給行為は、それ自体では質を有せず、無意識であ
ること、そしてそれが意識的になれる能力は、語の知覚の残渣と結びつくことによってのみ獲得されるもので
あるということが、詳論してある。ただし、語表象は語表象で、物表象と同じ仕方で、やはり感覚の知覚に由
来するものである。だから、対象表象は、どうして自分に固有の知覚残渣を媒介として意識的にならないのか、
ということが問題として起こってくる。しかしどうやら、思考は諸々の系において進んでいくものであるが、
それらの系は、根源的な知覚残渣からは非常に遠く離れており、知覚残渣の質からは何も受け取っておらず、
意識的になるためには新たな質による強化を必要とするもののようである。それにまた、語との結びつきによ
って、このような備給は質を備えるようになるが、それらの備給は、知覚そのものからは、何も質を持ってく
ることができていなかった。なぜなら、それらの備給は単に、諸々の対象表象の間の関係に対応するだけだか
らである。語を通して初めて表現されるようになったこのような諸関係は、われわれの思考過程の主要構成要
素である。語表象との結びつきは、意識的になることと同じではなく、まだ単にその可能性を与えるだけであ
り、したがってその結びつきは他ならぬ Vbw という系を特徴づけるものであるということを、われわれは理解
する。しかしながら、こうした討論を重ねていくと、われわれは本来の主題から離れることになり、前意識と
意識の問題に入り込んでしまうことに気が付く。これらの問題は別扱いにしておくのが得策であろう。
  統合失調症の場合には、ここでもまたいの一般的認識のために欠かせないと思われる範囲で触れてみるに
過ぎないが、この病気において抑圧と名づけられている過程が、そもそも転移神経症の抑圧と共通のものを何
か持ってい

るのかどうかということが、われわれにとっての疑念として浮かび上がらざるを得ない。抑圧は Ubw 系と
Vbw(あるいは Bw)系との間の出来事であり、意識から遠ざけておくという成果を伴うものであるという公式
は、早発性痴呆ならびにその他のナルシス的疾患をそこに含めて考えようとすれば、いずれにせよ変更を要す
ることになる。ただ、意識的備給の引き揚げということの中に表現された、自我の逃避の試みは、やはり共通
点として残る。ナルシス的神経症の場合には、この逃避の試み、つまり自我の逃避は、より根本的に、またよ
り深部まで達して作動することになるが、それがどれほどであるかは、ごく表面的に考えをめぐらせただけで
も分かることである。
  統合失調症におけるこの逃避が、無意識の対象表象を代表するような場所からの欲動備給の撤収のことで
あるとすれば、その対象表象の恥系に属している部分――すなわちそれに対応する語表象のこと――が、逆にある種
の集中的な備給を受けているというようなことは、どうも合点がいかない。むしろ、語表象は、前意識の一角
をなす以上は、抑圧の最初の猛威を持ちこたえなくてはならないところであるし、もし抑圧が無意識の物表象
にまで及んでしまったあとともなれば、語表象はもう、まったく備給を受けられないことになっているであろ
う、と予期されるではないか。これはどうしても理解の難しいところである。語表象への充当は、抑圧行為に
属するものではなく、むしろ、最初の復旧のあるいは治癒の試みを呈示しているのではないか、こうした試み
が、統合失調症の臨床像を顕著に支配しているのであるから、ということが仄見えてくる。これらの努力は、
失われた対象を再獲得しようと

するものであり、こうしたもくろみの巾で、対象に向かって、対象の語成分を経る道を通るのはいいが、その
際に、

物の代わりに語で満足せざるを得なくなるということは、十分にあり得る。われわれの心の営みは、まったく
一般
的に考えてみても、二つの互いに対立する経過方向に動いているものである。一つは、欲動に発し大系から意
識的
思考作業へと進むもの、もう一つは外界からの刺激に基づき Bw と Vbw の系を通って、自我と対象のぶな備給へ
と進むものである。この二つめの道は、先だって降りかかった抑圧にもかかわらず、まだ通行可能であって、
対象を再獲得しようとする神経症の努力にとっては、ある程度広く間かれている。われわれは抽象的に考えて
いる時、無意識の物表象に対する語の関係をおろそかにする危険にさらされている。だとすれば、われわれが
哲学をしている時には、表現と内容の点で、統合失調症の作業様式との望まない類似を招き寄せてしまうとい
うことも否めない。翻って、統合失調症患者の思考様式について、次のような特徴付けを試みることもできる。
患者は、具体的な物たちを、あたかもそれらが抽象的であるかのように取り扱う、と。
  われわれが現実に Ubw を承認し、無意識的表象と前意識的表象の区別を正しく規定することをなし終えた
ならば、われわれの探究は、他の多くの側面からしても、この洞察へと帰着することになるに違いなかろう。
(新宮一成訳)

夢学説へのメタサイコロジー的補遺
Metapsychologische Erganzung zur Traumlehre

  病的な感情作用の正常雛形として理解することのできるようなある種の状態像や現象を、比較のために手
許に引き寄せればわれわれの研究にいかに益するところが大きいかを、われわれはさまざまなきっかけから学
び知ることができるであろう。そのなかに数えられるものとして、喪や恋着のような情動状態が挙げられるが、
さらに睡眠の状態と夢見の現象がある。
  人は毎晩、皮膚の上にかけていた被服を、さらに、欠陥を代替してうまく覆い隠してくれていた身体器官
補完物、すなわち眼鏡、かつら、義歯などをも取り外すが、このことについてわれわれは深く考え込むという
ことはあまりしないものである。眠りに入るとき、人はまったく同じように、己の心的なるものの脱衣を行い、
己の心的獲得物のほとんどを諦めて放念する。こうして人は己の生の発展の出発点であった状況へと、二つの
面から著しく接近し

   *1 次に来る二つの論文は、私がもともと「メタサイコロジーを用意するために」という標題で単行
本の形で出版しようと思っていたひとまとまりの論文に由来している。これらは、「国際医療精神分析雑誌」
第三巻にすでに印刷されているいくつかの論文(本巻〔GW 第十巻を指す〕に収められている「欲動と欲動運
命」、「抑圧」、および「無意識」〔いずれも本巻所収〕)の続編をなすものである。この一連の論文のもく
ろみは、精神分析体系にとっての基礎づけとなりうるような理論的前提に明快さと厚みを与えようとするとこ
ろにある。

ていくことになる。身体面では、眠るということは、安静状態、暖かさ、刺激からの保護という条件が満たさ
れるということからして母体内逗留の再活性化であり、実際多くの人々が眠るときに再び胎児の体位をとる。
そして眠っている人の心的状態といえば、ほとんど完全な環境世界からの撤退と、環境世界へのすべての関心
の停止によって特徴づけられる。
  精神神経症の諸状態を探究していると、われわれはそのそれぞれにおいて、いわゆる時間的退行、すなわ
ちそれぞれに特有な程度の発達的後戻りを指摘してみたくなるものである。そのような退行には、二つの種類、
すなわち自我の退行とリピートの退行が区別される。リビードの退行は睡眠状態にあっては原初的ナルシシズ
ムの発生にまで、また自我の退行は幻覚的欲望成就の段階にまで至る。
  睡眠状態の心的特徴について知られていることは、むろん夢の研究を経て分かって来たものである。確か
に夢は、眠っていない者として、当人をわれわれの目の前に登場させているのではあるが、それでも夢はその
際に、眠りというものの特性をわれわれに洩らさずにいることはできないのである。観察からわれわれは、は
じめは理解しがたかったけれども今や多少の努力を払えば整理できるような夢の独自な点を、いくつか学び知
った。そのようにしてわれわれに知られるようになったのは、夢は絶対的にエゴイスト的であること、また、
夢の場面で主役を演じている人物は、いつも自分自身であると認めるべきであるということである。このこと
は今にしてみれば、睡眠状態のナルシシズムということから、すんなりと分かりやすく導き出される。ナルシ
シズムとエゴイズムとは、確かに共同するものである。「ナルシシズム」という言葉自体がそもそも、エゴイ
ズムもまたリビード的な現象であるということを強調したに過ぎない。言い方を変えれば、ナルシシズムはエ
ゴイズムのリビード的補完として標識づける

ことができる。また、身体病の始まりがしばしば覚醒生活におけるよりも早期かつ明確に察知され、まさに今
起こりつつある身体感覚のすべてが途方もない巨大さで現れるという、一般に認められながらも謎めいたもの
とされている夢の「診断学的な」能力も、同様にして理解できることになる。こうした巨大化は、心気症的な
性質のものなのである。つまり次のように仮定してみればよい。すなわち、外界への心的備給がすべて自我自
身の上へと引き揚げられてしまい、そうなった備給は今度は、覚醒生活ではまだしばらくの間は気づかれずに
留まったであろうような身体変化を、早い時期に感知することを可能にするのである。
  夢はわれわれに、眠りを妨げようとする何事かが生じたということを教えているのであり、さらに、この
妨害に対してどのような仕方で防衛が行われ得たかということについても、われわれの洞察を拓いてくれる。
眠っている人は結局、夢を見れば、眠りを続けることができる。彼を動かそうとする内的な要求の代わりに、
要求の片付いてしまった外的な経験が現れ出てくる。こうして夢は一つの投射、つまり内的な過程の外化であ
る。われわれはすでにこの投射なるものに、防衛の手段のうちの一つとして、別の個所で出会ったことが想起
される。ヒステリー性恐怖症の機制もまた、内的欲動要求の代わりとして現れてきた外的危険からの逃避の試
みによって、個体が自らを護ることができるというところに、その真骨頂がある。しかし投射を念入りに説明
することは、この機制が顕著な役割を果たしているナルシス的な諸感情の区分けができるようになるときまで、
お預けにしておこうと思う。
  それにしても、眠ろうとする意図が妨害に遭うような事態は、どのような道筋で生じたものであろうか。
妨害は内的な興奮または外的な刺激から発生している。われわれはまず、あまり見通しは立ちにくいが興味深
い、内面からの妨害の場合を、考慮してみよう。経験がわれわれに教える夢の引き起こし手は、日中残渣であ
る。これは、備

給の一般的な撤収に加えられずに、それに抗しつつ、一定量のりビート的なもしくは別種の関心を保持し続け
ているような思考備給である。ということは、睡眠のナルシシズムは、ここではあらかじめ例外を許容してい
たにちがいない。そしてこの例外をもってして、夢形成が始まることになるのである。この日中残渣を、われ
われは潜在的夢思考として、分析の中で識ることになった。そして日中残渣は、その性質からしても全体的状
況からしても、前意識的表象である、ないしは、Vbw〔前意識〕系に属するものであるとするのが妥当である。
  夢形成の解明を続けるに当たって、幾つかの困難を克服しておかないわけにはいかない。睡眠状態のナル
シシズムの意味するところは、まさに、あらゆる対象の表象から、つまりその表象の無意識的部分も前意識的
部分も含めて、そこから備給が引き揚げられるということである。だから、もしある種の「日中残渣」は備給
を受けたままに留まるということにしたとしても、それが意識の注意を否応なく引きつけるほどに大きなエネ
ルギーを夜間に獲得するに至るということを仮定するには、いささかためらいを覚える。むしろ、日中残渣に
残っている備給は、昼間にそれが受けていた固有の備給に比べれぱ、格段に弱いものである、と仮定してみた
くなる。ここで分析によって、われわれはさらに思弁を重ねることを止めることができる。分析が示してくれ
るように、この日中残渣は、夢の造形者として浮かび上がって来るに当たり、無意識の欲動の蠢きという源泉
から強化を受け取っているにちがいあるまい。この仮定には、まずは何の困難もない。というのは、Vbw と
Ubw〔無意識〕の間の検閲は、睡眠の間には非常に緩くなっていて、両系の間の交通が行われ易くなっていると
考えざるを得ないからである。
  しかし、もう一つの疑念を不問に付しておくわけには行かない。もし、ナルシス的な睡眠状態というもの
が、Ubw 系と Vbw 系の両方の備給のすべてを吸収してしまうという結果をもたらすものだとするならぱ、前意
識的な日中残渣

が、無意識の欲動の蠢きから強化を受け取るという可能性もなくなってしまうことになる。というのは無意識
の欲動の蠢きそれ自体が、その備給を自我に譲渡してしまっているはずだからである。夢形成の理論はここで
矛盾にぶつかることになってしまう。そうすまいとすれば、ここで睡眠ナルシシズムという仮定を修正してみ
ることによって、夢形成の理論を救い出さざるを得ない。
  そのように限定的な仮説を設けてみるということは、後ほど明らかになることだが、早発性痴呆の理論に
おいても、避けがたいことであろう。その仮説というのは、ただ次のようなものである。すなわち、Ubw 系の
抑圧された部分が、自我から出てきた睡眠欲望に服さず、全部ないし一部の備給を保持し続け、抑圧の結果、
自我からのある程度の独立性を作り出すことになるのである。これに応じて、欲動の危険に向き合うための一
定量の抑圧の出費(対抗備給)も、一晩中しっかり維持しなければならない。ただ睡眠中は、感情迸出と運動
性へのあらゆる道筋が断たれているため、必要とされる対抗備給の程度も著しく引き下げられはするであろう
が。そこでわれわれは夢形成へと導く状況を次のように描き出してみようと思う。睡眠欲望は、自我から送り
出されたすべての備給を回収して、絶対的なナルシシズムを作り出そうと試みる。このことはしかし部分的に
しか成功しない。というのは、Ubw 系の抑圧されたものは、睡眠欲望に服さないからである。また、対抗備給
の一部分はしっかり維持されねばならず、Ubw と Vbw の間の検閲も、完全な強度においてではなくとも、存続
していなければならない。自我の支配の及ぶ限り、すべての系は、備給を空にしてしまわなければならない。
ubw な欲動備給が強度を増せぱ増すほど、睡眠は不安定になる。われわれは極端な場合をも識っている。自我
は、睡眠の間に自由になってしまった抑圧された蠢きを制止するには自分の力が足りないと感じて、睡眠欲望
を諦めるのである。言い換えれば、自我は、自分の夢を怖れるがゆえに睡

眠を放棄するのである。
  われわれは後に、抑圧された蠢きの不服従性というこの仮定を、容易ならぬ仮定として評価して行くこと
になる。今はただ、夢形成の状況について、議論を続けることにしよう。
  先ほどわれわれは、いくつかの前意識的な日中思考が抵抗を示し、その備給の一部分を手放さないという
可能性について触れたが、これは、ナルシシズムにおける第二の破れ目として捉えるべきであろう。根底にお
いては、この二つの事態は同じ一つのものであり得る。日中残渣が示す抵抗は、すでに覚醒生活において存続
していた無意識の蠢きとの結びつきに帰せられるか、あるいは、事情はやや複雑になるけれども、完全には空
になっていなかった日中残渣が、睡眠状態に入って初めて、容易になった Vbw と Ubw の交流のおかげで、抑圧
されていたものとの関係を持つようになったということであるのかもしれない。どちらにしても、同じように
決定的な夢形成の歩みが進められることになる。すなわち、前意識的な夢欲望が形作られ、この夢欲望が、前
意識的な日中残渣という素材を用いて、無意識の蠢きに対して表現を与えることになる。この夢欲望は、日中
残渣とは明確に区別しておくべきものである。この欲望は覚醒生活においては存在していなかったに違いなく、
あらゆる無意識的なものが意識的なものに翻訳されたときに身に纏う不合理な性質を、もうすでに示している。
夢欲望はまた、欲望の蠢きと取り違えてはならないものである。欲望の蠢きの方は、必ずというわけではない
としても、可能性として、前意識的(潜在的)夢思考の下に、居を定めていたものである。しかしそうした前
意識的欲望があれば、夢欲望は有力な強化となって、それらの欲望の仲間に加わっていく。
  そこで次に問題になってくることがある。本質においては何らかの無意識の欲動要求を代理している欲望
の蠢き

は、ふにおいては夢欲望(欲望成就空想)として形成されたのだが、ではこの欲望の蠢きのその後の運命はど
うかという問題である。考えてみるに、この蠢きは、三つの異なる道において、その解決を見出すであろう。
まずは覚醒生活においては正常な道であるが、Vbw から意識へと押し出ること、次には Bw〔意識〕を迂回して
直接の運動的放散を行うこと、さらには、われわれには実際の観察でしか辿ることのできない未想定の道を取
ること、である。第一の場合は、この蠢きは欲望成就の内容を伴った妄想観念へと生成するが、これは睡眠状
態では決して起こらない。(心的過程のメタサイコロジー的諸条件がまだほとんど知られていない段階ではあ
るが、この事実はわれわれにとっておそらく、ある一つの系を完全に空にすると、それはほとんど刺激への応
答性のないものになる、ということのヒントとして受け取ることができる。)第二の場合、つまり直接的運動
放散は、同じ原理によって除外されているはずである。というのは、運動性へと到達することは、普通は、意
識の検閲からさらにいくらか先にまで行ったところに、位置しているからである。しかし例外的に、このこと
は夢中遊行症として観察の機会に入ってくる。このようなことがどんな条件で可能になるのか、またどうして
もっとしばしばそれが発生しないのかは、われわれには知られていない。夢形成に際して、現実には、非常に
珍しく予想のできない決定が下される。Vbw において紡がれて Ubw によって強化された過程は、Ubw を通って
逆戻りの道を取り、意識へと自己を押しつけてくる知覚にまで達する。この退行なるものが、夢形成の第三の
段階である。われわれはここで展望のために、それ以前の段階を繰り返しておく。すなわち、vbw〔前意識的〕
な日中残渣の、Ubw による強化、そして、夢欲望の制作である。
  われわれはこの退行を、先に触れた〔本巻二五六頁〕時間的な、ないしは発達史的な退行と区別して、局
所論的な退行と呼ぶ。両者は共に起こるとは限らないが、今われわれが論じている目下の例においては共に起
こっている。

Vbw から Ubw を通って知覚へという、興奮の経過の後ろへの向き直りは、同時に幻覚的欲望成就という早期の


段階への逆戻りでもある。
  夢形成の際に、前意識的な日中残渣の退行がどのような方途で起こってくるかは、『夢解釈』以来知られて
いる。思考は、心像――主として視覚的な――へと転換されるのである。だから語表象たちは、それに対応す
る物表象へと、連れ戻される。全体としてそのようであるから、それはまるで、呈示可能性への顧慮が働いて、
その過程を支配しているかのようである。退行が完遂されたあと、一連の備給が Ubw 系の中に取り残される。
それらは、物の想起たちへの備給である。心的な一次過程がその上に働き、それらの想起たちを縮合しそれら
の間で備給を遷移させて、顕在的夢内容を造形するまでに至っていたのである。日中残渣のうちに見られる語
表象は、知覚の新鮮で現在的な残渣であって思考表現ではない場合においてのみ、語表象はそれ自体で物表象
として扱われ、縮合と遷移の影響下に服する。ここから、夢解釈において与えられ、それ以来明証的なものと
して確認された、あの法則が出てくる。すなわち、夢の中の語や談話は、新しく作られたものではなく、夢日
の談話(あるいは、読んだことも含めたそれ以外の新鮮な印象)を写し取って組み立てたものである。夢工作
が語表象に拘泥することの如何に少なきかは、たいへん注目に値する。夢工作はいつでも、造形的な呈示にむ
けて最適な手掛かりを与えるあのような表現を見出すに至るまで、あちらの語をこちらの語へ、こちらの語を
あちらの語へと、ぬかりなく入れ替えているのである。
  ちょうどこの点で、夢工作と統合失調症との間の、決定的な区別が示される。語というもののうちでは、
前意識の思考が表現されているわけであるが、統合失調症では、それらの語そのものが、一次過程の加工の餌
食となってしまう。これに対して、夢においては、一次過程の加工に供せられているのは語ではなく、物表象
であり、語はそ

うした物表象へと連れ戻されているのである。夢は局所論的退行を行う術を識っているのであるが、統合失調
症はそうではない。夢では、(vbw〔前意識の〕)語備給と(ubw〔無意識の〕)物備給の間の交通が自由に行
えるのに対し、統合失調症ではその交通が阻まれているということが、特徴として備わっている。この差異が
与える印象は、われわれがまさに精神分析実践の中で行う夢解釈によって、弱められる。夢解釈は、夢工作の
経過を探り当て、潜在思考から夢の諸要素へと続く道を辿り、語の両義性の濫用を明らかにし、様々な素材圈
の間の橋渡しを指摘するので、ある時には機知のような、また別のときには統合失調症のような印象を作り出
す。だから、語に対するあらゆる操作が、夢にとっては物への退行へのただの前準備なのだということをわれ
われはつい忘れてしまうのである。

   *2 ジルベラーは、次のような事柄を強調しどうやら過大評価している。すなわち、いくつかの夢は、
同時に二つの、しかし本質の異なる解釈を許すものであり、その一つは分析的解釈、他の一つは天上的解釈だ
というのである。しかし私はこのこともまた、呈示可能性への顧慮に帰せられると考える。こういう場合に問
題になっているのは、いつでも、非常に抽象的な性質の何らかの思考である。そういった思考は夢で呈示しよ
うと思えば多大な困難を伴うものである。比較のためにたとえば政治的な新聞のトップ記事を絵図だけで代替
させてみようという課題を考えてみればよい! このような場合に、夢工作は、抽象的な思考の文面を、具体
的な文面に入れ替えなければならない。その具体的な文面としては、比較、象徴作用、寓意的な言寄せ、最善
の場合は発生事情によって、もとの文面と何らかの関連があるものを持ってこなければならず、そのようなも
のであれば、それはもとの文面の代わりに、夢工作の素材になる。抽象的な諸思考は、いわゆる天上的解釈を
誘い出すが、その種の解釈は、解釈の作業の中で、固有の意味で分析的な解釈よりも容易に思い至るものだか
らである。O・ランクの適正な見解に従えば、多重解釈のできるこのような夢を理解するための最良の範例は、
分析的に治療を受けている患者の、治療についてのある種の夢である。

  夢過程が完遂されるということは、次のようなところに存している。すなわち、退行的に変容し、欲望空
想へと換骨奪胎された思考内容が、感覚的知覚として意識的になる、ということである。その際、思考内容は
二次加工を経る。どんな知覚内容も、この二次加工を蒙るのではあるが。われわれに言わせれば、夢欲望は、
幻覚されたものになっていくのであり、自らが成就したのだという現実への信を、幻覚として見出しているの
である。夢形成のまさにこの締めの部分にこそ、最も強い不確実さが付きまとっており、それを解明するため
に、われわれは夢を、夢と類縁の病理的諸状態に比較してみようと思うのである。
  欲望空想の形成と、この空想が幻覚へと退行することは、夢工作の最も本質的な部分である。とはいえ、
これらのことは夢工作だけにもっぱら当てはまるというわけではない。むしろ、これらのことは二つの病的な
状態、すなわちまず、幻覚性錯乱あるいは(マイネルトの言う)アメンチア、そして統合失調症の幻覚的な病
相期である。アメンチアの幻覚的錯乱は、はっきりそれと判る欲望空想であり、見事な白昼夢として完全に整
えられている。非常に一般的に幻覚性欲望精神病とでも言えば、その言い方は夢にもまたアメンチアにも等し
い意味で当てはめることができるだろう。きわめて内容豊かでかつ歪曲もされていない欲望空想そのものから
成り立っているような夢も現れることがある。統合失調症の幻覚的な病相期については、それほどよく調べら
れてはいない。それはたいていは複合的な要素が絡まり合ったものであるように見えるが、本質的には、対象
表象へとリビード備給を置き戻そうとする新たな再建の試みとして捉えることができるように思われる。様々
な疾病に佳患した場合に現れる他の幻覚状態については、ここに比較のために引いてくることは、私にはでき
ない。私は自分自身の経験を持たないし、他の観察者の経験を使ってあれこれ言うこともしにくいからである。

  幻覚性欲望精神病――夢における場合も、その他の場合も――は、二つの決して重なり合わない仕事を果
たしているということを、はっきりさせておきたいと思う。この精神病は、単に、隠されたり抑圧されたりし
ている欲望を意識にもたらすというだけではなくて、その欲望を、十全なる信のもとに、成就したものとして
呈示するのである。この二つのことが同時に起こるということについては、理解を進めておく必要がある。無
意識の欲望が、いったん意識的になったからには、それはどうしても現実であるとして保持されなければなら
ないなどということは主張できるはずもない。というのも、よく知られているように、われわれの判断力なる
ものは、どんなに強度の高い表象や欲望であっても、それらから現実を区別するという構えを、能く崩さずに
いるからである。それに対して、現実への信というものは、感覚を通じて知覚へと結びついていると仮定する
ことは妥当であるように思われる。何らかの思考がいったん、無意識の対象想起痕跡へと、そこからさらに知
覚へと至る退行への道を見出してしまえば、われわれは、その思考の知覚を現実だと認識してしまう。かくし
て幻覚は、現実としての信を持ち来たる。幻覚が実現する条件とはどんなものかということが今度は問題にな
る。第一の答は次のようなものになろう。それは退行
である。幻覚の発生への問いは、退行の機制への問いでもって代替される。この新たな問いに対して、夢に関
しては、われわれは答を引き延ぱすには及ぱない。vbw〔前意識の〕夢思考の、物の想起像への退行は、明らか
に、あの ubw〔無意識の〕欲動代表――たとえば抑圧された経験想起――が、語でもって把捉された思考の上
に及ぼしている、牽引力の結果である。しかしわれわれはほどなく、間違った道に入り込んでしまったことに
気付く。幻覚の秘密は退

   *3 「無意識」についての論文においては、語表象の過剰備給を、このような最初の試みとして取り
出した。
行の秘密に他ならないということであるとすれば、十分に強度のある退行は、どれでもみな、現実としての信
をもちつつ、幻覚を発生させるものでなくてはならないであろう。しかし、つとに知られているように、次の
ような場合がある。すなわち、退行的な熟考が非常に判明な視覚的想起像を意識にもたらし、それでいながら
われわれは一瞬たりともそれを現実の知覚であるとは受け取らない、という場合である。そしてまたわれわれ
は次のように考えてみることも十分できよう。すなわち、夢工作がそういった想起像にまで押し込んできて、
それまでは無意識であったそれらのものを意識的にして、われわれに向けて欲望空想を演出し、われわれはそ
れらを憧れ見るけれども、欲望が現実に成就しているとは認識しないということである。してみると、幻覚と
いうものは、それ自体は心であるような想起像の退行的活性化というより、さらにそれ以上のものであるに違
いない。
  実践的に大きな意味のあることとして、知覚は、どんなに高い強度で想起された表象からも、区別されな
ければならないということを念頭に置いておこう。外界そして現実に向かってのわれわれの行動の全体が、こ
の区別の能力に依存している。われわれが作り出してみた物語によれば、われわれはこの能力をいつでも所有
していたとは限らない、そしてわれわれの心の生活の最初には、満足を与える対象への欲求を感じれば、われ
われは実際にその対象を幻覚したりもしていたのである。とはいえ、こうした場合には満足というものはやっ
て来ないわけであるから、この不成功はほどなくわれわれに、こんな欲望的知覚を現実の成就から切り離して、
これっきりもう避けて行けるようにするべく、態勢を整えるようにと促したはずである。換言すれば、われわ
れはごく早いうちに、幻覚的欲望満足をあきらめて、一種の現実吟味を導入している。そこで問題になるのは、
この現実吟味がどのようなことから成り立っているかということ、また、夢やアメンチアやその近縁の幻覚性
欲望精神病が、この現実吟味を取り止め

させて、昔の満足様式を再び作り出すまでに至るということがどのようにしてもたらされてしまうのか、とい
うことである。
  その答は、われわれの第三の心的系、すなわちこれまで心から厳密には区別しておかなかった Bw〔意識〕
系を、より詳しく規定することに着手すれば、与えられることになる。すでに夢解釈においてわれわれは、意
識的知覚というものを、ある特別な系の能作であるとして導き入れることにしようと心を決めなけれぱならな
かった。この特別な系に対しては、ある種の奇妙な特性を与えておいたのだが、当然さらなる特徴をそこに付
け加えることになっていくであろう。夢解釈においてWと名づけられたこの系を、われわれは Bw 系と重なり合
ったものであると考えて、意識的になるということは、通常はその Bw 系の働きに依存しているとした。しかし
そうはいっても、意識的になるという事象は、完全には系への所属性と重なり合うわけではない。というのは、
いままでに学んできたように、Bw 系やW系において心的な位置づけを与えてやれないような感覚的想起像が存
在するということに、われわれは気が付くことがあるからである。
  しかしながら、この困難の取り扱いについては、Bw 系そのものをわれわれが興味の中心に据えるときが来
るまで、やはり延期しておいてよいであろう。目下のわれわれの文脈では、次のようなことを仮定することが
許されよう。すなわち、幻覚というものは Bw(W)系への備給のうちに存しているということ、ただし備給は
正常のように外部からではなく内部から為されており、幻覚の条件は、その退行が進んで Bw(W)系にまで達
し、現実吟味を外に追いやってしまうに至るということである。
  以前の議論(「欲動と欲動運命」)のなかでわれわれは、いまだ寄る辺なき有機体は、知覚という手段を
用いて、筋

肉活動との関連に応じて「外」と「内」とを区別することによって、世界の中における最初の位置取りを作り
出す能力を持っているとした。何らかの筋肉活動によって消失させることのできる知覚は、外部の知覚、現実
として認識される。そしてこのような活動によっても何も変わらないとき、知覚は自分自身の身体内部からや
ってくるのであり、それは現実ではないのである。個体にとっては、このような現実の標識を有しているとい
うことは有益なことであり、この標識は同時に現実に対抗するための助けをも意味する。そして個体は、しぱ
しば仮借のない己の欲動要求に対しても、このような力を備えておきたいと望むであろう。そこで個体は、自
分の内部から厄介を起こしにやってくるものごとを、外部へと移す、すなわち投射することに、努力を振り向
けるようになるのである。
  内と外とのこうした区別によって世界の中に位置取りを見出すというこの能作を、われわれはいま、心の
装置の詳しい分解に従って、もっぱら Bw(W)系にのみ割り当てざるを得ない。知覚を消失させることができ
るのか、それともそうしようとしても知覚は抵抗を示すのか、それを確定するのは運動神経支配であるから、
Bw は、この神経支配を自由に駆使できるのでなくてはならない。現実吟味とは、こうした設営以上の何ものか
である必要はない。Bw 系の本質と作動様式についていまだあまりに僅かのことしか知られていない現状では、
われわれはこのことについてこれ以上詳しく述べることはできない。われわれは現実吟味を、自我の大きな設
備の一つと見なして、われわれに分かりつつあるあの心的系間の検閲の傍らに置くこととし、ナルシス的諸疾
患の分析が、このほかにもこのような設備を発見することを助けてくれるであろうと期待しよう。
  これに対して、どのような仕方で現実吟味が取り払われたり活動を停止させられたりするかについて、わ
れわれは今日においてすでに、病理から学び知ることができる。実際、欲望精神病、ないしはアメンチアにお
いては、夢
よりも曖昧さの少ない形で、われわれはそれを認識することができるであろう。アメンチアは、喪失に対する
反応である。その喪失があったことを現実は主張する。しかし自我はそんな喪失を、耐え難いことだとして否
認するしかない。自我はそうして、現実との関係を断ってしまう。自我は、知覚の系である Bw から、その備給
を、ないしこう言ってよければ、その特殊な性質がさらなる研究の主題となるであろうようなある種の備給を、
引き揚げる。現実からのこのような離反を以て、現実吟味は脇に片付けられ、欲望空想――抑圧されておらず
隅々まで意識的な――が、系の中に押し入ってきて、そこにおいて欲望空想はより良き現実として承認されて
しまうのである。このような備給引き揚げは、抑圧の過程と同列に置かれてもよいものである。自我におそら
く何よりも忠実に仕えて、最も内密なところで自我に結びついていた器官の一つ、それが自我と袂を分かつ、
そういう興味深い訣別ドラマを、アメンチアはわれわれに見せているのである。
  アメンチアにおいて「抑圧」が遂行していることがら、それを夢においては、自由意志による放棄が遂行
している。睡眠状態は、外界に関しては何も知ろうとしない。すなわち、睡眠状態の終わりつまり覚醒という
ことが、そ

   *4 ここで私は次のことを補足的に付言しておきたい。幻覚の解明の試みは、陽性幻覚からではなく、
陰性幻覚から着手しなければならないということである。
   *5 現実吟味から、現勢性の吟味を区別することについては、後の個所を見よ。
   *6 ここからわれわれは、次のような仮定をあえてしてみることができる。すなわち、中毒性の幻覚
症、たとえばアルコール性の譫妄は、これと類似の仕方で理解されうる。現実によって押しつけられてきた耐
え難い喪失に当たるものは、まさにアルコールの喪失である。アルコールが補給されれば、幻覚は解消する。

の顧慮に入ってきた場合だけしか、現実とは関わり合いになろうとしない。睡眠状態はこうして、Bw 系から、
またそれ以外の Vbw と Ubw 系からも、備給を引き揚げている。それは、そこに為されている配備状況が睡眠欲
望に服従する限りのことであるが。Bw 系のこのような脱備給状態によって、現実吟味の可能性は諦められてし
まう。そして睡眠状態からは独立して退行の道を選んだ興奮は、Bw 系の中へとまかり通り、堂々たる現実とし
て通用するようになる。早発性痴呆における幻覚性精神病状態については、われわれの考察から次のようなこ
とが引き出せる。すなわち、幻覚性精神病状態は、早発性痴呆という疾患の発症段階の症状には属さないとい
うことである。そういった状態は、現実吟味がもはや幻覚を阻止することができないところにまで、患者の自
我が解体してしまったときに、初めて出現可能になる。
  夢過程の心理学については、われわれは、夢のあらゆる本質的な特徴は、睡眠状態という条件によって規
定されているという結果を保持している。古にも、夢は眠っている人の心の活動である、と言われているが、
この地味な言明をしたアリストテレスは、どこまでも正しいと認められる。われわれはこれをさらに敷衍する
ことができた。すなわち、夢は、ナルシス的な睡眠状態というものが余すところなく完遂されることはない、
ということによって可能になった、心の活動の残渣である、と。これは、ずっと昔から心理学者や哲学者が言
ってきたことと、大きく異なるというわけではない、しかしそれは、心の装置の成り立ちと能作についての、
大いに異なった見識に基盤を置いている。それらの見識は、夢のあらゆる細部までをわれわれの理解に近づけ
ることができたということにおいて、以前のものに比べてやはり一日の長がある。
  最後に、精神障碍の機制へのわれわれの洞察にとって、抑圧過程の局所論がどのような意味を持っている
のかと

いうことについて、一瞥しておくことにしたい。夢の場合には、備給(リビード、関心)の引き揚げは、等し
くすべての系に該当する。転移神経症の場合には、Vbw の備給が、統合失調症の場合には、Ubw の備給が、そ
してアメンチアの場合には Bw の備給が、撤収される。   

   *7 備給されていない系は興奮しにくいという原理は、ここでは、Bw(W)にとっては、効力を失っ
ているように思われる。しかし、単に備給の部分的な解消ということが問題になっているということはありう
るし、まさに知覚系に関しては、他の系とは大きく異なった若干の興奮条件を、仮定しなければならなくなる
であろう。――むろんこのメタサイコロジー的説明の不確実で試論的な性格を、覆い隠したり粉飾したりすべ
きではない。さらなる研究の深化によってのみ、一定程度の蓋然性に達することができよう。

喪とメランコリー
Trauer und Melancholie

  ナルシス的な心の障碍の解明に際して、夢はその正常な原型として役に立った。そこで今度はメランコリ
ーの本質を喪という正常な情動と比較して解明するという研究に取り組みたい。けれども今度の場合、成果を
過大評価しないよう注意を促すために、あらかじめ告白を一つしておかねばならない。メランコリーの概念規
定は記述的な精神医学においてさえ一定していない。メランコリーは、統一的に捉えることができるかどうか
定かでない多様な臨床形態をとって出現し、そのうちいくつかのものは心因性の疾患というよりむしろ身体的
な疾患を思い起こさせる。わたしたちの素材は、印象というどの観察者にも与えられる素材を別にすれば、そ
の心因的な本性に疑いを差しはさむ余地のない少数の症例に限られる。だからわたしたちは、わたしたちの研
究成果が普遍的に妥当するという主張をはじめから取り下げておきたい。そして、次のように考えることによ
って、みずからを慰めることにしたい。すなわち、わたしたちの現在の研究手段によっては、類全体としての
疾患にとまでは言わないにしても、そのなかの一つの小グループに典型的でないものはほとんど発見できない
のだ、と。
  メランコリーと喪とを並べて考察することは、これら二つの状態の全体像から正当化されると思われる。
また人生経験に由来する誘因も、少なくともはっきりそれと見分けられるような場合には、一致している。喪
は通例、愛された人物や、そうした人物の位置へと置き移された祖国、自由、理想などの抽象物を喪失したこ
とに対する反応

である。同様の影響のもとで少なからざる人々が喪の代わりにメランコリーを示すが、わたしたちはそれを見
ると、それらの人々が病的な素因を有しているのではないかという疑いを持つ。しかしまた、きわめて興味深
いことに、喪には正常な生活態度からのはなはだしい逸脱がともなうにもかかわらず、わたしたちは喪を病的
な状態とみなして医師の治療に委ねようなどとは少しも思わない。わたしたちは、喪は一定の時間がたてば克
服されると信じており、喪の邪魔をすることは役に立たないばかりか有害でさえあると考えている。
  メランコリーは、心の状態としては、深い苦痛にみちた不機嫌と外的世界への関心の撤去とによって、愛
情能力の喪失によって、および何事の実行をも妨げる制止と自尊感情の引き下げとによって、特徴づけられる。
自尊感情の引き下げは、みずからに対する非難と悪囗雑言とになって現れ、処罰を妄想的に期待するほどに昂
進する。この病像は、ただ一つを除いて喪も同じ特徴を示すということを考慮に入れると、いっそうわたした
ちの理解に近づくだろう。すなわち喪の場合には自尊感情の障碍が存在しない。この相違がなければ喪とメラ
ンコリーは同じものである。愛された人物の喪失への反応である深い喪も、同様の苦痛にみちた気分を含む。
すなわち、外的世界への――それが故人を思い起こさせるものでないかぎり――関心の喪失、なんらかの新し
い愛情対象を選ぶ――それは悼まれている人物の代替物を得ることを意味するだろう――能力の喪失、故人の
追憶と結びつかない何事の実行にも背を向けること、などがそれである。このような自我の制止と制限とはひ
たすら喪に没入していることの表れであり、他の意図や関心がそこに立ち入る余地は何も残されていないとい
うことを、わたしたちは容易に理解する。そもそも、このような態度がわたしたちの目に病的なものとして映
らないのは、わたしたちがそれをあまりにもよく説明できるからだ。

  わたしたちはまた、喪の気分を「痛い」と呼ぶ比喩に賛同の意を表したい。わたしたちが痛みを経済論的
に特徴づけることができたあかつきには、おそらくこの比喩が正当な根拠に基づいていることが明らかになる
だろう。
  ところで喪が実行する作業はどのようなことから成り立っているのだろうか。それを以下のように叙述し
ても何ら不自然なところはないとわたしは信じる。すなわち、現実吟味が愛された対象はもはや現存しないこ
とを示し、いまやこの対象との結びつきからすべてのリビードを回収せよ、という催告を公布する。これに対
して当然の反逆が起きる。というのも、あまねく見受けられることだが、人は一つのリビード態勢から進んで
立ち去ろうとはしないからだ。たとえ代替物がすでにその人を待ち受けている場合でもそうである。この反逆
が非常に徹底したものとなり、幻覚性の欲望精神病(前の論文を見よ)によって現実からの背反と対象への固
執とを全うすることさえある。通常は、現実に対する尊重が勝利を保つ。だが、現実による指図は即座に実現
することができない。この指図は時間と備給エネルギーとの多大な消費をともなって一つ一つ遂行される。そ
してその間、失われた対象の存在は心的に維持される。リビードがその中で対象と結ばれていた想起や期待の
すべてについて、その一つ一つに的が絞られ、過剰備給がなされ、リビードの引き離しが執行される。どうし
て現実の命令をつぶさに遂行するという妥協の実行がそれほどに途方もない苦痛を伴うのか、その経済論的な
根拠を示すのは今なお決して容易なことではない。奇妙なことに、わたしたちの目にはこの苦痛にみちた不快
が当然のこととして映る。だが事実、自我は喪の作業が完了

   *1 アブラハムもまたこの比較から出発している。この主題についての分析的研究は敖少ないが、そ
の中で最も重要なものをわたしたちは彼に負っている(Zentralblatt fur Psychoanalyse, II, 6,
1912)。

したのちに再び自由で制止を免れた状態に戻るのだ。
  それでは、喪についてわたしたちが知ったことをメランコリーに当てはめてみよう。一連の症例を見れば、
メランコリーもまた愛された対象を喪失したことへの反応でありうることは明らかである。ところが他の誘因
による諸症例を見ると、より観念的な性質の喪失が問題となっていることが認められる。対象は、たとえば現
実に死んだのではなくて、愛情対象であるかぎりにおいて失われてしまったのだ(たとえば婚約者が捨てられ
るといった例)。さらに他の諸症例では、わたしたちは、なんらかの喪失があったと想定すべきだと確信して
いるにもかかわらず、何が失われたのかをはっきりと認識することができない。そして、そういう場合にはい
っそう容易に、患者もまた自分が何を失ったのかを意識的に把握できずにいると想定することが許される。実
際、メランコリーのきっかけとなった喪失が患者に認知されている場合でも、そういうことはありうる。とい
うのもそういう患者は自分が誰を失ったのかということは知っていても、その人物における何を失ったのかと
いうことは知らないのだから。これらのことは、わたしたちに次のことを示唆しているように思われる。すな
わち、メランコリーは意識から取り去られた対象喪失と何らかの仕方で関連しており、その点で、喪失に関わ
ることは何一つ無意識的ではない喪とは異なっている、ということがそれである。
  喪の場合には、自我を消尽する喪の作業によって制止と関心の喪失とが余すところなく解明されるという
ことを、わたしたちは見出した。メランコリーにおける認知されていない喪失も結果としてそれと似た内的な
作業を伴い、そのせいでメランコリーにおける制止が引き起こされるのだろう。ただしメランコリー患者の制
止は謎めいた印象を与える。というのも、何が患者をかくも完全に消尽するのか分からないからだ。メランコ
リー患者はさらにもう

一つ、喪の場合には見られない特徴を示す。それは常軌を逸した自我感情の引き下げ、見事なまでの自我の貧
困化である。喪の場合には世界が貧しく空虚になっていたのだが、メランコリーの場合には自我自身が空虚に
なる。患者はみずからの自我を、何の値うちもなく、実行力を欠き、道徳的に責められるべきものとして、わ
たしたちの前に描き出す。患者はみずからを非難し、みずからに悪口雑言を浴びせ、追放と処罰とを期待する。
彼は誰彼なしに他人の前でみずからを貶め、家族の誰に対しても、かくも恥ずべき自分のような人物に拘束さ
れているといって済まながる。彼は自分の上に変化が生じたという判断を下すことができず、自己批判の矛先
を過去にまで仲ばす。彼は今よりもましだったことはこれまでも一度もなかったと主張して譲らない。こ
の――主として道徳的な――卑小妄想の病像は、不眠、食物の拒絶、および、心理学的に最高度の注目に値す
ることだが、あらゆる生物に生命にしがみつくことを強いる欲動の克服によって、完全なものになる。
  みずからの自我を相手どってこのような告訴を申し立てる患者に反論することは、学問的にも、治療の上
からも実りのないことだろう。彼はたしかにある意味で正しく、自分に見えるとおりに事の次第をありのまま
に述べているにちがいないのだから。彼の申し立てのいくつかを、わたしたちは留保なしに直ちに認めなけれ
ばならないだろう。彼は本当に、彼の言うとおりに関心を失い、愛情に関しても何かを成し遂げることに関し
ても無力になっている。もっともそれは、わたしたちの知るとおり、二次的なこと、すなわち内的な、わたし
たちの知らない、喪と比較されるような、彼の自我を消尽させるような作業の帰結なのだが。いくつかの他の
自己告訴についても、わたしたちの目には、彼は同様に正しく、ただメランコリー的でない他の人々よりも鋭
く真理を捉えているにすぎないように見える。彼が自己批判を激化させて、自分は偏狭な、利己的な、不誠実
な、自立していない人間で、いつも自

分の性格の欠点を隠すことにあくせくしていたと述べるとき、わたしたちの知るところでは、彼は自己認識に
かなり近づいたと言えなくもない。わたしたちはただ、どうしてそのような真理を手にするために最初に病気
にならねばならないのかと疑問に思うだけだ。というのも、そのような自己評価を下し、それを他人の前で話
す人――ハムレット王子が自分にも、すべての他の人々にも、それが下されると覚悟していた評価のことを言
っているのだが――、そのような人が病気であることは、彼がただ真理を語っているだけにせよ、何ほどか自
己に対して不当なことを行っているにせよ、疑う余地のないことだからだ。また、これもすぐに気づかれるこ
とだが、傍目に見るかぎり、自己蔑視の大きさがその理由とされる現実にまったく釣り合っていない。かつて
礼儀正しく、有能で、責任感の強かった女性がメランコリーにかかると、自分について良く言わなくなり、実
際に何の役にも立たない女性と比べても自分のほうがましだとは言わなくなるだろう。しかも、おそらくそう
いう女性の方が、他方のほめるところが見つからないような女性よりもメランコリーにかかるおそれが大きい
のだ。最後に、メランコリー患者は正常な仕方で後悔や自己非難によって打ちひしがれている人と全面的に同
じように振舞うわけではないということが、わたしたちの目を引かずにはおかない。後悔や自己非難の状態に
ある人を何よりも特徴づけているのは他人の前での恥じらいだろうが、メランコリー患者にあってはそれが欠
けているか、あるいは少なくとも目立っては現れてこない。メランコリー患者にあっては、自分の弱点をさら
け出すことに満足を見出す厚かましいお喋り好きという、ほ
とんど反対の特徴が見られることを強調してもよいだろう。
  したがって、メランコリー患者がなす批判を他人の判断と照らし合わせて、彼の苦しい自己侮蔑に関して
彼が正しいかどうかを問うことは、重要なことではない。むしろ彼がその心理的な状況を正しく述べているか
どうかを論

じる必要がある。彼は自尊心を失ったが、それには十分な根拠がなくてはならない。ところが、わたしたちは
ここで、きわめて解きがたい謎を投げかける矛盾に直面する。喪との類比によれば、彼は対象に関する喪失を
蒙ったとわたしたちは推論しなけれぱならなかった。だが彼の陳述からは、彼の自我に関する喪失が読み取れ
るのだ。
  この矛盾にかかわり合う前に、しばらくのあいだメランコリー患者の疾患が人間の自我の構成について与
えてくれる洞察のもとに留まろう。そこには、どのように自我の一部分が他の部分と対立し、それを批判的に
評価し、それをいわぱ対象として扱うか、ということが見られる。メランコリーにおいて自我から切り離され
た批判的な審級は別の状況のもとでもその自立性を示すことができるのではないか、という疑いをわたしたち
は持っている。この疑いは今後のすべての観察を通して確証を得るだろう。この審級を残りの自我から区別す
る現実的な根拠をわたしたちは見つけ出すだろう。わたしたちがここで知りえたのは、普通は良心と呼ばれる
審級である。わたしたちはこの審級を、意識の検閲、現実吟味とともに、大きな自我組織のうちに数え入れる
だろう。そしてわたしたちは、この審級がそれ単独で病気になることがあるという証拠も、どこかに見つけ出
すだろう。メランコリーの病像は、みずからの自我に対する道徳的な不快を、他の諸々の呈示内容よりも前面
に進み出させる。身体的な欠陥、醜さ、弱さや社会的な劣等性が自己評価の対象になることはきわめて稀であ
る。ただし貧困化は患者の懸念や主張のなかで優先的な位置を占めている。
  さらに、さきに提示した矛盾の解明へ通じる一つの観察がある。その観察を行うのは少しも難しいことで
はない。

   *2 「各人をその功罪に応じて扱えば、いったい誰が鞭を免れようか」。『ハムレット』第二幕、第
二場。

メランコリー患者のさまざまな自己告訴に辛抱強く耳を傾けると、最後には次のような印象を払いのけること
ができなくなるだろう。すなわち、自己告訴のうちの最も強いものは、しばしば患者本人にはほとんど当ては
まらず、むしろ、わずかな変更を加えさえすれば、患者が愛している、あるいはかつて愛した、あるいは愛し
ているはずの、別の人物に当てはめることができるという印象がそれである。メランコリーの実態を調査する
たびに、この推測の正しさは確認される。だから、自己非難は愛情対象への非難がその対象から離れて患者本
人へと転換されたものだという洞察を得ることによって、わたしたちはメランコリーの病像を解明する鍵を手
に入れることになる。
  自分の夫はこれほどにも役立たずの妻に拘束されていると言って、これ見よがしに済まながる妻は、本当
は、役に立たないということがどういう意味で考えられているにせよ、夫が役に立たないことを告訴している。
反転された自己非難のなかに真正の自己非難が散りばめられていても、それほど驚くには当たらない。そうし
た自己非難は、他の自己非難を隠して事の真相を知られないようにしてくれるので、前面にしゃしゃり出るこ
とを許されるのだ。しかしまた、そうした真正の自己非難が、結果として愛の喪失をもたらした、愛するがゆ
えの諍いの中に現れた賛否の交錯に由来していることもある。患者の態度もまた、今ではずっと解りやすくな
る。彼らの嘆きは、この語のもつ古い意味に即応して、告訴なのだ。すなわち、彼らは恥じもしなければ隠れ
もしない。なぜなら彼らが自分について囗に出すこきおろしはすべて、根本的にはある他者について言われて
いるのだから。そして彼らの態度は、本当に品性下劣な人々のみがするような仕方で周囲の人々に対してへり
くだったり、へつらったりすることからは程遠いものだ。彼らはむしろ、この上なく責めさいなまれているよ
うな、つねに悔辱されているような、あたかも大きな不正を蒙っているかのような態度をとる。こうしたこと
が可能なのは、ひとえに彼らの態度が示すような反

応がそもそも反逆という心の姿勢に由来しているからだ。その反逆の姿勢が、ある種の過程をたどって、メラ
ンコリー的な打ちひしがれ方へと移行させられているのだ。
  この過程を再構成するのは少しも難しくない。まず、ある対象選択、すなわち特定の人物へのリビードの
拘束が存在した。次いで愛された人物の側から現実の侮辱や失望を蒙り、その影響によってこの対象関係は揺
るがされた。それに続いて生じたのは、リビードをこの対象から撤収して新たな対象に遷移させるという正常
な結果ではなく、別の、その実現のためにより多くの条件が要求されるように見える結果だった。すなわち、
対象備給はほとんど抵抗力がないことが明らかにされ、撤去された。だが自由になったリビードは他の対象へ
と遷移させられず、自我の内に撤退させられた。しかしリビードはそこで任意の使用に供されたのではなく、
断念された対象への自我の同一化を打ち立てるために使われた。そのため対象の影が自我の上に落ちて、自我
はいまや、あたかも一つの対象のように、見捨てられた対象のように、ある特別な審級から判定することがで
きるものになった。以上のような仕方で、対象喪失は自我喪失へと転換され、自我と愛された人物との間の葛
藤は、自我批判と同一化によって変容された自
我との間の内的葛藤へと転換されたのだ。
  このような過程の諸前提および諸結果について、二、三の事柄が即座に推察される。一方では愛情対象へ
の強い固着が現存しているにちがいない。他方では、それと矛盾して、対象備給はほとんど抵抗力を持ってい
ないにちがいない。O・ランクが的確に指摘したように、この矛盾が生じるためには次のことが必要だと思わ
れる。すなわち、対象選択がナルシス的な基盤の上で行われており、そのため、困難に直面すると対象備給が
ナルシシズムに退行する可能性を有する、ということがそれである。その場合、対象へのナルシス的な同一化
が愛情備給の代替物となり、

結果として、愛された人物との葛藤があるにもかかわらず愛情関係は放棄されなくともよいということになる。
対象愛から同一化に鞍替えするというこのような代替は、ナルシス的疾患において重要な意味をもつ機制であ
る。ちなみにK・ランダウアーは最近、ある統合失調症の治癒経過において、この機制を暴き出すことに成功
した。もちろんこの機制とは、対象選択の一つの型から根源的なナルシシズムへの退行のことである。わたし
たちが別のところで詳しく述べたとおり、同一化は対象選択の準備段階であり、そしてまた自我が両価的な表
現によって一つの対象を際立たせる最初のやり方である。自我はこの対象と一体化したがり、しかもリビード
発展の口唇的ないし食人的な段階に相応して、喰うという仕方によって一体化したがる。メランコリーの状態
が重篤な症状を形成するに至った場合に表明される食事の拒否を、アブラハムはこの脈絡に洽って生じるもの
とみなしているが、おそらくそれは当を得た解釈だろう。
  理論上、要求されている結論は、メランコリーの罹病へと向かう素因もしくはそうした素因の一部はナル
シス型対象選択が支配的であることに存する、というものだが、残念ながらそれを裏付ける研究はまだ現れて
いない。この論文の導入部で告白したように、この研究がその上に建てられている経験的な素材はわたしたち
の要求を満たすほど十分ではないのだ。いずれわたしたちの推論と一致する観察例が出てくるだろうと想定す
ることを許してもらえるならば、わたしたちは躊躇なく、いまだナルシシズムに属する口唇的なリビード段階
への対象備給からの退行を、メランコリーを特徴づけるものの内に数え入れるだろう。対象への同一化は転移
神経症の場合にもけっして稀ではなく、むしろ症状形成のよく知られた機制である。とりわけヒステリーの場
合がそうである。けれどもわたしたちはナルシス的同一化をヒステリー的同一化から次の点で区別することが
できる。すなわちナルシス的同一化に

あっては対象備給が廃止されるのに対して、ヒステリー的同一化にあっては対象備給が存続し、なんらかの影
響を外に現す。その影響が及ぼされるのは、通常は、何らかの個々の行動と神経支配とに制限されている。と
はいえ、少なくとも転移神経症における同一化は愛情を意味しうるような連帯の表現である。ナルシス的同一
化はそれより根源的なものであって、まだ十分に研究されていないヒステリー的同一化を理解するための通路
をわたしたちに開いてくれる。
  したがってメランコリーはその性格の一部を喪から借り、他の一部をナルシス型対象選択からナルシシズ
ムへの退行の過程から借りている。メランコリーは、喪と同様に現実に起こった愛情対象の喪失への反応であ
るという一面を有するが、しかしそれにとどまらず、正常な喪には欠けている、あるいはそれが加わると正常
な喪を病的なものに変えてしまうような、一つの条件を背負い込んでいる。愛情対象の喪失は、愛情関係の両
価性に効力を発揮させ、それを表面化させる一つの際立った誘因である。強迫神経症へと向かう素因がある場
合、両価性の葛藤は喪に病的な形姿をまとわせ、喪が自己非毀の形態をとって現れるよう強いる。人が、愛情
対象の喪失をみずから招いた、すなわち、望んだ、と口走るのは、そのような場合である。愛する人物を亡く
した後に訪れるそのような強迫神経症的な抑鬱にあっては、退行的なリピートの回収がそこに伴わないとすれ
ば、両価性の葛藤が単独で行う一幕が演じられるのだ。メランコリーの誘因はたいてい、死による喪失という
明白な場合を越えて、関係のなかに愛と憎しみの対立をもたらしたり、前からあった両価性を強化したりする
おそれのある、侮辱、冷遇、幻滅といった状

   *3 Internationale Zeitschrift fur arztliche Psychoanalyse, II, 1914.

況をすべて含んでいる。この両価性の葛藤は、現実的な出来事の内に起源をもつ場合もあれば〔自我の〕構成
に由来する場合もあるが、メランコリーの前提条件の一つをなしており、軽視してはならないものである。愛
情の対象それ自体は放棄されているのに、対象への愛情が放棄されることに抗い、ナルシス的同一化の中に逃
げ込むと、この代替対象に対して憎しみが働き、それを罵り、貶め、苦しめる。そして憎しみは、その苦しみ
からサディズム的な満足を獲得する。メランコリーにおける明らかに享楽に満ちた自己虐待は、強迫神経症に
おけるそれに相当する諸現象と同様、サディズム的傾向ないし憎悪傾向の満足がそこに存することを教える。
そうした傾向は一つの対象を目指しており、上述の経路をたどってわが身へと向き直ったのだ。どちらの疾病
の場合にも、患者は自己処罰という迂回路をとって辛うじて本来の対象への報復を成し遂げるのを常としてい
る。そして彼らは、病気に身を委ねることによって彼らの敵意を彼らの愛する人々に直接的に示す必要がなく
なったのちには、病気の状態を介してその人々を苦しめるのを常としている。患者の感情障碍を呼び起こした
人物、彼らの病気の状態がそこへと方向づけられている人物は、通常、彼らの最も身近なところに見出すこと
ができる。だからメランコリー患者における対象への愛情備給は二重の運命をたどったことになる。すなわち
その一部は同一化へと後退し、他の一部は両価性の葛藤の影響を受けて、この葛藤により近いサディズムの段
階へと引き戻されたのだ。
  このサディズムによってはじめて、メランコリーをこれほど興味深い、そしてこれほどI危険なものにし
ている、自殺傾向の謎が解かれる。欲動生活がそこに根ざしている原初的状態は大いなる自我の自己愛である
という認識をわたしたちは持っている。生命の危険に哂されたときの不安の中には、莫大な量のナルシス的リ
ビードが自由になっていることが見て取れる。そのため、そのような自我がどのようにして自己破壊に同意す
ることができるの

か、わたしたちには解らない。なるほどずっと以前からわたしたちは、神経症患者が自殺念慮を抱くとすれば、
ただ彼が他者に対する殺人衝動から自己へと殺意を舞い戻らせる場合だけでしかない、ということを知ってい
る。けれどもどのような諸力の相互作用によってそのような念慮が実行に至るまで貫徹されるのかは、依然と
して解らない。だが、いまやメランコリーの分析が次のことを教えてくれる。すなわち、自我がみずからを殺
すことができるのは、ただ対象備給が舞い戻ってくることによって自我が自己自身を対象のように取り扱うこ
とができる場合にのみであり、対象を目指している敵意、すなわち外界の対象に対する自我の原初的な反応を
表すものである敵意を、みずからに向けることが自我に許されている場合にのみである、ということがそれで
ある。(「欲動と欲動運命」を見よ。)こうして、ナルシス型対象選択からの退行によって確かに対象は撤去
されたのだが、しかし、それでもなお対象は自我自身よりも強大である、ということが証明された。極度の恋
着と自殺という二つの相反する状況のなかで、まったく異なる仕方によってではあるが、自我は対象に圧倒さ
れている。
  また、以上のことを踏まえるならば、メランコリーにおける目立った性格の一つである貧困化に対する不
安の突出について、これを諸結合から引き抜かれ退行的に変化させられた肛門性愛から派生するものとみなす
推論も、それほど受け入れ難くはないだろう。
  メランコリーはさらに他の諸問題にわたしたちを直面させるが、それらの中には一部、わたしたちには答
えられないものがある。メランコリーは一定の期間が過ぎると検知できるほど目立つ変化を残さずに寛解して
いるという

   *4 この二つの区別については「欲動と欲動運命」についての論文〔本巻所収〕を参照のこと。

性格をもつが、この性格は喪と共通のものである。喪の場合、わたしたちが得た情報は、現実吟味の命令をつ
ぶさに遂行するためには時間が必要とされ、その作業が済んだ後に自我はそのリビードを失われた対象から自
由にしてもらえた、というものだった。メランコリーの続いているあいだ自我はそれと類比的な作業に専念し
ていると考えることができる。しかしながらどちらの場合もまだ、その作業の経過についての経済的理解はな
されていない。メランコリーの不眠は状態の硬直を、すなわち備給を全般的に回収するという睡眠のために必
要な作業を遂行することができないということを示している。メランコリーのコンプレクスは開いた傷口のよ
うにふるまい、あらゆる側面から備給エネルギーをみずからのもとへ引き寄せ(わたしたちが転移神経症にお
いて「対抗備給」と呼んだもの)、自我を完全な貧困化に至るまで空虚にする。このコンプレクスが自我の睡
眠欲望に対する抵抗力をもっていることは容易に示すことができる。――おそらく身体的な、心因的には説明で
きない局面も姿を現す。すなわち夕方に見られる規則的な状態の軽減がそれである。以上のような諸問題を検
討すると、それに続いて次のような問いが生じてくる。すなわち、対象への顧慮とかかわりのない自我喪失
(純粋にナルシシズム的な自我の毀損)はメランコリーの病像を生じさせるのに十分ではないのかという問い、
および、直接的な中毒性の自我リビードの貧困化がこの疾病のある種の形態を生み出しうるのではないかとい
う問いがそれである。
  もっとも注目に値する、そしてもっとも解明を要するメランコリーの特異的性格は、躁病という症状の面
で対照的な状態へと急変するという傾向に存する。周知のように、どのメランコリーでもこの運命をもつとい
うわけではない。かなり多くの症例が、周期的な再発のうちに推移するものの、その寛解期に躁病の色調をま
ったく示さないか、きわめて僅かしか示さないかである。別の諸症例は、かつて循環的精神錯乱という概念が
提起されたときに初

めてそれと名指されることになった、今や周知のメランコリー期と躁病期との規則的な交替を示す。たまたま
精神分析の仕事はこの病気のいくつかの症例の解析を試みて治療効果をあげることができたのだが、もしそう
いう事実がなかったとしたならば、わたしたちはこれらの症例を心因的理解の埒外に置くよう誘惑されている
かもしれない。だからメランコリーの分析的解明を躁病にまで拡張することは、許されるばかりか必要なこと
でもあるのだ。
  わたしはこの研究が十分に満足のゆく出来ばえになると約束することができない。もっと正確にいえば、
この研究は、最初の方向づけを与えることはできるかもしれないが、その域を大きく越え出ることはない。こ
こでわたし
たちが頼ることができる手がかりが二つある。その一つは精神分析的な印象で、もう一つは普遍的と呼ぶこと
が許される経済論的経験である。印象というのは、すでに幾人かの精神分析研究者たちが言及していることだ
が、以下のようなものである。すなわち、躁病はメランコリーと何ら異なる内容を持つものではなく、どちら
の疾病も同一の「コンプレクス」を相手に格闘しているのだが、メランコリーにあっては自我がコンプレクス
に押しつぶされているように見えるのに対して、躁病にあっては自我がコンプレクスを克服したか、あるいは
傍らに押しやってしまったように見える、という印象がそれである。もう一つの手がかりは次の経験によって
与えられる。すなわち、楽しげに喜ぶ状態、歓喜に満たされた状態、勝利の満足感に浸る状態などの、躁病の
通常の病像がわたしたちに示す諸状態はすべて、それらが同一の経済論的な制約の下にあるという認識をもた
らす、という経験がそれである。これらの状態にはある一つの作用が関与している。その作用の結果、大きな、
長く続けられた、ないし習慣的に投入されていた心的な出費がついに不必要となり、その結果、それをさまざ
まな使用や放散可能性に振り向けることができるようになるのだ。それゆえ類例として、貧しい人間が突然大
金を手に入れて長年にわたる日々のパンをめぐ
る心配から解放される場合、延々と続いた骨の折れる奮闘努力が最終的に成功に飾られるのが見られる場合、
重苦しい強迫やずっとまとい続けてきた偽りの姿を一挙に捨て去る場合、などが挙げられる。これらの状況は
みな、高揚した気分、喜びの情動の放散を示す表徴、さまざまな行動へ向かう意欲の増大によって際立つが、
それはまったく躁病と同様であり、メランコリーにおける抑鬱や制止と正反対をなしている。あえて言えば、
躁病とはこのような勝利にほかならないと言えるが、ただしここでもまた、自我が何を克服し、何に勝利した
かのは、自我の目には隠されている。これらと同じ一連の状態の内にあるアルコール酩酊――陽気な酩酊に限
られるが――もまた、同類とみなすことができるだろう。というのも酩酊の場合、おそらく中毒の手を借りて
抑圧のための支出を撤廃することが問題にされているのだろうから。素人考えはともすれば、そのような躁病
的な態勢にある人がかくも意欲的に運動や計画に乗り出すのは、その人が「機嫌がよい」からだとみなしたが
る。もちろんわたしたちはこの誤った結びつきを解きほどかなければならない。その真相は、心の生活におけ
る前述の経済論的な条件が満たされたということであって、だからこそ人は一方でそれほどまでに陽気な気分
になるとともに、他方でそれほどまでに行為に制止がなくなるのだ。
  この両方の兆候を考え合わせると、以下のような結論が出てくる。すなわち、躁病では自我が対象の喪失
(喪失に対する喪であれ、あるいはおそらく対象そのものに対する喪であれ)を克服したにちがいなく、いま
や、メランコリーの苦痛に満ちた悲嘆が自我から自分のもとへと引き寄せ、拘束していた対抗備給の全量が自
由に使えるようになったのだ、という結論がそれである。躁病患者はまた、飢えた人のように次々と新たな対
象備給に向かうことによって、悩まされていた対象から自分が自由になったことを見間違えようのない仕方で
証し立ててみせもする。

  この解明にはたしかになるほどと思わせるところがある。けれどもそれは、第一にまだあまりにも少しし
か規定されておらず、第二にわたしたちが答えられるよりも多くの新たな問いや疑いを浮かび上がらせる。た
とえそれらについての論議を通して明晰性へ至る道を発見することが期待できないにしても、わたしたちはそ
うした論議を避けたくない。
  まず、次のような疑問が生じる。正常な喪も対象の喪失を克服するし、また、それが存続しているあいだ
は自我のすべてのエネルギーを汲み尽くすのもメランコリーと同様である。それなのにどうして喪の場合には、
その終了後に勝利の段階を表す経済論的条件が仄めかしとしてすら生じないのか。わたしには単純明快な仕方
でこの異議に答えるのは不可能だと思われる。この異議はまた、どのような経済論的手段によって喪はその課
題を解決するのかということさえわたしたちは言えずにいる、ということに気づかせもする。だが、おそらく
ここで一つの推測が当座をしのぐ助けになるだろう。リビードが失われた対象に結びつけられていることを示
す想起や期待の状況の一つ一つに現実が介入し、それらのすべてに対象はもはや存在しないという評決を周知
徹底させる。すると自我は、いわば汝はこの運命を共にすることを欲するやという問いに直面させられ、そし
て、生きていることから受け取るナルシス的な満足の総計を考慮に入れて、無に帰した対象へのみずからの拘
束を解除するという結論を甘んじて受け入れる。わたしたちは例えば次のように想像することができる。すな
わち、この解除は非常に緩慢に、一歩一歩進展するので、その作業が終了したときには、そのために必要とさ
れた費用もまた散逸してしまっている、と。
  喪の作業に関する推測をもとにしてメランコリーの作業を叙述する道を探るのは、気をそそられる試みだ。
けれどもそこに踏み込むやいなや、わたしたちは不確実性に道を遮られる。わたしたちはここまで、メランコ
リーにつ

いて局所論的な観点からの考察をほとんど行わず、どのような心的な系の中で、あるいはどのような心的な系
どうしの間でメランコリーの作業が進展しているのか、という問いを提起しなかった。この疾病の心的な過程
の中で、廃止された無意識的な対象備給に関わりつつ、何が今なお演じられているのか。そして、その対象備
給に同一化が取って代わるという代替に関わりつつ、何が自我の内で演じられているのか。
  今すぐに囗に出して言うことができ、容易に書きとめることができるのは、「対象の無意識的な(物)表
象がリビードから引き離される」ということだ。しかし実際には、この表象は無数の個々の印象(この表象の
無意識的な痕跡)によって代理されているので、そこからのリビードの引き離しは一挙に遂行できることでは
なく、ちょうど喪の場合と同じように、長々と緩慢に進行する過程をたどる。この過程が同時にいくつかのと
ころで始まるのか、それとも何らかの決まった順序を持っているのかということは、たしかに容易には識別で
きない。わたしたちは精神分析を行っているときにしばしば、ときにはこの、ときにはかの想起が現勢化され
るということに気づかされる。また、同じような言い回しの、その単調さで眠気を誘うような嘆きが、それに
もかかわらず、そのつど別の無意識的な根拠に由来しているということにも気づかされる。そのような自我に
とっての大きな意義、無数の結びつきによって強められた意義を、対象が何一つ持っていないとすれば、その
対象の喪失もまた、喪やメランコリーを引き起こすに足る性質を備えてはいない。リビードの引き離しを一つ
一つ遂行する仕方もまた、メランコリーでも喪でも同様の性格を持ち、おそらく同様の経済論的関係に基づき、
同様の傾向に服していると考えられる。
  けれどもメランコリーは、これまで見てきたように、何かしら正常の喪よりも多くの内容を持っている。
メランコリーにあっては、対象への関係は決して単純ではなく、両価性の葛藤によって複雑化されている。そ
の両価性
は、〔自我にとって〕構成的であるか、すなわちメランコリーの自我のいかなる愛情関係にも深く結びついて
いるか、さもなければ対象喪失の脅威をともなう諸体験に由来しているか、いずれかである。そのため、通例
は現実的な喪失によってのみ、つまり対象の死によってのみ引き起こされる喪と比べて、メランコリーはその
誘因に関してはるかに多彩な可能性をもつ。だからメランコリーにあっては、対象をめぐって無数の個別的な
闘争が次々と紡ぎ出される。それらの闘争の中では憎しみと愛とが格闘し、一方がリビードを対象から引き離
そうとすれぱ、他方はこのリビード態勢をそのような襲撃に抗して守り通そうとする。それらの個別的な闘争
をわたしたちは、Ubw の内、すなわち事物的な想起痕跡(語備給との対立において)の国の内以外の、いかな
る系の内にも置き移すことができない。喪における引き離しの試みも同じく無意識の内で行われるが、この場
合には、この過程が正常な道を通って心から意識へと進むことを妨げる障害物は何もない。この道はメランコ
リーの作業に対しては閉ざされているが、それはおそらく多くの原因ないし諸原因の相乗作用によるものだろ
う。〔自我にとって〕構成的な両価性は、それ自体としては抑圧されたものに属する。対象との関わりから生
じた外傷的な諸体験は、他の抑圧されたものたちを現勢化したかもしれない。そのようにして、これらの両価
性の闘争に関わるものはすべて、メランコリー特有の性格をもった出口が現れるまでは、意識から遠ざけられ
ている。この出口は、わたしたちの知っているように、脅かされたリビード備給が最終的に対象を見限って、
しかし他の場所には向かわずに、もともとリビードがそこから出てきた自

   *5 経済論的観点はこれまで精神分析的な仕事の中でほとんど顧慮されなかった。例外として、V・
タウスグの論文「代償による抑圧動機の価値低下」(Internationale Zeitschrift fur arztliche
Psychoanalyse, I, 1913)が注目されるべきである。

我という場所へと引きさがる、ということに存する。そのように自我の内に避難することによって、愛情はと
もかく撤去を免れたのだった。このリビードの退行ののちに、過程が意識されうるようになり、自我の一部と
批判的審級とのあいだの葛藤として意識に代理表現される。
  したがってメランコリーの作業について意識が知らされることは、この作業の本質的な部分ではなく、ま
た、苦悩の解消に何らかの影響を及ぼしうると思えることでもない。わたしたちは自我がみずからを誹謗し、
みずからに対して憤激するのを見るが、そのような自我がどこへ行き着くのか、どのように変化しうるのか、
まるで分からないという点では、わたしたちも患者と変わりがない。わたしたちはむしろ作業の無意識的な部
分に苦悩を解消する実行力があると考えることができる。というのも、メランコリーの作業と喪の作業との本
質的な類比性を見つけ出すことは困難ではないからだ。喪は、対象の死を宣告し、生き残るという報奨を自我
に差し出すことによって、自我をして対象を断念する気にならしめる。それと同様に、個々の両価性の闘争は
いずれも、対象を価値のないものとし、その品位を貶め、いわばそれを打ち倒すことによって、対象へのリビ
ードの固着を緩める。憤激が存分に荒れ狂って鎮まったあとにせよ、対象が価値のないものとして放棄された
あとにせよ、Ubw の内での過程が終了するという可能性が開かれる。この二つの可能性のどちらが通例として、
あるいはより高い頻度でメランコリーを終了させるのか、そして、この終わらせ方が症例のその後の経緯にど
のように影響するのかは、わたしたちには窺い知れない。おそらく自我はその場合、自分をより良きもの、対
象よりも優れたものとして認証することができるという満足を享受するのだろう。
  たとえメランコリーについてのこの見解が承認できるものだとしても、この見解には、わたしたちがその
説明を

目指した当の事柄を明らかにできるほどの奥行きが備わっていない。メランコリーが寛解した後に躁病が成立
するための経済論的条件をメランコリーの特徴をなす両価性から導き出せるのではないか、というわたしたち
の予想は、さまざまな他の領野からの類推によって補強できるかもしれない。けれども、この予想がそれを前
にして頭を下げなければならない一つの事実がある。対象の喪失、両価性、自我の内へのリピートの退行とい
うメランコリーの三つの前提のうち、最初の二つは、身内の不幸のあとに訪れる強迫的な非難のもとでも見出
される。そこにおいて葛藤の原動力の役割を演じているのが両価性であることは疑問の余地がない。だが、そ
れにもかかわらず非難が退いた後に躁病的な状態の勝利に属するものが何一つ残らない、ということを観察は
教える。そこでわたしたちは、唯一、実効のあるものとして、第三の契機に目を向けさせられる。かの当初は
拘束されていた備給、すなわちメランコリーの作業を終えた後に自由になり、躁病を可能にする備給は、ナル
シシズムヘのリビードの退行と関連してい
るにちがいない。メランコリーが対象をめぐる闘争と交換した自我の内の葛藤は、さながら途方もなく高い対
抗備給を要求する痛む傷口のように作用するにちがいない。しかしここでもやはり、立ち止まって、まずは身
体的な苦痛、次いでそれと類比的な心の苦痛のもつ経済論的な性質への洞察が得られるまで、躁病についての
更なる解明を延期するのが理にかなったことだろう。わたしたちがすでに知っているように、錯綜した心の諸
問題は相互に連関しているため、他の研究の成果がそれを助けに来ることができるまで、いずれの研究をも未
完成のまま中断することをわたしたちに余儀なくさせるのだから。                  
(伊藤正博訳)
   *6 『集団心理学と自我分析』(GW-XIII)〔本全集第十七巻〕における躁病の問題に関する議論の
発展的継続を参照のこと。

精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告
Mitteilung eines der psychoanalytischen Theorie widersprechenden Falles von
Paranoia

  何年か前、ある有名な弁護士が、どう判断したものか決めかねている依頼が一件あるのだが、専門家とし
ての見解を聞かせてもらえないかと、わたしに問い合わせてきた。ある若い女性が彼のところに相談にきて、
かつて彼女を恋愛関係に引き込んだ男性の迫害から身を守る手だてを求めた。彼女の主張によれぱ、この男性
は彼女の従順さにつけ込んで、二人がいちゃついているところを隠れて覗いていた誰かに写真撮影させたとい
う。だからいまや彼はそれらの写真を公にして彼女を辱め、職を放棄せざるを得なくさせる手段を手にしてい
るのだ、と。その弁護士はこの告訴が病的な刻印を帯びていることに気づくだけの十分な経験を積んではいた
ものの、人の世には余人の思い及ばないこともたくさんあるのだからと思いなおし、この事態について精神科
医の判断を仰ごうと考えた。
  報告を続ける前に打ち明けておきたい。わたしは、これから検証する出来事がそれと見分けられないよう
にするために、その出来事をとりまく状況を変更した。しかしながらその他のことは何一つ変更していない。
この理由以外には、どのような動機によるものであっても、たとえ最良の動機であってさえも、報告の中で病
気にかかわる出来事の諸特徴を歪曲することをわたしは濫用とみなす。なぜなら自主的に判断する読者が症例
のどのような側面を重視するかを知ることは不可能だからであり、そうである以上、歪曲は読者を誤りへと誘
導する危険を冒すことになるからだ。

  その患者とはその後じきに面識を得た。その人は並々ならぬ上品さと美しさとを備えた三十歳の女性で、
本人の告げたその年齢よりもずっと若く見え、そして真に女性的であるという印象を与えた。医師に対して彼
女は全面的な忌避の態度を示し、不信感を隠そうとしなかった。どうやら彼女がわたしに会ったのは、その場
にわたしと同席した法律家の説得にしぶしぶ従ってのことでしかなかったようだ。彼女は以下のような話をし
たが、それはのちに言及するようなある問題をわたしに考えさせることになった。話をしているときの彼女の
そぶりや感情表現は、見知らぬ聞き手の前での態度として似つかわしい羞恥に満ちた困惑ぶりを些かも示さな
かった。彼女はみずからの経験から生じた心配事に心を奪われていた。
  彼女は何年にもわたってある大きな施設に動め、そこで責任ある地位についていた。彼女はその地位に満
足し、上司の信頼も得ていた。彼女は男性たちとのあいだに恋愛関係を求めることもなく、高齢の母親ととも
に静かに暮らしていた。母親にとって彼女は唯一の支えだった。彼女には兄弟姉妹がなく、父親は何年もまえ
に亡くなっていた。最近、同じ職場に動める一人の男性職員が彼女に接近してきた。彼は教養があって魅力的
な男性で、彼女のほうも彼に好意を抱かずにはいられなかった。二人が結婚することは外的な事情が許さなか
った。けれどもこの男性は結婚が不可能だという理由で交際を断念することを決して受け入れようとはしなか
った。彼は彼女に強く主張した。社会的因習のために自分たち二人がともに望んでいることをすべて諦めると
いうのは、何と馬鹿げたことだろう。自分たちには明らかにその権利があるし、しかもそれは他の何にもまし
て自分たちの生を高めることに寄与することではないか、と。彼女に危険を冒させるようなことは決してしな
いと彼が約束したので、彼女はとうとう彼
の独身者用アパートを昼間に訪れることを承諾した。そこで彼らは接吻し、抱き合い、並んで横たわった。彼
は服

を半ば脱いだ彼女の美しさを称えた。この逢瀬の最中に彼女はある物音に驚かされた。それは、ドアをノック
するような、あるいはスイッチをカチッと押すような音で、ただ一度だけ聞こえた。それは書き物机のほうか
ら聞こえた。机は窓の前に斜めに置かれ、机と窓の間の空間の一部は重いカーテンで占められていた。彼女の
話によれば、すぐさま何の音かと尋ねたところ、たぶん机の上の小さな置時計の音ではないかと彼は答えたと
いう。ただし彼女の報告のこの部分については、後であえて立ち入った所見を述べたい。
  男性のアパートを去るとき、彼女は階段で二人の男性と出合った。彼らは彼女を見てなにか囁きあった。
この見知らぬ男性たちの一人は、覆いの掛かった小箱らしきものを持っていた。この遭遇は彼女の念頭を離れ
なくなった。まだ帰宅の途次にあるうちに、彼女は次のような連想を形成した。すなわち、明らかにこの小箱
は写真機でありうる。そしてそれを持っていた男がカメラマンだということもありうる。彼は彼女が部屋にい
たときカーテンの背後に隠れていたのかもしれない。彼女が聞いた物音はカメラのシャッターを切る音で、と
りわけ際どい場面の映像を撮ってやろうと狙っていた男が、首尾よくそれを見定めて撮影したときの音だった、
ということも考えられる、というのがそれである。そのとき以来、彼女はその恋人に対する疑念を払拭するこ
とができなくなった。彼女は口頭でも文書でも彼をうるさく追及し、疑いを晴らして自分に安心を与えるよう
要求し、非難をあびせた。彼はこの要求に応じることを確約し、それというのも彼女に対する自分の気持は真
剣であって、彼女の疑いには根拠がないからだと主張したが、彼女は彼が与える確約にどうしても納得するこ
とができなかった。彼女は最終的に弁護士に頼り、自分の経験したことを話し、この間に彼女が相手から受け
取った手紙を手渡した。後にわたしは何通かの手紙に目を通す機会を得たが、それらはこの上なく好ましい印
象をわたしに与えた。それらの手紙の主な内容は、かく

も美しく、情愛のこもった交際がこのような「不幸な病的な思いつき」によって破壊されたことへの嘆きだっ
た。
  この非難されている男性の判断にわたしは同意するが、そのことについて釈明する必要はないだろう。だ
が、この症例は単なる診断上の関心を超えた別のある関心をわたしに抱かせた。精神分析の文献によれば、パ
ラノイア患者はナルシス型対象選択から生じるみずからの同性愛的傾向の強化に抗って闘っているのだと主張
されてきた。さらに、患者が迫害者とみなす人物は結局のところ、患者が愛している人物か、かつて愛してい
た人物かであるという解釈も提供されている。これら二つの命題を組み合わせると、迫害者は必然的に被迫害
者と同性であらねばならないという要請が出てくる。なるほどわたしたちはパラノイアが同性愛によって条件
付けられているとする命題を普遍的に例外なく妥当するものとして立てているわけではない。けれどもそれは
ただ、わたしたちの観察例が十分な数に達していないからにすぎない。つまるところ、いくつかの相関関係か
ら言って、この命題は普遍性を要求することができるかぎりでしか十分な意義をもたない命題の一つである。
精神医学の文献のなかには確かに患者が異なる性に属する人物から迫害を蒙っていると信じている例がないわ
けではない。けれどもそれらの症例を読んで受ける印象は、そのような患者の一人を実際に目の当たりにした
ときに受ける印象とは異なっている。わたしやわたしの友人たちが観察し、分析することができた症例では、
これまでのところ難なくパラノイアが同性愛と関係することが確認されている。ここに提示された症例は決定
的な仕方でそれに反することを語っている。くだんの女性は、愛する相手を直接的に迫害者へと変換すること
によって男性への愛情をせき止めているように見える。女性からの影響も同性愛的な拘束への反抗もまったく
見られない。
  こうした事態への最も簡明な対処法はおそらく、〔一度は獲得した見解を再び手放すこと、すなわち、〕
迫害妄想には

普遍妥当的に同性愛への依存が存するという見解、およびそれに付随するすべての見解に与することを諦める
ことだろう。ここでは法律家の立場に身を置き移して、法律家がするような仕方で、パラノイア的な連想的推
理を退けて、正しく解釈された体験を承認することが求められるのだが、今回のような予想の狂いが生じると、
人はそうした判断が何一つ下せない状態に置かれる。そういうときにはやはり、それまでの見解を放棄して認
識を改めるとしたものだろう。けれどもわたしには別の打開策がひとつ目に入っていたので、ひとまずその決
定を延期した。医者が精神病の患者たちと十分に踏み込んで関りあうことをせず、彼らについてあまりにもわ
ずかな経験しか持たなかったために、間違った診断を下す羽目になった、ということがどれほど頻繁にあった
かをわたしは思い出した。そこでわたしは、本日のところは判断を表明するのは不可能であると宣し、もっと
細部にわたって、そして、今回はおそらく見落とされただろうすべての副次的な事情を併せた話を聞きたいの
で、もう一度私に会いに来てほしいと彼女に要請した。法律家の取りなしのおかげで、わたしは渋る患者から
なんとか約束をとりつけた。彼はまた、次の面接には自分が同席する必要はないだろうと言って、わたしを助
けてくれもした。
  患者の二度目の話は、最初の話を帳消しにするものではなかったが、すべての疑念と困難とを解消するよ
うな補足的内容を追加するものだった。何よりもまず、彼女が若い男性の部屋を訪れたのは、一度ではなく、
二度だった。彼女が恋人に疑いを抱くきっかけとなった物音によって邪魔されたのは、二度目の逢瀬のときだ
った。一度目の訪問のことを彼女は最初の話では伏せて、触れなかったが、それは彼女にはもはやそのことが
重要だとは思われなかったからだ。一度目の訪問のときには注目に値することは何も起こらなかった。ただし、
その翌日にそれは起こっていた。彼女が動めていた大企業の部局は、ある年配の女性の統率の下にあった。そ
の女性上司を彼女は「わたし

の母のように白い髪をしている」という言葉を用いて描写した。その年配の上司は非常に情愛のこもった態度
で彼女に接し、ときに彼女をからかうようなこともあった。彼女は自分がその上司の特別のお気に入りだと思
っていた。彼女が若い男性職員の部屋を初めて訪れた翌日、彼はこの年配の上司に事務的な用事を伝えるため
に彼女が働いている部局に現れた。彼が上司に小声で話をしているとき、彼女の内に突然次のような確信が生
まれた。すなわち、彼は前日の自分たちの秘め事についてこの上司に報告している、のみならず、彼女自身は
そのときまで何も気づかなかったけれども、ずっと以前から彼はこの上司と愛情関係にある、という確信がそ
れである。母親のような白い髮をした年配の女性はいまやすべてを知っている〔、と彼女は思った〕。その日
のその後の経過のなかで、その年配の女性の態度や発言のうちに彼女は自分の疑いを裏付けるものを見出した。
彼女は次に恋人に会った機会を捉えて、この裏切りの釈明をするよう迫った。当然、彼は、馬鹿げた要求と彼
が呼ぶところのものに全力で逆らい、実際、そのときは彼女をその妄想から引き離すことに成功した。その結
果、しばらくしてから――数週間後だとわたしは思う――彼女はすっかり安心して、ふたたび彼のアパートを
訪れたのだった。その後のことは、患者の最初の話を通してわたしたちが知っているとおりである。
  わたしたちが新たに知りえたことのおかげで、まず、患者の抱いている疑いが病的な性質のものかどうか
という問題が解決される。私たちは苦もなく次のことを認識する。すなわち白髪の上司は母親の代替物であり、
恋人の男性はその若さにもかかわらず父親の位置へと移動させられている。そして、その思いつきの突飛さを
ものともせずにこの不釣合いなカップルのあいだの恋愛関係を信じることを患者に強いているのは母親コンプ
レクスの力である、と。この認識によって同時にまた、迫害妄想の発展の前提条件として極めて強力な同性愛
的な拘束が明るみに出て

くるだろう、という精神分析の学説によって育まれた予想との、見かけの上での矛盾も雲散霧消する。本来の
迫害者は、すなわち患者がその影響から逃れようと欲している審級は、この場合も男性ではなく女性である。
上司はこの娘の恋愛関係のいくつかを知り、それらを好ましくないと思い、いわくありげな仄めかしを通して
自分が非難しているということを彼女に知らせている〔、と彼女は思った〕。異なる性のメンバーを愛情対象
として得ようとする努力に、同性への拘束が対立している。正常な性的満足へと赴く道という、新たな、多く
の点から見て危険な道への最初の一歩を踏み出そうとしている娘の前に、彼女の「良心のやましさ」の役割を
演じることによって彼女を押しとどめようとする諸追求が立ちはだかり、母親への愛情はそうした追求のすべ
てにとっての代弁者となる。そして実際、この母親への愛情は、彼女の男性との関係を邪魔することに成功す
る。
  母親が娘の性的活動を制止したり、その進行を阻んだりするとき、母親は正常な機能を果たしている。こ
の機能は幼児期の諸関係によって下絵を描かれている。それは幼児期に与えられた強い無意識的な動機づけを
持ち、幼児期に社会的制裁に出合った経験をもつ。この母親の機能の影響からみずからを解放し、より広範な
理性的動機づけに基づいて、どのような性的享楽をみずからに許すか、あるいは拒むか、という基準を定める
ことは、娘にとっての課題である。もしこの解放の試みの途中で彼女が神経症的疾患に陥ったなら、そこには
極めて強力で抑制されていないのが通例であるような母親コンプレクスが存在する。この母親コンプレクスと
新たなリピートの流れとの葛藤は、利用できる素因に応じて何らかの神経症の形をとって処理される。いずれ
の症例にあっても神経症的な反応の現れ方は、現実の母親との現在の関係によってではなく、太古的な母親像
との幼児期の関係によって規定されている。

  わたしたちの患者が父親なしに長い年月を過ごしてきたことをわたしたちは知っている。また、もし母親
への強い感情的拘束が彼女に支えを与えていなかったならば、彼女が三十歳になるまで男性との関係を持たな
いままでいることもなかっただろうと想定することができる。この支えは、男性の熱心な求愛に応えて彼女の
リビードが男性のほうに向かいはじめると、彼女にとって煩わしい枷となる。彼女はこの枷を外して、同性愛
的な拘束からみずからを解放しようとする。彼女の素因――それについてここで語る必要はないが――は、パ
ラノイア的な妄想形成の形をとって葛藤が進展することを許す。それゆえ母親は敵意と悪意に満ちた監視者、
迫害者になる。もし母親コンプレクスが彼女を男性から隔離し続けるという意向を押し通すに足る力を保持し
ていなかったならば、彼女はそのような監視者、迫害者としての母親を打ち負かすことができたかもしれない。
だから葛藤のこの第一段階の終わりの頃には彼女は母親に対してよそよそしくなり、そして、男性を繋ぎとめ
ようともしなかった。母と男性とは共謀してわたしを陥れようとしているのだ〔、と彼女は思った〕。ところ
が今、男性の精力的な努力が、決定的な仕方で彼女を彼のほうに引きつけることに成功する。彼女は母親の異
議を克服し、あらためて恋人と会ってもよいという気になる。それに引き続く出来事のうちに母親はもう姿を
現さない。それでもやはりわたしたちは次のように解釈することができる。すなわち、恋人の男性はこの段階
で直接的に迫害者となったのではなく、最初の妄想形成において主役を割り当てられていた母親を経由して、
その母親との関連に基づいてそうなったのだ、と。
  だから通常はここで、抵抗は最終的に克服され、今まで母親に拘束されていた娘はついに男性を愛するこ
とができるようになったと考えるべきところだろう。ところが二度目の逢瀬のあと新たな妄想形成が生じ、こ
の妄想形成はいくつかの偶然の出来事を巧みに利用することによってこの恋愛を破滅に至らせ、まんまと母親
コンプレクスの

もくろみを長らえさせることに成功したのだ。しかしこのように考えてもなお、この女性がなぜパラノイア的
妄想の助けをかりて男性への愛情から身を守らねばならないのかということは不審に思われる。だが、その事
情をさらに詳しく検討するまえに、もっぱら男性に対して向けられている第二の妄想形成の支えとなっている
偶然の出来事を一瞥してみたい。
  長椅子の上で半裸になって恋人の傍らに横たわっているときに、彼女はスイッチを押すカチッという音、
あるいは戸囗をノックするトン、ないしコンという音に似た一つの物音を聞く。彼女はその原因を知らない。
しかしのちになってから、その家の階段で二人の男性に出会ったあとで、彼女は思いを廻らす。そして次のよ
うな確信を得る。男性たちの一人は覆い隠された小箱のようなものを持っていた。自分は恋人の指図によって
睦みあいの最中に盗み聞きされ、写真を撮られたのだ、と。もちろんわたしたちは、もしこの忌まわしい物音
がしなかったならば妄想形成も生じなかった、などとはさらさら思わない。わたしたちはむしろ、この偶然の
出来事の背後には必然的な何かがあると洞察する。その必然的な何かは、恋人の男性と母親の代替物として選
ばれた年配の上司との恋愛関係に関する仮説と同じように、強迫的な仕方で彼女の心を占めたにちがいない。
両親の愛情交渉の観察が無意識的な空想の宝物庫の内に見つからないことはめったにない。わたしたちは分析
を通してすべての神経症者のもとにそれを見出すし、おそらくすべての人類のもとに見出すこともできるだろ
う。両親の性的交渉の観察に関する空想、誘惑に関する空想、去勢に関する空想、およびその他の、いくつか
の空想形成を、わたしは原空想と呼ぶ。それらの起源について、および個々人の生活経験との関連について、
わたしはいずれ他のところで詳細に検討したい。それゆえ偶然の物音は両親コンプレクスに含まれる典型的な
盗み聞きの空想を現勢化するための誘発の役割を演じ

ているにすぎない。だから、この物音を「偶然の」と呼ぶべきかどうかは疑わしい。オットー・ランクがわた
しに指摘したとおり、この物音はむしろ盗み聞き空想の必然的な小道具であり、両親の性交がそれによって露
見する物音か、それとも盗み聞きしている子供がそれによって気づかれるのを恐れる物音か、それらのどちら
かを反復しているのだ。さて、いまやわたしたちはどのような領野に自分がいるのか、一挙に目の当たりにす
ることになる。恋人が依然として父親であり続けているところへ、彼女自身は母親の位置をとったのだ。だか
ら盗み聞きは他の人格に割り当てられねばならない。どのような仕方で彼女が母親への同性愛的依存関係から
自分を解放したのかは明白だ。ちょっとした退行によってである。すなわち母親を愛情の対象とする代わりに、
彼女は母親に同一化し、彼女自身が母親になったのだ。このような退行が可能であるということは、彼女の同
性愛的対象選択のナルシス的源泉を指し示すとともに、彼女がパラノイアの罹病へと向かう素因を備えている
ということも指し示している。この同一化と同じ結果へと導く思考過程を一つ、ここに描いてみることもでき
るだろう。すなわち、母がそれをするのならばわたしにもそれは許される、わたしは母と同じ権利を持ってい
るのだから、というのがそれである。
  わたしたちはもう一歩、議論を進めて、偶然性の問題に決着をつけることができるが、わたしと歩みをと
もにするよう読者を強いはしない。というのも、わたしたちのこの症例の場合、より深い分析的探究を行うこ
とができないので、それがある程度の蓋然性をもつということ以上のことは言えないからだ。最初のわたしと
の会見のなかで患者は次のように述べた。すなわち、彼女はただちに物音の原因は何かと尋ね、おそらく事務
机の上の小さな置時計がカチッと音を立てたのだろうという回答を得た、と。わたしは彼女のこの報告を想起
錯誤として処理したい。彼女は当初、この物音に対する一切の反応を差し控えていた。階段での二人の男性と
の遭遇のあと、はじめてそれ

は意味ありげに思われたのだ。わたしにはこちらのほうがはるかに真実らしく思われる。時計の立てた音かも
しれないという説明は、男性が、彼自身はおそらく何ひとつ物音を聞かなかったけれども、娘の疑いに悩まさ
れて、あとになってから敢えて試みたものだろう。「きみが何を聞いたのかぼくにはわからないけれども、お
そらく置時計がカチッという音を立てたのだろう。あの時計はよくそういう音を立てるから」と。諸印象を利
用するこのような事後性、および想起のこのような遷移は、まさにパラノイアにおいて頻繁に見られ、パラノ
イアを特徴づけるものである。けれどもわたしはその男性と話をすることもなかったし、その娘の分析を続け
ることもできなかったので、わたしの仮説は証明不可能なままにとどまる。
  思い切ってさらにもう一歩、議論を進め、彼女の申し立てによれば現実に起こったとされる「偶然性」を
解体することもできるだろう。わたしはそもそも置時計が音を立てたとか物音が聞こえたとかいうことを信じ
ていない。彼女の置かれた状況は、それがクリトリスを軽くたたかれたときの感覚だという解釈の正当性を理
由づける。この感覚を、事後的に、彼女は外的対象の知覚として投射したのだ。全く同様のことが夢の中でも
起こりうる。わたしのヒステリー患者の一人がかつて次のような短い覚醒夢を見たと報告した。そこにはいか
なる観念も素材として入り込もうとはしていない。それは次のような夢だった。すなわち、ノックする音がし
て彼女は目を覚ます。戸をたたく者は誰もいなかった。だがそれに先立つ幾夜か、彼女は身体が汚される不快
な感覚によって目覚めさせられていて、性器的興奮の最初の兆候が現れるやいなや目を覚ましたいという気持
ちを抱いていた。クリトリスがノックされたのだ。わたしたちのパラノイア患者の場合にも、同様の投射過程
を偶然の物音に替えて置いてみたい。もちろん、患者にとってわたしはつかのまの面識しかない相手であり、
状況は明らかに彼女にとってこの報告が不愉快

な強制であることを示していたのだから、二つの逢瀬に伴う諸経過について彼女がわたしに率直に報告したか
どうかは保証の限りでない。けれども散発的なクリトりスの収縮は、逢瀬のさいに性器の結合は行われなかっ
たという彼女の主張と適合する。結果として生じた男性に対する拒絶には、たしかに「良心のやましさ」と並
んで不満足もまた関与しているにちがいない。
  今やわたしたちは、患者がパラノイア的妄想形成の助けを借りて男性への愛情から身を守っているという
奇妙な事実へと立ち戻ろう。この妄想の発展の成り行きが理解への手がかりを与えてくれる。この妄想は、初
めはわたしたちが正しく予想したとおり女性に向けられていた。しかしここに、パラノイアを基盤として対象
を女性から男性に変えるという前進がなされた。このような前進はパラノイアの場合、普通は見られない。わ
たしたちの所見でも通例、被迫害者は同一の人物に、したがってまたパラノイア的病変に先立って愛情選択が
向けられていたのと同一の性に、固着されたままである。けれども、神経症的疾患によってであれぱ、そうし
た前進は不可能ではない。〔仮にそれが神経症の症例であったとすれば、〕わたしたちのこの観察例は他の多
くの症例にとって範例となると言ってもよいくらいだ。パラノイア以外のところには、多くの類似した経過が
存する。それらは今までこの観点からまとめられたことがないけれども、その中には非常に広く知られたもの
もある。その一例を挙げるならば、いわゆる神経衰弱者は、近親姦的な愛情対象への無意識的な拘束によって、
他人である女性を対象とすることを押しとどめられ、その性的活動を空想に制限されている。だが空想を基盤
とするならば、彼は、自分には拒まれていた前進を成し遂げ、他人である諸対象を母親や姉妹の代替物にする
ことができる。これらの対象については検閲の異議が消失するので、空想の中では代替人格の選択が彼に意識
されるのだ。

  前進の試みという現象は、新たな、たいていは退行的に獲得された基盤から出発して、以下のような、多
くの神経症者のもとで企てられている努力に加担する。その努力とは、かつて所有していたけれども失われた
リビードの態勢を再び獲得することを目指す努力である。これら二つの系列をなす現象は、概念としては、ほ
とんど互いから引き離すことができない。わたしたちはともすれば神経症の根底に存する葛藤は症状形成によ
って結末をつけられるという考え方に傾きがちだ。しかし実際には、闘争はさまざまな仕方で症状形成ののち
にも続く。両方の側から新たな欲動部分が姿を現し、闘争を継続するのだ。症状それ自体がこの闘争の対象に
なる。すなわち症状を守り通そうとする追求が、症状を廃棄して以前の状態を修復しようと骨折る別の追求と
張り合う。症状を無価値なものにする方途はしばしば、失われたものであり、症状によって拒まれているもの
でもあるところのものを、別の通路を経て獲得しようと努める、という仕方で探し求められる。これらの事情
はC・G・ユングの次のような学説に、そ
れを明暸化するような光を投げかける。すなわち彼によれば、変化や前進に抵抗する特異的な心的惰性が神経
症の根本的制約をなしているといわれる。この惰性は事実、非常に特異的である。言い換えれば、それは何ら
普遍的ではなく、最高度に特殊化されている。そしてこの惰性はみずからの領域にあっても専制支配者ではな
く、神経症の症状形成のあとも鎖まらない前進しようとする動向と原状回復を目指す動向とを相手にして闘っ
ている。この特殊な惰性の出発点を追求すると、それが非常に早い幼児期に起こった、非常に解きがたい結び
つきの表出であることが明らかになる。そこで結びついているのは、諸欲動と、諸印象ないしは諸印象の中に
存する諸対象とであって、そのような結びつきのせいで、これらの欲動部分のその後の発展が停止させられた
のだ。あるいは、別の言い方をすれば、この特殊な「心的惰性」とは、わたしたちが精神分析の中で固着と呼
び習わしているものの、もう一つの、

それほど出来のよくない表現にすぎないのだ。(伊藤正博訳)

転移神経症展望
Ubersicht der Ubertragungsneurosen

  予備的考察
  詳細な探究に続いて、〔転移神経症の〕諸性格をまとめあげ、一個の契機をそれぞれ他のものから際立た
せ、比較を行う。諸契機とは、抑圧、対抗備給、代替・象徴形成、性機能との関係、退行、素因である。〔こ
こでは〕不安ヒ
ステリー、転換ヒステリー、強迫神経症の三つのタイプに限定する。
  a 抑圧は、三つのタイプのすべてに見られ、ubw〔無意識〕と vbw〔前意識〕の系の境界上に生じ、vbw
への備給【の】撤退か拒絶によって成立し、対抗備給という様式を通して確かなものとなる。強迫神経症の後
期段階になると抑圧は vbw と Bw〔意識〕の境界上に遷移する。
  次のグループのなかで、抑圧は別の局所論を有しており、したがって分裂の概念へと拡張される、という
ことが知られるだろう。
  局所論の観点を過大に評価し、例えば、両方の系のあいだでなされる交流はいずれも抑圧によってほとん
ど遮断されてしまうと考えてはならない。より本質的なのはしたがって、どの要素にこの遮断機が導入される
かである。
  〔抑圧の〕成功と終結は関連しあっており、不成功の場合にはさらなる努力が求められる。成功〔の具
合〕は三つの

神経症に応じて異なり、また神経症それぞれの個々の段階によっても異なる。
  不安ヒステリーにおいては、成功は最低眼度であり、vbw(そして bw も)の代理表現も成立せず、後にな
って、感情を害する〔表象〕の代わりにある代替【表象】が心ないし bw に上るという結果にとどまる。最終的
に恐怖症が形成される場合には、〔抑圧の〕成功は、大幅な断念によって不快情動を制止するか、ありとあら
ゆる逃避を試みることで目的を達成する。抑圧の目的は、常に不快の回避である。代理表現の辿る運命はこの
過程の一つの徴にすぎない。防衛すべき出来事が表象と情動(代理表現と量的要因)へと見かけ上解体される
のは、まさしく、抑圧が語表象の拒否からなること、したがって抑圧の局所論的性格に由来する。
  強迫神経症においては、〔抑圧は〕当初全面的な成功を収めるものの、持続しない。過程も同様に終結し
ない。成功を収めた第一の局面の後にさらに二つの局面が続くが、そのうち第一の局面(第二次抑圧(つまり、
一強迫表象の形成、強迫表象に対する闘い)は、不安神経症と同様に代理表現による代替で満足し、第二【の
局面】(第三次【抑圧】)は恐怖症に対応する断念と制限を生み出す。ただし、〔第一の局面と〕異なって論
理的手段によって作業がなされる。
  これと正反対に、転換ヒステり1の成功は最初から全面的なものだが、強度の代替形成という犠牲を払っ
て獲得されたものである。個々の抑圧過程のプロセスは完結している。

  b 対抗備給
  不安ヒステリーの場合、それ〔対抗備給〕は最初生じることなく、純粋な逃避の試みだけ〔が見られる〕
が、次にそれは代替表象に投ぜられ、とくに第三の局面では、そこから不快迸出を確実に抑制するために、油
断なく、注意深く

その表象の周囲に向けられる。〔それは〕vbw の【備給】の割り当てを、つまり神経症によってなされる消費
分を代理表現する。
  強迫神経症においては、最初から両価的な欲動に対する防衛が問題となっており、対抗備給はまず抑圧を
首尾よく済ませ、次に両価性の力を借りて反動形成を行い、そして第三の局面で、強迫表象において際立って
現れる注意深さを生じさせ、論理作業に従事する。したがって第二と第三の局面は不安ヒステリーとまったく
同様〔である〕。第一の局面での違いは【対抗備給が】不安ヒステリーではまったくなされないのに、強迫神
経症では全面的になされている。
 それ〔対抗備給〕は常に抑圧【に】vbw の割り当て分【を】確保している。【転換】ヒステリーにおいては、
対抗備給が最初から欲動備給との合致を求めており、妥協してそれと一つになり、代理表現の選択を決定する
に至る、という点からうまくいく性格〔が〕約束されて〔いる〕。

  c 代替形成と症状形成          抑圧されたもの【の】回帰に対応するのは、抑圧の失敗で
ある。しばらく【両者を】分けておき、後になって【代替形成を】それ【症状形成】に合流させる。
  転換ヒステリーにおいて〔両者の合流は〕最も完全なものとなる。すなわち、代替=症状。これ以上分離
することはできない。
  同様に不安ヒステリーにおいても、代替形成によって抑圧されたものが最初の回帰を果たすことができる。

  強迫神経症においては、【代替形成と症状形成は】はっきりと分けられる。最初の代替形成は、抑圧する
ものによって対抗備給を経てなされるが、それは症状のうちに数え入れられない。それに対し、後に生ずる強
迫神経症の症状は、主として抑圧されたものの回帰であることが多く、症状における抑圧するものの割り当て
分はより少ない。
  症状形成は私たちが考察の起点とするものだが、抑圧されたものの回帰と一体となっているのが常であり、
退行と素因となっている固着の助けによって生じている。一つの一般法則はこうである。退行は固着まで遡行
し、それをもとに抑圧されたものの回帰が果たされる。

  d 性愛機能との関係
  これに関しては、次のことが変わることなく成立している。つまり、抑圧された欲動の蠢きは常にリビー
ド的なものであり、性愛生活に属しているが、それに対し、抑圧は(過剰な強度のため)できない、あるいは、
欲しない、ということに統合される様々な動機によって自我から発せられる。後者は自我理想との協調不可能
性、あるいは、別の仕方で懸念される自我の損害に由来する。できない、ということは損害にも対応している。
この基礎的な事実は二つの契機によって隠される。つまり、第一に、あたかも、リビード的なものである二つ
の蠢きのあいだの葛藤によって抑圧が引き起こされるかのように見えることが多い。このことは、〔蠢きの〕
一つは自我に適合したものであり、葛藤のなかで、自我から発した抑圧に助けを求めることができる、という
点を考慮すれば解消される。第二に、抑圧された追求のなかには、リビード的追求だけではなく、自我の追求
もまた見いだされる。とくに、神経症が長く続き、先まで進行している場合にはそのことが頻繁にかつ明暸に
見いだされる。後者は

次のように生じる。すなわち、抑圧されたリビード的蠢きが、〔欲動〕成分の一部を自我の追求に貸し与え、
そこを迂回することによって自らを貫き通し、自我の追求にエネルギーを転移させ、今度は、この【自我の追
求】を抑圧のもとへ無理矢理引きずり込む。このことは大きな範囲で生じうることである。それによって、上
記の命題の一般的な妥当性が変わることはない。神経症の初期段階から洞察を汲み出そうとするのは、もっと
もな要求〔である〕。
  ヒステリーと強迫神経症の場合は、抑圧が性愛機能に、しかも、それが生殖の要求を代理表現する最終的
な形態をとるときに向けられていることは明白〔である〕。最も顕著に現れるのが、やはり複雑化が生じない
転換ヒステリーにおいてであり、強迫神経症で〔顕著なの〕は、まず退行である。しかし、この関係を誇張し
てはならない。例えば、抑圧はリビードのこの段階でしか効果を発揮しない、と想定してはならない。逆に、
まさしく強迫神経症が示しているのは、抑圧は、ここでは前段階に向けられているので、一般的な過程で〔あ
り〕、リビードに依存するのではない、ということである。同様に、発展〔段階〕においても、倒錯的な蠢き
に対して抑圧が要請されている〔ことを強迫神経症は示している〕。問題〔は〕、どうして抑圧はここで成功
し、ほかではしないのか〔という点にある〕。〔その〕性状からして、リビードの追求〔は〕代理される可能
性が非常に高いので、通常の追求が抑圧されるさいに、倒錯した追求が強化されており、その逆もある。退行
やその他の欲動運命と同様に、抑圧は、性愛機能の防衛に努めるということ以外に、性愛機能と関係【をもつ
ことは】ない。
  不安ヒステリーの場合は、性愛機能との関係はより不明暸であり、その理由は不安〔ヒステリ土の治療の
さいに明確となった。不安ヒステリーには、性愛欲動の要求があまりに大きく、危険とみなされて、防衛の対
象【になる】
例が含まれるように思われる。リビード編成に由来する特別な条件は何もない。

  e 退行
  最も興味深い契機、欲動運命〔である〕。不安ヒステリーには、この契機を推察するいかなるきっかけも
〔見られない〕。【この契機は】不安ヒステリーでは、考察されないと言えるだろう。なぜなら、おそらくは、
成長後の不安ヒステリーがどれも幼児期の不安ヒステリー(神経症になる模範的な素因)に退行しているのは
あまりに明白であろうし、また、幼児期の不安ヒステリーは人生のとても早い時期に出現してしまっているか
らであろう。それに対し、他の二つ【の転移神経症】はどちらも退行の見事な例であるが、退行はそれぞれに
おいて神経症の構造の点で異なる役割を果たしている。転換ヒステリーにおいては、強力な自我の退行、つま
り、Vbw と Ubw の分離しない時期、したがって言語と検閲のない時期への退行である。しかし、退行は症状形
成と抑圧されたものの回帰に奉仕している。現在の自我に受け入れられない欲動の蠢きは、以前の自我に遡行
し、そこから、もちろんやり方は異なるが、捌け囗を見いだす。そのさい、一種のリビード退行が潜在的に生
じていることはすでに述べた。強迫神経症では事情は異なる。退行はリビードの退行であるが、それは【抑圧
されたものの】回帰ではなく、抑圧に奉仕しており、強度の体質的な固着かあるいは不完全な形成によって退
行が可能になっている。実際、発達の制止よりも、退行の方が問題となるときには、防衛の第一歩は期せずし
て退行となり、退行のリビード編成はそのときはじめて典型的な抑圧を被るが、抑圧は功を奏せぬままにとど
まる。自我退行の一部は、リビードから自我に押し付けられるか、あるいはリビード段階と関連する自我の不
完全な発達において与えられる(両価性の分離)。

  f 「素因」
  退行の背後には、固着と素因の問題が隠れている。一般的に言って退行は、自我発達あるいはリビード発
達のいずれかのある固着点にまで遡り、この固着点が素因を表現している。これは、神経症の選択に関して決
定がなされるにあたって最も基準となる契機である。したがってこの契機についてはじっくり取り組むに価す
るだろう。固着が生じるのは、ある発達段階があまりにも強く鋳造されたか、あるいは、ことによるとそれが
あまりにも長く続いたために、次の段階に余すところなく移行することができなかったことによってである。
固着が何によって、どんな変化から生じているのかについて、よりはっきりした考えを求めないのが最もよい
だろう。だがその由来については少々ふれてみよう。そのような固着がまったく生来のものであることも、初
期のころの印象によってもたらされることも、その両方の要因が重なっていることも、可能性としてはいずれ
もある。両種の契機はもともと誰にとってもあると言ってもよく、【つまり、一方で】子どもにはあらゆる素
因が生来の体質として備わっているし、他方で効力を有する印象がきわめて多くの子どもにも同じように与え
られるのだから、なおさらそうである。したがって重要なのは、多少の程度と効果とどれだけ効果的に重なり
合っているかである。生来の体質的契機については何人も異論がないのだから、ΨA〔精神分析〕が、幼児初期
に獲得されたものを求める権利を声高に主張することもまた、もっともなことなのである。ところで強迫神経
症における体質的契機は、転換ヒステリーにおける偶発的契機よりもずっと明暸に認められ、〔両契機の〕配
分の詳細はいまだもって不確かである。
  固着の体質的契機が考察されるとしても、それによって獲得という問題が除外されるのではない。ただ、
遺伝的に受け継がれた素因は祖先の獲得したものの遺物であることが正当に主張されうるのだから、獲得はず
っと昔の先

史時代にまで遡るだけである。したがって私たちは、個人的あるいは個体発生的な素因の背景を探って行くと、
系統発生的な素因の問題に突き当たる。そして、個人が、より昔の体験を基にして自分に受け継がれた素因に、
自分自身の体験に由来する素因を新たに付け加えるとしても、いかなる矛盾も見いだされることはない。体験
が基となって素因を生み出す過程が、私たちの考察する神経症を発症する個人のもとからまさしく消え去って
いるということがどうしてあるだろうか。それとも、この【個人】は子孫のために素因を生み出すのであって、
その者自身では受けとることができないのだろうか。むしろそれは必然的な補完に思われる。
  系統発生的な素因が神経症の理解にどの程度まで貢献するのか、いまだ全貌は明らかではない。また、
〔私たちのこうした〕考察は転移神経症という狭い範囲を超え出てしまうことになるだろう。転移神経症を際
立たせる最も重要な性格は、これまでの概観のなかではどのみち正当に評価されなかった。というのも、確か
にこの性格は転移神経症に共通するものとして目立たないままであり、ナルシス的神経症を引き合いに出して
はじめて対照的なものとして浮かび上がって来るからである。このように視野を広げると、自我と対象の関係
が前景【に】移動し、対象への固執が〔転移神経症を〕共通して区別するものであることが分かる。ここで
〔そのための〕準備をお許し願いたい。
  ふだん退屈な〔私の〕文章をいくつもお目通しいただいている読者ならば、すべてのことがどれだけ骨の
折れる綿密な観察に基づいてなされているか気づかれただろうし、いったん空想に対する批判が引っ込められ、
不確かな事柄について申し述べられようとも、ただそれが刺激的で視野を遠くまで開いてくれるという点だけ
から、大目に見ていただけるだろう。
  神経症もまた、人間の心の発達史に関する証言を行っていると想定することは、いまだ正当なことである。
私は

(二原理に関する)論文において、人間の性愛への追求は自我の追求とは異なった発達を辿ると見なされうる
ことを示したと思う。その根拠〔は〕基本的に〔こうである。つまり、〕前者が長い間自体性愛的に満足を得
るのに対し、自我の追求は初めから対象に、したがって現実に向けられている〔、ということである〕。人間
の性愛生活の発達がどのようなものかについては、大筋は学んできたと思う(『性理論のための三篇』〔本全
集第六巻〕)。人間の自我、すなわち自己保存機能の発達とそこから派生した形成物の発達をすっかり見通す
ことは難しい。Ψα〔精神分析〕の経験をこの目的のために応用した試みについて、私が知るのはただ一つフェ
レンツィのもののみである。もし私たちに自我の発達史がどこかほかのところから与えられていたならば、神
経症を理解するという私たちの課題は当然もっと容易なものとなっただろうが、私たちは今逆に〔神経症から
自我の発達史を究明するという〕手順を踏まねばならない。私たちのもつ印象は以下の通りである。リビート
の発達史は、自我のそれと比べて【系統発生的な】発達のより古い部分を反復している。つまり、もしかする
と前者は脊椎動物の状態を反復するのに対し、後者は人類の歴史にしたがっている。そうすると、広範にわた
るさまざまな考えを結び合せることのできる一つの系列が存在することになる。この系列は(転移神経症だけ
でなく)様々な Ψ〔精神〕神経症を、通常それらが個人の生活のどの時点で現れるかに従って順序づけることで
成立する。そうすると、不安ヒステリーはほとんど前提のない、最も初期の【神経症】であり、それに次いで
(一歳頃から)転換ヒステリーが続き、少し後の思春期前(九-十歳)の子どもには強迫神経症が現れる。ナ
ルシス的神経症は子どもには生じない。これらのなかで、典型的な早発性痴呆は思春期の疾患であり、パラノ
イアは壮年期に発生し、メランコリーと躁病もまた同じ時期ではあるが、それ以外は時期が不定である。
  したがって、この系列は次のようになる。

  不安ヒステリー-転換ヒステリー-強迫神経症-早発性痴呆-パラノイアーメランコリーと躁病。
  これら疾患において固着となる素因からもまた一つの系列が形成されるが、しかしとくにリビードの素因
が考慮されるときには、逆行したものになるように思われる。したがって神経症が遅く現れれば、神経症はそ
れだけ一層より早期のリビード段階に退行することになろう。しかし、それは大枠にしか当てはまらない。転
換ヒステリーが性器優位〔の時期〕に向かい、強迫神経症がサディズム〔優位〕の前段階に、三つの転移神経
症はすべてリビード発達の完成期に向かうのは疑いない。ところが、ナルシス的神経症は対象発見に先行する
段階に遡り、早発性痴呆は自体性愛に、パラノイアはナルシス的な同性愛的対象選択に退行し、メランコリー
は対象へのナルシス的な同一化に基づいている。当てはまらないのは次の点である。〔早発性〕痴呆は疑いな
くパラノイアより早く現れるが、そのリビード的素因は〔パラノイアよりも〕さらに遡る。また、メランコリ
ーと躁病は時間的な系列のなかに確たる位置をもたない。したがって、Ψ〔精神〕神経症それぞれが確かに時間
系列をなすからといって、それがりビート発達だけによって規定されるとまでは確言できないのである。その
ことが成り立つ範囲内では、両者の逆対応を強調することができよう。年齢が進むにつれてヒステリーや強迫
神経症が〔早発性〕痴呆に変化し得ることも知られている〔が〕、その逆は生じない。
  また、もう一つ、神経症がなす時間系列と実際に並行する系統発生的な系列を構想することができる。た
だその場合、ずっと遡って考え、いくつもの仮説的な中間項を手に入れなければならない。
  ヴィッテルス博士によって初めて述べられた考えはこうである。つまり、原始人‐動物はあらゆる欲求を満
たしてくれる豊穣な環境のなかで生活していたのであり、われわれはその残響を原初の楽園神話のなかに保持
してきた。

そのとき、哺乳類には今もなおつきまとうリビードの周期性が克服された。さらに、フェレンツィが、先に触
れた着想に富む論考のなかで次のような考えを述べた。このような原始人のその後の発達は、地球の地質学的
な変転の影響を被り、とくに氷河期の困窮のおかげで原始人は文化発達に向けて動き出した、という。事実、
人類が氷河期にはすでに存在し、その影響を直に経験したということは、一般に認められている。
  フェレンツィの考えを採用するならば、不安ヒステリー、転換ヒステリー、強迫神経症のそれぞれに向か
う三つの素因のうちに、かつて人類全体が氷河期の始まりから終わりまでに耐え忍んだいくつかの段階への退
行を再認したいという誘惑にかられよう。そうなると、現在は一部の人だけがその遺伝的な素質と新たな獲得
によって置かれている状態に、その当時はすべての人があったことになる。もちろんこうした比喩は完全には
合致しない。というのも神経症には退行に伴う以上のものが含まれているからである。神経症はこうした退行
に対する反抗の表現でもあり、古い原始的なものと新しい文化的な要求のあいだの妥協の産物でもある。この
違いが最も強烈に刻印されているに違いないのは強迫神経症であり、この神経症は他のものとは異なり、内的
に対立する徴の下に置かれている。それでも、この内部矛盾において抑圧されたものが勝利をおさめている限
り、この神経症は太古の比喩を復活させているはずである。

  【一】 したがって、私たちが最初に立てる説を表明するとこうなる。つまり、人間は、突然襲いかかっ
た氷河期によって課された窮乏の影響のせいで、一般に不安がるようになった。それまでは概ね友好的で、ど
んな満足も叶えてくれた外界が、度重なって迫り来る危険に変貌した。新しく出会うものすべてに対して現実
不安をもつ理由は

すべて揃っていた。性愛リビードは、確かにその対象が人間であるので、まだ最初は対象を失うことはなかっ
たが、しかし、生存を脅かされて自我が対象備給をある程度放棄し、リビードを自我のなかに保持し、以前は
対象リビードであったものを現実不安に変えたと考えることができるだろう。なるほど、子どもの不安をよく
見れば、子どもは対象リビードが満たされないとなると、それを見慣れない人に対する現実不安に変え、他方
で、一般に新しいものは何でも不安がる傾向ももっている。現実不安と憧憬不安とのどちらがより根源的なの
か、〔つまり〕子どもがそのリビードを現実不安に変えるのは、子どもが【リビードを】あまりに大きくて危
険だとみなし、そこからおしなべて危険の観念をもつようになったためなのか、あるいはむしろ、子どもは一
般に不安気分に屈していて、リビードが充足されないことに対する恐怖もそこから学ぶのか、私たちは長い間
論争を続けて来た。私たちは、第一〔の説〕を採用し、憧憬不安を先に考えがちであったが、しかしそのよう
に考えるための特別な素因を手にしているわけではなかった。私たちはこれが子どもの一般的傾向なのだ、と
主張するほかなかったのである。そこで、系統発生に関する考察に仲裁を求めるならば、この論争は現実不安
が有利に思われ、子どもたちの一部は氷河期の始まり以来の不安気分を携えており、それに唆されて満たされ
ないリビードを外部の危険として扱うのだと想定することができる。しかし、この同じ体質からリビードの相
対的な過剰が発生して、素因となる不安気分を新しく獲得するのが可能になることもあるだろう。いずれにせ
よ、不安ヒステリーについての議論は、系統発生的な素因がそのほかのどの契機よりも優勢であることを支持
するだろう。
  二 この厳しい時期が進行するとともに、生存を脅かされた原始人たちに、典型的なヒステリーの症例に
たいてい出現するような、自己保存と生殖快との葛藤が生じたに違いない。群族を増やせるほど食料は十分で
なく、一人

一人の力ではそれほど多くの寄る辺ない者たちの生命を維持することができなかった。生まれてきた者を殺す
ことについては、とくにナルシス的な母親たちの愛情によって抵抗を受けたのは確かである。それにより生殖
の制限が社会的な義務になった。子どもを産むに至らない倒錯的な満足はこの禁止を免れ、それにより性器優
位以前のリビード段階へのある種の退行が促された。この制限は、性交渉の結果を気にかけない男性よりも、
女性にとってつらいことであったに違いない。全体としてこの状況に明らかに対応しているのは、転換ヒステ
リーが生じる条件である。転換ヒステリーの症状群から推察すると、人間が困窮を強いられて生殖の禁止を自
ら課したときには、人間はまだ言語を手にしていなかった、したがってまだ Vbw 系を Ubw の上部に構築してい
なかったと思われる。転換ヒステリーの素因を持つ者、とりわけ女性は、初期のころの印象が激しく興奮を引
き起こして性器活動へと衝迫しているのにもかかわらず、性器機能を停止しようとする禁止の影響の下で、転
換ヒステリーへと退行するのである。
  三 さらなる進展がどのようなものであったかを構想するのは難しくない。それに関わるのは主に男性で
ある。リビードを節約し、以前の段階への退行によって性活動を低く抑えることを男性が学んだ以降は、知性
による活動が男性のなかで主役を勝ち取った。男性は探究し、敵意に満ちた世界について多少なりとも理解し、
この世界に対する最初の支配を確立するすべを学んだ。彼はエネルギーの影響を受けて発達し、言葉の発端を
形成し、そして、この新しい獲得物に大きな意義を認めたに違いない。彼にとって言葉は魔法であり、自分の
思想が全能であるように思われ、彼は自身の自我に依拠して世界を理解した。これがアニミズム的世界観と呪
術的技術の時代である。彼は、多数の寄る辺ない者たちの生活を保証するために尽力した報いとして、僭越に
もこれらの者に対する支配を無制限に行い、彼自身は不可侵であること、彼が女性たちを思いのままにするこ
とに対して誰も異議を唱えてはなら

ないこと、この二つを最初の定めとしておのれの人格によって体現した。この時期の終わりになると人類は群
族に分かれ、それぞれが強く賢く冷酷な男性である父によって支配されることになった。私たちは民族心理学
の諸考察に従って、人間群族の原父は利己的で嫉妬深く冷酷な性質をもっていたと考えるが、その性質は最初
からあったのではなく、厳しい氷河期のあいだに困窮に適応した結果として形成された可能性がある。
  さて、この時期の人間がもつ諸性格を反復しているのが強迫神経症であるが、強迫神経症は、反動形成
【のかたちで】その回帰に対する反抗に対応しているために、これらの性格の一部は陰性〔の仕方で現れる〕。
思考を極度に重視し、強迫のうちに巨大なエネルギーを回帰させ、思想に全能を認め、破られることのない法
則に執着するなど、これらは変化しない特徴である。しかし愛情生活を代替しようと欲するこの冷酷な衝動に
対して、後の発達のなかで抵抗が示される。それによって、リビードの葛藤のために遂には個人の生命エネル
ギーが萎えてしまい、些細な問題に移された衝動だけが強迫症状として残され、存続する。このように、文化
の発展にとって最も価値のある人間的類型が、回帰するときには愛情生活からの要求にあって没落してしまう。
それはちょうど、原父という偉大な類型、それは後に神として回帰したのだが、それ自身が彼が自ら築いた親
族によって現実に没落してしまったのと同じである。
  四 フェレンツィによって予見されたプログラムの一つ、すなわち「神経症的な退行諸類型を、人類の系
統発生の諸段階と合致させること」を実行しながら、私たちはここまでやってきたことになるが、あまりに大
胆な思弁に迷い込むこともおそらくなかったであろう。だがこれ以外の神経症や、後に発現するナルシス的神
経症を考えるための接点がまだ欠けているので、その発展によって人間の文化に新しい時期をもたらした第二
世代によって、これ

らの神経症に対する素因が獲得されたのだという想定に助けを求めずにはいられない。
  この第二世代は、嫉妬深い原父に自由を認められなかった息子たちとともに始まる。私たちは、別のとこ
ろ(TuT)で、息子たちが思春期の年齢に達すると、原父は彼らを追放すると仮定した。しかし Ψ A〔精神
分析〕の経験は、その代わりに、別のもっと残忍な解答で置き換えるよう忠告している。つまり、原父が息子
たちの男性性を剥奪し、ゆえに息子たちは無害な補助労働者として群族のもとに留まることができたという解
答である。私たちはこの太古の去勢効果を、おそらくリビードの消失と個人的発達の停滞として思い浮かべて
よいだろう。そのような状態を反復するように思われるのが早発性痴呆であり、これによってとくに破瓜病と
いうかたちで、一切の愛情対象の放棄、あらゆる昇華の退化、自体性愛への逆行に至る。若者は、あたかも去
勢を被ったかのように振舞い、実際この疾患では、現実に自己去勢が行われるのも稀ではない。他にも、言語
改造と幻覚の嵐がこの病気を特徴づけているが、これらを系統発生的な比喩に結びつけてはならない。という
のも、それらは治癒への試み、つまり対象を再び獲得しようとする幾重もの努力と見なされ、このような努力
は病像のなかで、【一】時期、退化現象よりも概ね目立っているからである。
  息子たちがこのような扱いを受けたことを想定するにあたってもち出される一つの疑問に、ついでながら
答えておこう。原父たちがそのような仕方で息子たち〔の問題〕を片づけたとしたら、原父たちの後継者や代
替となる者はどこからやって来るのだろうか。アトキンソンがすでにその方途を示している。つまり、彼が強
調するように、年長の息子たちだけが父親からの全面的な迫害によって脅かされていたのであり、末子は――
図式的に考えれば――母親の代願のおかげで、なによりも、年老いた父が助力を必要としたために、こうした
宿命を免れて父の後継者に

なるチャンスを手にしたのである。この末子の特権は次の社会形態では徹底的に取り除かれ、長男の特権に代
わられた。しかし神話や童話には、この末子の特権はそれと分かる仕方で極めて明暸に残されている。
  五 この後の展開は、息子たちが、危機迫って逃亡することにより去勢を免れ、互いに結束することで生
存闘争を引き受けることを学んだ、ということ以外にはありえない。この共同生活は社会的感情を成熟させた
に違いなく、また、同性愛的な性的満足の上に打ち立てられていた。この状態の時期が遺伝するなかに、長ら
く探し求められてきた同性愛の遺伝的素因を見出す可能性は十分にあるだろう。この時期に由来し同性愛から
の昇華として出来上がった社会的感情が、人類の永続的な財産となり、以後すべての社会の基礎となったので
ある。ところで、この時期の状態をはっきりと再現しているのがパラノイアであり、より正確には、この時期
の回帰に抗して防衛しているのがパラノイアなのである。パラノイアでは秘密の結束が必ず現れ、迫害者が
堂々たる役割を演じている。パラノイアは、かつて兄弟組織の基礎をなしていた同性愛から自らを防衛しよう
と試み、それに際しては該当者を社会から放逐し、そして、その社会的昇華形態を破壊してしまわざるをえな
くなる。
  六 この繋がりのなかにメランコリーと躁病を並べ入れようとすると、この神経症が個人に発生する正則
的な時期を確実に述べることができないという難点に突き当たるようにみえる。だが確かなのは、その時期が
子どもの頃ではなくて、むしろ成人後である、ということである。抑鬱状態と高揚した気分が交互に現れると
いう特徴的な事態に着目するならば、宗教的な祝祭においても通例は勝利の喜びと喪の悲しみが同じように交
互していることを思い出さずにはいられない。神の死に対する喪の悲しみと、その復活に対する勝利の喜び。
しかしながら、民族心理学の諸報告をもとに私たちが推察したように、こうした宗教的儀礼は、原父を打ち負
かして殺害した後の兄弟一族

の成員の態度を、ただ逆方向から反復しているだけなのである。つまり、やはり息子たちはみな父を模範とし
て崇拝していたのだから、父の死に対する勝利の歓喜と、その死に対する喪の悲しみ、というように。そうす
ると、原始群族を終わらせ、それに代わって兄弟組織が勝利を収めるというこの人類史上の大事件は、独特の
仕方で気分が継起するという、私たちがパラフレニーと並んでナルシス的疾患特有のものと認める症状の先行
素因を与えたことになろう。原父に対する喪の悲しみは原父への同一化に由来するが、このような同一化が、
私たちがメランコリー機制の条件であることを証明した。
  要約するならばこう言うことができよう。三つの転移神経症に対する素因が、氷河期での困窮との戦いの
なかで獲得されたとすれば、ナルシス的神経症の基礎をなす固着は、父からの圧制に由来する。父は氷河期の
終了後に、いわば第二世代に対するその役割を引き受け、それを継続した。最初の戦いが家父長制的な文化段
階をもたらしたように、第二の戦いは社会的な文化段階をもたらした。そしてこの両方の戦いの結果として固
着が生じ、数千年経て回帰して二つのグループの神経症の素因となったのである。したがってこの意味でも、
神経症は文化的獲得物なのである。ここで構想された並行関係が、遊び半分の比較以上のものであるかどうか、
それが未だ解決されていない神経症の謎にどの程度まで光をあててくれるのかについては、さらなる探究と、
新たな経験による解明に委ねるがよいだろう。
  さて、私たちが達成した還元法を過大評価してはならないと警告する一連の異論について考える時間であ
る。まず、第二の素因系列、つまり第二世代の素因系列は(息子である)男性のみが獲得しえたものであるの
に、早発性痴呆、パラノイア、メランコリーは女性にも同じように発生するではないか、と誰でも疑問をもつ
【だろう】。太古の

女性たちは、現代よりももっと多様な条件下で生きていた。するとこの素因には、第一系列【の】素因にはな
い一つの難点がつきまとっている。つまり、それは遺伝が排除された条件下で獲得されたように見えるのであ
る。去勢されて怯える息子たちが生殖を行えず、したがってその素因を継承させられなかったことは明白であ
る(早発性痴呆)。しかし、追放され同性愛によって結ばれていた息子たちは父に対する勝利を収めない限り、
一族の不毛な分枝として消え去ってしまうのだから、彼らの Ψ〔精神〕状態が次の世代に影響を及ぼすというよ
うなことも、同様にありえない。そして、彼らがようやくこの勝利に到達したとしても、それは一世代の体験
なのであり、この体験が〔幾世代にもわたって〕無限に増やされる必然性を認めるわけにはいかない。
  どのように考えるにせよ、このように不明瞭な領域では抜け道に窮することはない。この難点は結局のと
ころ、氷河期の冷酷な父が、彼の模像である神のようには不死でなかったのに、どうやって後継者を見つけた
のかという先に投げかけられたもう一つの難点と一致する。再び、後に父になる末子の可能性が考えられる。
末子は、確かに自分は去勢されないが兄たちの運命を知っていて、自分でも恐れ、まだ幸運であった兄たちの
ように逃げて女性を断念しようという誘惑がこの末子に忍び寄ったに違いない。このように、実を結ばず落ち
て行く男たちのかたわらに、いつももう一つの、男性種の運命を我が身で耐え忍び、素因として継承できる別
の男たちの系譜が残っていたことになる。末子にとっても、時代の困窮が父の圧制に代替されるという本質的
な視点は変わらず成立する。
  父に対する勝利は、それが現実に成功する前に、数え切れない多くの世代を通じて計画され、空想された
に違いない。父の圧制によって生み出された素因がどうやって女性にも拡大したのかという問題には、それ自
身もっと大きな困難が待ち構えている。太古の女性の運命は、格別の不明暸さをもって私たちから隠されてい
る。私たちがま

だ認めたことのない生活状態も考えられよう。しかし、人間の両性具有を忘れてはならないという注意に耳を
傾ければ、私たちはこのもっとも手強い困難から解放される。このようにして女性は、男性の獲得した素因を
受け継ぎ、自分自身でもそれを出現させることができるのである。
  しかしながら、私たちがこうした抜け道によって、結局のところ、私たちの科学的空想が不合理ではない
かという非難をうまくかわしたにすぎない、ということを承知しておこう。私たちはひょっとすると、系統発
生的な素因をそれ以外のものすべての上に置く最中だったかもしれないのだから、全体としてこの抜け道は、
効果のある酔い覚ましの価値はもっている。例えば、法則的に一定の割合でもって太古の体質が最近の個体に
回帰し、現代の様々な要求との葛藤を起こして彼らを神経症に追い込む、というわけではない。私たちがまだ
知らない新しい獲得物や影響の存在する余地が残っているのである。全体として、この系統発生的な要因につ
いての理解はこれで終わりではなく、私たちはまだその端緒に立っているのである。
(本間直樹訳)

無常
Verganglichkeit

  少し前になるが、私は囗数の少ない友人と、年若くして名声を得た詩人と連れ立って、花咲き乱れる夏の
風景のなかを散歩していた。その詩人は、私たちをとり巻く自然の美しさに感嘆したものの、それを喜び享受
することができなかった。彼の感情を塞き止めたのはこういう考えであった。つまり、これらの美しいものす
べてを待ち受けているのは消滅である、冬になれぱすべて消え去ってしまっているだろう、じっさい、人間の
美しさや、人間が創り出した、あるいは創ることのできる美や気高さのどれをとってもそうであるように。こ
れらすべてのものが消え去るということさえなけれぱ、彼は惚れ込み感嘆したであろう。だが、どれも無常で
あることを宿命づけられているがゆえに、彼にとっては価値がはぎ取られて見えたのだ。
  美しく完全であるすべてのものが衰えゆく――このように人が思い煩うことから、二種の異なる心の蠢き
が生じているのを私たちは知っている。一つはこの若さ詩人のような痛ましい厭世感に、もう一つはこの動か
し難い事実に対する反抗に結びついている。この素晴らしい自然や芸術、そして、私たち人間の感情世界や外
的世界のすべてが本当に無に帰するなんて、いや、あってはならない。そう信じ込むことはあまりに馬鹿げて
いるうえに恥ずべきことだ。美しいものは、いかなる破壊的な影響も及ばぬところで、なんとかして存続でき
るはずだ、と。
  このように永遠を追い求めるのは、私たちの〔心的〕生が欲望する結果であることは明白であって、そこ
に現実の

価値が要求されることはない。とはいえ、人びとが心を痛めるのもやはり真実だろう。私は諸行無常を否認す
る気にも、また、美しきものや完全なものを強引に例外扱いする気にもなれなかった。だが、美しさは無常で
あるがゆえにその価値が損なわれる、という詩人の悲観主義に対して、私はきっぱり異を唱えた。
  その逆であって、価値が高まるのではないか! 無常であることの価値とは、過ぎ行く時のなかでの希少
価値なのだ。享受の可能性が狭められることで、その貴重さが高められるのである。美しきものが儚く無常で
あると考えるせいで、私たちの喜びが減ずるとはなんとも理解し難い。こう私ははっきり述べた。自然の美し
さというのも、冬の到来とともに滅びてはまた翌年甦るのであって、こうした回帰は私たちの寿命と比べれぱ
ある種の永遠性とみなされるべきだろう。人間の体や顔の美しさは、私たちが生きている間にも必ず色あせて
いくものだが、こうした短命さゆえにこそ、新たな魅力が添えられる。ある草花がたった一夜しか蕾をほころ
ばせないとしても、そのせいでその花の華麗さが損なわれると感じられるわけではない。同様に、芸術作品や
知的業績の見事さや完璧さが時の制約によってどうして価値を失うというのか、私には了解し難い。今日私た
ちが賛美する絵画や彫刻が崩れてしまう時が来ようとも、あるいは、後世に私たちの時代の詩人や思想家の作
品を理解しない社会が出現しようと、さらには、地球上のすべての生物が絶滅する地質学的時代が到来しよう
とも、これら美しいもの、完全なものすべては、私たちの感覚生活に対して意味をもつからこそ価値づけられ
るのであり、その価値は長続きする必要さえなく、それがゆえに絶対的な時間の持続からは独立しているのだ。

  こういった考えは私には異論の余地のないものに思われた。それなのに、この詩人と友人のどちらにもま
ったく影響を与えていないことに私は気がついた。私はこの失敗から、ある強力な情動的契機が混入して二人
の判断を鈍

らせたのだと推察し、後になってその正体を突き止めたと思う。美を享受する彼らの力を無効にしたのは、喪
の悲しみに対する心の反抗であったに違いない。この美しいものが儚く無常であるという観念は、美が滅びる
ことに対する喪の悲しみを繊細な二人に先取して感じさせる。そして、心は痛みを伴うものを本能的に避けよ
うとするので、二人は美の無常さを考えることにより、それを享受するのを妨げられたと感じたのであった。
  私たちが愛したり賛嘆したりしていたものを喪失する悲しみは、普通の人にとっては当たり前のことに思
われるので、人びとはそれを自明のものとみなしている。しかしながら、心理学者にとっては、喪の悲しみは
一つの大きな謎であり、人が解明もせぬまま別の不明なものに帰する現象の一つなのである。私たちの考える
ところによると、私たちはリビードと名づけられる一定量の性愛能力を保持しており、それは発達の初期には
私たち自身の自我に振り向けられている。後になって――とはいえども、これは実際はごく初期から始められ
ているのだが――それを自我から転じて対象に振り向け、対象はこのような仕方である程度私たちの自我のな
かに取り入れられている。もし、その対象が破壊されるか、または私たちから失われてしまうと、この性愛能
力(リビード)は解放されることになる。それは他の対象を代替物として我がものにするか、もしくは一時的
に自我へと還帰する。このようにリビードがその対象から分離することがなぜこうも痛ましい出来事になるの
か、それについては私たちはよく理解しておらず、目下のところ、それをいかなる仮説からも引き出すことが
できない。私たちに分かるのはただ、リビードはその対象にしがみついていて、代替物を手にすることができ
るときでさえ、失われたものを諦めようとしないということである。しかるに、これが喪の悲しみなのである。

  詩人との会話がなされたのは戦争前の夏のことであった。一年後、戦争が勃発し、世界から美しさを奪っ
てしま

つた。戦争は、それが通過していった風景の美しさのみならず、通りすがりに触れた芸術作品までも破壊して
しまった。戦争は私たちの文化が獲得したものへの誇り、多くの思想家や芸術家に対する私たちの尊敬の念、
そして、民族や人種の違いをどこまでも乗り越えようとする私たちの希望をも打ち砕いてしまった。私たちの
崇高で不偏不党な科学を汚し、私たちの欲動生活を剥き出しにさせ、私たちの高潔さにより何世紀にもわたる
教育を通してずっと飼いならされて来たと信じられていた、私たちの内なる悪霊を解き放った。戦争は私たち
の祖国を再び縮小させ、地上の他の部分をはるか遠ざけてしまった。戦争は私たちが愛していたものを多く奪
い去り、私たちが永続するとみなしていたものがいかに儚いものであるのかを私たちに示した。
 私たちのリビードは、対象を奪われて困窮すればするほど、私たちに残されているものに対してそれだけ一
層多く備給されるので、私たちの祖国への愛、最も親しき者への情愛、共通する特徴に対する誇りといったも
のが突如として強化されるようになったとしても、何ら驚くべきことではない。今はもう失われてしまった、
先ほどの財産も、それが非常に脆くて抵抗力のないことが証明されたからといって、実際に私たちにとって価
値のないものとなったのであろうか。多くの者にはそのように思われるだろうが、もう一度私の考えを言えば、
それは間違っている。私が思うに、そのように考え、貴重なものは長く続かないということが実証されたから
といって、いつでも諦めようと身構えているように見える者は、喪失に対してただただ悲嘆に暮れているだけ
なのである。私たちの知っているように、喪の悲しみはそれがどれだけ痛ましいものであっても、自ずと尽き
てしまう。失われたものを何もかも諦めた暁には、悲しみそれ自体も尽き果ててしまう。そうなれば私たちの
リビードも再び自由になり、私たちがなお若々しく生命の活力をもっている限り、できるだけ同じくらい貴重
なもの、あるいは、より貴重なものによって

失われた対象を代替することができる。今回の戦争のために失われたものについても同様のことになると期待
してよいだろう。喪の悲しみが乗り越えられたときにはじめて、文化財が脆く壊れやすいことを経験したとこ
ろで、それに私たちが与える高い評価は何ら損なわれることはない、ということが示されるだろう。私たちは
戦争が破壊したものをすべて再建するだろうし、もしかしたら、それは以前よりもっと強固な地盤の上に建つ
より耐久力あるものとなるだろう。
(本間直樹訳)

欲動変転、特に肛門性愛の欲動変転について
Uber Triebumsetzungen, insbesondere der Analerotik

  数年前、精神分析による観察から私はこう推察するに至った。すなわち、几帳面、倹約、強情という三つ
の性格上の特性が〔同一人物において〕常に重なり合ってみられる場合、それは当人のもつ性的素質のなかで
肛門性愛的成分が強化されていることを示している。そのような人のもとでは、発達の途上で肛門性愛〔のエ
ネルギー〕が尽きることにより、自我によって好まれるこのような反動様式が形成されているのである。
  当時は、事実として認められた関係を公表することが私の関心であったこともあり、その理論的意義を正
当に評価することにそれほど気を配っていなかった。以後、吝嗇、瑣事へのこだわり、強惰の三つの特性のそ
れぞれが、肛門性愛の欲動源泉から生じる、あるいは、より慎重で完全な仕方で表現するならば、この源泉か
ら強力な補助を得ている、という見解が一般に認められることとなった。先に述べた三つの性格上の欠点が結
合することによってとりわけ特徴が印象づけられている症例(肛門性格)は、まさに極端なものに過ぎないの
であって、たとえ観察眼が鈍っていたとしても、そこに私たちの関心をそそる関連が見て取れるに違いなかろ
う。
  数年後、ある特別に説得力ある分析経験に導かれて、私は数多くの印象をもとにこう結論した。すなわち、
人間

   *1 「性格と肛門性愛」(一九〇八年)(GW-VII)〔本全集第九巻〕。

のリビードの発達のなかで性器優位の時期に先立って、サディズムと肛門性愛が主要な役割を果たす「性器期
前編成」が認められなければならない、と。
  肛門性愛的な欲動の蠢きの行方はその後どうなるのか、この問題をその時以来、避けて通れなくなった。
最終目標である性器的編成が確立されることによって、性愛生活にとってこの蠢きの意味が失われてしまった
後、この欲動の蠢きはどのような運命を辿ったのだろうか。それ自体としては存続しながらも抑圧のもとに置
かれているだけなのだろうか。それとも、性格の特性へと変転するなかで昇華あるいは消耗させられてしまっ
たのか。あるいは、性器の優位によって決定される新しい性愛の形態のなかに収容されたのだろうか。だが、
こうした肛門性愛はいずれか一つの運命を辿る必要はないのだから、より正確にはこう問うべきだろう。つま
り、性器的編成の出現によって肛門性愛の有機的源泉が埋没してしまうはずがないのだから、肛門性愛の運命
を決するにあたって、これら異なる可能性はどの程度、どのような仕方で分かち合われているのだろうか、と。

  問題になっている発達と変転の過程は、どのような人々にとっても生じているはずなので、この問題に答
えるための素材には事欠かないと考えるべきだろう。しかし、この素材は非常に不透明であり、それに対する
多くの印象も同じところをぐるぐる回ってもつれるばかりなので、私は今に至ってもなお、この問題を完全に
は解決しておらず、ただ解決のためにいくらか貢献することしかできていない。そのため、もし、ここで肛門
性愛以外のいくつかの欲動変転に一言及することが許されるならば、その機会を見逃す手はないだろう。精神
分析における他の事例でもそうであるように、ここでも神経症のプロセスによって余儀なくされる退行現象を
もとに上述の発達過程が推論された。今となってはこれを特段に強調する必要はなかろう。

  思いつき、空想、症状という無意識の生み出したもののなかで、糞便(金銭、贈り物)、子ども、ペニス
という概念は識別しがたく、互いに混同されやすい印象を与える。この点が、以上の問題を究明するための出
発点になるだろう。このように述べると、私たちは心の生活の他の領域で使用される名称を不当にも無意識に
転移して用い、そして直喩によって得られる利益に惑わされてしまうかもしれない。私たちはそのことをもち
ろん承知している。そこでもっと疑いの余地のない仕方で再度表明するならば、無意識のなかのこれらの要素
は、あたかも等価なものであり、躊躇なく互いに代替しあっているかのようにしばしば扱われている、という
ことになるだろう。
  「子ども」と「ペニス」の関係のなかにこのような事態はもっとも簡単に見いだすことができる。この二
つが、日常生活の象徴言語においてもそうであるように、夢の象徴言語においてある共通の象徴によって代替
され得ることは軽視できない。子どもはペニスと同じように「ちいさなこ」と呼ばれる。象徴言語がしばしば
性別に囚われないことは周知の事実である。もともと男性性器を意味する「ちいさなこ」は、二次的には女性
性器を指すようになった。
  ある女性の神経症を十分深く探査してみると、男性のようにペニスを所有したいという抑圧された欲望に
突き当たるのも稀ではない。女性の生活において偶然見舞われる不幸、それもしばしば男性的な素質を強くも
った結果として被る不幸は、「ペニス羨望」として去勢コンプレクスに分類される子どもの欲望を再び活性化
させ、リビードを逆流させて神経症の症状を圭にこの欲望に担わせる。別の女性の場合には、ペニスへの欲望
について何も検出す

   *2 「強迫神経症の素因」〔一九二二年〕(GW-VIII)〔本全集第十三巻〕。

ることができない。この欲望の座は子どもに対する欲望によって占められ、実生活のなかでその欲望が不首尾
に終わることがあれば、神経症が呼び覚まされることがあり得る。これが動機であったとは考えられないこと
だが、自然は、女性に与えることができなかった別のあるものを代替するものとして子どもを与えた、とこれ
らの女性は理解しているかのようである。さらに別の女性の場合は、両方の欲望が幼少期に存在し、互いに交
代しあっていたことが知られている。彼女は最初、男性のようにペニスを所有したいと望み、同じ幼児期の後
には、それが子どもへの欲望に取って代わられた。このように様々な結果が生ずるのも、兄弟がいるかいない
か、新しい子どもの誕生を人生の相応しい時期に経験したか、という幼児期の生活における偶発的な要因によ
っているのだから、ペニスに対する欲望は、子どもに対するものと根本では同じものである――私たちはそうい
う印象を持たずにはいられない。
  神経症発生の条件が後の生活のなかに見当たらない場合に、幼児期におけるペニスへの欲望がどのような運
命をたどるのかを私たちは述べることができる。この欲望は後に男性への欲望に変貌し、男性をペニスの付属
物とみなす。この変貌によって、女性の性機能に対抗する蠢きはこの性機能にとって都合の良いものに変わる。
そうなることで女性は対象愛の男性類型を求める愛情生活を手に入れ、この愛情生活が、ナルシシズムから派
生する元来は女性類型を求めるそれに並んで、存続することができる。ナルシス的な自己愛から対象愛への移
行を生じさせるのはまずは子どもであることが、別の症例からもすでに報告されている。したがってこの点に
ついても、子どもはペニスを代理するものとなり得るのである。
  かつて私は、女性たちが最初の性交の後に見た夢について話を聴く機会があった。これらの夢があらわに
したのは、女性が感じたペニスを自分のうちに引き止めておきたいという欲望であることは見間違いようがな
く、リビー

ド的な根拠を考慮に入れないとすれば、それは男性から欲望の対象としてのぺニスヘの一時的な退行に該当す
る。確かに、男性の助力なしには子どもを得ることができないということがいずれは理解されるのだから、単
純に合理主義的に考えて男性への欲望を子どもへの欲望に還元しがちであろう。しかし、むしろこうなのでは
ないだろうか。つまり、男性への欲望は子どもへの欲望とは独立して生じ、そして、この欲望が全体として自
我心理学に属すると理解される諸動機から浮上するときには、古いペニスへの欲望が無意識のリピート強化と
してこれに付け加えられるのである。
  上述の過程は、幼い女性のもつナルシス的男性性の一部を女性性のなかに移転し、女性の性機能に害を及
ぼさないようにするという点にその意義をもっている。また別のやり方で、性器期前の段階の性愛の一部もま
た性器優位の段階で使用される。子どもは「うんこ〔Lumpf〕」として、腸を通って体から分離するあるもの
として考えられる(症例「ハンス」の分析を参照せよ)。したがって、腸の内容物に宛がわれていたリピート
備給の総量は、腸を通って産まれた子どもにまで拡張され得る。一つ、この子どもと糞便の同一性を言語的に
証拠づけるものは、子どもを授けるという言い回しのなかに見いだされる。というのも、糞便は最初の贈り物、
赤ん坊自身の一部であり、愛する人からの説得によってのみそれを手放し、通例赤ん坊は知らない人を汚すこ
とはないので、愛する人に対して求められなくてもそれを情愛の徴として示すからである。(それほど強い反
応はないにしろ、尿に関しても同様のことはいえる。)排便に際して、子どもはナルシシズムと対象愛の二つ
の態度の間で最初の決定を行う。従順に糞便を放棄し、それを「捧げもの」として愛する人に差し出すか、そ
れとも、自体性愛的な満足のために、後には自分自身の意志の表明のために保持しておくかのどちらかである。
後者が選ばれることによって、反抗(わがまま)が形

成される。それはしたがってナルシス的な肛門性愛への固執から生じているのである。
  おそらくは、糞便への関心が発展して最初に向かう意味は、金一金銭ではなく、贈り物なのだろう。子ど
もは自分に贈られたもの以外には金銭について何も知らず、獲得した金銭も、相続して自分のものとなった金
銭も知らない。糞便は子どもにとっての最初の贈り物であるので、子どもは自分の関心をこの素材から、生活
のなかで最も重要な贈り物として自分の身に起こる新しい素材にたやすく転移させる。こうした贈り物の起源
について疑う者がいるならば、精神分析治療のなかでの自身の経験に問いあわせ、自分が医者として患者から
受け取る数々の贈り物についてじっくり検討し、さらに、一個の贈り物によって患者に引き起こされる転移の
嵐に注意を払うがよかろう。
  したがって、糞便への関心はある部分は金銭への関心へと発展し、別の部分は子どもへの欲望に移行する。
この子どもへの欲望のうちに肛門性愛的な〔欲望の〕蠢きと性器的な蠢き(ペニス羨望)が重なり合う。しか
しながらペニスは、子どもへの関心から独立した肛門性愛の意義もまた有している。つまり、ペニスと、ペニ
スによって塞がれ、刺激される粘膜の管の関係は性器期前のサディズムー肛門期においてすでにその原型が作
られているのである。糞の塊、あるいはある患者の表現によれば「糞の棒」は、いわば最初のペニスであり、
それによって刺激されるのは後腸の粘膜である。肛門性愛が思春期前の時期(十歳から十二歳)まで持続し、
強度を保ったまま変わらない人たちもいる。こうした人たちについては、この性器期前の時期に空想や倒錯的
な遊びのなかで性器と類比的な編成を発達させ、そこではペニスと膣は糞の棒と腸によって代理されていたこ
とが知られている。別の人たち――強迫神経症者の場合には、退行によって性器的編成が逆戻りするとどのよ
うな結果となるかを知ることができる。そこで現れているのは、もともとは性器をもとに形成された空想がす
べて肛門に置き換えられ、ペニスが糞の棒に、膣が

腸によって代替されている、ということなのである。
  通常、糞便への関心が薄らいでくると、ここで述べた器官による類比が働くことによって、関心はペニス
へと転移される。後に性の探究を進めるなかで、子どもは腸から産まれるという事実が知られると、子どもが
肛門性愛の主要な相続者となるが、それでも、先に述べたことと同様にこの意味でも、子どもに先行する相続
者はペニスであったのである。
  こうなると、糞便-ペニス-子どもの系列における多岐にわたる関係が完全には見渡し難くなってしまっ
たと私は確信する。そこでこうした欠点を補う試みとして、図を用いて表現してみよう。すると、図について
論じるなかで、同じ材料に対する評価をもう一度、しかし別の順序で行うことができる。ただし残念ながら、
このような技術上の手段は私たちの目的にそれほど柔軟にこたえてくれないし、また我々はそれを効果的に使
用する仕方をまだ学んでいない。いずれにしても、この補助のための図について厳しい注文をつけないよう願
いたい。
  他者からの要求に対する自我のある重要な反動として、肛門性愛がナルシス的に使用されることから反抗
が生じる。糞便に向けられていた関心は贈り物に対する関心に転移し、やがて金銭への関心に移る。女児の場
合は、ペニスの登場によってペニス羨望が生じ、それは後になってペニスの保持者としての男性

への欲望へと変転する。なおそれ以前には、ペニスへの欲望は子どもへの欲望に変化していたか、もしくは子
どもへの欲望はペニスへの欲望の代わりを務めていた。ペニスと子どもの間の器官による類比関係(点線)は
両者に共通の象徴(「ちいさなこ」)を有していることで示される。子どもへの欲望からは男性への欲望へと
合理的な経路が(二重線)通じている。私たちは、こうした欲望変転の意義をすでに正当に認めた。
  関連のもう一つの部分は男性の場合にもっとはっきりと認められる。この関連は、子どもが性の探究を通
して女性にはペニスがないことを発見したしたときに作り上げられる。こうしてペニスは体から分離すること
が可能なものとして認識され、最初は体の一部であったがそれを放棄しなければならない糞便との類比関係に
置かれる。それまでの肛門期の反抗はこうして去勢コンプレクス構成に参与する。器官による類比関係によっ
て、性器期前の時期のあいだは腸の内容物はペニスの先行者を意味していたが、それが動機として考慮に入れ
られることはあり得ず、ただ性の探究によって心的な代替物が見いだされるのである。
  子どもが登場すると、子どもは性の探究を通して「うんこ」として認識され、非常に強力な肛門性愛的関
心によって備給される。子どもへの欲望が第二の援軍を同じ源泉から得るのは、子どもが愛の証として、贈り
物として理解され得ることを社会経験が教えるときである。糞柱、ペニス、子どもの三つはすべて、侵入した
り、そこから突き出ることで、粘膜の管(終腸と、ルー・アンドレアストザローメのうまい言葉を借りれば、
いわばそこに間惜りしている膣)を興奮させる固体である。幼児期に行われる性の探究は、この事態から子ど
もは糞柱と同じ経路を通るということを知らせるのみである。ペニスの機能は子どもの探究によっては通例発
見されない。しかしながら、器官の一致がこのように幾重もの回り道を経た後に、無意識的な同一物として心
的なもののなかに再び現れること

は興味深いことである。          
(本間直樹訳)
 *3 「「肛門的なもの」および「性的なもの」」{Imago「 IV( 5。 1916)°

ヘルミーネ・フォン・フーク=ヘルムート博士宛
一九一五年四月二十七日付書簡
Brief vom 27. April 1915 an Frau Dr. Hermine von Hug-Hellmuth

  この日記は小さな宝石です。実際、私たちの社会・文化段階における思春期前の年頃の少女の発達を特徴
づける心の蠢きに対して、このような明晰さと真実味を備えて目を向けることができた者はいまだいないと思
います。子どもの時期の自己中心性からどのように感情が芽生え、その感情が社会的成熟にまで達するのか、
両親や兄弟姉妹への関係は最初はどのように現れ、そして、それが次第に重大さと緊密さを増していくのか、
友情がどのように芽生えたり、解けたりするのか、どのようにして情愛が彼女にとっての最初の対象を探り求
めるのか、とりわけ、どのように性愛生活の秘密が朧げながらも初めて浮上しつつ、やがて子どもの心の確た
る所有物となるのか、子どもが自身の隠された知を意識することでどんな損害を被り、徐々にそれを乗り越え
るのか――こうしたことが、かくも刺激的に、自然に、真摯に、技巧を凝らすことなくここに素描されている
ので、教育者や心理学者はこれに最高度の関心を注がなければならないでしょう。
 ……思うに、あなたにはこの日記を公刊なさる義務があります。公表なされば読者たちはあなたに対して感
謝の念を惜しまないでしょう……。                  
(本間直樹訳)
一一一一一   一一一一一          一一一 一一一一      一一一    一    
一   一一一一  一   一一 一    一一一一 一一一    一一

編  注
一  一一一 一          一一一一一一一     一‐一一 一        一 一一一一
一一一一一=一一=一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 ”    一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一
一一一 一一 一一 一一一一‐″ 一一一一一一一一f

    ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕

(1) 【匹 一九二四年より前の版では「八歳」。】患者の年齢に関するフロイトの記述には揺らぎがある
ようである。この匹注
 やそれに該当する本文で言われている「八歳」や「卜歳」は直訳ではそれぞれ「八番目の歳」、「十香目の
歳」であるので、
 「七歳」と「九歳」のはずであるが、フロイトは末尾の原注(60)〔本巻匸一九頁〕では、明確に「八歳」、
「十歳」と記している。
 一方、患者が淋病罹患したときの年齢についてフロイトは、直訳すれば「十八番目の歳」と記している〔本
巻三頁〕。これは本
 来ならば「十七歳」を意味する書き方だが、上述の流儀に従うならば、「十八歳」を意図することになる。
ところが、同原注
 (60)への訊の補足では「十七歳」に「淋病に触発された意気消沈状態」にあったと明記されている。以下、
年齢表示に関して
 疑問がある場合は、訊の記述なども参照しながら、適宜判断した。
(2) 【訊 『神経症小論文集成に第四巻、ライブツィヒーウィーン、フーゴー・ヘラー社、一九匸八年。
出版社はF・ドイティ
 ヶ書店からH・ヘラー社に変更になった。】
(3) 【訊 アーネストージョーンズによると、患者が診察を受けた精神医学者の中には、ベルリンのツィ
ーエンやミユンヒエ
 ンのクレペリンがいた。】
(4) 【釟 証明手段としての小児分析の価値について、フロイトは「ある五歳男児の恐怖症の分析〔〔ン
ス〕」(GW-V11243-
 244。 336ff.)(本全集第卜巻、三-四頁および一三〇頁以下)で論及している。】
(5) 【匹 「無意識」V節(9でX齢高‘)〔本巻二三四頁以下〕参照。】
(6) 【託 分析期間の長さの問題をフロイトは「終わりのある分析と終わりのない分析」〔本全集第二十
一巻〕で議論している。】
(7) 【弘 分析の終了時期の固定は、フロイトがこの症例で導入した、技法上の改訂である。】
(8) 【弘 『『ムレット』第一幕、第五場。】
(9) 【匹 この症例のかなり込み入った年代関係については、本症例研究の最後に載せられた原注(60)
〔本巻匸入-一三〇

 頁〕を参照すると、よりはっきりしてこよう。】
(10) 「精神分析治療に際して医師が注意すべきことども」(9うく日丿叩≒s〔本全集第十二巻、二四九
-二五〇頁〕参照。
(11) 【匹 一九二四年より前の版では「多分五歳の時」。原注(32)〔本巻八一頁〕参照。一本文は直訳
するなら「四茶目の歳の前」
 となるが、原注(60)〔本巻匸一九頁〕からして「四歳」とする。
(麹 【匹 患者はその際おそらく、一家が常々一年の大半を過ごしていた領地のことを考えていたのであろ
う合三‐}日屶)〔本
 巻一〇頁〕。もうしばらくすると、一家の二つの領地は売りに出され、フロイトが英訳者のアリックス・ス
トレイチとジェー
 ムズ・ストレイチに報告しているように、新しい領地が手に入れられる。{の三}回‐}回)〔本巻九八頁〕
参照。】
(13) 【釟 この個所と、後の瑁節の最初〔の三八日心〕〔本巻九四頁〕においては、一九二四年より前の
版では「アカタテ(〔yF
 日一邑〕」となっている。一
(14) 【窕 フロイトは論文「分析における構築」〔本全集第ニトー巻〕、とくにH節(のギー図j≒同)
でこの点についてもっと詳
 しく論じている。】
(15) 【弘 この点に関するより立ち入った論及としては、「レオナルドーダ・ヴィンチの幼年期の想い
出」H節の最初{の三‐
 く目ぶ}]昭)〔本全集第十一巻、三〇1三二頁〕を参照。】
(16) ミュリェルーガーディナーは、このうちには、一九〇八年に患者がクレペリンの治療を受けていたサ
ナトリウムの看護師
 であったテレーゼ(のち患者の妻となる)も含まれるという。『狼男による狼男』(M・ガーディナー編、
ニューヨーク、一九七
 一年、二(七頁、注(3))。また、本巻九九頁参照。そこでいわれている「最終的な対象選択」とはテレ
ーゼのことである。
(U 【匹 このテーマに関するフロイトの少し前の論述を参照。「性愛生活が誰からも貶められることにつ
いて」〔本全集第十二
 巻〕。】
(18) 【以 狼男白身の証言によると、レールモントフのことである。】ミ(エルーユーリエヴィチーレー
ルモントフ(匸八一四
 -四一年)。ロシア・ロマン主義の代表的文学者の一人。一八四〇年二月にフランス大使バラントの息子と
決闘したが、この
 時はかすり傷を負うにとどまった。しかし、当時、決闘は違法行為であったためカプカースの戦闘部隊に送
られ、コサック決

一 一一  一     一一                一      一一一一一一一‐一一一一一
一一一一     一一一一一一一一一一一一一一一一一三一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 Ξ 一一
一一一 一一一一一          一一一一一一  丿一一一

 死隊の指揮を執り、勇名を馳せた。その最期は、やはり決闘-近衛士官学校の同級生とのIによる銃殺であ
った。
(19) 【訊 一九二四年より前の版では、この個所は「三歳三ヵ月から三歳半」となっている。】
(20) 【訊 アードラーの見解に関するより立ち入った議論は「精神分析運動の歴史のために」m節(の三
白沢隲)〔本全集第十三
 巻、八四頁以下〕に見られる。】
(21) 【弘 打擲の空相-については「「子供がぶたれる」」〔本全集第十六巻〕を参照。】
(22) 【釟 これは「両価性」という術語の異例の使用である。一般的には、フロイトはこの語を愛憎間の
感情の動揺の意味
 で用いた。】
(23) 【阻 同一化のテーマに関するより立ち入った議論は『集団心理学と自我分析』Ⅶ節 Ξ 三八白に蒿
‘)(本全集第十七巻。
 一七三頁以下)に見られる。】
(24) 【訊 「精神分析作業で現れる若干の性格類型Jm節「罪の意識ゆえに罪をおかす人間」(GW-X3
89已(本全集第十六巻。
 三三頁以下)におけるフロイトの叙述を参照。】
(25) 【匹 本節の後の編注(33)を参照。】
(26) 以下、この夢の訳文は同巻の道説泰三訳に準拠している。
(27) 本文に言われる「別のところ」とは、まさに本症例研究のことにほかならない。「夢における童話の
題材」〔本全集第十三
 巻〕の編注(10)を参照。
(28) 前注参照。本文における「別の機会」というのもまた、本症例研究を指す。
(29) ここで「夢における童話の題材」に掲載された狼の夢の初出は終わりとなっている。
(30) 【弘 『夢解釈』第六章、E節、九「現実感情と反復の提示」(GW-II/111376-378)
C本全集第五巻〕参照。】
(31) 【訊 『夢解釈』第六章、A節、Ⅱの最終項(GW293-294) C本全集第五巻〕参照。夢内容
の反転が論じられている。】
(32) 【匹 「n+1一2」と記す方がより明確であろう。患者の誕生日とその夏との間は六ヵ月なのだか
ら、彼は夢を見たとき
 零歳六ヵ月か一歳六ヵ月か二歳六ヵ月等々であったのでなければならないからである。ただし、零歳六ヵ月
という年齢は、フ

 ロイトはすでに原注(8)〔本巻三五頁〕で退けている。】
(33) 【匹 これがこの術語の公刊されたもっとも初期の使用例であると思われる。ただし、フロイトは匸
八九七年五月二日付
 のプりIス宛書簡でこの語を用いていた。】もっとも、そこでは、特に父による現実の誘惑場面を意味する
とされている。ジェ
 フリー・ムセイェフーマッソン編、ミヒアエル・シュレーター凵ドイツ語版緇『フロイト プリースへの手
紙-一八八七-
 一九〇四年に河田晃訳、誠信書房、二〇〇一年、「手紙匸一六」(一一四六-二四七頁)の編注(2)を参
照。
(34) 【00 ジョヴァンニ・ボッカッチョ 『デカメロン』第七日、第九話。】
(35) 【訊 実際にはこの点に関する明確な言及は以下には存在しないように思われる。もしかしたら、経
帷子に関する挿話
 (9で尚コ呂)〔本巻一〇四頁〕と関係しているのかもしれない。】
(36) 『窕 事後性に関するこの理論を、フロイトはすでにいヒステリー研究』(9でに治同)(本全集第
二巻、ニー九頁以下)に
 おいて、当時彼が「鬱滞ヒステり1」と呼んでいたものを議論する際に提出していた。同じく一八九五年執
筆の遺稿「心理学
 草案」第二部(の詞亠回回隲)〔本全集第三巻〕で彼はまた、ヒステリーにおいて事後性がどう作動するか
について、たいそう
 丹念に説明していた。しかし、事後性に関するこうした初期の言明にあっては、原場面の効果が出てくるの
は少なくとも思春
 期以降とされており、原場面そのものもこの症例のようにこれほどの初期年齢に生ずるとは想定されていな
かった。】
(37) 【E ランクは「精神分析の技法1 分析の情況」(ウィーン、一九二六年)二四二上五七頁〕にお
いて、転移の分析に関
 する自身の見解を支持するために、この狼の夢を利用しようとした。彼の議論に対してプエレンツィは
(「ランクの『精神分析
 の技法にの批判にむけて』(.Internationale Zeitschr if t fur Psych
oanalyse。 13「 1「 1927」)'「狼男」自身の手紙の文面を引用し
 て批判した。この手紙はフロイトがフェレンツィの利用に供したものである。】
(38) Ⅳ節〔本巻三六頁〕の文章には「自分のうちに」はなかった。
(39) Ⅳ節〔本巻三六頁〕の文章の「このようにして受け入れられた印象」が「この素材」に変更されてい
る。
(40) 【託 フロイトの論文「分析における構築」参照。一
(41) 本全集第四巻、二四三頁。

 一 一一一            一  一 一     一一  一  一  一一    一 一一
一         一 一      一一一一   ‐‐`

励) 【屁 谷解釈の理論と実践についての見解】w節百で回{曾昆一・}宋全集第十八巻、匸八〇頁以下〕
を見よ。】
(43) 【窕 通常「オッカムの剃刀」と呼ばれる原理。】科学における説明はできるだけ単純であるべきで、
余計な説明理由は排
 除されねばならないというもの。
(44) 【託 リピートと利害関心の関係をフロイトがどう考えていたかについては、「ナルシシズムの導入
にむけて」I節の最後
 (9マと合‐←≒)〔本全集第十三巻、匸一六-匸一七頁〕を参照。】
(45) 「詳述(する)」の原語はent w ickelnであり、「展開」、「発展」と訳されることが多い
が、「(フイルムの)現像」の意味もあ
 る。{の詞‐}臼回)〔本巻六二頁〕に登場する「詳述」に関しても同様である。
(46) 【弘 一九一一四年より前の版では「三歳半」。】
(47) 【訊 このブラケットはI本節末尾のそれもIフロイトに由来する。】【00 このブラケットで括
られた部分は一九一
 七I匸八年に起草された。】
(48) 編注(45)参照。
(49) 【匹 憲味されているのはむろん、オリーブ由上のことである〔「マタイによる福音書」二六こ二六
-四六〕。フロイトが英
 訳者に説明したところによると、この間違いは患者自身のものだという。】
(50) 【弘 フロイトの論文「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」〔本全集第十三巻〕を見よ。
この論文をフロイト
 は、本症例の少し前に起草していた。】
(51) 【00 「マタイによる福音書」八・三二「悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚
の群れはみな崖を下って
 湖になだれ込み……」〔新共同訳聖書〕。「マルコによる福音書」五∴三および「ルカによる福音書」八・
三三も参照。聖書の
 原文では「豚」は雄豚(なぞ易)であるが、患者はルター訳に従って女性名詞の肭回(雌豚)を用いてい
る。】
(52) 【弘 フロイトの論文「性格と肛門性愛」〔本全集第九巻〕を見よ。】
(53) 【託 「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」(のキ回白‐惣)〔本全集第十巻、二六六1二
六八頁〕参照。】
(54) 【託 フロイトはすでにこのことについて「防術-神経精神症再論」n節のはじめ(の三‐に回)
〔本全集第三巻〕で論及して

  いた。彼はこの点について『制止、症状、不安い(GW-XIV143)〔本全集第十九巻、四〇頁〕で再
度言及する。】
 (55) 【託 この「囗を挟む〔日一岔回の・ぼ已〕という言い方は『ヒステリー研究』(の三‐{呂}亠
丞)〔本全集第二巻、三七九上二八
  一頁。ただし、そこでの訳は「共に語る」〕まで遡る。】
 (56) 【訊 この論文は本症例研究より以前に公刊されたが、執筆されたのはおそらくそれ以後であ
る。】
 (57) 【訊 第二篇、四節〔「マスターベーションとして現れる性欲」〕の最初の部分(9でく呂‐回)
〔本全集第六巻、二三八l二四
  〇頁〕。】
 (58) 【弘 論文「無意識」v節(9で図謡蒿・)〔本巻二三四頁以下〕、および後の論文「否定」〔本
全集第十九巻〕参照。】
 (59) 【00 原語は汢乙守FQ・ここでは引用符なしである。「欲動変転、特に肛門性愛の欲動変転に
ついて」(9でxふ云)〔本巻
  三三七頁〕参照。】
 (60) すぐあとの引用では、幻覚は「五歳」のときのこととされているが、原注(60)〔本巻匸一九頁〕
では「五歳少し前」のこと
  になっている。
 (弓 (匹 とくにI節の最後合W-VI11266-268) [本全集第十一巻、匸一八-一三一頁]参
照。】
 (62) 以下、この幻覚の訳文は同巻の道説泰三訳に準拠している。なお、底本(四)では同論文の初出を
Internationale
  Zeitschr if t fiir arztliche Psychoanalyse「 I「 1913と
しているが、誤記と見なして訂正した。
 (63) 【00 第一三歌。】『エルサレム解放JA・ジュリアーニ編、鷲平京子訳、岩波文庫、二〇一〇
年、三四九頁以下。
 (64) 【匹 タンクレーディの愛するクロリンダの魂は樹木に封じ込められた。彼女のこの運命を知らな
いままにタンクレーデ
  ィがその樹木の幹を剣で斬りつけると、切り囗からは血が流れ出る。】【託 この物語をフロイトは『快
原理の彼岸』Ⅲ節
  (の伺‐x目口)〔本全集第十七巻、七三-七四頁〕で、「反復強迫」との関連でもっと詳しく述べている。

 (65) 【00 「ヴィルヘルムーマイスターの修業時代」第二巻、第一三章におけるゲーテの詩句を参照。
「おんみは哀れな者を責
  めたて、苦しむに任せる」。】
 (66) 「同情」の原語は Mi t leid であるが、これは直訳するなら「ともに苦しむ」を意味する。他人の
ペニスの喪失をともに苦

一      一  一               一 一一   一   一一  一一一一‐‐‐y一 
一 一一一一一一一一一’一一’   ‘’‘ 一一

 しむという形で我が身の苦しみとすることから、つまりナルシシズムの傷害から同情が由来するということ
であろう。
(67) 【00 「補足」の原語はNachtrage.「事後的」という意味の回chtraglichとの
繋がりに注意。】
(68) 【匹 狼から尻尾を引き抜いたのは仕立屋であったことを、想起されたい{の三‐}臼習)〔本巻二
七頁〕。】【06 「仕立屋」の
 原語はSchneider.「切る」の意味の動詞schneidenからの派生語。beschneide
nは割礼を意味する。】
(69) 【阻 淋病の感染のことである。工節の最初(の畑八{に・}〔本巻三頁〕参照。】そこでは感染は
「十八番目の歳(卜十七歳)」
 のときとされている。原注(60)の訊の補足を参照。
(70) 「マトローナ罵啓。o回」はラテン語の「マーテル(母)日aterjに由来する。
(71) 【訊 遺尿症と火との関係にっいては、フロイトの後期の論文「火の獲得にっいて」〔本全集第二十
巻〕参照。】【田 「ある
 ヒステリー分析の断片〔ドーラ〕」(の畑二心脂‐旨七〔本全集第六巻、八八-九〇頁〕および『文化の中
の居心地悪さ』〔本全集第二
 十巻〕のm節における原注(9うとぎ皀)を参照。】
(72) 編注(16)参照。
(73) 【窕 「神経症病因論における性の役割についての私見」(のキゴ・罵)〔本全集箜〔巻、四一五頁
以下〕参照。】
(74) 【00 このブラヶツトで括られた部分は一九一七l一八年に起草された。】
(75) 【託 この点は論文「精神分析のある難しさ」(の畑ふ口隘)(本全集第十六巻、五〇頁)でょり詳
しく取り上げられている。】
(76) 【匹 H・ジルベラ1『神秘主義の諸問題とその象徴系』ウィーン上フィブッイヒ、一九一四年、第
二部、五節。「天上的
 「目心o咏回已」という術語については、一九一九年の『夢解釈』第七章、A節への追加(GW-II/m5
28-529) C本全集第五巻〕
 で説明され議論されている。】
(石 【訊 『自我とエスJm節〔の畑必目昆ご〔本全集第十八巻、二九-三〇頁〕における「完全な」エデ
ィプスコンプレクスに
 関する議論を参照。】
(78) 【弘 過去のあらゆるドイッ語版で四九頁となっているが、それは間違いであろう。おそらく第六章、
A節、Ⅱの最後(初
 版一九八頁)(9ツコ占罵2)〔本全集第五巻〕の一節をフロイトは考えていたのであろう。そこにはこの
原注と同じく「遡行的

  空想作用」という語を使用している。】
 (79) 【訊 原注(32)〔本全集第十巻、二三三頁以下〕を参照。一
 (80) 【託 一九一五年の『性理論のための三篇』への追加(の千ごで咀)〔本全集第六巻、二五四頁〕
および「欲動と欲動運命」
  〔本巻所収〕参照。】
 (81) 【訊 一九二四年より前の版では「三歳九ヵ月で」。】
 (82) 【匹 A・アードラー「生活と神経症における心的な両性具有」(Fortschr i tte d
er Mediz in「 Bd. 28( S. 486)。】
 (83) 【窕 フロイトは随分早くから、たとえば「心理学草案」第一部、六節(のキぶ回亠言において、
過剰な興奮が外傷と
  しての効果を持つことを強訓していた。『制止、症状、不安にH節では、「興奮があまりにも強いものと
なり刺激保護が破綻す
  る、といった(m的な契機が原抑圧の最も手近な誘因であると考えるのは、実にもっともなことである)
〔9でX{ゴ μ}〔本全集
  第十九巻、一九頁〕と書かれている。】
 (磐 【釟 アードラーの抑圧理論に関してプロイトは、論文「「子供がぶたれる」」の最後の方(の詞ふ
日心に・)〔本全集第十六
  巻、一四七頁以下〕で、より詳細に論及している。】
 (85) 【匹 フロイトは後になると、抑圧と不安の関係について見解を変更するが、そのことは『制止、
症状、不安』、特にその
  Ⅳ節(9で肖ご旨皿・)〔本全集第十九巻匸一六頁以下〕およびM節〔「補足」〕Alb(の三‐とごS
R)〔本全集第十九巻、八八頁以
  下〕で説明している。】
 (86) 【匹 その第四論文、六節{9で只}戻)〔本全集第十二巻、匸八九-一九〇頁〕。】
 (U 【匹 個人に対する宗教の意義については『ある錯覚の未来』〔本全集第二十巻〕でさらに議論され
る。】
 (88) 【匹 この論文の最後の三段落{GW-V14ヤ}か)〔本全集第六巻、三〇九-三一〇頁〕。一
 (89) 【匹 エントロピーとは熱力学の第二法則によれば、ある物体状態の特定の物理変化が不可逆的で
あることの蓋然性を示
  す尺度である。エントロピーの行き着く先の最終状態は熱死と言い表される。一【託 「心的惰性」のト
ピックについては「精
  神分析理論にそぐわないパラノイアの‘例の報告」〔本巻所収〕の最後で議論されている。この論文は本
症例よりも早く公表さ

一一一 一一一一 一  一     一  ’一 一一    一 一一 一  一  一  ’    
一  一一

 れているか、おそらくそれよりも後の執筆である。同論文の編注(10)には、同じトピックが取り上げられ
ている多数の参照個
 所が挙げられている。】
(90) 「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」〔本全集第十三巻〕。
(91) 「神経症の発症類型について」〔本全集第十二巻〕。
(92) 以下、【 】で括られた部分は訊編者による袖足である。
(93) 【匹 このあとの忠者の経歴について若干データを補っておくのも、関心を抱いていただけるかもし
れない。元々の治療
 は一九一〇年二月から一四年七月まで続いた。一九年春に患者はウィーンに戻り、フロイトは彼を一九年十
一月から二〇年二
 月までもう}度治療した。論文「終わりのある分析と終わりのない分析」〔本全集第二十一巻〕冒頭のこの
症例に関する若干の
 コメント〔の三図ぶ呂‐回〕においてフロイトは、患者が引き続きウィーンで暮らし、その健康状態は時折
中断はあるものの、
 おおむね良好であった旨、報告している。これら後の中断状態時のエピソードは、フロイトの忠告に基づい
て、彼の弟子のI
 人である、ルースーマックーブランスウィック博士によって取り扱われ治療が施された。博士自身、一九二
六年十月から二七
 年二月にまで及んだ、この後期段階の治療について詳細な報告を行っている(「フロイトの「幼年期神経症
の病歴」への補遺」
 {.International Journal of Psycho-Analys i s「 v ol. 9「 
1928「 p. 439」) °博士の報鵆は、注解二九四五年九月のもの)を補充して、
 『精神分析読本』(R・プリース編、ロンドンーニューヨーク、一九四八年、八六頁)に再録された。注解
の中ではその後一九四
 〇年までの患者の経歴について簡単に述べられている。さらにそれ以降、第二次世界大戦中の彼の外的な多
大の困難とそれに
 対する彼の反応については、この間ミュリェルーガーディナーによって報告が公刊された(「狼男と会う」
(Bu lle t in of the
 Philadelphia Association for Psychoanalys i s「 v ol.
2「 1952( p. 32))°この症例に関する総覧的な報告はE・ジョ1ンズの伝記
 に見られる(「フロイトの生涯と作品に第二巻、ロンドンーニューヨーク、一九五五年、二七三-二七八
頁」。一九七一年には
 ニューヨークで、が1ディナー編の、狼男による狼男についての本が出版された(『狼男による狼男』。ド
イツ語版は翌年、プ
 ランクフルト・アムーマインにて刊行された)。】

    論 稿

 戦争と死についての時評
(1) どちらも、ラファエロがバチカン宮「署名の間」の側壁に描いたフレスコ圉。「詩」を表す「パルナ
ッソス」には詩人た
 ちの群像が、「哲学」を表す「アテネの学堂」には哲学者たちの群像が描かれている。『夢解釈』の第六章、
C節(の詞占ぺ白
 W芯)〔本全集第五巻〕においても触れられている。
(2) アンビクティオン同盟は隣保同盟ともいわれる。古代ギりシアにおける特定の神殿もしくは聖域を維
持管理するために近
 隣の都市国家間で結ばれた同盟のこと。デルポイのアポロン神殿の隣保同盟が最も有名。
(3) 【00 『ヘンリー四世い第一部、第二幕、第四場。』プオルスタッフはシェイクスピアの作品に出
てくる登場人物。世俗的
 な欲の権化のようなキャラクター。邦訳『ヘンリー四世』(第一部)、中野好夫訳、岩波文庫、一九六九年、
七五頁を参照。
(4) 【00 『ヘンリー四世』(第一部、第五幕、第一場)の皇太子ヘンリーの台詞を暗示している。ま
た、一八九九年の二月六日
 付のプりIス宛の手紙には「「おまえは自然に対して死の借りがある」とシェイクスピアが言っているでは
ありませんか」と
 書かれている。一前掲、邦訳「ヘンリー四世」(第一部)、二六〇頁を参照。プりIス宛の手紙については、
ジェプり1・ムセイ
 エフ’マッソン編、ミヒアエル・シュレーターHドイツ語版編「フロイト フリースへの手紙-一八八七-
一九〇四年」河
 田晃訳、誠信書房、二〇〇一年、「手紙一九口(三六四上二六五頁)を参照。
(5) 『夢解釈』第五章、D節〔本全集第四巻、三三〇頁〕に「僕はね、ママがとても好きだからね、ママ
が死んだらさ、あんな
 ふうな剥製にして部屋に飾っておくよ。そしたらいつでもママを見れるからね」という子供の発言が引かれ
ている。
(6) 【00 ディオゲネス・ラエルティオスがキロンから引いた言葉。】『ギリシア哲学者列伝』工)、
加来彰俊訳、岩波文庫、一
 九八四年、六六頁参照。
(7) 【00 (インリヒ・(イネの詩「アズラ」(「ロマンツェーロ」所収)への言及。(イネはここで
スタンダールから着想を得

  一一   一      一       一      一  一          一  一一一
一一一一一        一 一一一一一一一一一一一一一一一        一一一一一一一

 ている。「ある囗、アグバの子サーヒッドは、一人のアラビア人に訊いた。-「お前はどこのものだ」l
「恋をして死ぬ
 国のものだ」-「それではアズラ部族のものか」(『恋愛論』第五三章)。】邦訳『恋愛論』(下)、前川
堅市訳、岩波文庫、一九
 三〇年、四九頁を参照。
(8) もともとはポンペイウスの言葉。中世に(ンザ同盟のモットーとして使われた。ここではラテン語と
そのドイツ語訳が併
 記されている。
(9) 【00 ルートヴィヒ・ウーラント〔一七八七IT八六二年〕の民衆的な詩。「俺にはいたのさ戦友
がT・」。おっと弾丸飛んで
 きた。こいつは俺に来るのかな、はたまた君に行くのかな」。】
(10) (GW-IX185)〔本全集第十二巻、一九六l一九七頁〕。
介]) (の詞‐回公向・)〔本全集第十二巻、八〇頁以下〕。
(12) 『オデュッセイア』(上)、松平千秋訳、岩波文庫、一九九四年、二九九-三〇〇頁。
(13) 【00 (イネの最晩年の作品の一つ『別れゆく人』の掉尾の句。T八六九年に遺作として出版。】
(14) フェゴ島は南米最南端の高。チャールズ・ダーウィン『ビーグル号世界周航記Iダーウィンは何をみ
たか』(荒用秀俊訳、
 講談社学術文庫、二〇一〇年、九五-一〇八頁)に「プエーゴ人」についての記述があるため、参照された
い。
(15) ルートヴィヒ・アンツェングルーバー(T八三九1八九年)はウィーンの劇作家。シュタインクロブ
プアー(ンスは一八七
 二年に初演された戯曲『文字識らず』の登場人物。「詩人と空想」(9でだ同旨)〔本全集第九巻、二三五
1二三六頁〕でも引用
 されている。
(16) (の伺‐只回向)〔本全集第十二巻、八七頁以下〕。
(17) {の伺‐只}呂)〔本全集第十二巻、一五八-一五九頁〕。
(18) ヤコリオ爺さん』はフランスの小説家オノレ・ドーバルザック(一七九九-T八五〇年)の長編小説
であり、一八三五年に
 刊行された。「マンダリンを殺す」は、成功のためなら、発覚の危険がない限り犯罪に及んでもかまわない、
成功のためなら
 犯罪も厭わないという考えを示す表現として知られている。『ゴリオ爺さん』平岡篤頓訳、新潮社、一九七
二年、二三七頁を

 参照。なお、同訳者の注記によれば、この一節の出典はルソーではなく、フランソワHルネ・ドーシヤトー
ブリアンの『キり
 スト敦精髄』だという。
(19) 第三論文「アニミズム、呪術そして思考の万能」{9で回}呂)〔本全集第十二巻、一一〇頁〕。
(20) 「葛藤含み(両価性)」の原語はx wie spalt ig (ambi valent)。
(21) この文と次の文ではラテン語(ゲシュペルト)とそのドイツ語訳が併記されている。ラテン語を直訳
すれば「汝が平和を欲
 するならば、祓いに備えよ」という憲味。フラウィウスーウェゲティウス・レナトウス『軍事提要』(前三
九〇年)より。
(22) ラテン晶(前注参照)を直訳すれば「汝が生を欲するならば、死に備えよ」。

 欲動と欲動運命
(1) 【託 この問題について、同じ線に沿った思想が「ナルシシズムの導入にむけて」(の三八←瓧)
〔本全集第十三巻、匸匸一
 頁〕でも述べられている。】
(2) 【窕 この段落における原初的な生き物という仮想と、次段落におけるいわば「恒常性原理」の想定
は、フロイトの著作
 のごく初期から見られる。それはすでに「器質性運動麻痺とヒステリー性連動麻痺の比較研究のための二、
三の考察」(一八九
 三年)の最後から二番目の段落(の爿山翼)〔本全集第一巻、三七五-三七六頁〕、「ヒステリー諸現象の
心的機制について(講
 演)」二八九三年)〔本全集第一巻〕、そして死後出版の「心理学草案」二八九五年執筆)〔本全集第三
巻〕の第一部、一節合詞I
 ツー回毘向・)に、神経学的な用法も交えて、認められる。また、「夢解釈」二九〇〇年)第七章のc節
(の詞‐{弌目回口同}、E節
 (の三‐ロヘ目色弌ご〔本全集第五巻〕にはこの考えが展開されている。そして本論文のあとにも、『快原理
の彼岸』二九二〇年)
 のTエ節(の畑ふ臼ご皿・)〔本全集第十七巻、五五頁以下〕、Ⅳ節(の詞八日回向・)〔本全集第十七巻、
七七頁以下〕でそれは再び取り
 上げられ、「マゾヒズムの経済論的問題」二九二四年)〔本全集第十八巻〕で再検討される。また、ここで
述べられている「外」
 と「内」の区別については、論文「否定」二九二五年)〔本全集第十九巻〕、『文化の中の居心地悪さ』二
九三〇年)〔本全集第二
 十巻〕でも扱われる。一ここで「欲動」を識別するために論じられている「外」と「内」の区別と同様の区
別が、「夢学説のメ

 タサイコロジー的補遺」(の三‐xへ岱よ沢)〔本巻二六七-二六八頁〕において、「現実」の識別に関し
て論じられている。
(3) 【託 これについては、二つの原理が関わってくる。その一つは「恒常性原理」である(前注参照)。
それは『快原理の彼
 岸』のI節で次のように再論される。「自分のうちに現存する興奮の量をできるかぎり低く抑えておく、あ
るいは少なくとも
 恒常に保っておくというのが、心の装置の指向である」(9で回目已〔本全集第十七巻、五七頁〕。フロイ
トはこの原理に対し、
 同著作の中で「涅槃原理」という用語を適用している。もう一つの関係する原理は「快原理」であり、この
段落の殼初に述べ
 られているとおりのものであるが、やはり『快原理の彼岸』のT⊥節で次のように再論されている。「心の
出来事の経過は快原
 理によって自動的に制御される〔・:〕。心の出来事はいつでも、ある不快を回避し快を産出するように、
舵取られ経過してゆ
 く」(9でヨ{ぶ}〔本全集第十七巻、五七頁〕。フロイトの出発点として、この二つの原理は非常に密接
に連関し合っている、
 もしくはほとんど同じものでさえある、という仮定があったように思われる。実際、フロイトは「心理学草
案」第一部、八節
 において、次のように書いている。「不快を避けるという心的生の傾向は我々の確かに知るところなので、
これを一次的な慣
 性傾向と同一視したくなる」(9でz江沢)。同様の見解は『夢解析一第七章、E節(9で{弌白目巳〔本
全集第五巻〕においても
 示されている。しかしながら、フロイトはやがてこれらの二原理の完全な相関ということには疑いを持つよ
うになり、その疑
 いは『快原理の彼岸』ではさらに押し進められ((の三‐Xコゴ)〔本全集第十七巻、五六頁〕、(9で回
目呂‐呂)〔本全集第十七巻、
 匸一四頁〕)、「マゾヒズムの経済論的問題」では少し詳しくそのことを議論している。そこでの議論によ
れば、緊張が増大し
 てもそれが疑問の余地なく快である場合(例、性的興奮)がある以上は、両原理が同一であることはできな
いし、また、ある状
 態が快であるか不快であるかは当該の興奮量の時間的変化の特質(あるいはリズム)に関係していることが
示唆される(このこ
 とは上記の『快原理の彼岸一からの章句にもすでに暗示されているが』。彼の結論は、いずれにせよ両原理
は同一とみなすこ
 とはできないということである。すなわち、快原理は涅槃原理の修正である。彼の提案によれば、涅槃原理
は「死の欲動」に
 帰せられ、それは「生の欲動」もしくはりビートの影響を受けて、快原理へと修正されるのである。】
(4) 「心的に代表するもの」の原語はpsychischer Reprasen t ant.は、本論文へ
の「編者解説」において、「心的代表」の概
 念と、それに当たるドイツ語の原語について注記している。それによれば、Reprasentantは
「法律的ないし社会体制上の

 代行者」という限定的な意味で用いられる語で、フロイトによるこの用例は数少なく、その後は、より一般
的な語である
 Reprasentanxが用いられている。町は、この指摘を行った上で、Reprasentantと
Reprasentanzの両方をrepresentat i veと
 いう一つの英語で訳している。窕によれば、Reprasentantの数少ない用例とは、「自伝的に記
述されたパラノイアの一症例に
 関する精神分析的考察〔シュレーバー〕」のm節{の弌‐く目 β})〔本全集第十一巻、一七九頁。ただしそ
こでの邦訳は「心的な
 代理表現」〕とここだけのようである。なお、Reprasentanzという語は、そのままで用いられ
ることもあるが、、rrieb-
 reprasen t anxやV orst ell ungsrepasenlanzという合成語の中でしばしば
用いられる。本邦訳全集では、このReprasentanzの
 訳語として「代理」、「代理表現」あるいは「代表」をあてている。さて、『性理論のための三篇』に一九
一五年に追加された
 部分(の弌―く回)〔本全集第六巻、ニー四-ニー五頁〕と本論文において、欲動が心身の間でどのような機
能を果たすのかにつ
 いて、フロイトは同様の記述を行っている。これらの個所以外での記述も考慮に入れて、窕は次のような問
題を提起している。
 すなわち、「欲動」は、身体的なものから心に対しての「代表」そのものであるのか、または、「欲動」が
さらに何らかの「代
 表」を心に向かって送り込むのであろうかということに関して、フロイトの論述は議論の余地を残している。

(5) 「衝迫」の原語はDrang'「日標」は Ziel'「対象」は〇屁輿气「源泉」はQu elle.


(6) 【町 「欲動の絡み合い」の原語は1 nebverschrankung.フロイトは、このことの
二つの例を「ある五歳男児の恐怖症の
 分析〔〔ンス〕」(の三‐だ{曾←乱沼}〔本全集第十巻、匸一五頁、一五四頁〕において論じている。A・
アードラー「生活と神経症
 における攻撃欲動」(Fortschr i tte der Medi z in「 19( 1908)。】
(7) 【託 「囚着」については、論文「抑圧」(9で回沼)〔本巻一九七頁〕も参照。一
(8) 【託 「もっと後の文脈」がどこを指すのか明らかではない。】
(9) 託の「編者解説」は、二つの「原欲動」について、この時点での「自我欲動」と「性欲動」の対置の
ほかに、ナルシス的
 に自分に関わる欲動と対象に向かう欲動の区別、『快原理の彼岸』(原注(36)〔本全集第十七巻、匸一一
頁〕)以降における「生の
 欲動」と「死の欲動」の組み合わせにも注意を払うように促している。
(10) {町 ヴァイスマンの胚原質理論の心理学的な意味を、フロイトはより詳細に『快原理の彼岸』のⅥ
節(GW-XI1147言

    一    一       一     一 一     一一一   一  一一一一一 一  
一一一 一一一一一一      一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一    一一  ‐一一一
一一一一一一一一一一一 一一一

 〔本全集第十七巻、九九頁以下〕において論じている。」
(U 【託 フロイトはこの仮説を、すでに「性理論のための三篇」初版二九〇五年)において表明している
((9ツゴ司)〔本全
 集第六巻、二七七頁〕)に付された編注(8)を参照)。ただし、少なくともその十年前には、これを思い
描いていたようである。
 おそらく一八九五年に書かれた、フリースへの手紙に添えられた「草稿I」がその例である。】ジェフリー
・ムセイェフーマ
 ッソン編、ミヒアエルーシュレータートドイツ語版編『フロイト プリースへの手紙-一八八七-一九〇四
年』河田晃訳、
 誠信書房、二〇〇一年、「草稿I」二五二-一五四頁)。
(12) 【E 「器官快「o品弓Fこ」という語の初出はここである。一つの特定の身体器官に付着した快の
こと。この用語は、『精
 神分析入門講義』〔本全集第十五巻〕の第一二講(の三点に邱同)前半でより詳しく論じられる。むろん、
ここでの着想それ自体
 は、ずっと以前にまで遡る。たとえば『性川論のための三篇』の第三篇の冒頭(GW-V108)〔本全集第
六巻、二六六頁〕を見
 よ。】
(13) 【託 「ナルシシズムの導入にむけて」(の同‐x←回心回)〔本全集第士二巻、二面頁〕を参
照。】
(14) 【窕 「ナルシシズムの導入にむけて」(9で){←台‐←台}〔本全集第十三巻、匸一八-匸一九
頁〕を参照。】
(15) ここで挙げられた項目の原語は次の通り。「対立物への反転」はDie Verkehrung in
s Gegent eil'「わが身への向き直り」
 はDie We乱ung gegen die eigene Pers目、「抑圧」はDie Verd
rangung'「昇華」はDie Su blimie ヨ品゛
(16) 窕および匹の注によると、この時期にフロイトが本論文を含めた一巡のメタサイコロジー論文をある
種のセットとして執
 筆するもくろみを持っていたことが分かっている。「抑圧」についての論文は書かれたが、「昇華」の論文
は書かれなかったか、
 あるいは書かれはしたものの失われてしまったと推定される。また、「昇華」の概念はすでに「ナルシシズ
ムの導入にむけて」
 (GW-X161二回)〔木全集第十三巻、一四二-一四三頁〕で触れられている。
(17) 「視ることの快」の原語は叩一白目皿、「露出」はExhibE〇F
(18) 託は、ここでのフロイトにおける汐里呉{(主体)という用語の用法は独特で、何らかの精神作用が
そこから発する人物と
 いうよりも、むしろ、関係において能動的な役割を果たす人物という意味であり、その限りでは、この人物
はある種の代理的

 存在であってもかまわない、つまり、英語で言えば回里ectである必要はなく、agentであればよい
としている。こうした
 Subjektという語の用法は、引き続く個所でも見られる。
(19) まず、欲動の向き直りによって、自我は受動的な位置に来る。次に自我は空相Jによって、能動的な
位置へと自分を置く。
 この状態では、マゾヒズムという現象の中で、隠れた空想を通じてサディズムが行われていることになる。
(20) 託の注でも触れられているように、ここでフロイトが念頭に置いているのは、ギリシア語の動詞の態
のことである。田中
 美知太郎、松平千秋『ギリシア語入門い(岩波書店、一九五一年、改訂版、一九六二年)から、これに関係
する説明を若干引き
 写しておく。ギリシア語の動詞には能動相冫庄罵)、中動相(乱瓧F)、受動相(富亂罵)がある。中動相
はその名称の示すよ
 うに能動相と受動相の中間的な朧能を持つ相であるとも言えるが、その本来の意義はむしろ能動相である。
ただ中動相には能
 動相の場合に比べて、動詞の表す動作がその主語に対して利害その他の点で何か特別に深い関係を持ってい
る場合が多い。
(21) 【託 『性理論のための三篇』の第二篇末尾(の三‐ご早回)〔本全集第六巻、二六一-二六二頁〕
を参照。】
(22) 【託 「後述部分」がどこを指すのか、明らかではない。やはり見失われた昇華についての論文にお
いて書かれることにな
 っていたのではないか。この主題について議論が見出される個所として、「戦争と死についての時評」(9
でX衍愆〔本巻一四
 二頁〕が挙げられるが、それを指しているのではないであろう。また、本論文の執筆と同じ一九一五年に
『性理論のための三
 篇』に追加された注〔本全集第六巻、二二九頁、原注(8)〕において、フロイトは昇華と反動形成は別々
の過程と見なすべきで
 あると論じている。さらに、おそらく一九一四年の末、本論文の数力月前に執筆された「ある幼児期神経症
の病歴より〔狼
 男〕」にも、同情(原語は三三のぷ(「共に苦しむ」の意))の起源について論じた個所(の詞―肖コ回亠
旨)〔本巻九二l九三頁〕が見
 られる。】
(23) 【窕 前注(18)の個所と同様、この個所でも「主体〔汐ど輿{}」という語の特有の用法が見られ
る。】
(24) 【託 この「このように発達が後の時期になると」という部分は、初版時のみ、「後のいずれの発達
の時期においても」と
 なっていた。】
(茴 【町 ブロイラーによって作り出された〔両価性夕日F回一2に〕」の概念を、フロイトがここで用い
たような意味でブロ

  ””  ’一 ’ 一 一         一‐一一一          一 一一一  ″一一一一
一一一一一一一一一            ゛″″一゛゛゛゛゛゛゛″

 イラー自身が使ったことはないように見える(E・ブロイラー「両価性についての講演(ベルン) J (Ze
ntralblatt fur Psycho-
 analyse「 1「 1910( 266)および「早発性痴呆あるいは統合失調症群」(ライブツィヒー
ウィーン、一九一一年、四三頁、三〇五
 頁)を参照〔邦訳として、『精神分裂病の概念-精神医学論文集』(人見一彦・向井泰二郎・笹野京子訳、
学樹書院、一九九八
 年)所収の「両価性」の論文や、づ早発性痴呆または精神分裂病群に(飯田真・ド坂幸三・保崎秀夫・安永
浩訳、医学書院、一九
 七四年)などが両価性を扱っている〕)。ブロイラーがぼ別したのは次の三型の両価性である。(匸感情の
両価性。愛と憎しみ
 の間の動揺。(二)意志の両価性。一つの行為へと決定することができないこと。(三)知的水準の両価性。
互いに矛盾した複数
 の命題への信念。普段のフロイトは、これらのうち(匸の意味で「㈲価性」の語を用いている。その例は、
初めて彼がこの語
 を採用した「転移の力動論にむけて」の末尾近く(GW-VI11372-373) C 本全集第十二巻、二一
八1ニー九頁〕や、本論文の後述
 の個所(GW-X225。 232) (本巻一八五頁、一九二頁)で見られる。今論じているこの個所は、彼が
能動性と受動性ということに
 この語を当てはめた数少ない機会の一つである。この例外的とも言える用法の他の例は、症例「狼男」のm
節(GW-X1151)
 〔本巻二二頁〕に見出される。】
(26) 受動的な成分が徐々に積み重ねられ、遺伝的に伝えられ、今日見られるような、受動的成分が能動的
成分に拮抗するよう
 な生命個体さえ出現するようになったという順序のこと。ただし、欲動は本来的には能動的であるというの
がフロイトの基本
 的な立場である。【託 『トーテムとタブー』(GW-IX83)〔本全集第十一一巻、第H節、八七-八八
頁〕を参照。】
(U 【託 「防術」という考想については、前述の個所(の詞尚臼)宋巻一七七頁〕を参照。】
(28) (の三亠旨口)〔本巻一七七頁〕で予告されていた「内容の反転」の話題にここで移る。ただし、予
告では「内容のF回目冫」
 と書かれていたのに対して、ここでは括弧でくくって「素材の上での日呉圧呂」と書かれている。対応を考
慮してここでは
 単に「内容上の」と訳した。
(29) 【窕 一九二四年よりも前の版では、「愛から憎しみへの転化」ではなく「愛と憎しみの転化」とな
っていた。】
(30) 【町 P・フェーデルン「サディズムとマゾヒズムの分析への寄与」(.International
e Zeitschr if t fur Psychoanalyse「 1「
 1913( 29)、L・イェーヶルス「欲動学説へのいくつかの見解」(.Internationale 
Zeitschr if t fur Psychoanalyse「 1「 1913( 439)°]

(31) 【託 この問題は、さらにずっと詳しく、『性理論のための三篇いに。九一五年(本論文が執筆され
たのと同じ年)に追加さ
 れた注〔本全集第六巻、二八一良、原注(8)〕において議論されている。また、「精神分析運動の歴史の
ために」{9苧X咀 ‐
 }呂)〔本全集第十三巻、一〇〇貞〕も参照。】
(32) 【田 (の詞亠心已〔本巻一八五頁〕においてフロイトは、愛することに対立するのは(匸憎むこと、
(二)愛されること、
 (三)無関心、と述べていた〔「愛する 憎むの対立のほかに、愛する。愛されるという対立があるのに加
えて、愛すると憎むと
 を一体とすると、それは無頓着、無関心の状態に対立する」〕。しかしこの段落では、順番を変えて、(匸
無関心、(二)憎むこ
 と、(三)愛されること、としている。(9でX228( 232) C本巻一八七-匸八八頁、一九二-一九
三頁〕においても同様である。
 この変更は、発達を考慮に入れて、無関心が最初に現れるとしたことから来ていると思われる。】
(33) 【託 この非常に圧縮された脚注は、むしろここから二、三段落先に置かれていたほうが、分かりや
すいものになっていた
 だろう。これはおそらく、次のように敷衍してもよいであろう。フロイトは「心的生起の二原理に関する定
式」〔本全集第十一
 巻〕において、初期の「快自我」が「現実自我」に変容するという着想を導入した。しかし本論文のここに
続く個所で、彼は、
 それよりもさらに早期の原初的な「現実自我」が存在していると論じている。この原初的な「現実自我」は、
直接に最終的な
 「現実自我」に進むのではなくて、快原理の支配を受けて、まずは「快自我」に置き換えられる。この注は、
一方では、この
 後者の変転を促進するような要素を、他方では、その変転に逆らうような要素を、数え上げている。自体性
愛的なリピート的
 欲動の存在は、「快自我」への転化を奨励するであろうが、非-自体性愛的なリピート的欲動と自我保存欲
動は、そうではな
 く、最終的な成人の「現実自我」への直接の移行をもたらそうとするであろう。フロイトが言うには、この
後者の結果が実際
 には起こることになろう。それはただし、寄る辺ない乳児の親による世話が、この第二の欲動の組を満足さ
せて、人工的にI
 次的なナルシシズムの状態を長引かせ、こうして「快自我」の設立が可能になるのを助けるということがな
ければではある
 が。】
(34) 【託 S・フェレンツイ「取り込みと転移」(Jahrbuch fur psychoanalyt
i sche und psychopathologische Forschungen「 1{
 }凛で回)。一

          一一     一   一一               一‐一一一一一一一一一 
一一一一一一一        一一   一一一一一一一一一一一  ″一一一一 一一一一一一

(35) 【窕 「取り込み」は in tr oji z ie rl sichと動詞形で書かれており、この用語のフロイ


トにおける初出はこの個所であると考
 えられる。】
(36) 【毘 「無意識」(9で図に毘)〔本巻二三丁二三三頁〕と「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」
(の三ふ【汢巳〔本巻二五七
 頁〕で、投射について触れられる。】
(37) 【窕 内部と外部の区別については、先述の個所(9うに号〔本巻一七〇頁〕および同所に付された
編注(2)を参照。ま
 た、現実自我と快自我という用語は「心的生起の二原理に関する定式」ですでに導入されていた〔編注
(33)を参照〕。】
(38) 【託 「二つめ」については、編注(32)を参照。】
(39) 【窕 「関係」の原語はBeziehungen.ところが、これは初版ではiiezeichnun
genとなっていて、これだと「〔愛や僧しみ
 という〕言葉」の意になり、むしろこちらのほうがよく意味が通る。】
(40) 「全体自我」の原語は9s am t-Ich.
(41) 【託 フロイトによる口唇期の最初の説明は、「性理論のための三篇」の第三版(一九一五年)に追
加された段落で述べられ
 た(の詞‐く呂‐名)〔本全集第六巻、二五四頁〕。その第三版の「まえがき」には「一九一四年十月」と
いう日付があり、これは
 本論文が執筆される数力月前にあたる。さらに「喪とメランコリー」(9でX心呂)〔本巻二八二頁〕も参
照。】
(42) 【託 〔強迫神経症の素因≒本全集第十三巻〕を参照。】
(43) 【窕 「両価性」については編注(25)を参照。一
(44) 【託 「第三の」という順番については、編注(32)を参照。】
(45) 【託 愛と憎しみの関係について、フロイトはさらに、死の欲動の観点から、「自我とエス」のⅣ節
(りでX日回向・)〔本全
 集第十八巻、一〇〇頁以ド〕において議論している。】
(46) 本巻所収の論文「抑圧」を指す。

 抑 圧
(1) 【町 痛みと、痛みに対処する有機体の手段についての議論は「快原理の彼岸」のⅣ節 Ξ 回目回心)
〔本全集第十七巻、
 八二頁〕に見られる。また、この主題は、「心理学草案」〔本全集第三巻〕の第一部、六節合三‐回言よ呂)
ですでに取り上げら
 れている。】さらに「欲動と欲動運命」〔の三‐に甘末巻一七九l一八〇頁〕も参照。
(2) 【田 「心理学草案」の第一部、一節(9うぶ脱)で、これは「特異的行為」と呼ばれてぃる。】
(3) 【託 「別の文脈」でフロイトが何を念頭に置いてぃたか明らかではない。】ただし、幻覚の場合な
どの「病理学の問題」
 という文脈の可能性がある。
(4) 【窕 この定式の修正というべきものが、論文「無意識」{9でx呂}‐吉愆〔本巻二五二-二五三
頁〕に見られる。】
(5) 【窕 「欲動と欲動運命」(の回に咨〔本巻一七七頁〕。】
(6) 【託 論文「無意識」のⅣ節(のキにざ喘・)〔本巻二二八頁以下〕を参照。】
(7) 【田 T心的な代表】という考え方と用語法については、「欲動と欲動運命」[の詞亠に]七〔本巻
一七二頁〕に付された編注
 (4)を参照。】
(8) 【泥 論文「無意識」のv節(9で図回・)〔本巻二三五-二三六頁〕を参照。】
(9) 「本来固有の抑圧」の原語はeigentliche Verdrang目g(先の「原抑圧」の原語
はUrverdrangung) °
(10) 「踏製性抑圧」の原語はる・回診品目・【託 このど・瓦談品目という語は、「自伝的に記述された
パラノイアの一症例
 に関する精神分析的考察〔シユレーバー〕」二九一 一年)〔本全集第十一巻〕の途上ですでに用いられて
いた[次の編注介])を参
 照)。また、論文「無憲識」二九一五年)(の詞‐x旨甲に呂)〔本巻二二八-二二九頁〕でも用いられて
いる。ただし、二十年以上
 後の「終わりのある分析と終わりのない分析」几九三七年)〔本全集第二十一巻〕のm節(の三lx回呂
R)では、同じ論点に言
 及しつつもlNachverdrangungという語が用いられている。】窕では、XNachdran
genはafter-pressure' Nachverdrangungは
 after-repressionと訳し分けられている。本邦訳全集では、同じ「踏面性抑圧」という訳語
をあててぃる。
(U 【託 ここまでの二つの段落で論じられた、抑圧の二つの段階は、これより四年前にあらかじめ(多少
違った形においてで

 はあるが)症例「シユレーバー」のm節(9でく日吉ら)〔本全集第十一巻、一七〇-一七一頁〕で、また
一九一〇年十二月六日
 付のフェレンツイ宛の手紙のなかでも(E・ジョーンズ『フロイトの生涯と作品』第二巻、ロンドンーニユ
1ヨーク、一九五
 五年、四九九頁による)、説明されている。また、関連して、『夢解釈にの注(の司Iコヘ白いS)〔本全
集第五巻〕、および『性理
 論のための三篇』の注〔本全集第六巻、二二五頁、原注(4)〕も参照。】
(12) 【託 この段落の中で以下に論じられていることがらは、論文「無意識」のⅥ節(の詞lX 288
ff.) [本巻二三八頁以下]でよ
 り詳しく議論される。一
(13) 原抑圧されたものへの距離が近くなるほど意識からの抵抗が高まり、遠くなるほど低くなるのである
から、ある種の反比
 例の関係が思い描かれているのであろう。
(14) 【窕 一九二四年よりも前の版では、「不首尾に終わった意識への到達を、遂に勝ち得ていた」では
なく「不首尾に終わっ
 た到達を、意識から遂に勝ち得ていた」となっていた。】
(15) 『町 一。性理論のための三篇』第一篇、二節、a〔の万万噐三本全集第六巻、一九五-一九七頁〕
を参照。】
(16) 『窕 。機知-その擺意識との関係』のH節(回ぶ白尚・)〔本全集第八巻、三頁以下〕を参照。】
(17) 【託 論文「無意識」のⅣ節‥目頭(9でに率回)〔本巻二二八-二二九頁〕を参照。】
(18) 【託 この点については『夢解釈』の第七章、c節〔の万白白ヨ二本全集第五巻〕、また「夢学説へ
のメタサイコロジー
 的補遺」(の三‐と云)〔本巻二五九頁〕を参照。】
(19) 【町 「情動総計」の原語は冫防了蒿犀品。これはプロイ小のブロイアー時代にさかのぼる術語であ
る。たとえば、「防衛
 -神経精神症」の最後の段落(9で{22}〔本全集第一巻、四一〇頁〕を参照。】
(20) 【託 この最後の点に関しての、フロイトの更新された見解は、『制止、症状、不安』とくにⅣ節の
末尾(GW-XIV137-
 139)、第M節のA-b{9でにく}旨ム呂)〔本全集第十九巻、三五-三七頁、八八-九一頁〕におい
て述べられる。】
(21) 【窕 この比喩を、フロイトは『精神分析について』のⅡ節(の爿八日心‐岱)〔本全集第九巻、匸
二頁〕においても用い
 ている。】

(22) 【E 「抑圧されたものの回帰」は、フロイトのかなり早い時期の慨念である。「防衛-神経精神症
再論」〔本全集第三巻〕の
 Ⅱ節(0三‐ご蒿)において、またさらに遡れば、匸八九六年の一月一口にプリースに送られたその論文の下
書き(「草稿K」)に
 見られる。】ジェフり1・ムセイェプーマッソン編、ミヒアエル・シュレータートドイツ語版編「フロイト
フリースへの手
 紙-一八八七I一九〇四年」河田晃訳、誠信書房、一一〇〇一年、「草稿K」(二六五-一七二頁)。
(23) 【託 フロイトはこの課題に、論文「無意識」のⅣ節合三‐XS罵・)〔本巻二三〇頁以下〕で取り
組んでいる。】
(24) 【窕 これはむろん、この時点で基本的に仕上げられていたけれどもまだ出版(三年後)には至つて
ぃなかった「ある幼児
 期神経症の病歴より〔狼男〕」〔本巻所収〕への言及である。】
(25) 上記(9でxに留)〔本巻べ○三頁〕の(「欲動代表の量的因予」から区別された)「欲動代表の表
象成分」のこと。
(26) 【窕 論文「無意識」のⅣ節の途中(9でに昌R)〔本巻二三頁以ド〕からの、動物恐怖症の子ども
にっいての論及を参
 猖…。】
云) 原語は la belle indifference des hyster i ques.フランス語。
【託 フロイトはこの語を、『ヒステリー研究゛一(の詞‐コ宝)〔本
 全集第二巻、一七一丿頁〕においても引用している。】
(28) 【田 これはおそらく、見失われてしまった転換ヒステり1のメタサイコロジー的論文への暗示。】
(29) 「良心不安」の原語はGe wi ssensangsi.「心の疚しさ」という意味であるが、Angs
t (不安)という語を生かすためこのよ
 うに訳した。
(30) 【託 「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」のⅡ節、C合千く回目)〔本全集第十巻、二六
六頁〕を参照。】

 無意識
 (1) 【窕 フロイトは、心身平行論を受け入れる方向に頤いてぃたことがある。彼の『失語症の理解に
むけてI批判的研究゛一
  (H甲呂)〔本全集第一巻、六九頁〕を参照。フロイトの初期の、精神と神経系との関係を巡る見方は、
ヒューリングス・ジヤク
  ソンに大きく影響されている。潜在的な記憶ないし想起という主題を巡る、この失語症論中の文章(弓甲
咀二回)〔同巻、七〇

一    一                           ”        ””   一一
一一一一一 一一

 頁〕を、フロイトの後の立場と比べてみれば、示唆されるところが多い。】
(2) 【託 「夢解釈に(の三‐買日蕊)〔本全集第四巻、一七八頁〕参照。】
(3) 【窕 この「後催眠」という現象について、フロイトは未完に終わった断章「精神分析初歩教程」
{の畑亠く日合 ‐ }合)〔本
 全集第一一十二巻、二五九-二六〇頁〕で、やや踏み込んだ記述を行っている。】また、『ヒステリー研
究』の「病歴A エミ
 ー・フォン・N夫人」原注(22)〔本全集第二巻、八二頁〕にも、H・ベルネームによる後催眠への言及が
ある。
(4) 「類似によって」の原語はtq弓Eo叫F日匸プテン語。
(5) 「下意識」の原語はUnterbe w ufitsein. [£o 「下意識」という語は、フロイト
の初期の著作中、たとえばフランス語論文
 「器質性運動麻疹とヒステリ1性連動麻仰の比較研究のための二、三の考察」二八九三年)E三山脇)〔本
全集第一巻、三七五
 頁〕やI。ヒステリー研究い二八九五年)の注〔本全集第二巻、八四頁、原注(99一)〕に現れる。しか
し、すでに『夢解釈』二九〇〇
 年)(9で{弌白咫 Ξ〔本全集第五巻〕において、彼はこの語の使用に反対の立場を取っている。また、『精
神分析入門講義』こ
 九一六-一七年)〔本全集第十五巻〕の第一九講(GW-X1296ff.)でこの点に言及し、『素人分析の
問題』(一九二六年)のH節の終
 わり近く(GW-XIV 225)〔本全集第十九巻、匸匸丁匸≒頁〕でも、より詳しく論じている。】
(6) 原語はdouble conscience.フランス語。
(7) 【託 この考えは、すでに『夢解釈にの第七章、F節(の三‐守日咫?咫に)においてかなり詳しく
述べられている。】
(8) アニミズムに関するフロイトの見解については、宍トーテムとタブー』の第三論文「アニミズム、呪
術そして思考の万能」
 (9で9品戸)〔本全集第卜二巻、九七頁以下〕を参照。
(9) 「無意識性」の原語はdie Unbe w ufitheit.
(10) 「意識性」の原語はdie Be w ufitheit.前述の議論を受け、「どの程度意識されている
か」ということを言うために用いられ
 ているように思われる。この点については後の議論{の三尚旨})〔本巻二四〇-二四一頁〕を参照。
石) 【託 これらの略号は、『夢解釈』の第七章、B節(GW-IIyIII 546ff.)において、すで
に辱入されている。】フロイトは、
 「錣意識Unbe w ufilesJを意味する略ひを「ふ」と大文字で始めている。つまり、これを一つの
「系」と見立てて名詞的に扱

 つているのである。さらにここに「系」という語を付加して、「ぶ系」と表記することもある。したがって、
「ふ」と「ぶ系」
 は同じことを意味する。一万、「心」と小文字で略号が始められることも稀にある。それは、品詞上のつな
がりが形容詞的に
 なっている場合である。名詞的であるか形容詞的であるかという問題は、本文中で言われる「書き込み」
(GW-X273) (本巻二
 ニー頁)が二つの場所にまたがって存在するのか、あるいは一つの場所における状態変化であるのか、とい
うフロイトの問題
 意識と関係するので、略号における大文字と小文字については、邦訳する際にもフロイトの表記に準じた。
これらの諸点は、
 「意識肘 旨」、「前意識大 心」という他の二種類の略号に関しても同様である。なお、「芒が用いられ
ず、「皿意識の」と
 いう形容詞unbe w ufitがそのまま記されている場合も散見される。
(12) 【窕 「ヒステリー研究」の「理論的部分」B弌‐ぶ回)〔本全集第二巻、二八六頁〕を参照。】
(13)【託ブロイラー「統合失調症の批判」(.Zeitschr if t fur die ges am te N
eurologie und Psychiatr ic「 22「 1914「三。フロイ
 トの「精神分析運動の歴史のために」(9ツx爬‐丞)〔本全集第十三巻、八三l八四頁〕を参照。】
(14) 「表象」の原語はべoJ己F品・【窕 英語の一dea「 image【 representat i
目のいずれにも相当する語。】
(15) 【託 ある表象が心の裡で一個所だけにとどまらない「書き込み」の場を有しているというこの考え
方は、一八九六年十
 二月六日付のフリース宛の手紙(『精神分析の揺籃期より』ロンドン、一九五〇年、「手紙五二」)におい
て初めて述べられてい
 る。宍夢解釈』の第七章、B節合三‐買日?号でこの考えが用いられ、また、同じ章のF節(の三占占回
ぶ)では、本冷文にお
 ける議論につながるような形で再び言及されている。】ジェフリー・ムセイェフ・マッソン榻、ミヒアエル
ーシュレーター日
 ドイツ語版編「フロイト フリースへの手紙-一八八七I一九〇四年」河田晃訳、誠信書一房、二〇〇一年、
「手紙一二口
 (二一一l二一八頁)参照。
(16) 【託 フロイト自身、『失語症の理解にむけてI批判的研究』において、この脳機能の局在性という
問題に取り組んでき
 ていた。】
(17) 【窕 フロイトはこの冷点について、「H・ベルネーム著『暗示とその治療効果』 への訳者序文」
〔本全集第一巻〕ですでに
 触れている。一

一一                                               
一  一 一一 一一一 一一  一一

(坊 【託 意識的表象と錣豆識的表象のぽ別の局所論的臨床描写が、「ある五歳男児の恐怖症の分析〔〔ン
ス〕」の「総括」
 (の三二臼留へ)〔本全集第十巻、一四八l一四九頁〕において、また、「治療の間始のために」の末尾の
諸段落(GW-VI11476-
 478)〔本全集第卜三巻、二六六I二六九頁〕で、より詳しく行われている。】
(19) 「欲動」と「欲動を心的に代表するもの」との関係についてのフロイトの議論に関しては、「欲動と
欲動運命」〔本巻所収〕
 の編注(4)を参照。
(20) 「罪責意識」の原語はSchuldbe w ufitsein. [£q ドイッ語では「罪責感〔汐目
瓦翌昌三〕」と同じ意味でよく使われる。】
(21) 論文「抑圧」(9でX255-256)C本巻二〇三頁〕を参照。
(22) 「情動総計」の原語はAriektbetrag.本邦訳全集では、「情動総計」または「情動量」と
訳している。
(23) 『窕 情動についての主たる議論はい夢解釈』笙(章、H節(9で白白范同)〔本全集第五巻〕に見
られる。】
(24) 【託 この問題については『自我とエス』のⅡ節互で回に合同)〔本全集第十八巻、三頁以下〕で再
び論じられる。】
(25) 【窕 一九一五年の版のみ、この「(ふ)」が書かれていない。】
(26) 【窕 論文「抑圧」〔回ごに谷栄巻二〇二頁〕を参照。】
介) 【窕 論文「抑圧」〔の苧に谷呆巻一九八頁〕を参照。】
(28) 【窕 ここでの「りビード」という語の使用については、三段落先{の三長浜})〔本巻二三〇頁〕
を参照。】
(29) 【託 フロイトは、この言葉を、二十年前のT八九六年二月十三日付のプりIス宛の手紙(前掲『精
神分析の揺籃期より』、
 (手紙四口)の中で初めて用いている〔前掲『フロイト フリースへの手紙-一八八七l一九〇四年』、
「手紙八七」二七五1
 一七六頁)参照〕。公刊された著作の巾では、これ以前には、『日常生活の精神病理学にむけて』の第二一
章、C(GW-IV288)
 〔本全集第七巻、三二〔頁〕で一回用いただけである。】
(30) 【託 「リピート」という語の使用は、三段落前(9でX279) C本巻二二九頁〕ですでに行われ
ている。】
(31) 【託 ここからが、〔次段落の冒頭で言及される〕不安ヒステリーの「第二の段階」である。】
(32) 【託 論文「抑圧」(のづに司‐回)〔本巻二〇五頁〕を参照。】

(33) 【託 一九一五年の版のみ、この「(も)」が晝かれていない。】
(34) 【窕 ここからが、不安ヒステリーの「第三段階」である。】
(35) 【託 小さな不快退出が「信号」として働き、はるかに大きい退出を防止するというという考えは、
すでに「心理学草案」
 〔本全集第三巻〕の第二部、六節(GW-Nb449ff.)、および「夢解釈」の第七章、E節(GW-ny
HI呂巴に見られる。もちろん、
 この考えが大きく展間されるのは、・[制止、症状、不安]のたとえばM一節、Alb(G^でXIV19
3-195)〔本全集第十九巻、八八
 -九一頁〕においてである。】

(36) ここでは明らかに、「恐怖症」と「不安ヒステリー」が細かくぼ別されている。「不安ヒステリー」
は、「回避、断念、禁
 止」を臨床的表現とする一つの疾患単位のように扱われ、「恐怖症」はその主な症状であって、他の神経症
性疾患でも現れる
 とされている。「恐怖症」は一般の精神医学臨床でもしばしば用いられる用語であるが、「不安ヒステリ
ー」は精神分析の分野
 における独特の用語である。症例「「ンス」における議論(の畑‐だご治山留)〔本全集第十巻、一四三-
一四五頁〕、ならびに
 J・ラプランシュ、J-B・ポンタリス『精神分析用語辞典』(みすず書房、一九七七年)の該当項目(四
一〇-四一一頁)を参
 照。

(37) フロイトは「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」(9ツXら二)〔本巻二五七頁〕で、「夢」と
「ヒステリー性恐怖症」にお
 ける「投射」つまり「内的な過程の外化」を論じている。
(38) 【窕 おそらくは、転換ヒステリーについての失われてしまった論文への言及であろう。また、フロ
イトはこの問題をす
 でに『ヒステリ1研究』[の三]回?岱ら)〔本全集第二巻、二匸丁ニー四頁〕で扱っている。】
(39) 【託 一九一五年の版のみ、この「「リ」が書かれていないこ】
                    y
(40) 「欲動代表」については、のちのV節(9ツ只に丞)〔本巻二三四頁〕、ならびに先立つ論文「抑
圧」における議論(の三亠
 呂二言〔本巻一九八頁以下〕を参照。
(41) 【託 論文「抑圧」(回了臼噐言〔本巻已○七-二○八頁〕を参照。】
(42) 【託 このことはすでに『機知-その無意識との関係』のⅥ節(のキョ謚罵・)〔本全集第八巻、一
八八頁以下〕で論じら

                                             一一一一
一一   一 一    ’一’一’一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一

 れているが、のちの論文「否定」〔本全集第十九巻〕も参照されたい。】
(43) 『託 フロイトはこの考えを、非常によく似た言葉遣いでう夢解釈』の第七章、E節(の湖心占ぶ
に)において述べている
 が、この点はより詳しくは]桟知-その無意識との関係]、とくにⅦ節(の湖―だにマに≒)〔本全集第八
巻、二三六-二六〇
 頁〕で扱われている。】
(44) 【町 一九若年の版のみ、「ぶ」と書かれている。】
(45) 【託 無意識の「無時間性」への言及は、フロイトの著作のそこここに散りばめられている。最も早
い時期のものはおそ
 らく、一八九七年に書かれた草稿(前掲『精神分析の揺籃期より』、「草稿M」)に見られる一文で、そこ
でフロイトは「時間的
 性格の無視とは、多分、前意識と無意誠における活動の相違にとって本質的であろう」と述べている〔前掲
「フロイト フリ
 ースヘの手紙1T八八七-一九〇四年」、「草稿M」こ一五四-二五七頁ご。間接的な言及が、『夢解釈』
(一九〇〇年)の第七章、
 D節(のW-IIyI11583-584)に見られる。しかし、公刊物における最初の明確な言及は、・〔日
常生活の精神病理学にむけて〕(一九
 〇一年)の第二一章の終わり近くに一九〇七年に追加された注〔本全集第七巻、三三五頁、原注(87)〕に
おいてであると思われ
 る。「ナルシシズムの導入にむけて」二九一四年)の注〔本全集第十三巻、一四五頁、原注(10 とにも短い
言及がある。後の著作
 でもフロイトは再びこの論点に立ち戻っている。とくにい快原理の彼岸』二九二〇年)(9でとコS)〔本
全集第十七巻、八〇
 頁〕と『続・精神分析入門講義』〔本全集第二十一巻〕の第二コ講(GW-XV 62 ff.)においてである。
この主題についての議論は、
 ウィーン精神分析協会の一九一一年十一月八日の研究会でなされており、その時のフロイトの発言の非常に
短い要旨が会議録
 (Zentralblatt fur Psychoanalyse「  2「  476よ77」 に記録されてぃ
る。】「夢解釈」第一章の原注(12)〔本全集第四巻、七七頁〕にも、
 夢を介した間接的な言及が見られる。
(46) 【託 「心的生起の二原理に関する定式」の八(9う吉麗マ回)〔本全集第十一巻、二六六I二六七
頁〕。「現実吟味」に
 ついては「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」(の三‐X皀回・)〔本巻二六六頁以下〕においてかなり
詳しく述べられている。】
(47) 【託 「夢解釈に第七章、E節「一次過程と二次過程-抑圧」(の湖心占石高・)を参照。】
(48) 一次過程と二次過程の仮説がブロイアーに帰せられるということについては、「ヒステリー研究」の
「理論的部分」の原

  注(50)〔木全集第二巻、二四七頁〕に付された編注(13)を参照。
 (49) 「そのもの自体としては」の原語は目口乱「印器冫(即向自)。
 (50) 「存在無能力」の原語はex i stenzunfahig.
 (51) 【窕 おそらくは、意識についての失われてしまった論文への言及であろう。】
 (52) 編注(48)参照。
 (53) 【託 「「不思議のメモ帳」についての覚え書き」の最後から二番目の段落(GW-XIV7-8)
〔本全集第亅八巻、三二二-三二
  三頁〕を参照。】
 (54) 【託 一九一五年の版のみ、「冊」と書かれている。】
 (55) 【託 これは、言語に対するふの関係(の三‐X吉つ已〔本巻こ五一頁以下〕を指しているのかも
しれないが、メタサイコロ
  ジー諸篇の未刊論文のことかもしれない。】
 (56) 【託 動物のメタサイコロジーについてのフロイトの言及はごくわずかだか、その一つが「精神分
析概説」の第一章
  (の弓‐网くコ后)〔本全集第二十二巻、一八二頁〕に見られる。】
 (57) 【E 論文「抑圧」合三‐に吊に)笨巻一九九-二○○頁〕を参照。】
 (58) 『窕 この空想の問題については、フロイトがい性理論のための三篇』の第三篇に一九二〇年に追
加した注(本全集第六
  巻、二九一頁、原注口)〕に詳しく述べられている。】
 (59) 恐怖症における代替表象の形成についての先述の議論(の三亠に回心沢)〔本巻二三二-二三三
頁〕を参照。
 (60) 【窕 ここもおそらく、意識についての失われてしまった論文への言及であろう。】
 (阻) 【窕 フロイトはこの論点について、すでにい夢解釈】第七章、F節(GW-nyIH620( 6
22-623)で提起している。また、の
  ちの(の弓‐Xじに)〔本巻こ四二頁〕でより詳しく論じられる。】
 (62) 編注(10)参照。
 (63) この一文の中の「その注意力」が「大の注意力」を指すのか、「意識の注憲力」を指すのか、判断
が難しい。託は「大の

一一  一                一                          一
一    一 一 一一一 一一 一一一一一一一一一一

 注意力」であることがほぼ確実とした上で、本文について次のように論じている。【窕 このかなり曖昧な
一文は、意識につ
 いての失われてしまった論文を手にすることができていたなら、もっと明快になっていただろう。この一文
は「注意力」の機
 能に関する議論への参照と思われるが、この主題については、フロイトのこれ以降の著作を見てもわずかな
ことしか見えてこ
 ないからである。・「夢解釈」の中には、これに関連していると思われる、次のようなくだりがある。
「〔前意識において〕生じて
 いる興奮過程は、一定の他の条件が満たされればIたとえばT・〕「注意力」として記述される機能が特別
な仕方で配備され
 ればIそれ以上の妨げを受けずに意識の中に入ることができる」(の畑‐μ へ白い合)。「意識的になるとい
うことは、特定の心
 的機能、すなわち注意力の機能の適用と結びついている」(GW-II/111598)0「W系は、意識へ
の通路を遮断しているだけでな
                                     I
 く、それは〔…〕可動的備給子不ルギーの配分をめぐる支配権を持っている。その子不ルギーの一部はわれ
われに注意力という
 形で知られている」(の畑山弌白目 Ξ。後期の著作においてこの主題に言及されることが少なかったのとは対
照的に、「心理学
 草案」では注意力を詳しく扱い、それを心的装置の作動の主要な力の一つと見なしている(特に第三部、一
節(9ツッ「回邱
 哇・」)。その個所で彼は、(「心的生起の二原理に関する定式」においても同様だが)注意力を「現実吟
味」機能に特に関連づけ
 ている。】
(64) 【窕 この段落で議論されている複雑な事情については、『自我とエス』の工節の終わり(9でX目
ほ{}{本全集第十八巻、
 }一頁〕で補強されている〔「自我の一部もIしかもそれはきわめて重要な一部なのだがI無意識的であり
うる、いや、ま
 ちがいなく無意識的なのである」〕。また、「自我とエス」の引き続く節において、彼は新たに心の構造的
図式を呈示し〔同巻、
 二〇頁〕、心の働きの記述を大幅に簡略化している。】
(65) 底本(匹)では「大」となっている。窕はこれをこどの誤植と見なし、訂正している。託によれぱ、
ドイツ語の版ではす
 べて「七」になっているという(託よりも後に刊行されたらでは「ふ」と訂正されている)。本邦訳も、窕
と訊に従い訂正した。
(66) 【窕 このことの例については「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」(の三‐く白念い
よき)〔本全集第十三巻、
 一九四-一九五頁〕を参照。】
(67) 「本能」の原語はInstinkt. ^では、これに in stinc t という訳語-通例ではHFご
という語に充てられるIを充てて

 いる。なお、本邦訳全集ではTriebを統一的に「欲動」と訳している。【託 精神的な形成物の遺伝と
いう問題については、
 フロイトは、『精神分析入門講義』の第二三講(9でxごおR)や、「ある幼児期神経症の病歴より〔狼
男〕」(9でとコw←)〔本巻
 一〇二-一〇三頁〕において議論している。】
(68) 【町 K・アブラ(ム「ヒステリーと早発性痴呆の精神-性欲的な差異」(.Zentralblat
t fur Nervenheilku iide und Psychi-
 atr ie[ N. FLF一回狎罵])。】
(69) 【託 この仮定は、「神経症の発症類型について」のa(9うく臼盻に亠心)〔本全集十二巻、ニニ
ーニニ三頁〕で詳しく記
 述されている。】
(70) 【託 のちにタウスグ白身が、この患者について言及した論文を発表している。v・タウスグ「統合
失調症における「彫
 響機械」の発生について」(Internationale Zeitsclir if t fur drztl
iche Psychoanalyse「 5「 1919「 1」 °]
(71) 「目のねじり人」の原語は冫品巳怠乙己ler. Augenは「目」の複数形。verdrehen
は「ねじ曲げる、歪める」の意。【庇
 この語には、「欺く人」という比喩的な意味がある。】
(72) 【託 「ナルシシズムの導入にむけて」{9う図}合同)〔本全集第十三巻、匸一九頁以下〕におけ
る心気症についての議論を
 参照。】
(73) 忠者の陳述の中の「別のところに動く」の原語はsich anders stellenである。
stelienは「(どこかの位置に)世く」とい
 う憲の動詞であり、sich anders stellenは、直訳すると「白らを、別の位置に、動か
す」となる。次に、同じく忠者の陳述中
 にある「偽る」の原語はverstellenであり、「置き違える」と「偽る」の両面の意をもつ。これ
は動詞stellenに、「間違って」
 という意の接頭語く宍が付いた語であり、先のanders stellenと意味上も音韻匕も通じてい
る。したがって「私は、別のとこ
 ろに動いてしまいます」という患者の訴えは、vers t ellenの語の両面性を介して、「私は偽りを
受けた」ということを図解し
 たものとなる。
(74) 【託 E・ブロイラー『早発性痴呆あるいは統合失調症羆匸フイブッイヒーウィーン、一九一一年、
四三頁、三〇五頁。』
 邦訳「早発性痴呆または精神分裂病詳‥飯田真・下坂幸三・保崎秀夫・安永浩訳、医学書院、一九七四年を
参照。

                              一一        一        
一‐一一一一一一一一一一一一一 一一一  一一一一‐‐″ 一一

(75) 【託 『夢解釈』第七章、E節(9で白白曇)参照。】
(76) 【窕 『夢解釈に第六章、A節(9で白日吉←‐吉に)参照。ただし、夢で起こることと統合失調症
で起こることとの間には
 「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」(9うづ{冨よ吉}〔本巻二六二-二六三頁〕において、一線が画
されている。】
(77) 編注(14)参照。「対象表象」の原語は○里呉穹()j尽一日品、「語表象」はWor l vorst
ell ung'「物表象」はSachくorst eli ung
 である。【託 これまで、フロイトの原文のVorst eil ungをE日と訳してきたが、ここから本論文
の最後までは、画一的に
 presentationと訳すことにする。〔…〕「喪とメランコリー」(9でx大石〔本巻二九〇頁〕
では、フロイトはbachvorst eil ungを
 Dingvorst el 日ngという用語に置き換えている。後者はすでに「夢解釈」二九〇〇年)の六章、
A節(の三山司目吉言や『覬知
 -その無意識との閃係』二九〇五年)のⅣ節の肖頭近く(9うく二曾)〔本全集第八巻一四三頁〕で用いら
れていた。-「語
 表象」と「物表象」の㈹の区別は、これらの個所をフロイトが書いていたときに、すでに彼の頭の中にあっ
た。そしてこの考
 想は、疑いなく、彼の失語症研究から引き続くものである。『失語症の理解にむけてI批判的研究』二八九
一年)[H甲←]?
 }旨)〔本全集第一巻、九〇I九七頁〕では、この主題が異なった言葉遣いでかなり詳しく議論されてい
る。】
(78) 【窕 「夢解釈」(一九〇〇年)の第七章、F節(の三占言富心)参照。また、同D節(の三‐白目
昭 Ξ も見よ。実際には、この
 仮説はより早期の(未川行に終わったものだが)「心理学草案」(T八九五年)の第三部、一節(の三亠回
邱哇・)にまで遡る。本論
 文により近い著作としては「心的生起の二原理に関する定式」二九一一年)で言及されている。】
(79) 【託 フロイトはこの主題を、『自我とエス』のn節の冒頭(GW-XI11247)〔本全集第十八
巻、匸一頁〕で再び取り上げた。】
(80) 【託 これもやはり、意識についての刊行されなかった論文への言及だと思われる。ただし、「夢学
説へのメタサイコロジ
 1的補遺」(9でxへ回)〔本巻二六七頁〕での議論を参照のこと。】
(81) 【窕 論文「抑圧」(の三‐に吉)〔本巻一九七頁〕を参照。】
(82) 【託 「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察〔シユレーバー〕」のm節
(9でく目旨図ご〔本全
 集第十一巻、一六〇頁以下〕を参照。-統合失訓症における治疱の試みについては、さらに「夢学説へのメ
タサイコロジー
 的補遺」(9でx治T回)〔本巻二六四頁〕も参照。】

(83) 【託 フロイトはこの点をすでに『卜1テムとタブー゛一の第二論文(GW-IX91)〔本全集第十
二巻、九六頁〕で指摘してい
 る。】

 夢学説へのメタサイコ囗ジー的補遺
(1) 「二つの論文」とは、一つが本論文、もう一つは「喪とメランコリー」〔本巻所収〕を指す。
(2) 『夢解釈』第五章、D節(gw-h/目回巳〔本全集第四巻、三四八頁〕参照。「あらゆる夢は、隅か
ら隅まで絶対的にエゴイ
 スト的である」。
(3) 【託 ナルシシズムとエゴイズムの関係についてのより詳しい議論が、『精神分析入門講義』〔本全
集第十五巻〕の第二六講
 (GW-X1427ff.)に見られる。】
(4) 『夢解釈゛一第一章(の弌‐ロペ臼W)〔本全集第四巻、一五頁〕参照。〔アリストテレスはT・〕
夢は、身体に起こり始めている変
 化の、昼間は気付かれないような初期の徴候を、医師に向かってそっと教えてくれることもあるT・〕」。
同様に、C節(の躙‐
 {{ぺ日当}〔本全集第四巻、五四-五五頁〕も参照。
(5) 【託 論文「鉦意識」の中の「不安ヒステリー」についての論述{9でXS}已〔本巻二三〇頁以
下〕を参照。】
(6) 本個所に付された託の注は、このフロイトの記述が、パラノイアについての失われてしまった論稿に
言及している可能性
 があるとしている。またメタサイコロジー論文全体についての託の「編者解説」の注は、「自伝的に記述さ
れたパラノイアの
 一症例に関する精神分析的考察〔シュレーバー〕」〔本全集第十一巻〕においても、投射についての考察が
不満足なままに終わっ
 たのでさらに深める機会が約束されていたことを指摘し、ここで約束されている投射についての論文も、そ
れと同じものであ
 ろうと見なしている。
(7) 【託 この段落と次の段落に関しては、『夢解釈』第七章(回心占回ヲ回)〔本全集第五巻〕参
照。】
(8) 【町 『夢解釈』第七章(の三‐白日回)参照。】
(9) 【町 「後ほど」がどこを指しているのか、明らかでない。】

(10) 「早発性痴呆」の原語は鬥yQ日ent ia praecox.E・クレペリンによる病名であり、の
ちにE・ブロイラーがこれを批判的に
 受け継ぐ形で陌}妙Ot耳目F(「統合失調症」)と名づけた。「早発性痴呆」は、現在は使われていない
病名だが、歴史的な訳語
 として採用した。
(U 【託 (夢解掫一第七章合w-日目573-574)参照。】
(12) 【窕 『夢解釈に第七章 Ξ 爿‐買目回』参照。一
(13) 【託 「後に」がどこを指しているのか、明らかではない。】
(14) (の三‐X汢于已ご〔本巻二五七-二五八頁〕。
(15) 【田 睡眠ナルシシズムの第一の破れ目は、直前にある「抑圧された蠢きの不服従性」である。】
(16) この「同じ原理」が何を指しているかについては、二通りの解釈が可能と思われる。腫眠の間は、
「覚醒意識」と「逆動」
 への通路が閉ざされているので、「欲望の蠢き」はどちらにも出られない。この睡眠状態の一般的性質を
「同じ原理」と考え
 るのが一つ。もう一つは、直前の括弧内で言われていること、すなわち「空になった系の、刺激への不応答
性」を「同じ原
 理」と考えることである。後者をとるならば、なぜフロイトがそれを言い表した直前の文に括弧をつけたの
かが分からなくな
 る。事実窕では、後者の見方をとることによって、この括弧を省くという処理をしている。そして、下記の
ように長い編注を
 付している(なお、ここでの系の一般的な不応答性は、睡眠状態の不応答性のメタサイコロジー的厳密化で
あり、逆に睡眠状
 態の不応答性は一般的な系の不応答性の一表現型と言えるから、託のこの処理は妥当であろう)。【田 こ
の「備給されていな
 い系の、刺激不応答性の原理」(後出の注〔本巻二七一頁、原注(7)〕も見よ)は、フロイトの後年の著
作、すなわち『快原理の
 彼岸に二九二〇年』(9でX日吉)〔本全集第十七巻、八二頁〕や「「不思議のメモ帳」についての覚え書
き」二九二五年)〔本全
 集第十八巻〕の末尾において、言及されているように思われる。しかし、この原理は、すでにフロイトのT
八九五年の「心理
 学草案」〔本全集第三巻〕においてすでに素描されていた。その草案の第一部、一ぶ即において、フロイト
は、「ある量が一つの
 ニューロンから移行するのは、備給されていないニューロンよりも備給されたニューロンへのほうが容易
だ」と述べている。
 そして二〇節において、彼はこの仮定を、われわれが今まさに前にしている本論文の主題である、夢におけ
る運動性放散とい

 う問題に実際に適用してみている。彼はこう書いている。「夢は運動性放散を欠いており、たいていは運動
性要素を欠くもの
 である。夢の中では人は麻痺している。この性格を最も都合よく説明するのは、脊髄性の前備給が脱落して
いるというもので
 ある。T〕ニューロンが備給されていないので、運動性の興奮は障壁を通過できない」。その何段落か先で、
彼はさらに議論
 を続け、夢の幻覚的性格の「逆行性の」本質について議論している。同じ議論は、本論文のしばらく先の個
所でもなされてい
 る。】弘では、一匹と同じく当該の括弧をつけたままにしたうえで、窕と同じ内容の注記を付している。
(17) 【託 『夢解釈』第七章に一九一四年に追加された段落(回7買目回)を参照(三種類の退行が分類
されている)。また、
 退行についての別の議論が「精神分析入門講義しの第二二講【のキに轡已の冒頭近くに見られる。】
(18) 【託 『夢解釈い第七章百で買白回心・』を参照。】
(19) 【託 『夢解釈に第七章(9で日目回)を参照。】
(20) 【託 『夢解釈』第六章弓で買白心々・)〔本全集第五巻〕を参照。】
(21) 編注(10)参照。本論文の数年前、E・ブロイラーによる「統合失調症」という病名が提案され、学
界に受容された。まだ
 移行期にあったために、本論文では二つの用語が同じ意味で使われているものと思われる。なお日本語では
当初「精神分裂
 病」と訳されていたが、二〇〇二年に「統合失調症」に変更された。
(22)【託「無意識」(の三‐に笆〔本巻二四八頁〕参照。】
(23) H・ジルベラー『神秘主義とその象徴論の問題』ウィーン上フイプツィヒ、一九一四年。
(24) 「治療についてのある種の夢」の原語はge wi sse Kurtrau me. Kurtrau me は
一語で綴られて術語のような体裁になってい
 る。「治療のための夢」や「治療としての夢」ではなく、「現在の治療について、患者自身が判断するとこ
ろがあって見た夢」
 のことであると理解される。
(25) 【託 フロイトは、「天上的解釈」に関し、一九一九年に『夢解釈』に一段落合子守日麗‐回)を加
えている。また、
 「夢とテレパシ1」{9苧凶日}沍)〔本全集第十七巻、三三七頁〕も見よ。】
(26) 【町 「アメンチア」という術語は、この論文の以下の部分ではこの意味で使われている。】m・マ
イネルト(T八三三-九

   一 一一                    一        一  一   一 ’  一
一    一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一

 二年)は、『夢解釈』第六章(の司山々白{弓}にあるように、フロイトの大学研究室時代の師にあたる著
名な神経学者。
(27) 【託 『夢解釈』第三章の注〔原注(42)宋全集第四巻、一七七l一七九頁〕〕を参照。】
(28) 『窕 この論点は、いヒステリー研究』の中で、ブロイアー「理論的部分」〔原注(48)〔本全集第
二巻、二三九頁〕〕において
 表明されている。ブロイアーはこの着想をマイネルトに帰しているようである。】
茄) 【窕 この「牽引力」という発想については、『夢解釈』第七章(9で買日回)を参照。】
(30) 【託 論文「無意識」昌苧ご吊回)宋巻二石了二五四頁〕)を参照。】
(31) 【田 『夢解釈』第七章、C節Bキ買日ヨ宍)参照。】
(32) 【託 「現実吟味〔回回篇只白品〕」という術語の初出は、一九一一年の「心的生起の二原理に関す
る定式」CGW-V目
 234〕〔本全集第十一巻、二六三頁〕においてである。】
(33) 【託 『夢解釈』第七章、B節百で買日回蒿・)。】
(34) 「W」は、Wahrnehmung(知覚)の頭文字。
(35) 「意識的になるということ」の原語はBe w ufit w erden.
(36) (の司‐Xにに)〔本巻二〔九l一七〇頁〕。
(37) 【託 「現実の標識」の原語はKennzeichen der Realitat.「心理学草案」
第一部、一五節(の司亠回目)などの【現実指標
 RealitatszeichenJを参照。】
(38) 【託 「外」と「内」の区別についてのさらなる議論については、かなり後になってからの論文「否
定」二九二五年)〔本全
 集第十九巻〕と『文化の中の居心地悪さ』二九三〇年)〔本全集第二十巻〕のT節合W-XIV 421
ff.)を参照。】
(39) 「ナルシス的諸疾患目rz iB t i sche Affektionen」とは、ここでは、当時フロイ
トが「ナルシス的神経症目rx iBli sche Neu-
 rosejと呼んでいたパラフレニーとメランコり1(とくにメランコリー)のことを指すと考えられる。
(40) 「陰性幻覚」は、存在しているものについて、存在しないと知覚する幻覚。陽性幻覚は通常の幻覚で、
存在しないものが
 知覚される。

(41) 【町 「現実吟味」と「現勢性の吟味」の原潜は、それぞれRealita t spr iif ungとA


ktu alit a t spriif目凹・後の個所が指示され
 ているが、本論文の中にその個所は見当たらない。これもまた、失われてしまった論文への言及であるかも
しれない。】「現勢
 神経症と μ 回FQ日o沌」という術語に見られるように、フロイトはaktu al という語を「現在、現れて
いる限りでの」という
 意味に用いるので、ここで言う「現勢性の吟味」とは、「現実か否か」を吟味する「現実吟味」に対して、
「現在のことか否
 か」を吟味することであると思われる。
(42) 「配備状況」の原語はPos i t i 呂召。託では、これにcathexesという訳語、すなわちB
esetxungen (備給)と同じ訳語を充て、
 次のように説明している。【窕 ここでのドイツ語Pos it ionenは、「軍隊の持ち場」の意である。
この比喩が持ち出されてい
 ることは、「備給」すなわちFseizungにも、「軍隊による占拠」の意味があることと関係してい
る。】
(43) フロイトは『夢解釈』第一章(の詞占ぺ日じ〔本全集第四巻、一五頁〕において同じアりストテレス
の言明を引用している。
(44) (の詞‐ビ←同)〔本巻二六一頁〕の括弧内において、フロイトが「ある一つの系を完全に空にする
と、それはほとんど刺激へ
 の応答性のないものになる」と述べていることを指す。窕は同個所の注で、「備給されていない系の、刺激
不応答性の原理」
 という表現でこれをまとめている(編注(16)参照)。

 喪とメランコリー
(己 いささか屈折した言い方で、精神分析という制約の多い方法を用いたからこそメランコリーの一典型を
明晰判明に捉える
 ことが可能だったと自負しているものと思われる。
(2) 「自尊感情」の原語は?一蔔茴吸呑一・ ここではほぼ「自尊心SelbstachtungJの意
味で用いられているが、後出(GW-X
 438)〔本巻二八四頁〕の「感情障碍の吸呑F&回品」という表現との関連を考慮に入れてこの訳語を採用
した。
(3) 「痛い」の原語はschmerz lich.いうまでもなく日本譜の「悼む」という語にも同様の含みが
ある。
(4) 【託 「前の論文」とは「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」(の三亠心じ〔本巻二六五頁〕を指
す。】
(5) 「引き箙し」の原語は」osung.00の注解によれば、このテクストは lo senという語の意味
の微妙な差異やずれに乗じて訳

 文の上には反映しがたい指示連関を形成しているといわれる。実際、本論文ではこの語が「(リピートの拘
東を)解きほどく」、
 「(リピートを対象から)引き賍す」「(苦痛を)解消する」、「(問題を)解決する」等の意味を担わさ
れて使い回されている。フロ
 イトの概念形成の努力の跡をたどる上でも有憲義であると思われるので、以下、00にならって原文中に一
osenおよびそれを含
 む合成語のいくつかが現れる個所を編注で指摘する。
(6) 『弘 この考えはすでにいヒステリー研究』 の中に含まれているように見える。類似した過程につ
いての叙述が、症例
 「エリーザベト・フォン・R嬢」の冒頭近く{の畑山旨})〔本全集第二巻、一七七頁〕に見られる。】
(7) 【00 アブラ(ムの論文は「躁鬱病および類似の諸状態についての精神分析的な探究と治療に関す
る試論」。】
(8) 「わたしたちの知るところでは」の原語はunseres Wi ssensという常套句だが、ここで
は「自我一般についての精神分析
 の見識からすると」という憲味を込めて用いられている。この一文はフロイトが茶凵っ気をのぞかせている
ところ。疝切な面
 持ちでみずからを非難するメランコリー患者に向かって「まったくそのとおり。あなたの自己分析は実に正
確です」と力強く
 相槌を打つフロイト先生の姿を想像してほしい。
(9) 「きわめて解きがたい」の原語はsch w er lo sbar.
(10) 【00 フロイトの引用文はUse every日an after hi s desert「 a乱
w ho sh呂 Ξ scape w hipping?文中の助動詞sh目 Id はシ
 ェイクスビアの原文では今阯一となっている。】フロイトにとっては、発話主体の倫理的判断を際立たせる
今呂このほうが都
 合が良かったのかもしれない。
(11) 「彼らの嘆きは〔…〕告訴なのだ」の原文はIhre Klagen s i 乱A已 u agen.
(12) 【匹 「特別な〔すao乱宍〕」という語は初版二九一七年)には含まれていない。】
(13) カール・ランダウアーニハハ七-一九四五年)はミュンヒエン出身の医師・精神分析家。フランクフ
ルト学派との交流が
 あり、M・ホルク(イマーの分析家でもあった。ナチ政権成立後オランダに移住するも、ベルゲンHベルゼ
ン収容所に没した。
(14) 【田 「欲動と欲動運命」(回心臼ご〔本巻一九一頁〕および本論文の「編者解説」を見よ。】町の
「編者解説」の該当個所
 では、以下の指摘がなされてぃる。二)本論文以前では、『トーテムとタブー』二九匸一-一三年){りで
只}コニ心)〔本全集

 第十二巻、丁八二頁〕、および『性理論のための三篇』の第三版二九一五年)に追加された節〔「性的緇成
の発達段階」〕の中に
 (9うく呂―咀)〔本全集第六巻、二五四頁〕、同一化と囗唇期との緊密な関連についての言及が見られる。
(二)アブラ(ムの指
 摘(次注参照)に先立って、メランコリーと囗唇期との関連についての言及が、症例「ある幼児期神経症の
病雁より〔狼男〕」二
 九T八年、執筆は一九一四年)(9で巴コ合ム汢)〔本巻一一一-一匸一頁〕に見られる。(三)本論文以
後、『集団心理学と自我
 分析じ二九二一年』において、同一化は「口唇期の蘗であるかのように振舞う」けれども対象備給に先立ち、
それとは区別さ
 れる(9でxiimeff.)〔本全集第十七巻、一七四頁〕という新たな観点が提示される。(四)後期の
フロイトはしばしばこの観点
 を強調し、たとえば『自我とエス』二九二三年)では、両親への最初の同一化は「直接的かつ無媒介的であ
って、いかなる対
 象備給にも先立つ」{9で}日に沼)〔本全集第十八巻、二七頁〕と述べている。
(15) 【釟 フロイトが初めてこの想定に注意を向けさせられたのは、一九一五年三月三十一日付のアブラ
【ムからの書簡によ
 ってだった。】
(16) 【釟 同J化の問題全般に関してフロイトは『集団心理学と自我分析』Ⅶ節(9うに{ごぶ已〔本全
集第十七巻、一七三頁
 以下〕で更なる検討を行っている。ヒステリー的同一化についての初期の議論は『夢解釈』(9で{弌白沢
じ〔本全集第五巻〕に
 見られる。】
(17) 『訊 以下に続く考察の大部分は、い自我とエス』V節(9でX白回コご〔本全集第十八巻、四七頁
以下〕でより詳しく論じ
 られている。】
(18) カール・ランダウアー「あるカタトニーの自然治癒」。
(19) 「解か(れる)」の原語は lo sen.
(20) 【匹 この後、自殺についての考察は『自我とエス』V節(の三‐に{に丞心匠}〔本全集第十八巻、
五四1五六頁〕および
 「マゾヒズムの経済論的問題」の最終部(9で回目脱に亠丞)〔本全集第十八巻、二九八-三〇〇頁〕に見
られる。】
(21) 【訊 この「開いた傷囗」の比喩はすでに、フロイトの初期のメランコリーについての覚え書き(フ
ロイト「精神分析の揺
 籃期より」(ロンドン、一九五〇年)所収の、おそらく一八九五年一月に書き記されたと思われる「草稿
G」)-かなり曖昧な

 覚え書きIのⅥに(一石の図解をともなって)現れている。】ジェフリー・ムセイェフ・マッソン編、ミヒ
アエル’シュレー
 ターHドイツ語版編『フロイト フリースへの手紙|一八八七-一九〇四年』河田晃訳、誠信書房、二〇〇
一年、「草稿G」
 (九四1一〇一頁)。
(22) 「解析」の原語はAuilosung.
(23) 「解きほどか(なければ)」の原語は回flosen.
(24) 「解決する」の原語はFen.
(25) 「解除する」の原語は lo sen.
(26) 「解除」の原語はLosung.
(27) 論文「無意識」の編注(78)を参照。
(28) 「リピートの引き離し」の原語は」ibid 日blosung.
(29) 「引き膃そ(う)」の原語は lo sen.
(30) 「引き離し」の原語はに巴品。
(31) 「解消」の原語はLosung.
(32) 前文とのつながりからして、文頭に「その結果として」という匸言を添えたいところ。もしかしたら
フロイトは「結果」
 という語をここで使うことを躊躇したのかもしれない。
(33) 論文「抑圧」の編注(1)を参照。
(34) 【弘 (の弌―に回台ふ台)〔本全集第十七巻、二〇五-ニー○頁〕。】

 精神分析理論にそぐわないパラノイアのI例の報告
(1) 回一人がいちゃついているところ」の原語はzar t liches Beisa日日ensein.こ
の論文では區}。陥chという語が患者の転移関
 係のなかで繋がる三つの局面で使用されている。他の個所には「情愛のこもった」という訳語を適用した。
同一の語であるこ

 とを編注で指摘する。以下の編注(3)、編注(5)の該当個所を参照されたい。
(2) 【匹 同様の問題に関する注記が「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」の序文合三‐だご回
山咫)〔本全集第十巻、
 一七九-匸八〇頁〕にも見られる。】
(3) 「情愛のこもった交際」の原語はxar t hches Einvernehmen.
(4) 【弘「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察〔シュレーバー〕」m節(の
弓宍{{に呂R}〔本全集第
 十一巻、ヱ〔○頁以下〕を見よ。】なお、00の編集者序文に次の指摘がある。二九〇八年二月十七日付の
ユング宛書簡のなか
 でフロイトは、パラノイアと同性愛との関係についての示唆を得たのはフリースが決裂の際に自分に対して
とった行動からだ
 った、と打ち明けている」。
(5) 「情愛のこもった態度で」の原語はz ii rt lich.
(6) 「追求」の原語はbtrebung.なお、「努力」という訳語を澎日字呂叫に充てた。
(7) 【窕 「原空想」の主題は、『精神分析入門講義』〔本全集第十五巻〕の第二三講石弓x罵目・)お
よび「ある幼児期神経症
 の病歴より〔狼男〕」石W-X1189-90( 131) (本巻六一l六二頁、一〇二-一〇三頁)で詳細
に論じられている。】
(8) 【託 同じような対象愛から同。化へ向かう退行についての叙述が「喪とメランコリー」(の弓亠台
巳〔本巻二八一-二八
 二頁〕の中でなされている。】
(9) 【訊 類似の例が『精神分析入門講義』の第一七講(GW-X1274-275)に見られる。】
(10) 【窕 この固着傾向、ないしフロイトの他の個所での呼称によれば「リピートの粘着性」は、すでに
『性理論のための三
 篇』の初版(GW-V144)〔本全集第六巻、三〇九-三一〇頁〕で示唆されていた。症例「狼男」の末尾
Ξ 三lx{二巴}〔本巻匸一
 よ頁〕および「精神分析入門講義」の第二二講(GW-X1361)に、この主題のさらなる展㈹が見られるが、
両者は本論文とほ
 ぼ同時期のものである。ずっと後になってプロイトは「終わりのある分析と終わりのない分析」〔本全集第
二十一巻〕のⅥ節
 (GW-XV185ff.)でこの主題に立ち戻ったが、そこでは彼自身「心的惰性」という用語を使用し、こ
の現象を精神分析治療の
 なかで出会われる「エスの抵抗」と関連させている。また『制止、症状、不安』M節、A―a{の弓‐に
く}回向)〔本全集第十

 九巻、八四頁以下〕では、フロイトはこの現象を反復強迫の力に帰している。「心的惰性」についての最後
の示唆は、フロイト
 の没後に出版された「精神分析概説」第六章の終わり近く[の三亠だ次回]品)「本全集第二十二巻、二二
一頁。ただし、そこ
 での訳語はマ心的な不活発さ」〕に見られる。】

 転移神経症展望
(1) 【匹 これは六つの失われたメタサイコロジー論文のなかで、本稿の前に書かれた論文に関するもの
と思われる。フロイ
 トの手紙での記載によれば、それらは不安ヒステリー、転換ヒステリー、強迫神経症について詳細に取り扱
っていた。】
(2) 【四 論文「抑圧」、「撻意識」〔いずれも本巻所収〕のなかで、すでに六つの契機のうち五つが多
少なりとも詳しく論究され
 ている。論文「抑圧」では、その結論部BW-X257ff.)〔本巻二〇五頁以下〕において、まさに三つ
の転移神経症における抑圧
 過程の比較が行われている。また論文「無意識」のⅣ節(9でXS一喘・)〔本巻二三〇頁以下〕において
も同様の比較が見られる。
 -これら転移神経症の各契機に関するさらなる検討については、ぺ制止、症状、不安』のV節(GW-XIV
1合隲)〔本全集第十
 九巻、三七頁以下〕における症状形成に関する記述、およびM節、A(GW-XIV189 fご〔同巻、八
四頁以下〕における対抗備給
 に関する記述を参照されたい。】
(3) 「m」 もともと草稿のなかでこの「対抗備給」という契覬は三番旧に数え上げられていたが、後に
なってフロイトは入れ
 替えの記号により二茶目に移動させている。】
(4) 【四 ここで問題となっているのは、どちらかと言えば、広く捉えられた抑圧概念であり、防衛と共
通する意味において
 である。後になって初めて(「制止、症状、不安」)フロイトはこれをヒステリー特有の防衛機制に関する
ものに限定した。もっ
 とも論文「抑圧」(GW-X256)〔本巻二〇四頁〕のなかでもこの細分化の先触れが見られる。】
(5) 句心、肘といった略号の表記については、「皿意識」の編注(U参昭。
(6) 【四 想定されているのは、おそらくこの草稿の後半部〔本巻三一九頁以下〕であげられているIた
だし特別な防衛過程
 に関しては詳細に記述されていないI精神病、またはフロイトの用語法に従えばナルシス的神経症であろう。
「夢学説への

  メタサイコロジー的補遺」の一節(の三‐x詒{より}〔本巻二六八-二七〇頁〕を参照せよ。】
 フ) 草稿にはErsatzとのみ記されており、m皿編者は回留に[百以己F品]と補っている。一方、
00の注ではbrsatxreprasen-
  tanzと理解されている。「表象による代理表現」を意味するReprasentanzの方が補足と
してはふさわしいが、本邦訳全集で
  はこの語に「代理表現」という訳語が定められているため、ここでは語の重複を避けて「代替〔表象〕」
と訳出・補足した。
 (8) 【四 草稿のこの場所には、判読困難ではあるが、行間に「系ではなく、記述として」と挿入され
ている。フロイトは
  「無意識」(9でx回ご〔本巻ニー九頁〕のなかでもこの表現を用いている。】
 (9) 【四 「強迫表象の形成、強迫表象に対する闘い」という補足は、草稿ではこの節の終わり、bの
前におかれている。明ら
  かに後から書き加えられたものだが、線でこの個所への移動がはっきりと示されている。】
 (10) 【四 草稿ではここに「代替・象徴形成」と書かれて線で消されている。明らかにフロイトは、代
替・象徴形成の前にこ
  の対抗備給の契機を論究すべきと判断したようである。本稿冒頭の順番の入れ替え〔編注(3)〕を参照
せよ。】
 (巴 「油断なく、注意深く」の原語は al s Wachsamkeit「 Aufmerksamkeit.
この語〔訃〕は定かには判読しがたい。】
 (12) 「うまくいく」の原語は gl ue巴一cher. この語も同様に、定かには判読しがたい。】
 (13) 【四 草稿のこの個所には最初は皿回と晝かれていたが〔おそらくフロイトはdas Sexua
llebenC性愛生活〕と書こうとして
  いたのだろう)、この語は消され、9のに置き換えられている。】
 (14) 「それ」の原語は訃・【四 前注の理由から、草稿原文では、〔「抑圧機能」を受ける莎の代わり
に、「性愛生活」を受け
  る〕aと書かれていた。】
 (15) 「実際、発達の制止よりも、退行の方が問題となるときには」の原語は w o es sich m
ehr u日Regression al s auf Ent w ick-
  日ngshe日日自己ぶ乱呉・この個所については四の注と00の注で解釈が異なっている。四には「こ
の不明な文章は、てoa
  刪呂に日日ehr al s Regression auf Ent wickl ungs hemm ung ha乱
呉(「発達の制止への退行以上のものが問題となるときには」)
  と語順を変えることによって意味がよりはっきりする」と注記されているが、そう解するとかえって全体
の文意が取りづらく
  なるように思われる。ここでは00の注を採用し、w o es sich mehr urn Regre
ssion al s【に日】auf Ent wickl ungs hemm ung[陬?

’                                             一   
一一 一一一    一

 一お呂回ぼ已】応乱呉と解釈して訳出した。
(16) 【四 フロイトはこの契機をもとに、本草稿後半部〔本巻三一九頁以下〕におけるいわば系統発生的
な深屑次元を切り間く
 わけだが、この契機は一九一五年に公刊されたメタサイコロジー論文ではほとんど言及されない。ただし、
例外として論文
 「無憲識」のⅥ節の最終段落(の躙亠に泛)〔本巻二四四頁〕を参照せよ。】
(17) 【W 「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」(9うく日や謚)〔本全集第十三巻、一九
二頁〕のなかで、フロイ
 トはあからさまに「われわれがもつ素因はかくして発達制 111 だということになる」と説明している。この
論稿と本草稿のあい
 だには、また別の横のつながりがある。】
(18) 【W フロイトは呻経症選択の問題に、すでにT八九〇年代から取り組んでいるが、たえず進化生物
学的なある観点から
 考察を続けている。「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」(の弌七日そによ士)〔本全集第十
三巻、一九一-一九
 三頁〕を参照せよ、】
(19) 【W フロイトはこの「体質 体験」の主題について、一九一一年十月一日付エルゼーフォクトレン
ダー宛書簡百・L・
 フロイト編『書簡-一八七三-一九三九年』フランクフルト・アム・マイン、一九六〇年、改訂第三版、一
九八〇年、二九
 九-三〇〇頁)において同じような仕方で表明している。】
(20) 【作皿 草稿ではここに「それ〔この性格〕は対象への固執という占にある。自我と対象との関
係。」と文章が続き、かき消さ
 れている。】
(21) 【W この想定はダーウィニズムの影響を受けたフロイトの考えだと理解できよう〔ただし、本稿で
吟味されている「獲得
 形質の遺伝」という点に関しては、ダーウィンではなくラマルクの、と言うべきであろう〕。フロイトは、
本草稿の執筆とほ
 ぼ同時期になされた『精神分析入門講義≒本全集第十五巻』において、例えば原空想との関連でこの想定を
同じように取り
 上げている。「神経症心理学は、ほかのどの源泉よりも多く、人類発達における太古の遺物を私たちのため
に保管している
 のではないか、という考えに私たちは何度もとらえられます」(9で富こ混)。また、「ある幼児期神経症
の病歴より〔狼男〕」
 (9でと二E)〔本巻一〇一丁一〇三頁〕、「自我とエス」(GW-XIH265-266) C本全集第十八
巻、三四-三五頁〕を参照せよ。】

(22) 【W 「心的生起の二原理に関する定式」〔本全集第十一巻〕。】
(23) 【四 以前の文章では明らかにそうであったが、フロイトはこの草稿のなかでもまだ性欲動と自我欲
動の二元論をもとに
 していた。宍快原理の彼岸≒本全集第卜七巻〕になって初めて彼は最終的な欲動分類、つまり生の欲動と死
の欲動を導入した。】
(24) 【四 一九一四年十二月二日付の未公刊のシヤーンドル・フェレンツィ宛書簡のなかで、フロイトは、
着手されたばかり
 のメタサイコロジー論文に関する作業をはっきり「性理論のなかで私が手をつけないままにしていた問題の
継続」と名づけて
 いる。フロイトは、メタサイコロジー論文を執筆している時期に『性理論のための三篇』の第三版刊行の準
備をしていた。こ
 の第三版へのまえがき合三山心甲呂)〔本全集第六巻、一六五-二六七頁〕および第三版で新たに追加され
た諸テクストには、
 メタサイコロジー計画と関連して試みられた系統進化に関する考察の足跡がはっきりと残されている。】
(25) 【W シヤ1ンドル・プエレンツィ「現実感覚の発達段階」(.Internationale Ze
itschr if t fur arztliche Psychoanalyse【 Bd.
 I。 191・二と回‐回心。】
(26) 原文では「神経症を理解するという」にあたるdie Neurosen zu verstehe
nが通常ではない場所に後置されているが、W
 編者の提案に従って訳出した。
(U 「時占で」の原語はnach dem Zeitpunkl.ただしこれは作皿編者がフロイトの誤記を
訂正したものである。【W 草稿原文
 では泛日が匹穹となっている。フロイトは最初「時期に〔目各泛≒N呉〕」と書き、後にpunktを行間
に書き加えたまま、冠
 詞を直し忘れたのである。】
(28) 【四 抻経症発症がみられる年齢については、「強迫神経症の素因-神経症選択の問題への寄与」
(9うく目太?太{}〔本
 全集第十三巻、一九二-一九三頁〕、『制皀、症状、不安』(の弌亠{ご乱}〔本全集第十九巻、四○-四
一頁〕を参照せよ。】
(29) 『万一 フリッツーヴィッテルスい愛についてのすべてI環境文学』(ベルリン、一九匸一年)、と
くに序論ニー一九頁)を
 参照せよ。】
(30) 【四 『自我とエス』(の三ふ日に日)〔本全集第十八巻、三一-三二頁〕のなかで、文化発達にと
って氷河期がどのような
 意味をもったかについて、フロイトは超自我の成立に関連させながらもう一度振り返っている。またい制止、
症状、不安』

 (9でXIV187) C本全集第t九巻、八三-八四頁〕も参照せよ。】
(31) 【W 草稿原文のこの個所には「禁慾〔冫胚{F2に}」の語が行間に書かれている。】
(32) 【一匹 超自我の発生と超自我の構造における性差による違いを述べたものとして、『自我とエス』
(の躙ふ日に呂心呂)〔本全
 集第十八巻、三四-三五頁〕、「解剖学的な性差の若干の心的帰結」(9でX{くじt吉}〔本全集第十九
巻、二万丁ニー五頁〕、
 「続・精神分析入門講義」(9で図づ太)〔本全集第二十一巻〕を見よ。】
(33) 原文ではbetzungenだが、ここでは00の提案に従い、夕{回心回と読み替えて訳した。
(34) 【四 『集団心理学と自我分析いのなかで、原始部族の父についてフロイトはこう述べているI「彼
の自我はリピート的
 にほとんど拘束されていなかった、彼は自分以外の誰も愛していなかった、もし他者を愛することがあった
としても、それは、
 他者が彼の欲求に役立つ限りでしかなかった」{の刈‐回目}脂)〔本全集第十七巻、一九七頁〕。】
(35) 【四 草稿原文では、〔反動形成毎回回o品呂汢品回〕」が行頭の「その回帰〔茫円ヨ乱弖8可〕」
の斜め上に置かれてい
 る。フロイトはこの詰をどこに挿入するか指示していない。】
(36) 【四 フェレンツィ、前掲「現実感覚の発展段階」 ヱ(I頁。引用は、いくぶん異なっているI
「たぶんいつかは、自
 我発達の個々の段階と神経症的な退行諳類型を人類の系統発生の諸段階と並行関係に置くことができるだろ
う」。】
(37) 「TuT」は『トーテムとタブー』のこと。例えば(GW-IX172二回←多←回二呂)〔本全集第
十二巻、一八二-一八四頁、
  T八七頁、二〇二-二○三頁〕を参昭せよ。【四 晩年の著作『モーセという男と一神教』(9う図だ←
回心宕)〔本全集第二十二
 巻、一〇一-匸元頁〕において、系統発生的な理論仮説がもう一度取り上げられる。】
(38) 「時期」の原語は回E目凹・【四 この語は、欄外に書き加えられている。フロイトがどこに入れた
かったのかは、草稿か
 らは判然としない。】
(39) 【W フロイトは、原父殺害の仮説に関連して、すでに『卜1テムとタブー』の第四論文(の三亠ご
心)〔本全集第十二巻、
  匸八三頁、原注(囲)〕のなかでJ・J・アトキンソンを引き合いにだしている。アトキンソンは『原始
法』(ロンドン、一九〇
 三年)の第二言、第三章にて、人間の共同生活の原始状態に関する普遍化可能な仮説を立てるなかで、「単
独の父なる暴君」(二

 二八頁)を息子たちが殺害する「反逆罪」(二二五頁)や「血の悲劇」(二三一頁)を扱う説を提示してい
た。】
(40) 【一匹 この「そして「自巳」は、草稿ではこの段落の終わりにある。おそらくフロイトはこの個所
に入れようとしたのだ
 ろうが、置き換え記号は見られない。】
(41) 【四 この「神経症」はもちろん精神神社症の意味であり、転移神経症ではない。】
(42) 【四 これについては、『トーテムとタブー』第四論文の四節と五節[の畑山ご呂矜]呂同)〔本全
集第十二巻、一七〇頁以
 下、∵八〇頁以下〕を参照せよ。】
(43) 【W 「喪とメランコリ1」〔本巻所収〕にて。】
(44) 【一匹 この「いわば〔吃の一冫回日〕」は、手酋き草稿の左欄外に後から書き込まれた。これをフ
ロイトがどこに挿入したかっ
 たかは判然としない。】
(45) 【四 草稿原文では、ここにフロイトが原稿の終わりに付す長い水平の線が引かれている。これ以降
は、フロイトが一九
 一五年七月十二日にフェレンツィに宛ててこの草稿に添えて送った手紙のなかで予告されていた補足であり、
一九一五年七月
 二十四日付のプエレンツィからの手紙に対する返答である。この手紙の中でフェレンツィは、一九一五年七
月十二日付のフロ
 イトの系統発生的空相Jに関する草案を論評しながら、次の点について熟考を求めた。「早発性痴呆と去勢
段階のあいだの類
 比関係だけが私には納得できません。去勢された者はもちろん生殖を行うことができず、彼らの状態も系統
発生的に固着して
 しまったのです。あなたは去勢不安の固着を確かなものだとお考えです。追放された息子たちは母の喪失に
よってまったく途
 方に暮れてしまい、その結果ナルシシズムへの退行が生じるでしょう。しかし、いかにしてこの段階までも
が系統発生的に固
 着に至ったのか疑問ですし、同様に、個々の同性愛者は両性愛であり続け、生殖を行えたと想定しないなら
ば、同性愛の囚着
 は謎になります。これらの段階のいずれもが一人の「犯罪者」をうみだし、その者が支配的潮流に妨げられ
ることなく正常に
 女性(母)と性交した、ということでもないかぎり。(エディプス、サビ二人女性の強奪。)」】

 無 常

(I) 【00 この標題は、おそらくゲーテの「ファウスト」 匸匸○四-一ニー○五行を暗示したものと
思われる。「すべて無常
 のものは、ただ映像にすぎず」。】邦訳づファウスト』第二部、相良守峯訳、岩波文庫、一九五八年、四九
五頁を参照。
(2) 【00 この二人の同伴者が誰であるのかは、未だ定かではない。ルー・アンドレアス凵ザローメ
(口数の少ない友人)とラ
 イナー・マリア・リルケ(若い友人)がこれに該当する叮能性があり、フロイトはこの二人に、一九匸不九
月ミュンヒエンに
 て、第四回国際精神分析学会の折に出会っている。】

 欲勣変転、特に肛門性愛の欲勣変転について
(1) 糞便と金銭ないし金との関連については「性格と肛門性愛」〔本全集第九巻〕にて詳しく述べられて
いる。
(2) 原語はdas ..Kleine"。 日本語では、これに直接該当するものはないように思われる。
(3) 「ナルシシズムの導入にむけてJH節{9でX}呂)〔本全集第十三巻、匸二七頁〕。
(4) 「「うんこ「口日七ごをする」は大便をすることを指しています」(「ある五歳男児の恐怖症の分析
〔〔ンス〕」(9うぶに回)〔本
 全集第十巻、六一頁〕)。
(5) 【匹 「幼児の性理論について」合三ム臼}昌)〔本全集第九巻、二九八-二九九頁〕。】
(6) 【匹 一九二〇年にフロイトは『性理論のための三篇』の第二篇にこの論考の内容を要約する注〔本
全集第六巻、二四一頁、
 原注(17)〕を付している。】

 ヘルミーネーフオンーフークトヘルムート博士宛 一九一五年四月二十七日付書簡
(1) 底本(匹)における本論稿の正式な標題は汐回百日27. Apr il 1915 an Frau 
Dr. Her mine v自Hug-E回一日u t h「 abgedruck t
 in ih r em Geleil w ort zu deヨV目一hr herausgegebenen Ta
gebuch eines halb w iichsigen Madchens(Quellenschr if
ten zur
 s eeli schen Ent wickl ung( Nr. I)。 Internalionaler Psych
oanalyt i sche r 二'erlag「 」eipx ig-Wien-Zii rich 1919 (2. A
u fl. 1921( 3. Au fl.
 1922)・すなわち「ヘルミーネ・フォン・フークロヘルムート博士宛一九一五年四月二十七日付書簡。
彼女が編集した『ある

未成年女性の日記い(『心の発達に関する原資料』第一巻)、国際精神分析出版社、ライプツィヒーウィーン
ーチューリヒ、一九
一九年(第二版、一九二一年、第三版、一九二二年)への序文のなかに掲載」。『ある未成年女性の日記』お
よびその「序文」に
ついては「解題」(本巻四二四頁)を参照。

    解  題

                                           新宮一成
                                           本間直樹

 本巻には、一九一四年に執筆された「ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕」(公刊は一九T八年)および
一九一五年
に執筆・公刊された諸論文を収めた。

 メタサイコ囗ジーについて
 フロイトは、臨床経験の蓄積がある閾値にまで達すると、一つの特別な作業を行う習性を備えていた。それ
は、
臨床的諸現象を理解するために編み出した自らの説明が、自然科学的に見ても合理的かどうかを確認すること
であ
る。
 たとえば「投射」という概念は、心的な現象を記述するには便利である。それで何かが言えた気にはなるだ
ろう。
しかし、よく考えてみよう。「投射」とは、私の心の中に一つの働きが起こっているとして、私がそれを他人
の中
に入れ込むということである。そもそも、そのような行為が可能であるのか。その動きが比喩ではなく何らか
の実
質を伴っているとしたら、その実質は私の中に残るのだろうか。いや、他人に入れ込んだのだから私の中から
はな
くなってしまうのではないか。あるいは、やはり私の中にも別の仕方で残っているのなら、それをわれわれは
「無

意識」と呼ぶのだろうか。
 こうした疑問に答えられなければ、「投射」という心理的な概念は単なる日常経験をしかつめらしく同義語
反復
したものに過ぎず、言葉の遊びに堕してしまう。いやもっと悪いことに、使われる文脈次第では、単なる責任
転嫁
の応酬の道具になるだけであろう。そこに科学的な意義は認められまい。
 フロイトはこのような結果を良しとしなかった。記述用語として通用する、意味のある概念を手にしても、
そこ
で留まっていることはできなかった。実際に、物が動いている場面を想像して、その記述で言われていること
が現
実に起こりうるかどうかを検証してみなけれぱ、真に理論化が達成されたとは認めなかったのである。
 その理論化の方向を、フロイトは「メタサイコロジー(?回召咼冫O{O訃}」という名で追求しようとし
た。心理的
用語が乱雑に飛び交うのには我慢ができないフロイトにとって、その上空に論理的形式が、その地下に物が存
在し
ていなければ、「科学的」という基準は満たされなかった。「メタ」という用語からは、上なり下なりがイメ
ージさ
れるが、フロイトは自らの心理学にそのどちらをも要求したのである。
 メタサイコロジーに欠かせない「備給」という概念が兵力配備や兵站をモデルにしていることは、本巻に収
録さ
れた諸篇の様々な文脈から確実であるが(。例として「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」(本巻二七〇頁
参照)、もしフ
ロイトがどこかの軍司令部にいたとしても、彼は決して、攻撃と防御だけを地図の上で操作することはなかっ
たで
あろう。彼は真っ先に食料と燃料をどうするかを考えたに違いない。食料と燃料がついていかない作戦が失敗
する
ことが決まっているように、量的な現実を考慮しない心理学理論は初めから空論であることを運命づけられて
いる、
その直観こそ、フロイトのメタサイコロジー論文執筆を動機づけていた。ところが彼のこのメタサイコロジー
も、

やはり挫折に終わったのである。正確に言えば、思いがけない方向に回折を蒙ることになったのだ。以下、二
回に
わたったこの回折を振り返ってみよう。
 まずは、フロイトが医者として開業し二八八六年)、ヒステリーや強迫神経症の患者たちを通じて無意識の
働き
に深く接し始めた時期を経て、メタサイコロジーが試みられたときのことである。朋友ブロイアーの症例「ア

ナ・O」に感銘を受けたフロイトは、精神療法で何が起こるのかを定式化しようとする情熱に燃えていた。そ
して
T八九五年に発表された『ヒステリー研究』(本全集第二巻)において精神療法的な説明を纏めたのであった
が、心の
裡で彼は別のことを考えていた。すなわち、必ずしも神経系そのものではない、しかし神経系と同じように物
理的
普遍法則に支配された、心的諸系の存在を仮定すること、そして、それらの心的系の間で心的事象を量的に条
件付
けていくことである。幾つの心的系を仮定すればよいか、それらを各々どのように性格付ければ物理的普遍法
則を
破らない形で心的な変化を量的に書き換えられるのかIフロイトはその解決に挑んだが、しかし「心理学草
案」
(本全集第三巻)と後に呼ぱれる形で盟友フリースに託された彼の思索が出版に至ることはなかった。「メタ
サイコロ
ジー」という言葉も翌年ぼつんと思いつかれるのだがそのままにされる。彼の心はまだ、研究者として後にし
たぱ
かりの神経学の作業台の光景を離れていなかったのである。
 ここで訪れた第一の回折は、田tいがけない成果の浮上という形で訪れた。『夢解釈』(本全集第四巻・第
五巻)の執筆
である。『夢解釈』において、現実の物理的普遍法則を提供するのは神経系ではなく、「検閲」という社会的
行為で
あった。社会にも物理的普遍法則と同じような法則があるとすれば、それは畏るべきことである。フロイトの
それ
までの信念に悖る懼れがあるからだ。しかしフロイトは、敢えてその法則を認めたのであった。

 眠っているのに意識がある。それを夢という。そして夢の意識に昇るものが、すでに変形を蒙った無意識の
形成
物であるとすれば、その変形を心に強制したのは、ほかならぬ社会的圧力である。心は、眠っている間にも、
すな
わち、最も社会的影響から自由になっている間にも、社会的存在であることを止めることができないのだ。誰
の夢
にも昇りやすい「象徴」、夢だからこそ接近できる神秘の産物に思えるあの「象徴」でさえ、実は、検閲を通
りや
すいという理由で、夢工作によって選ばれたテンプレートに過ぎないのである。
 しかしそれだからこそ、もともと抑圧されるべきもの、検閲が許さないものが何かということが、問題にな
らざ
るを得ない。表象を用いたあらゆる工夫を要求し、偽装を凝らして出現しなけれぱならない意識、すなわち夢
とい
う特別なこの意識は、いったいどんな起源から、その実質の力を汲み取るのであろうか。
 フロイトは『夢解釈』第七章(本全集第五巻)で、夢工作の破綻を招いて無理矢理に覚醒を導き出してしま
うよう
な過程を、「不安夢」の問題として解明しようとした。すなわち、「無意識」なるものがわれわれのどこかに
宿って
おり、それがわれわれの夢意識を常に操っているのだが、もし夢によって自分を表現することに限界を感じた
なら、
無意識は不安という不定型な塊として、夢意識それ自体を破壊してしまうというのである。そして、強制され
た覚
醒だけがそこに残る。ちょうど、死が最終的にわれわれの意識を破壊して、われわれの死を見つめる他者たち
の意
識だけがそこに残るような具合に。
 フロイトは、開業医として神経症の患者の世界に身を置き、症状に取り囲まれた彼らの生活を、ある種の夢
意識
のようなものとして理解した。その症状世界の基盤では、未知の子不ルギーが心的諸系の中を、それらの系を
壊さ
ない範囲で性質を変えながら遷移している。患者はその遷移の結果しか知らないが、治療中にそのありさまは
明か

される。すでに「心理学草案」にはそのような遷移のありさまが、一つには空間の中で、もう一つには時間の
中で
(「事後性」の問題)、神経系の構成になぞらえて描き出されている。
 その見取り図が『夢解釈』第七章へと引き継がれた。「備給」と呼ぱれる、兵力投入、あるいは食糧供給に
似た
動きが、どのようにある種類の想起を可能にし、別の想起を不可能にするかが、謎めいた検閲との関わりで描
かれ
たのである。
 フロイトの主張は、「無意識」からの備給は、幼年時代の想起からなされるということであった。すなわち
フロ
イトは「幼年時代」というものに、われわれが覚えていない時代であること、さらに抑圧された想起の痕跡か
ら成
る時代であることを要求したのである。その「幼年時代」が備給を、干不ルギーを、りビートを、われわれの
意識
に供給しているのだ。
 この結論は、フロイトがそれによってしばらく実践を構成していくための、精神分析の技術論的な屋合骨に
なっ
た。フロイトは、無意識痕跡の実際の想起を治療的に希求した。すなわち、あえてメタサイコロジー的に言え
ば、
「無意識からの備給を、意識に移し替える」という作業目標を建てた。一九〇〇年以降しぱらくの間は、この
作業
が実行可能でありかつ有効であるということを、症例に即して検証して行く期間となったのである。
 実際、「あるヒステリー分析の断片〔ドーラ〕」(本全集第六巻)は、「夢とヒステリー」という題になる
予定であった。
夢の研究で基礎づけられた法則により、症例経過が説明できるはずだったのである。しかし、そうはならず、
報告
は「断片」に留まった。フロイトは結局、再び、患者との経験を営々と積み重ねて、来るべきメタサイコロジ
ーの
更新を期することになる。

 そして症例「ドーラ」に引き続き、「ある五歳男児の恐怖症の分析〔〔ンス〕」や「強迫神経症の一例につ
いての
見解〔鼠男〕」(いずれも本全集第十巻)といった重要な分析体験が実現し。さらに間業医ではどうしても不
足せざるを得
ない精神病の臨床経験を、ある女性パラノイアの例(「精神分析理論にそぐわないパラノイアのI例の報告」
(本巻所収))や、
シュレーバーの『回想録』の研究(「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察〔シュ
レーバ占〕(本全
集第十一巻))が補った。メランコりIについては、もともと重症度に幅のある疾患であるため、プロイトの
もとに
も一般的な洞察を可能にするような一定数の患者が訪れて治療を受けたことであろう。フロイトはこれらの症
例と
の経験が深まるに連れて、再びメタサイコロジーの構築の必要に迫られたのであった。
 メタサイコロジー再編に理論的な原動力を与えたのは、パラノイア(ならびに統合失調症)とメランコリー、
すな
わち精神病と言われる諸疾患は、ヒステり1や強迫神経症に比べると、治療の際の手応えが異なるという事実
であ
った。フロイトはこれらの精神病を「ナルシス的神経症」という用語でまとめた。それらにおいて問題になる
のは、
ナルシスの神話において、水鏡に映った自己像が主人公ナルシスの生きる力をすべて吸収してしまったのと同
様の
事態である。すなわち、患者の症状世界の中には、彼らのりビートを吸い込んでいる未知の憬があるに違いな
い。
それらのおかげで、リピートは転移の方面に十分な強度を供給できないのである。
 自分自身に干不ルギーを供給し自分自身を愛している人は、それだけ自信を持ち、自分を支え、生き易いは
ずで
ある。しかし、実際にはそうではない。ナルシス型の神経症である精神病の患者は、それぞれ生きるのに難儀
して
いる。自殺の頻度も高い。自分自身に愛を向けると言っても、それは単純なことではないのだ。自分に愛を向
ける
ことと、ある種の「像」、すなわち自分に似た歐に愛を向けることとは、必ずしも同じことではないのである。

 人間が生きていくための子不ルギーは、そもそもどこから獲得されるのかがまず疑問であるが、その干不ル
ギー
がどこにどのように配備されているかについても、フロイトは再び考え直さざるを得なくなった。人間は、性
的な
部門に子不ルギーを配備しないと、種として存続できないが、それを人生早期にすぐにしてしまうと、はやぱ
やと
その個体の生存は用済みになり、もう生きている意味がなくなる。それゆえ人間は性的配備を延期し、まず自
己保
存にいそしまなくてはならない。早くに起こった性的な蠢きは、自己保存の陰で、真っ当ではない形であって
もな
んとかして存続するしかないため、幼児期に人はみな多型倒錯を経過する。自己保存と性活動の間で、エネル
ギー
。の取り合いがあるからである。
 そして眠りはどうか。眠りでは子不ルギーは対象世界から引き揚げられて、すべて自分に取り戻されるよう
に見
える。確かに、眠りの間であれぱ、子不ルギーを引き揚げてしまうというのは健康な状態である。性は要らな
くな
り、まるで冬眠のように、自己の保存が貰徹される。しかし、もし取り戻された子不ルギーが、意識されたら
どう
なるだろう。それはこう語りかけるだろう。対象たちより、俺自身の方が偉いのだ、と。すなわち、パラノイ
ア患
者に見られるような誇大妄想が生じてしまうはずだ。だからそれは、意識に割り当てられてはいけないのであ
る。
それではその干不ルギーは、覚醒中はどこへ行ったのか。無意識になるのか。
 しかしそもそも、子不ルギーがなくなること、すなわち備給されなくなることが抑圧であり、それは無意識
に追
 いやられることと同義であった。逆に、意識とは備給されていることと同義であるから、機械的に言うと、
こうし
 たナルシス的な形式は、精神分析が治療として目指している「意識的になる」ことに近づいてしまうかもし
れない。
 しかし、精神病という事態、強度の高い心的異常は、正常のモデルにするわけにもいかないものであろ
う。―こ
うしてナルシス的な心的活動の認識は、これまでのメタサイコロジーを矛盾に陥れるものとなったのである。
 フロイトはここまでの研究の中で、抑圧されるべき性の蠢きは、本来的に生物学的に正当化される異性愛的
なも
のではなく、父に対する同性愛的なものであるという新たな見方を獲得していた。それは典型的には症例「シ
ュレ
ーバー」の中で、また側面的には「レオナルドーダ・ヴィンチの幼年期の想い出」(本全集第十一巻)の中で
表明され
る。異性に愛を、同性に敵意を向ける形の性とは違う形の性が、ナルシス的な心的世界の中で、患者の子不ル
ギー
を吸い取り、世界から目をそむけさせているものではないだろうか。
 この思考は、すこし先に、「自我理想」という名前で明確化されることになる。自我は、自らの理想と一つ
にな
っているのである。一つのものが二つに分かれて働いているのか、二つのものが一つになって働いているのか、

ちらかであろう。いずれにしても、これは必ずしも論理一貫した言い方ではない。ここには、先に「投射」を
例に
とって説明したのと同じような論理的困難がある。
 フロイトは一九二一年の『集団心理学と自我分析』において「同一化」を説明する際、この困難に突き当た
り、
次のように述べている。〔父親との同一化は、父親への対象的拘束の先駆けとなる。T〕父親とそのように同
一化
することと、父親を対象として選択することとの違いは、容易に一つの定式の内に表現できる。前者において
は、
父親は、人がそうありたい存在であり、後者では、人がそれをもちたい存在なのだ。T〕はるかに難しいのは、

の違いをメタサイコロジー的にありありと目に見えるように描き出すことだ」(本全集第十七巻、一七四頁)。
これは
論理化、そして物理的な普遍妥当性への工夫を要求する事態である。新しいメタサイコロジー、それも今まで
より
も規模の大きい、複雑なメタサイコロジーが必要になることが分かる。

 一九一五年、フロイトは、人間と自然との関係が自我理想に相当するものを生み出したという考えの原型を、

タサイコロジー論文の一つのため、およそ次のように書き付けている。人間は自然の内に生きる。人間は自然
の一
部である。しかし人間はまた、しばしば白然と対立する。自然は、人間が生存を続けるのに必要なものを供給
する
ことを拒んだりするのである。こうした拒絶が、氷河期には実際に起こった。人はそれゆえ、われわれの生殺
与奪
の鍵を握る自然というものを理想化し、それを内面化してそれを崇め、それに頼り、それと同一化して生きる
よう
になったのである。
 しかし、フロイトはこの草稿を弟子のプエレンツィに預けたきりで出版しなかった。フロイトの死後に発掘
され
たこの草稿は、「転移神経症展望」として、本巻に訳出されている。未発表に留めるというのは、かつて「心
理学
草案」をフリースに預けたままにしたのと同じ行動である。このような自然との間で営まれるナルシシズムが
人間
の内に設立されたとすれぱ、そこに関わるリピートは、対象に備給されたのでもなければ自己に備給されたの
でも
ない、両義的な性質を持つことになり、メタサイコロジーの一貫性を脅かす。彼は自分の書きつつあるものが、

分が本来メタサイコロジーに求めていることとは違った方向に進みつつあるのを感じ取って、メタサイコロジ
ーの
再構築の歩みを、いったん止めてしまうのである。
 自然をモデルにした、自我の同一化の対象としての理想。これは、すでに一つの終局的な解決の姿を持つ。
それ
は、個体発生は系統発生と一致する、という命題である。これは人間にとって一つの救いである。なぜならそ
こに
は、個人が生きることの意味が、自然の全体を繰り返すことであるとして、自己内包の姿で呈示されているか
らで
ある。進化論を評価していたフロイトにとって、この考えはしぱらくの間、捨てがたいものとなっていた。し
かし、

こうした考えに疑念を抱かねばならぬ時が、訪れることになる。すなわち、自らの祖先や起源、つまり個の生
存の
自然的かつ全体的な根拠を旗印にする思想が、彼の周りで急速に肥大化してきたのである。
 人類や人種という概念は、ともかくも「自然」を前提としているように見える。しかしその実、その概念が
用い
られる際の文脈は自然を相手にしていなかった。フロイトが提示する自我理想は、人を見捨てる氷河期の自然
の反
対物として白然から作り出されたものであるはずだったが(「転移神経症展望」)、人は、実は別のものとの
間に、あの
ナルシスの陥った関係を結んでいた。その別のものとは、自らの種族の「歴史」という観念である。フロイト
は、
神経症の原因論が、この考え方に沿って修正されていくありさまをも見なけれぱならなかった。人間が生きる
力を
汲み取ってくる源泉を、個体発生と系統発生の一致に見出す思想は、精神分析の周辺でしばらくは腮揚に共有
され
ていた。しかしいまやフロイトは、その感覚に自己批判的になりはじめていたのである。そしてそうした思想
が、
精神分析の実践の原理と離れて一人歩きし始めたことに、フロイトは危機感を抱いてもいた。
 症例「狼男」の中で、フロイトは次のように書いている(ただし、一九一七-一八年に起草され、後に追加
された文章
である)。〔系統発生的遺伝を承認するという点では私はユングにT・〕完全に同調するが、しかし、個体発
生の可能
性を汲み尽くしてしまう以前に、系統発生による説明に手を仲ばすのは、方法的に正しくないと私は思う。先
史の
祖先には喜んで認める意義を、幼年期という先史にはどうして頑なに拒もうとするのか、私には得心がゆかな
い」
(本巻一〇三頁)。
 「先史の祖先」、それは氷河期の厳しい自然を裏返して、われわれを決して見捨てない愛しい「父」を作り
出した
祖先のことである。個体発生を系統発生に組み込んで、「類」の永続の側から「個」の生存の意義を確認しよ
うと

する認識論的欲望は、この時代に、何人かの人々によって情熱的に語られ始めていたのである。フロイトが
「転移
神経症展望」の原稿を託したフェレンツィの弟子にあたるバりントも、「ヘッケルの法則は身体だけに限定さ
れた
ものである。ここで私は、身体だけでなく、心も種の発生を反復すると主張する」と書いた。精神分析は、過
去を
想起するというその根本的な作業の中で、個体の過去までを想起すればそれでよいのか、それとも人類の過去
をも
想起するべきかという「方法的」(かつ倫理的)問題に突き当たっていたのである。
 もし人類の過去を想起することが問題であり、それに成功するのが精神分析であるとすれぱ、メタサイコロ
ジー
の錯綜には最終解決が与えられる。自己の起源は人類の起源に一致し、私の想起はかつての彼の想起であり、
これ
からの汝の想起である。ゆえに、生きる力の起源の問題も、その力がどこに配分されているのかという問題も、

はや問う必要がなくなる。ゴルギアスの結び日のように、メタサイコロジー的問題設定は一刀両断されてしま
うこ
とになる。眠りの間、自己の中に引き揚げられたリピート備給は、「徹頭徹尾エゴイスト的である」という夢
の性
格を作り出すが、それはそのまま人類愛的でもあるのだから、もはや論争は不要となるのである。
 抑圧の理論も、性と自己保存の区別も、すべてを一掃し、ただ人類の歴史を「私」が人生の想起として再現
する
ことを目指す治療など可能であろうか。精神分析はここで発展的解消を遂げるだろうが、そうはならないであ
ろう
ことを、時代の様相が、一つの危機意識としてフロイトに教えていた。
 個人と人類の間には、人種がある。フロイトがメタサイコロジーを再編しようとしていた時代は、第一次世
界大
戦の始まりの時代であった。個人の想起が人種の歴史の再現であるなら、精神分析の結果は、人種の誇りであ
るべ
きだ。精神分析は、人種を統合する国家に奉仕する治療法となる。これは一見して、フロイトが目指していた
とこ

ろではない。フロイトは、メタサイコロジーを仕上げるより先に、本来の精神分析の在りかを再確認すること
を優
先しなけれぱならなくなった。
 フロイトは、本巻所収の「欲動と欲動運命」の中で倒錯を扱い、同じく「無意識」の中で精神病(統合失調
症)を
扱い、また同じく「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」の中で夢のナルシシズムを扱い、さらに「喪とメラ
ンコ
リー」の中で鬱病を扱い、かくして、この間の臨床的深まりを体現し、ナルシス的神経症つまり精神病群を考
慮し
ても成立するようなメタサイコロジーを再編しつつあったわけだが、この歩みの最中に、彼は、個人と集団と
のナ
ルシシズム関係の力の強烈な表現、すなわち戦争に直面したのであった。彼は論文「無意識」の中で、いよい

「メタサイコロジー」という言葉を本格的に採用し、理論化の用意を調えたように見えた。しかしその執筆中
に、
人類の歴史の中に個人の歴史を統合する根拠を見出せるといまだに考えている自分を発見し、自らを省みて、
信頼
する弟子に論文を預けたまま、仕切り直しを図ることになったのである。

 症例「狼男」について
 人類未曾有の大戦は、精神分析という治療法とその基本理論への信頼を分かち合った患者「鼠男」ことエル
ンス
トーランツァーの命を奪った。フロイトの長男であるマルティンも従軍し、ポーランドのロシア戦線に赴いて
いる。
では、本巻の主役の一人である「狼男」は、どうだろうか。彼はロシアから、フロイトの治療を受けるために
ウィ
ーンを訪れていた。その治療は一九一〇年から一四年までである。「狼男」はその回想録の中でこう書いてい
る。
「フロイトとの治療の終わりは、ちょうどオーストリア皇太子夫妻暗殺事件と重なった。これまでの治療を反
芻し

ながらブラーター公園を散歩していたとき、私は事件を知ったのだった」。オーストリア人フロイトとロシア

「狼男」の分析は、オーストりアとロシアが敵国同士になったまさにその時に終わっているのである。
 フロイトは、戦争をどう思うかと「狼男」に尋ねられて、「われわれの死に対する態度は間違っている」と
述べ
るにとどまった。「狼男」はフロイトのコメントの短さに不満を抱いたようである。彼はおそらく、本巻に収
めら
れた「戦争と死についての時評」を読んでいなかったのだろう。フロイトはこの「時評」で次のように述べて
いる。
われわれの無意識は不死を信じているが、不死の観念とは、人類の歴史を個の生活と同一のものとするあのナ
ルシ
シズムの一部を成すものである。死に対して、このように無意識に引き摺られた態度を取ることによって、人
類は
民族の不滅の過大評価や戦争に導かれるのではないか。l「狼男」に語った彼のコメントも、戦争と死を結び

けたこの「時評」の考えに従って発したものと思われる。
 フロイトは、己の間発した精神分析という方法論の存亡を賭けて、この「狼男」の治療に当たった。これは、

風変わった症例報告である。普通は、医師は自分が治療を頼まれた病気の治療経過を報告するものだが、この
症例
報告は、患者が幼年期に罹った病気についての報告が中心であり、そこに現在の分析の経過が付け加えられて
いる。
フロイトは、この症例において、現在の病気は幼児期の強迫神経症の未解決の後遺症であり、このたびの分析
によ
って、その強迫神経症の病因となった体験が想起され、解決されたと捉えている。彼は、一般的に、幼年期の
体験
つまり「幼年期という先史」の重要性が再び証明されたと考えたのである。
 フロイトは「狼男」の幼年期の想起を甚だ詳細に聴き取り、以下のような再構築をした。言語活動の十分で
はな
い一歳半の頃、「狼男」は、父母と一緒に寝ていたが、目が覚めて、父母の後背位性交を目撃した。その目撃
は疸

跡だけを残した。そして、三歳半頃に姉からの誘惑があった。四歳の時、彼は夢を見た。窓が間いて、胡桃の
木の
枝に狼たちがとまって、じっと彼を視ていた。彼は食べられると思い、叫んだところで目が覚めた。「狼男」
とい
う綽名の由来になった夢である。
 夢は、知覚として想起されることを拒んでいる原場面の痕跡の、象徴的な再現として理解される。夢で窓が
開く
のは、原場面で目蓋が開いたことである。夢で狼たちがじっと彼を視ているのは、原場面で、激しく動く両親
の身
体を、彼が見つめていたことを意味する。姉からの誘惑が原場面と夢の間に歴史的に挟まっている。おそらく、

の誘惑が原場面を引きずり出して、悪夢に仕立てヒげたのだ。
 これはいわゆる原場面の効果である。姉の誘惑があってから彼はひどい癇癪症に預り、夢を見てからは狼恐
怖に
罹り、さらに、熱心に施された宗教的教育の結果として、彼は、寝る前に念入りな個人的宗教儀式を行わない
では
いられないという強迫行為を患うことになる。先に述べたように、フロイトは「狼男」のリアルタイムでの病
気を、
強迫神経症の後遺症と捉えていた。これらの想起によって、さらに太古の原初的時代にまで遡る分析作業によ
って、
幼年期の神経症の残渣が解決されたというのである。
 しかし一方ではI外見上はフロイトがここで情熱を傾けて証明したことがらと反対の立場からの見方になる

もしれないがI「狼男」が過ごした年月の世界史的な経過と、彼の精神病理的な人生の経過とは、切り離しが

く結びついているように見える。われわれはこの患者の人生史を知っただけで、その荷の重さに慄然とさせら
れる。
 患者自身が詳細な回想録を出版したこともあって、「狼男」の伝記はかなり判明になっている。患者はセル

イーパンケイェフ(汐品配t目圧叺)という名を持ち、一八八六年のクリスマスイブ(旧暦)にロシアの貴族
階級に生

まれている。回想録に付された写真からもその一端が窺える広大な敷地の中の大邸宅で過ごし、その間に、上
に述
べたような一連の事件と症状が発生した。
 淋病に罹った頃から抑鬱性の気分変調に悩むようになり、一九〇八年、何人かの高名な精神科医、なかんず
く工
ミール・クレペリンの許で治療を受けている。その間に、彼は将来の妻となるテレーゼと出会う。彼女はセル
ゲイ
よりも年上で当時看護師をしていた。その後、セルゲイは一九一〇年二月から一四年七月まで、フロイトの許
で精
神分析を受けた。
 彼の父は一八五九年生まれで、フロイトも書いているように躁鬱病を患っていた。ヴェロナールを過剰服用
して
一九〇八年に四十九歳で亡くなっている。匸八六四年生まれの母は長生きし、一九五三年に亡くなった。そし
て、
セルゲイに大きな影響を与えた二歳半年上の姉アンナは、一九〇六年、水銀を用いて服毒自殺を遂げている。
セル
ゲイが語っている自殺前の姉の言動には、抑鬱的で心気的なところが見られる。しかしもともと非常に利発な
少女
であり、セルゲイは、晩年のインタビューで、「姉に比べれぱ、誰もが劣っていた」と自ら言うほどに、この
姉に
心的に拘束されていた。
 フロイトの治療はいったん終わったが、そこからはさらに複雑な事情が待ち構えていた。セルゲイの祖国ロ
シア
がオーストリアとの戦争に突入しただけではない。一九一七年十月、ロシアは共産主義革命に見舞われる。セ
ルゲ
イはお金に頓着しないでよい境遇から、一挙に貧乏になる。一九一九年の秋から二〇年まで短期間、セルゲイ
はフ
ロイトの分析を再び受けた(同論文の原注(60)(本巻匸一九頁)参照)。以降、フロイトは彼と妻との生活
を支えるために
募金を含めて援助したと言われているが、セルゲイ自身はこの点について、明確な資金の出所などのはっきり
した

認識を持っていなかったようである。
 フロイトに上顎癌が見つかり、次第に分析の仕事が困難になったことから、セルゲイは一九二六年から二七
年の
間、フロイトの紹介でルース・マック・ブランズウィックの分析を受けることになった。このとき、鼻の皮膚
の状
態をめぐる彼の強迫的に見えるこだわりは、一時期の精神医学で「心気パラノイア」と呼び慣わされたような
程度
に達していたが、セルゲイ自身は、ブランズウィックの用いた「パラノイア」という診断に同意しなかった。
彼の
姉は自殺の前に「鼻が赤い」と言って悩んでいたというが、そのこととの関係もよく分かっていない。ブラン

ウィックはこの分析を「フロイトの「幼年期神経症の病歴」への補遺」という標題のもと、一九二八年に『国
際精
神分析ジャーナル』第九号に発表している。
 セルゲイは、ウィーンで保険会社に職を得て、動めを続ける。ロシアの地主階級の息子として育ち、強い鬱
状態
を経験し、革命で身分と財産を失い、暮らしている国と祖国とが戦争状態に突入し、祖国に帰ることなく外国
語を
話しながらそれでも動め人として人生を生き切るということは、生やさしいことではあるまい。
 一九三八年、彼の妻テレーゼが、彼の留守の間にガスの栓を開き、自殺する。同年フロイトはロンドンに亡
命し、
翌年その地で没した。
 セルゲイは、ウィーンに暮らしながら、一九五五年から毎年、アメり力のタルト・アイスラーの訪問を受け
て、
分析的な会話の時間を持った。ミュリェルーガーディナーは、セルゲイの回想録を英訳し、フロイトの論文と
ブラ
ンズウィックの論文とを併せて、一冊の本として一九七一年に出版した(「狼男による狼男-フロイトの最も
有名な症
例の二つの物語」ベーシック・フックス社、一九七一年)。この本には、フロイトの末娘アンナーフロイトの
序文が付さ

れている。
 この本を読んだ女性ジヤーナりストのカリンーオプホルツァーが、セルゲイの居所を探し出し、一九七三年
から
彼の最期まで数週間おきに対話を行い、死後それを出版した『邦訳W氏との対話』馬場謙丁高砂美樹訳、みす
ず書房、
二〇〇一年)。われわれはそこから、彼が一九七九年まで生きたことを知らされる。オブホルツァーは、自分
も淋病
に罹ったことがあると語ったことが梃子となってセルゲイが彼女に心を開いたこと、彼は彼女の中に姉を見て
いた
こと、そして彼女自身が、心の中でセルゲイの姉を演じることを受け入れることによって、対話が進んだこと
など
を記録している。
 「狼男」は、複雑な病理を抱えた人物である。彼をとりまく人間関係はきわめて複雑であった。加えて精神
疾患
の遺伝負因と、二度の世界大戦と革命。彼の病理の種類とその人生の絡み合いを単純化することは難しい。フ
ロイ
トは病理の複雑さに応じて、後にラカンによって精神病の潜在的基本機制として着目されることになる「棄
却」と
いう概念-ラカンはここから「排除」という概念を発展させたIを患者の幼年期体験から取り出してきている。
 「狼男」がもたらした幼年期の生の想起は、精神分析の理論にとってきわめて貴重なものであり、それに基
づく
フロイトの理論的考察も高度に練られたものである。ここではメタサイコロジーとの関連にしぼって、いくつ
かの
注目すべき点を述べておく。
 本巻に収録されたメタサイコロジー諸篇におけるフロイトの問題意識は、「心理学草案」から『夢解釈』第
七章
へ、そして『機知-その無意識との関係』(本全集第八巻)の中の子不ルギー論、さらに「心的生起の二原理
に関す
る定式」(本全集第十一巻)や「ナルシシズムの導入にむけて」(本全集第十三巻)へと受け渡された、延々
と続くメタサ

イコロジー的考察を引き継ぐものである。初めに述べたように、臨床的な深まりがあると、フロイトはこの路
線の
考察にひとまず中間的なまとめを与えることを常とした。
 フロイトはすでに「心理学草案」の中で、無意識に関わる時間的な心的機制である「事後性」を発掘してい
る。
そしてこの「事後性」の激しい機能が、「狼男」の幼年期の想起に関して想定されている。とくにそれは原注
(19)
(本巻四五頁)において明示的に議論されている。
 また、託の編者が繰り返し述べているように、本来、メタサイコロジー諸篇は、現状で見ることができるよ
りも
多くの論文を含むはずであった。その中には、「意識」についての論文も予定されていたと推定されている。
そし
て「意識」という観点からも、「狼男」の「狼の夢」ほど示唆的なものはない。
 フロイトはメタサイコロジー諸篇の幾つかにおいて、特に精神病における妄想や幻覚の出現を、一つの意識
とし
て捉えている。通俗化した理解、すなわち「精神の病理的現象は、無意識が表面に現れてきたものである」と
いう
命題からすると、それはおかしいように思えるかもしれない。妄想や幻覚が意識であるはずはない、と人は思
うだ
ろう。しかし冷静に患者の言に耳を傾けるならば、妄想や幻覚は、その人がまさに意識として体験しているよ
うな
何ものかであると知らずにはいられない。意識という心的行為にならないはずのものが、現に今ここでそうな
って
しまっている状態が、そこにある。妄想や幻覚は一つの意識であるからこそ、それを経験している人は、それ
を語
りそれを現実と見なして行動しようとするのである。
 「狼の夢」において窓が間くという情景は、現に今、彼の眼が間きつつあるということを示しているのかも
しれ
ない。それは、フロイトが言うように、遡っての一歳半のときの原場面の再現であってもよいが、理論上はそ
うで

なくともよい。「狼男」は、四歳のある夜、目を覚ましたが、自分の周りの現実を知覚する代わりに、別のも
のを
「幻覚」したのかもしれないのである。彼が夢と思って記憶の中に登録しているものは、実は、一つの幻覚で
あり
得る。
 もともと、「狼男」は、幻覚への親和性の高い人であり、「小指が切断されて、かろうじて皮一枚でぶら下
がって
いる」という幻覚を体験したことがある(本巻九〇頁)。四歳のこの「夢」も、その系列に属する心的経験か
もしれ
ないのである。
 もしそうだとすれぱ、『ヒステり1研究』で「類催眠状態」(ブロイア士と名づけられる一つの幻覚的な体
験が、
病気の「原因」の位置に来るとされていることと、症例「狼男」における、幼児期神経症の原因論としての
「夢=
幻覚」の位置づけが対応してくる。それはなるほど、病気の原因になるような何ものかなのだ。
 それが姉による誘惑をきっかけにした一つの幻覚であったとすれば、「事後性」の理論に従うなら、それに
よっ
て何かが過去から喚び出されたのでなくてはならない。その喚び出されたものが、「原場面」であったと考え
られ
るだろう。オプホルツァーとの対話の中でセルゲイは、フロイトが、「狼男」が認めたとしている「原場面」
の想
起を否定している。フロイトの記録と狼男自身の晩年の記憶がここで岨饋をきたしているわけだが、それらを
総合
してみるならば次のように言えるかもしれない。「狼の夢」は、遮蔽想起のような形で機能して、想起されて
いた
「原場面」を背後に隠し、「事後性」の法則の下でその想起を病原的に賦活させていたのであろう、と。
 上に説明したように、フロイトのメタサイコロジーの試みは、臨床精神医学で精神病圈とされている様々な
病態
を含み込むような理論体系の構築をもくろむものであったから、症例「狼男」における知見もまた、その構築
の支
えとして、どこかに引用される予定になっていたことが十分に想定される。夢と、幻覚という病的意識の間を
つな
ぐ「狼男」の症例報告は、もしこの構築が実現していれば、大きな意義を付与されていたに違いない。
 しかし、それは実現しなかった。基本的な実践の指針の確認が、フロイトにとってはまず肝要だったのであ
る。
フロイトは、十二箍のメタサイコロジー論文を準備し、一冊の本として世に問うつもりであった。しかし、実
際に
送り出されたのは五篇だけであり、弟子に託したものを除いて、残りのほとんどを自ら破棄したらしい。フロ
イト
はメタサイコロジーのまとめを行う代わりに、別の「まとめ」を世の中に向けてアピールすることになった。
名高
い『精神分析入門講義』笨全集第十五巻)がそれである。そこでは、幼年期というものの実践的重要性が、繰
り返し
強調されていることに気づかされるだろう。
 そして、いったん潜伏したもくろみは、『快原理の彼岸』(本全集第十七巻)での短い言及を経て、いわゆ
る「第二
局所論」という新たな理論的装いの下に現れ出ることになる(『自我とエス』(本全集第十八巻))。フロイ
トのメタサイ
コロジーは、こうした形で第二の回折と再浮上を蒙った。そこではメタサイコロジーという概念が主題的に扱
われ
ているわけではないが、その問題意識が、形を変えて一つの纏まりを得たことが窺える。論文「無意識」の中
で幾
分定義的に述べられているように、力動論・局所論・経済論の三つの観点を備えた記述をメタサイコロジーと
呼ぶ
のであれば、こうした諸観点はその後も活用されていったと言えるだろう。
 ただしメタサイコロジーは、フロイトにとって、心的現象の科学的な基礎付けとして希求されていながら、
もう
一方では思弁として意識されてもいた。最晩年の著作「終わりのある分析と終わりのない分析」(本全集第二
十一巻)
において、世の言い回しを応用しながら、フロイトがメタサイコロジーを「魔女」に喩えていることが印象的
であ

る。諸系の間ばかりではなく、人と人との間を、物理的量のやりとりとして記述することは、それぞれの人が
感じ
る主観的な心理的印象を捨象することになる。しかしそれが叶えられれば、一人一人の人間には否認のしよう
もな
い法則性が浮かび上がるであろう。容易には叶わぬことであるし、そもそもそれは可能なことではないのかも
しれ
ない。「メタサイコロジー」という言葉には、仏の心を失わずに鬼の無心の業を遂行するような理想追求が込
めら
れていたのであろう。

 書誌事項
 「ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕」
 初出は『神経症小論文集成』第四巻、ライプツィヒーウィーン、フーゴー・ヘラー社、一九一八年、五七八
-七
一七頁。
 執筆の時期は、一九一四年の十月から十一月の初めまで。フロイトが本論文の原注(1)(本巻三頁)で述
べている
ように、出版は第一次世界大戦のため延期された。原稿と出版稿の間に加えられた部分二九一七-丁八年に起
草され
た)は主に二個所あり、ブラケットで示されている(本巻五九-六二頁、一〇一-一〇三頁)。『著作集成』
(第八巻、一九二
四年、四三九1塾六七頁)収録にむけて、その前年に、その後の症例の経過に関する長い注記が加えられた
(原注(60)
(本巻匸一八-匸一〇頁))。

 「戦争と死についての時評」
 初出は『イマーゴ』第四巻、第一号、一九一五年、一-ニー頁。
 執筆の時期は、一九一五年の三月から四月頃、第一次大戦が勃発して約半年後である。関連するものとして、

「フレデりク・ヴァンーエーデン宛書簡」(本全集第十三巻)が一九一四年末に、「無常」(本巻所収)が本
時評と同じ一九
一五年の十一月に書かれている。本時評の後半部はフロイトが属していた「ブナイーブりIス協会(ユダヤ人
文化
教育促進協会)」の一九一五年二月十六日の会合にて読み上げられた(この協会とフロイトの関わりについて
は、
「ブナイーブリース協会会員への挨拶」(本全集第十九巻)を参照のこと)。

 「欲動と欲動運命」
 初出は『国際精神分析雑誌』第三巻、第二号、一九一五年、八四-一〇〇頁。
 執筆の時期は、一九一五年三月十五日から四月四日まで。フロイトは「欲動(で耳)」に関する心理学的考
察が
不十分であることを幾度となく漏らしていた。例えば、「ナルシシズムの導入にむけて」二九一四年)では、
「なんら
かの方向性を示してくれる欲動学説がまったく欠けている」笨全集第十三巻、匸一三頁)と嘆かれ、後の『快
原理の
彼岸』(一九二〇年)においても、欲動が「心理学的探求のもっとも重要でもあれぱもっとも晦冥でもある要
素であ
る」(本全集第十七巻、八七頁)と述べられている。本論稿は欲動を包括的に論じたほぼ最初のものにあたり、
後の論
稿によって修正や補足が加えられるにせよ、フロイトの考える欲動の問題領域を明確に示している。

 「抑圧」

 初出は『国際精神分析雑誌』第三巻、第三号、一九一五年、匸一九l匸兄頁。一九一五年四月四日に、「欲

と欲動運命」と共に執筆完了。
 「抑圧」概念は精神分析の最初期まで遡り、公刊されたもののなかでは、彼のブロイアーとの共著「ヒステ
り1
諸現象の心的機制についてI暫定報告」二八九三年)のなかで初めて登場する(本全集第二巻、一五頁)。
「抑圧」の
語は、十九世紀初期の心理学者ヨ(ン・プりIドリヒ・ヘルバルトによって用いられ、マイネルトを介してフ
ロイ
トはそれを知る可能性はあるものの、彼自身は「精神分析運動の歴史のために」のなかで、「抑圧の理論にお
いて
は、私は間違いなく自立していた。近くにまで連れて行ってくれたような影響については、覚えがない」(本
全集第
十三巻、五二頁)と明言している。

 「無意識」
 初出は『国際精神分析雑誌』第三巻、第四号、一九一五年、T八九-二○三頁、および同巻、第五号、二五
七-
二六九頁。
 一九一五年四月四日から二十三日の間に執筆されたこの論文は、「無意識の「新しい定義」」(四月一日付
のルー・ア
ンドレアスHザローメ宛書簡)を狙ったものである。またアブラ(ムは翌一九二(年四月一日に、フロイトに
宛ててこ
う書き送っている。「これは、あなたがこれまで書かれたもののなかで最も重要で最も基本的なものです。
〔上と
りわけ重要なこの論文が戦争中に公表されたことが悔やまれてなりません。なにしろこれを読むべき人々の注
意を
引くことがほとんどできないのですから。しかし和平が締結されるや否や、〔メタサイコロジ士諸篇すべてが
著作と
して出されるとみんな期待しています」。
 一九一五年の版と一九二四年の版(『著作集成』(第五巻、一九二四年))では僅かながら異同が見られる。
最初の版で
は、各節に分かれておらず、後に節となる切れ目が欄外に示されていた。

 「夢学説へのメタサイコロジー的補遺」
 初出は『国際精神分析雑誌』第四巻、第六号、一九一七年、二七七l二八七頁。
 執筆の時期は、一九一五年四月二十三日から五月四日までの間と推定される。標題が示すように、本論稿は、

ロイトの新しい理論的図式を『夢解釈』第七章(本全集第五巻)で述べられた仮説に適用したものだが、内容
として
は、睡眠状態によってもたらされる心のそれぞれの「系」への影響に関して議論の多くが割かれている。その
議論
のなかで中心となるのは幻覚の問題であり、われわれが正常な状態において空相心と現実を区別するのはどの
よう
にして可能なのかについて検討されている。

 「喪とメランコリー」
 初出は『国際精神分析雑誌』第四巻、第六号、一九一七年、二八八-三〇一頁。
 一九一四年十二月三十日、ウィーン精神分析協会でのタウスグのメランコリーに関する発表をめぐる討論会
に参
加したフロイトは、一九一五年二月に一次稿を執筆し、その後、アブラ(ムからの示唆を得て、同年五月四日
に原
稿が完成された。この日、フロイトはアブラ(ムにこう書き送っている。「メランコリーに関するあなたから
のコ

メントは私にとって大変貴重なものでした。私にとって有用であった点については、私の論文のなかで憚るこ
とな
くそれと書き記しておきました」。アブラ(ムの研究からの示唆については、本論稿の原注(1)(本巻二七
五頁)で触
れられている。

 「精神分析理論にそぐわないパラノイアのI例の報告」
 初出は『国際精神分析雑誌』第三巻、第六号、一九一五年、三ニー三二九頁。
 フロイトは、一九〇八年二月十七日付のユング宛書筒の中で、関係が決裂状態にあったときにフリースのと
った
行動を見て、パラノイアと同性愛とを関係づけるという着想を初めてもったと、もらしている。彼はこの点を
一九
一一年にシュレーバーに関してさらに展開させた後(「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神
分析的考察「シ
ュレーバ土」(本全集第十一巻))、本論稿では、一見してこの点を否認するかに見えるある観察を起点にし
て、新たに
確証を与えている。

 「転移神経症展望」
 一九八五年、この草稿の発見者イルゼーグルーブリヒトジミティスの編集によって、ファクシミり版が彼女
の解
説とともにS・フィッシャー社から出版され、一九八七年に匹の「別巻(硝)」の六三四-六五一頁に収めら
れた。
 一九八三年、ロンドンにて、ジミティスがフェレンツィからマイケルーバりントの手に委ねられた書類を整
理し
ている折に、一編のフロイトの手書き原稿が発見された。この草稿の最終頁には一九一五年七月二十八日付の
プロ

イトからフェレンツィヘの書簡が付されており、その文面からこの草稿が未公刊のメタサイコロジー諸篇の最
終章
(第二一章)に該当するものであることが判明した。フロイトは同書簡のなかで、「これを破棄されても、保
持されて
もかまいません。清書原稿も一文一文この通りで、ほんの少し異なるだけです」と書き記している。この年、
フロ
イトはフェレンツィと定期的に書簡を交わし、彼にメタサイコロジー諸篇の進捗を知らせていた。七月十二日
付の
書簡のなかでも、フロイトはフェレンツィにこの草稿の概要を伝えている。
 全体の構想としては、不安神経症、転換ヒステり1、強迫神経症の三つの転移神経症に関する諸論文の結論
部に
あたるはずであった。
 本草稿執筆後の一九一七年の頃には、フロイトはフェレンツイとともにラマルク主義と精神分析とを統合す
る研
究計画について検討していたが、この計画は第一次世界大戦の終結前には放棄されてしまった。両者の取り組
みの
痕跡は、フロイトの『快原理の彼岸』二九二〇年)およびフェレンツイの『性器期理論の試み』(ウィーン、
一九二四
年)の中に見られる。
 また、フロイトの手書き原稿には語尾の省略や略記が多く含まれており、四では、本文中のブラケット内に
編者
による補足と解釈が示されている(本邦訳全集でも、これらは【 】記号の内に訳されている)。

 「無常」
 初出は『ゲーテの地 一九一四1一九一六年』シュトゥットガルトーベルリン、ドイツ出版社、一九二六年、

七l三八頁。

 一九一五年十一月に執筆され、ベルリン・ゲーテ協会によって「ゲーテの地」に因んで編まれた論集に収め
られ
た。当時、愛国の情をかき立てるこの書物がひろく読まれることで、プロシアと東欧の再建に向けた気運が高
まっ
たようである。ドイツ語圏諸国が戦争に見舞われて揺れ動くなか、二四七にもおよぶ文章が寄せられた。フロ
イト
のほかに、作家(ゲーア(ルト・(ウプトマン、フーゴ・フォンーホーフマンスタール、リカルダ・フープ、
アル
トゥーア・シュニッツラー、ヤーコブーヴァッサーマン)、音楽家(リヒヤルトーシュトラウス)、画家(マ
ックス・
りIバーマン)、政治家(テーオバルト・ベートマンHホルヴェック、ヴァルター・ラテナウ、フェルディナ
ントー
フォン・ツェッペリン)、軍人(パウル・フォンーヒンデンブルク)、学者三ルンストーヘッケル、アルベル
トーア
インシュタイン)などが名を連ねている。

 「欲動変転、特に肛門性愛の欲動変転について」
 初出は『国際精神分析雑誌』第四巻、第三号、一九一七年、匸一五-一三〇頁。
 執筆の時期は一九一五年頃と推定されるが、戦中の混乱によって出版の遅れが余儀なくされたようである。
本論
稿の要点は、『性理論のための三篇』に一九一五年に追加された段落笨全集第六巻、二三九l二四○頁)にて
示されて
いるが、本論稿で提示されている結論の多くは、一九一四年秋に執筆された「ある幼児期神経症の病歴より
〔狼
男〕」から導き出されており、そのⅦ節の後半部(本巻八四-八九頁)においてその主張が具体的に例示され
ている。
 「ヘルミーネーフォンーフークトヘルムート博士宛 一九一五年四月二十七日付書簡」

 本書簡は、ヘルミーネ・フォン・フーグトヘルムート『ある未成年女性の日記』(『心の発達に関する原資
料』第一巻、
国際精神分析出版社、ライブツィヒーウィーンーチューリヒ、一九一九年)の序文のなかに掲載された。
 ヘルミーネ・フオンーフークHヘルムート(正確には、ヘルミーネ・フーグ’フォンーフーゲンシュタイン。
一八七一-
一九二四年)は、この『日記』を匿名で出版し、そこに付した「編集者」による「序文」も匿名としたが、一
九二二
年の第三版において、「序文」の著者として初めて自らの名を明らかにした。実際には、この『日記』自体も
彼女
自身のものであり、子ども時代の想い出に精神分析の光をあてている。当時、ウィーン精神分析協会では『日
記』
が彼女のものではないかという疑いがもたれ、アードラー支持者らによってそれが告発された後、フロイトは
この
本を流通させないようにと指示をした。
 彼女は、イージドール・ザートガーの弟子であり、子どもの精神分析の先駆者の一人として、『イマーゴ』

『国際精神分析雑誌』の編集協力者となり、一九一三年には『子どもの心の生活から』を出版している。一九
二四
年、彼女は当時十八歳の甥のルードルプ・オットー・フーグ(彼は一九一五年以降、孤児となっていた)によ
って、研究
対象として利用されたという廉で絞殺された。

 「解題」執筆に当たっては、「メタサイコロジーについて」、「症例「狼男」について」の項を新宮が担当
し、「書
誌事項」を新宮・本間の両名で作成した。その際、「凡例」にある各種校訂本、注釈本、翻訳本の書誌情報を
ベー
スとして、必要な加筆を施した。謝意を表したい。

* 本解題中の雑誌名・叢書名・出版社名は以下のとおり。
  二神経症小論文集成い Samml ung kleiner Scluiften zur Neurosenl
ehre
  ・「フーゴー・ヘラー社」Hugo Heller & Co.
  ムイマーゴ』imago
  二国際精神分析雑誌j Internationale Zeitschr if t fur Psychoa
nalyse
  ・「s・フィッシャー社」b. r i scher Verlag
  ・「ゲーテの地 一九一四-一九一六年」Das 」and Goethes 1914-1916
  ニドイツ出版社」Deutsche Verlags-Ans talt
  ・『心の発達に関する原資料』Quellenschr if ten zur s eeli schen Ent
wickl ung
  ・「国際精神分析出版社」Internationaler Psychoanalyt i scher 
Ver l ag

作  心 2‐5‐5 三
隍E‥  誹   べ y作E
‘丶  J           I   J ‘丶
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帆 刷 ふ樹荏   ド9に裝‐4
匸猪作三二
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全     者   名 所     八
卜          ・.1 一i     川
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イ     訳   発 皃     印

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